本年4月より11月までの期間、毎月催される米子下町観光ガイドおすすめイベントのひとつ「米子下町10選」。ガイドを務める米子の小路博士Kさんにお誘いいただき参加しました。

 

米子下町10選「米子の十八町を巡る~第1回~」

 

今から約400年前、関ヶ原の戦いの後、駿河国(今の静岡県)より当地、伯耆國領主として中村一忠(忠一)が移封され、1601(慶長六)年入府し米子藩を立藩。家老の横田内膳村詮は、旧加茂川を整備して外堀としたほか、優れた商人や職人を呼び寄せるなどして城下町を形成。内堀と外堀の間に武家屋敷を集め、主に外堀の外に町人たちを住まわせせる町を十八置いたことが「米子十八町」(内町・片原町(天神町)・灘町・立町・岩倉町・尾高町・東倉吉町・西倉吉町・四日市町・紺屋町・法勝寺町・糀町・道笑町・博労町・日野町・茶町・塩町・大工町)の由来です。

 

「○○町」の「町」の呼び方が「ちょう」は武士が住まうエリア、「まち」は町人が住まうエリアという区別が出来ます。近代以降、「ちょう」の区域にも一般住民が住まうようになりましたが、公共建築物が多いのが特色です。

 

江戸時代の外堀は幅六間(約11m)。外堀は城の守りのためのものでしたが、荷物輸送の水路としても利用され、堀に沿って商家の倉が建ち並んでいました。明治以降、米子の発展に伴い、次第に埋め立てられ道路となりました。山陰歴史館・旧米子市役所新庁舎に隣接する通りは米子城外堀跡。

 

 

旧加茂川と合流する天神町付近に今もその名残があります。

 

 

この周辺にそれを示すものはありませんが、米子駅方面へ500mほどに立地する明道公民館前に「久米城(米子城の別称)外堀跡」と記された碑があります。

 

 

ローソンポプラポプラ米子天神町店のある場所には、かつて天神様がお祀りされていました。現在では賀茂神社に合祀され、この地に天神様は坐しませんが、その名残として町名や橋名に見られます。

 

 

ローソンポプラから城山へとまっすぐ進むと湊山球場、昔の米子城搦手門へと行き当たります。

 

 

天神町は古くは片原町と呼ばれており、京橋付近に船頭の家が数軒あるばかりでした。堀端に立地した船越家は、荒尾時代より米子港に出入りする千石船の荷物の積み下ろしなどの監督を命じられ、非常に繁栄したお家のひとつです。

 

船関係従事者のほか、船大工、宿屋、穀物商、漁業者などが住み、戸数も増え、1857(安政四)年から天神町と改められました。

 

天神町に残る船越家住宅。

 

 

諸国からの入港船との間に艀が荷を積み替え、旧加茂川を利用し転々と商店の倉へと荷を運んでいました。そのために必ず水路を使用するので、その使用許可証に判を押す役だったのがこの船越家の役割であったため「判屋船越」と呼ばれました。

 

◆参考文献

『米子のふるさと散歩』 「米子ふるさと散歩」編さん委員会 著 米子錦ライオンズクラブ・米子市 発行

『市民が選んだ米子の宝八十八』 よなごの宝88選実行委員会 編集・発行

『とっとり建築探訪 県民の建物100選』 「県民の建物100選」編集委員会 編集 社団法人鳥取県建築士会 発行

「米子加茂川地蔵めぐりガイドマップ」 加茂川まつり35周年記念誌編集委員会 編集 加茂川まつり実行委員会 発行
「なつかしの小路と町屋めぐり」 米子まちなか歩こう会 発行

 

 

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