昨日は天気もよかったので、JPA展のついでに米子下町の小路を彷徨。
米子の中心市街地で意識をして探してみると、伯耆富士・大山をチラ見できるスポットが点在しています。
その1.米子市役所本庁舎・東側入口
駐車場へ向かう階段付近、米子合同庁舎の脇に雄大な大山が目に飛び込んできます。
米子地方合同庁舎
合同庁舎には、中四国防衛局美保防衛事務所、環境省米子自然環境事務所、鳥取地方検察庁米子支部、米子区検察庁、鳥取保護観察所米子駐在官事務所、米子税務署、米子労働基準監督署が入居しています。
合同庁舎の横を走る市道は米子城の外濠を埋め立てて引かれました。
合同庁舎裏の明道公民館に、かつてここを米子城の外濠が走っていたことを示すものがひっそりとあります。
公民館前に立つ親柱にそれを示す文言が刻まれています。
「久米城外濠跡」碑
久米城は、米子城の別名です。濠はこの先の国道9号を越て旧加茂川へと至り、終には中海へと注ぎます。
なお、外濠を埋め立てて引かれた道は、合庁前を国道9号方面と反対方向へと走ってすぐに直角に曲がっています。
外濠跡の道を進むと、旧米子大丸跡に立つ中国労働金庫米子支店の脇へと至ります。鳥取県道28号米子停車場線を跨いでまっすぐ進むと、終には新加茂川へと至ります。
青い車両が展示されている元町商店街のパティオ広場との不自然な段差が、ここに外濠があったことを示す痕跡です。
段差の上に展示されている青い客車は、日ノ丸自動車法勝寺電鉄線で1941(昭和一六)年から使用されていたものです。
2000(平成一二)年の修復、調査によって、この車両は1887(明治二〇)年にイギリスのバーミンガムで製造され、1889(明治二二)年に日本に輸入されたもので、日本国内で現存する最古の木造2軸三等客車であることが判明しました。
広場に隣接して走る米子元町通り商店街(元町サンロード)は旧出雲街道で、国道9号が完成するまでは、この道が米子のメインストリートでした。
元町サンロードと法勝寺町商店街が交差する通称「増屋の角」に立つDCB(DARAZ CREATE BOX)は、旧山陰合同銀行米子本通り支店をリノベーションした複合施設です。
コミュニティFM局「DARAZ-FM」や地域おこし協力隊の情報発信拠点などが入居しています。
増屋の角を鳥取県道・島根県道102号米子広瀬線を方へと進むとすぐに大山が路地の真正面に見えます。
その2.米子駅東踏切
県道102号を越えた先で市道を横切る鉄路は、山陰本線・伯備線・境線の三線。米子駅のすぐ東側という立地もあり、踏切が一度閉じるとなかなか開かないことから通称が「開かずの踏切」。
増屋の角を反対側に進めば、通称「闇市通り」を越えて本通り商店街へと入ってゆきます。
あっ!!こんなところにいつのまにか、5階建新築マンションが建っている!!
間取りは1K、1Fを借りた場合、家賃と共益費で5万7500円に加え、駐車場代が9000円。
以前ここには米子城外濠跡の通りまで貫通した飲み屋横丁がありました。
外濠跡の通りから見た変遷。
上が2012年9月末に撮影したもので、下が昨日撮影したものです。2014年9月ごろの解体されてしばらくは空き地になっていましたが、となりの空き地と合せていつの間にか賃貸マンションが建設されていました。
Iターンした当初は、仕事で週1で訪れていました。それ以降も、月3~4回の頻度で訪れていましたが、職場が松江に変わる以前から米子は通過するだけになっていました。
・・・と、いうことは1年以上、この辺りに来ていなかったということになるな。ちょっとした浦島太郎な気分。
DCBから少し闇市通り側の西念寺小路。
ここも初めて訪れた時から程なくして、大きく姿を変えています。
短時間でしたが久しぶりの米子下町でしたが、しばらく行かないと大きな変化がありました。さて、次はいつ行けるかな・・・。