米子港の位置する加茂川河口からわずかに遡った京橋(きょうはし)の袂、加茂川沿いの道路と旧米子城へ通じる重要道路の角地に立地する国指定重要文化財「後藤家住宅」は、江戸中期に築造された廻船問屋の構えとして、わが国において数少ない貴重な遺構です。

 

 

後藤家は戦国時代末期の天文年間(1532~55年)に石州浜田から移住してきたと伝わり、江戸時代には海運業を営み、藩の米や鉄の回漕の特権を与えられ廻船問屋として栄えました。

 

1714(正徳四年)築造と1753(宝暦三)年増築の主屋は22.4m、奥行き18.8mの木造平屋建(一部二階納戸付)。

 

 

外観の特徴が三つあり、その一つが屋根瓦。

 

 

当家の屋根瓦は、主に寺院などの屋根に見られるもので本瓦葺きで、古くは飛鳥時代にまで遡ります。この地方の民家に唯一みられるものです。町人の屋敷では非常に稀なことで、当家の家格がいかに高かったかということが分かります。

 

二つめが戸。

 

 

向かって右の板壁のような蔀戸(しとみど)は、寝殿造りに見られるもので、上を跳ね上げ、下を取り外して使用します。

 

 

現代に当てはめるとすれば、シャッターのようなものです。

 

向かって左には大八車の出入り可能な大戸と、普段の出入りに利用する狭小な潜り戸が設えられています。

 

 

三つ目が出格子と駒留め(止め)。

 

 

間取りは南半分が住居、北半分が板の間と土間で、廻船問屋としての作業場を広くとっているのが特徴です。

 

 

大黒柱で小屋組み全体をを支えるといった構造は、米子の町屋にみられる典型的な特徴です。

 

 

土間には厚さ15cmの来待石が隙間無く敷き詰められています。

 

 

明治期に土間部分が改造されましたが、1979(昭和五四)年からの修理の際に旧状復元されています。

 

 

ここは水路を伝って小舟から陸揚げされた諸国からの荷物を仕分ける荷捌き場だったということです。

 

正面の板の間に米子の商家の特徴ともいえる神棚が見えます。

 

 

中央が伊勢神宮、向かって右が氏神、左が当家が崇拝する神が祀られています。

 

板の間の先、通りの間。

 

 

ここには二階へと続く戸が設えられています。

 

 

奥の一段高い部屋が次の間。

 

 

そのとなりが客間。

 

 

この他に衣桁の間、化粧の間、仏間、式台玄関などが設けられています。

 

裏側中庭に面した広縁は土間を取り込み、巾広板の切目縁板は鴬張り仕様。

 

 

鴬張りは京都の二条城や知恩院などにみられるもので、その設置目的は防犯対策のためです。

 

1879(明治一二)年の家相図によると、北側道路に面した敷地に数多くの蔵や付属建物が立ち並んでいたようですが、現在では主屋と一番蔵、二番蔵、味噌蔵を残すのみとなっています。

 

 

土間の脇から外に出ると、壱の蔵・弐の蔵・味噌蔵などが建ち並んでいます。

 

 

表の屋根瓦は米子ではただ一軒のみの本瓦(丸瓦)ですが、裏の屋根瓦はご覧のような平瓦です。

 

 

屋根に設けた煙出し。

 

 

内側から見るとこんな感じ。

 

 

303年前の建物が極上の保存状態で残されているという、まさに米子の宝。現住建造物のため、一般非公開。まちあるき企画に参加して二度目の見学となりましたが、座敷まで上がらせていただけるとは思っていませんでした。現在の15代御当主に感謝いたします。

 

江戸時代、商売の成功で豪商となった後藤家は、享保年間に粟嶋新田の開発を手がけるなど、米子のまちの発展に大きく尽力しています。

 

寺町にある心光寺の本堂・山門・庫裏を寄付。

 

 

後藤家第11代当主快五郎の多大な尽力によって1902(明治三五)年11月境~御来屋(みくりや)間に山陰初の鉄道が開通。特にその中核となる米子駅の開業は、快五郎の東奔西走の賜物です。

 

 

また、明治末期に山陰線が全面開通したことで車両修理の作業量が増大。大規模な修理工場の設置が必要性が高まり、松江などと誘致合戦になりました。このとき再び快五郎は地域の発展のため行動を起こし、修理工場のために自分の所有する広大な土地を無償で提供。これが決め手となり、1918(大正七)年山陰唯一の鉄道車両修理工場として「後藤工場(現:JR西日本後藤総合車両所)」が米子に誕生しました。

 

 

当時、鉄道行政を司っていた鉄道院は、これらの快五郎の労に報いるため、終身無料乗車券の進呈を申し出ますが、快五郎は「汽車賃を払って乗ったほうが気が楽だ。」と断りました。仕方なく鉄道院は、駅と修理工場に「後藤」の名前をつけて報いたということです。

 

 

その他、山陰実業銀行を創設に参画し同行専務取締役や、米子商工会頭取(現:米子商工会議所会頭)にも就任。また、持ち山や地所を寄付し、後藤ヶ丘中学校の創立や後藤グラウンド(現:湊山球場)の建設につながっています。

 

このような快五郎の損得勘定抜きで地域の発展に貢献する姿が、米子商人の気概をあらわしています。


◆参考文献

『米子のふるさと散歩』 「米子ふるさと散歩」編さん委員会 著 米子錦ライオンズクラブ・米子市 発行

『市民が選んだ米子の宝八十八』 よなごの宝88選実行委員会 編集・発行

『とっとり建築探訪 県民の建物100選』 「県民の建物100選」編集委員会 編集 社団法人鳥取県建築士会 発行

「とっとり豆知識」 メールマガジンとっとり雑学本舗・第739号(2009年10月30日)

「米子加茂川地蔵めぐりガイドマップ」 加茂川まつり35周年記念誌編集委員会 編集 加茂川まつり実行委員会 発行
「なつかしの小路と町屋めぐり」 米子まちなか歩こう会 発行

 

 

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