遂にその日はやってきた

 

 

パリやローマのような

楽しい旅になることは期待していない

 

重い旅になることは覚悟していた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第二次世界大戦中

ナチス・ドイツにより

150万人が殺害された場所

 

 

アウシュヴィッツ強制収容所

 

 

交通の便利さ、土地の広さなどから

オシフィエンチムと言う

ポーランドの町に強制収容所は

設立された

 

アウシュヴィッツとは

”ゲルマン化”された

その町のドイツ名である

 

当初(1940年)

ポーランド人の政治犯を

収容するための設立だったが

ナチス・ドイツの

”優生思想”の下

ユダヤ人、ジプシー(ロマ)だけでなく

精神障害者、同性愛者、捕虜、聖職者,

有色人種との混血児などが

”社会不適応者”、”劣性種族”として

強制連行された

 

 

 

ARBEIT MACHT FREI

<働けば自由になる>

 

アウシュヴィッツの正門にそう書かれている

現実は強制労働、虐待、死が待つのみだった

 

一方通行の門である

 

 

有刺鉄線には電流が流れていた

有刺鉄線に触った方がマシ、というくらい

労働は過酷だったという

 

 

収容者数の増加に伴い

到着後すぐにガス室で毒殺

 

まずはシャワーを浴びて、と

服を脱がされシャワー室へ

 

お湯の代わりに出てきたのは毒薬だった

 

毒薬はチクロンB

害虫を殺す薬だ

 

 

ナチス・ドイツ兵の表情に注目して欲しい

人間の不幸、いじめを楽しんでいるとしか映らない

 

暴力、虐待による

死亡者も多い

 

 

 

見せしめのための死刑執行

 

 

医学実験の材料にされるジプシーの子供たち、

強制不妊化手術も行われた

 

 

東ヨーロッパ移住のため、と信じて

連行されたユダヤ人も多い

 

与えられた食事は1日数百キロカロリー

持参した食器類を使用することはなかったであろう

(ナチス・ドイツ兵は1日3千キロカロリー以上摂取していたと言う)

 

 

靴の数だけ人は殺されている

 

 

母体収容所アウシュヴィッツから

数キロ離れた二番目の収容所ビルケナウ(ドイツ語名)

”死の門”と呼ばれる入り口

 

収容所内に伸びる鉄道の引き込み線

その先にはガス毒殺室がある

 

 

 

証拠隠滅のため破壊されたガス毒殺室

 

 

 

ガイドさんの説明を受けながらの3時間

 

その悲惨さは想像を絶するものであり

現実を受け入れることさえ出来なかった

 

その気持ちをガイドさんに伝えると

彼はこう語った

 

”強制連行され、死に直面していた人たちの

恐怖は正直我々には理解できないと思います

ただ今回のアウシュヴィッツ訪問が

今後の世界情勢に目を向けていく

きっかけとなってくれれば、と願います”

 

 

 

<追記>

 

 

当時の国際社会がなぜホロコーストを

阻止することが出来なかったのか

 

その答えは私には解らない

 

ただ今後決して同じような過ちを

犯さないために我々がすべきことは何かを

考えていた時

マルティン・ニーメラー牧師の

言葉が脳裏をかすめた

 

 

(反ナチ運動家で8年間収容所に収容された)

マルティン・ニーメラー牧師

スピーチから引用

(訳:サンフランシスコの歩き方)

 

 

First they came for the Socialists,

and I did not speak out--

Because I was not a Socialist.

最初ナチスは社会主義者を連行した

私は黙って見ていた

(社会主義者でない)

私には関係ないことだから

 

Then they came for the Trade Unionists,

and I did not speak out--

Because I was not a Trade Unionist.

次に連行されたのは労働組合員だった

私は何もしなかった

(労働組合員でない)

私には関係ないことだから

 

Then they came for the Jews, 

and I did not speak out--

Because I was not a Jew.

今度はユダヤ人が強制連行された

私はこの時も行動に出なかった

(ユダヤ人でない)

私には関係ないことだから

 

Then they came for me--

and there was no one left to speak for me.

次は私の番だった

だが私のために声を上げてくれる人は

誰一人いなかった

 

 

 

 

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