昨日はどっと疲れる1日で

だからなのかどうなのか
朝自宅の満開の桜がとてもきれいに感じました




我が家の桜は
海辺ということもあるのでしょうが
ほんと遅咲きで
今年は全然咲かず
どうしかたのかと思っていたら
一気に咲いて
そして一気に満開になり
昨日の雨で一気に散り始めました

「さまざまなこと思い出す桜かな」(芭蕉)

誰だって
という言い方は乱暴かもしれませんが
でも多くの日本人にとって
桜にまつわる情景や思い出
短歌や俳句は
きっとあるんだろうな~

と思います

私もあります

今年はほんのすこし前
誕生日を少し過ぎた頃に読んだ本の中の一文でした

若松英輔エッセイ集 悲しみの秘義/ナナロク社

それは水俣病をあつかった「苦海浄土」で知られる
石牟礼道子さんが語った一文です

少し長くなりますが
短くしようもないので
そのまま写します
(*「たまがって」は「驚いて」の方言)


きよ子は手も足もよじれてきて
手足が縄のようによじれて、
わが身を縛っておりましたが
見るのも辛うして

それがあなた
死にました年でしたが
桜の花の散ります頃に
私がちょっと留守をしとりましたら
縁側に転げ出て
縁から落ちて
地面に這うたりましたですよ
たまがって駆け寄りましたら
かなわん指で
桜の花びらば拾おうとしよりましたです
曲がった指で地面ににじりつけて
肘から血ぃ出して

「おかしゃん、はなば」ちゅうて
花びらば指すとですもんね
花もあなた
かわいそうに
地面ににじりつけられて

何の恨みも言わんじゃった嫁入り前の娘が
たった一枚の桜の花びらば拾うのが
望みでした
それであなたにお願いですが
文ば
チッソの方々に
書いて下さいませんか
いや
世間の方々に
桜の時期に
花びらが一枚
きよ子のかわりに
拾うてやっては下さいませんでしょうか
花の供養に


人間の「いのち」ほど
大切なものはないと思います
みんな頭ではわかっていてそういいます
でも本当にそう思っているのか

震災を忘れたような家づくりを見る度に
強度よりもデザインを重視したような家を見る度に
家の品質よりもコストを重視したような家を見る度に
そう強く思います

「いのち」を守るのが家の役目であったのに
震災のときに多くの「いのち」が
その家によって
潰されたり壊されたりしました

私は実際に家をつくる上で
最終的な施工品質を守る工事の責任者として
デザインやコストやという前に
絶対に繰り返してはいけない過ちが
私たち家の作り手にはあると思っています
それを無視して
あるいは品質を守るスキルをブラックボックス化して
家をつくることは
チッソと同じなんだと私は思います
少なくともそうなる危険性をはらんでいると
そう強く思います

震災のとき
これは人災ではと言われたし
私は実際に倒壊した多くの家と
そうでない家を目の当たりにしたことで
経験や勘にたよった木造住宅の結果として
人災はあったと
思います
チッソの問題は
蓄積されて出てきました
家の強度の問題は
20年後か30年後かに
本当に南海沖地震が実際に起こったときに
はじめて露見するでしょう

「花びらが一枚
きよ子のかわりに
拾うてやっては下さいませんでしょうか」

思い出したのはこの一文です

私は今年から
必ず毎年
きよ子さんのかわりに
その家族に
母のかわりに
阪神大震災亡くなった人のかわりに
東北の震災で亡くなった人のかわりに
桜の季節に
花びらを一枚拾い
想うようにしたいと思ってます
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