昔、米子には小路と呼ばれる通りが90ほどありました。それらの多くは長い年月を経る間に忘れられてしまいました。それらを復活させようと、米子まちなか歩こう会によって2015(平成二七)年3月から17(平成二九)年3月にかけて、米子市日野町の元町サンロードと本通り、笑い通りを含む国道9号以西の米子下町エリアにある小路に名前の由来とイラストを盛り込んだ「小路案内板」が設置されました。

 

 

冊子「なつかしの小路と町屋めぐり」(表紙裏表紙含む12頁・税込100円)や小路スタンプ(JR米子駅構内米子市観光案内所に設置)などのまちあるきツールも充実しています。

 

妙興寺を後にして、寺町通りより妙善寺小路を抜けて、本教寺裏の墓地に至る。

 

 

比較的新しい墓石が目立つ理由は、2000(平成一二)年に発生した鳥取県西部地震による倒壊、破損したため、新しく建立し直したからです。

 

墓の向こうに米子城跡石垣を望む。

 

 

立町一丁目、飛田材木店前の辻に鎮座する石仏の正面に「正徳元年卯五月二十八日松永与太郎」と刻まれていることから「与太郎地蔵」と呼ばれています。8月23日の加茂川まつり・地蔵盆の際、立町の遊園地に移され、祭りが執り行われます。1934(昭和九)年9月の台風水害の折、松本家の前の川に流れてきたものを近所の年寄りが引き上げて祀ったことが始まりと伝わっています。

 

 

辻より先、本教寺小路を抜けて、本通り中ノ棚の曲がり、岡本一銭屋前に至る。

 

 

米子の城下町は江戸時代以前からあった古い町を取り込みながら新たに整備されたものです。その新旧の境目が、岩倉町と立町の間、鉤の手に曲がったこの中ノ棚の曲がりです。

 

一銭屋の前を西に直進すれば、旧加茂川に架かる中ノ棚橋。

 

 

本通りに沿って米子駅方面に足を向けると岩倉町。

 

そこに佇む200年の町屋、長田茶店。

 

 

当家の先祖は、岡山の勝山から4~500年前に鳥取西部へ移住。1801(享和元)年に長門屋秀次郎を初代として「長門屋(ながとや)」の看板を掲げ当地で創業。当初は造り酒屋、旅籠(はたご)などを営み、その後、大正時代まで酒屋・薬屋・質屋・長屋・貸し蔵などを手がけました。戦前に需要増大が見込まれたお茶や茶道具に特化した経営に移行し、現在に至ります。

 

 

店の間の上、虫籠窓のついた二階天井の低い中二階、厨子二階と呼ばれるスタイルは、江戸初期から中期にかけて普及し、明治末期に総二階と呼ばれるスタイルが登場するまで見られました。侍を見下ろさないようにということで居室が許されず、主に物置や使用人の寝泊りに利用されていました。

 

店の間の奥、中の間に吹き抜け空間が設けられており、これが米子の町屋の特徴です。

 

 

これに続いて奥の間、縁側、土蔵があり、2階には茶室と書院の間が設えられています。なお、これより奥は居住空間のため立入は禁止です。

 

 

水出し緑茶を振る舞われて一服。

 

◆参考文献

『米子のふるさと散歩』 「米子ふるさと散歩」編さん委員会 著 米子錦ライオンズクラブ・米子市 発行

『市民が選んだ米子の宝八十八』 よなごの宝88選実行委員会 編集・発行

「米子加茂川地蔵めぐりガイドマップ」 加茂川まつり35周年記念誌編集委員会 編集 加茂川まつり実行委員会 発行
「なつかしの小路と町屋めぐり」 米子まちなか歩こう会 発行

「海を臨む天空の城 国指定史跡 米子城」 米子市教育委員会 編 米子松陰高等学校、同インターアートクラブ 協力 米子東ロータリークラブ 発行

 

 

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