読むとはタンテイすること


光村の2年生の「国語」教科書にある「ふきのとう」(くどうなおこ)です。

ふきのとうを読むにあたって、ぼくは子どもたちにこう語りました。


「物語・お話を読むというのは…(ちょっと間を取り、子どもたちを見回します)、ことばで書かれたことをタンテイすることです」

(えっ?タンテイ?という反応に、ぼくはニンマリ。)

「ことばを手がかりに、心の中の虫メガネを使って、ショウコを見つけ、ことばのウラに隠れていることを発見するんだ。名探偵コナンのようにね」


ぼくにとっては、名探偵とは、シャーロック・ホームズかポアロか、はたまた明智小五郎か金田一耕助か。

名探偵は虫メガネを片手に、ショウコを見つけ、難問を解いていきました。

「読むとは謎解き、タンテイすること」というとき、わくわく感が広がります。


「ふきのとう」の授業での最初の一文です。


   よが あけました。


「この一文をタンテイしてみよう。心の虫メガネで発見したことを言ってごらん」の問いかけに、子どもたちが次々に、「ハイ」「ハイ」と手を上げます。


     「ハイ、ハイ」はいらないよ


(ここで一言。)「あのね、ハイ、ハイって手をあげてくれたのは嬉しいなあ。でもね、ハイって言葉はなくていいよ。手をあげてくれてるんだから。

ハイってことば、他の人が考えているときに、ドキッとして、考えが止まっちゃうことになりやすい。

ぼくが、みんなのこと見てるから、手を上げた人は必ず当てるからね。

サンニセンセイが、眠っちゃって目をつぶっていたら、その時は、ハイって言ってくれて起こしてほしいけどね…」


新年度初めての授業では、ぼくが大事にしていることを実際の場面で確かめ合っていきます。

“授業規律”といったカタイことではありません。「聴きあう教室」、学び合いのためには、ハイハイの飛び交う騒然とした教室ではなく、しっとりした学びの場づくりこそ必要です。


教室での対話的な学びのためには、まずは「発言すること」より、「深く思考すること」を重視します。考えるときに「ハイ、ハイ」は不要です。むしろ、他者の思考のジャマとなります。

形式的な発言を競わせるような「ハイ、ハイ」は教室での学びの早い時期に無くしたいものです。

できれば手を上げることすら意識しないで語りだせればいいなという思いがあります。


     対話的で、協同的な学びへと


もとに戻ります。


すっと手を上げた子たちに発言を「どうぞ」と促します。


「朝がきたよ」とアオイくん。

続けてテツトくんです。「よるが、終わったんだ」


「そうだね。この“よ”って“よる”のことだね」

そう言いながら、黒板に「夜」という漢字を書きました。

       「夜=よる、よ

           ヤ    」   訓(くん)と音(オン)も書いておきます。

ここでは、漢字学習とはしませんが、日常の学びの中でさりげなく取り上げるようにしていきます。

「夜――朝」ということを意識しての発言を引き出します。


タクマくん。「一日が終わって、一日が始まった」

ショウタくんは「お日さまがでました」と続け、アンリさんは「明るくなりました」と受けました。


     「明=あか(るい)、あ(ける)

         メイ、ミョウ       」


     「夜が 明けました」


こう書くと、「夜明けだ」という声も出てきました。


友だちの発言を聴きながら、ことばをつないでいきました。対話的で、協同的な学びの始まりです。


(№870の記事)

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