この記事は、1月17日(土)からスタートするセミナー告知の第2回です。
【1】私が死にかけたときのリアルな体験談からお読みいただけると、
よりわかりやすいと思います。
---
私は術後、救命救急センターで死にかけ、生還し、
生まれ変わったのでした・・・
■
つづきです。
この状態で、病院で第五章の前半を書き、
残りを退院後に書き、
無事出版し、今に至る、というわけです。
今まで、本やブログ、セミナーなどで、
一貫して伝えようとしているものがありました。
感覚的に、はっきりとした、伝えたい世界がありました。
しかし、自分でも、
それが何なのか、
明確に表現することはできませんでした。
私の著書を読んで泣いたという人
私の言葉はすごく胸に響く、と言ってくれたり、
飛行機に乗ってでもセミナーに来てくれる人などは、
この「何か」を、感覚的にキャッチし、
共鳴しているのだと思っています。
その「何か」が何なのか、ようやくわかりました。
今なら、はっきりと、言葉にできます。
私が一貫して伝えたいこと。
それを一言で言うと、
∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥
◎ 「相対」から「絶対」へ
∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥
ということです。
今回のセミナーでは、
さらに強力に、それを、伝えたいと思っています。
■
「相対」とは、周りと比べてどうか、という判断です。
たとえば、
若い、収入がいい、かわいくない、モテる、太っている、など、
すべての評価は、周りよりもどうか、と比較したものなのです。
人生で言うと、要するに、「勝ち負け」の価値観です。
一方、「絶対」とは、
比較ではなく、「自分はどうか」ということ。
比較がないので、「勝ち負け」はありません。
私たちはだれでも、内側に、揺れないものを持っています。
その揺れない「絶対」を取り出すのが、
私がいつもおすすめしている
「モーニングページ」や「内観」なのです。
自分の本当の内側の声は
「あの人にこう思われるから・・・」とはけっして言いません。
「私はこうだ」と言っています。
◎ 内側に耳を傾ければ、「絶対」の声が聞こえます。
外側にばかり耳を傾けると、
「相対」の世界に引きずり込まれます。
■
そして、
◎ 「相対」の世界では、少数の勝者と、多数の敗者が生まれます。
「相対」は数少ない勝者にとってだけは、楽しく気分がよい世界です。
そして大多数の人は、数少ない勝者になろうとしているし、
そういう本や教え、セミナーなどがほとんどですね。
しかし、当然のことながら、そして残念ながら、
ほとんどの敗者は敗者のままです。
少数の勝者が、「相対」の世界で楽しく生きている中、
敗者たちは、なんとか勝者になろうとして、もがいて、
敗者のまま苦しみます。
そんな敗者が苦しみもがく中で、
勝とうとすることに疲れて、あきらめたとき、
「絶対」の世界への扉に、気づく可能性が生まれます。
だからといって、ここで、
けっして誤解してはいけないのが、
貧しくつましい生活でも幸せを感じなさい、
などと言っているわけでは、まったくない、ということです。
それもある意味では相対の中にいるのですよ。
だって、わざわざ
「貧しくても」とか「お金がなくても愛があれば」のように強調して、
貧富を問題にする意識があるわけですから。
一杯のかけそば?
いやいや、銀座の老舗のそばのほうが
ふつーに美味しいと思いますけど?(笑)
勝者の暮らし、それは楽しいでしょう。快適でしょう。
どちらかを選べるならば、そちらのほうがいいですよ。
便利で、快適で。
ですから、私が伝えたいのは、
「貧しくても幸せ」とか、
そんな負け惜しみ的なものでは、まったくありません。
◎ 「絶対」の人は、「相対」の世界で勝つこともできる
のです。
しかし、「相対」で勝つことを追い求めている人は、
「絶対」の世界を知ることはできません。
双方向的ではなく、一方通行なのです。
■
そして、重要なのは、
◎ 「相対」は有限、「絶対」は無限
ということです。
「相対」なんて、所詮、人がいて、
比べるものがあって、成り立つものです。
逆にいえば、比べるものが消えれば、勝者でも何でもなくなる。
気分のよさも、消えてしまう。
そんな幸せは、限定された、知れたものでしょう。
しかし、「絶対」は、無限の至福の感覚なのですよ。
至福といっても、
「チョー気分が上がるー」とか
「全部ほしい、なんでもほしい、
雪崩のようにいいことが起こる!」
とか、そういった浮き足立ったものではなくて、
しっかりと地に足の着いた感覚で、
自分の足元から、地球(地べた)に広がっていくと同時に、
宇宙(上のほう)にも広がり
周りの世界にも、どこまでも広がっていくような、
たしかな幸せの感覚です。
頭も働き、千里眼も手に入ります。
これまで、この至福の「絶対」の世界を伝えたくて、
あの手この手でがんばっていましたが、
私自身も、死にかけるまでは、
まだまだ「相対」の世界に引きずられていて、
ここまでクリアに感じとることができませんでしたよ。
■
◎ すべての苦しみは、相対から生まれます。
「絶対」の世界には、苦しみはありません。
これは言われてみれば、あたりまえかもしれませんが、
私は、ようやく最近、はっきりとわかりました。
「相対」で生きるのは、苦しいよ。
まったく休まらない。
でも、興奮や刺激もあるから、楽しいのですよね。
(「絶対」であっても、「相対」も、より楽しめますがね)
そもそも、
肉体や目に見えるものは、みな「相対」であり、
私たちは「相対」の中に生きているのですから、
「相対」から逃れることはできない。
逃れる必要もない。
しかし、「相対」の世界の中で、
「絶対」を持ちつづけながら、生きていくことはできます。
このメールで私が書いたのと同じ、
「絶対」の至福を感じているのだなー、ということがわかる、
新刊のご感想メールを紹介いたします。
_________
(略)
262ページの、自分の成長が一番うれしい、は
ものすごく腑に落ちて、とっても感動しました!!
それだったら、自分メインでできるから。。。
確かに、自分でしあわせ発生できる!って。
必ず相手を喜ばせる、とかだと
できるときとできないときがありますもんね。
そしてそして。エピローグにて、80年のパートナーは。。。
のところで、しあわせすぎて泣いてしまいました。
ほんと、なんてしあわせなんだわたし。。。って。
しあわせは、持ち物なんですね。
(略)
いま、愛いっぱいで、世の中ってなんて
美しいんだーみたいなキラキラ感でいっぱいです。
(また、すぐに忘れちゃうかもしれないけど。。。
そしたらまた、ご本を開きますね)
(略)
_________
彼女が挙げている部分、
「自分の成長」とかエピローグというのは、
まさに「絶対」について書いてある部分です。
そして、
「いま、愛いっぱいで、世の中ってなんて
美しいんだーみたいなキラキラ感でいっぱいです」
は、この「絶対」の無限の至福の状態です。
今流行りのアドラーも
「人間の悩みは全て対人関係の悩みである」
と言っていますが、
「私はこうである」という「絶対」には、悩みは生まれません。
安全で、安定した場所なのです。
セミナーでは、
「絶対」の世界の、時間が消える感覚を、
あなたにもぜひ味わっていただきたい。
宇宙(上で宇宙と言ってしまっていますが)とか
前世とかオーラとか、そういう話はなく、
地に足がついた話ばかりだと思いますが、
感じられる人には、
「時間が消える感覚」を感じていただけると思います。
むしろ、「絶対」の無限の至福は、
地に足がついているからこそ、
この現実の中で、味わえるのものなのです。
【3】セミナーの受付を開始しました!につづく・・・
【1】私が死にかけたときのリアルな体験談からお読みいただけると、
よりわかりやすいと思います。
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私は術後、救命救急センターで死にかけ、生還し、
生まれ変わったのでした・・・
■
つづきです。
この状態で、病院で第五章の前半を書き、
残りを退院後に書き、
無事出版し、今に至る、というわけです。
今まで、本やブログ、セミナーなどで、
一貫して伝えようとしているものがありました。
感覚的に、はっきりとした、伝えたい世界がありました。
しかし、自分でも、
それが何なのか、
明確に表現することはできませんでした。
私の著書を読んで泣いたという人
私の言葉はすごく胸に響く、と言ってくれたり、
飛行機に乗ってでもセミナーに来てくれる人などは、
この「何か」を、感覚的にキャッチし、
共鳴しているのだと思っています。
その「何か」が何なのか、ようやくわかりました。
今なら、はっきりと、言葉にできます。
私が一貫して伝えたいこと。
それを一言で言うと、
∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥
◎ 「相対」から「絶対」へ
∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥
ということです。
今回のセミナーでは、
さらに強力に、それを、伝えたいと思っています。
■
「相対」とは、周りと比べてどうか、という判断です。
たとえば、
若い、収入がいい、かわいくない、モテる、太っている、など、
すべての評価は、周りよりもどうか、と比較したものなのです。
人生で言うと、要するに、「勝ち負け」の価値観です。
一方、「絶対」とは、
比較ではなく、「自分はどうか」ということ。
比較がないので、「勝ち負け」はありません。
私たちはだれでも、内側に、揺れないものを持っています。
その揺れない「絶対」を取り出すのが、
私がいつもおすすめしている
「モーニングページ」や「内観」なのです。
自分の本当の内側の声は
「あの人にこう思われるから・・・」とはけっして言いません。
「私はこうだ」と言っています。
◎ 内側に耳を傾ければ、「絶対」の声が聞こえます。
外側にばかり耳を傾けると、
「相対」の世界に引きずり込まれます。
■
そして、
◎ 「相対」の世界では、少数の勝者と、多数の敗者が生まれます。
「相対」は数少ない勝者にとってだけは、楽しく気分がよい世界です。
そして大多数の人は、数少ない勝者になろうとしているし、
そういう本や教え、セミナーなどがほとんどですね。
しかし、当然のことながら、そして残念ながら、
ほとんどの敗者は敗者のままです。
少数の勝者が、「相対」の世界で楽しく生きている中、
敗者たちは、なんとか勝者になろうとして、もがいて、
敗者のまま苦しみます。
そんな敗者が苦しみもがく中で、
勝とうとすることに疲れて、あきらめたとき、
「絶対」の世界への扉に、気づく可能性が生まれます。
だからといって、ここで、
けっして誤解してはいけないのが、
貧しくつましい生活でも幸せを感じなさい、
などと言っているわけでは、まったくない、ということです。
それもある意味では相対の中にいるのですよ。
だって、わざわざ
「貧しくても」とか「お金がなくても愛があれば」のように強調して、
貧富を問題にする意識があるわけですから。
一杯のかけそば?
いやいや、銀座の老舗のそばのほうが
ふつーに美味しいと思いますけど?(笑)
勝者の暮らし、それは楽しいでしょう。快適でしょう。
どちらかを選べるならば、そちらのほうがいいですよ。
便利で、快適で。
ですから、私が伝えたいのは、
「貧しくても幸せ」とか、
そんな負け惜しみ的なものでは、まったくありません。
◎ 「絶対」の人は、「相対」の世界で勝つこともできる
のです。
しかし、「相対」で勝つことを追い求めている人は、
「絶対」の世界を知ることはできません。
双方向的ではなく、一方通行なのです。
■
そして、重要なのは、
◎ 「相対」は有限、「絶対」は無限
ということです。
「相対」なんて、所詮、人がいて、
比べるものがあって、成り立つものです。
逆にいえば、比べるものが消えれば、勝者でも何でもなくなる。
気分のよさも、消えてしまう。
そんな幸せは、限定された、知れたものでしょう。
しかし、「絶対」は、無限の至福の感覚なのですよ。
至福といっても、
「チョー気分が上がるー」とか
「全部ほしい、なんでもほしい、
雪崩のようにいいことが起こる!」
とか、そういった浮き足立ったものではなくて、
しっかりと地に足の着いた感覚で、
自分の足元から、地球(地べた)に広がっていくと同時に、
宇宙(上のほう)にも広がり
周りの世界にも、どこまでも広がっていくような、
たしかな幸せの感覚です。
頭も働き、千里眼も手に入ります。
これまで、この至福の「絶対」の世界を伝えたくて、
あの手この手でがんばっていましたが、
私自身も、死にかけるまでは、
まだまだ「相対」の世界に引きずられていて、
ここまでクリアに感じとることができませんでしたよ。
■
◎ すべての苦しみは、相対から生まれます。
「絶対」の世界には、苦しみはありません。
これは言われてみれば、あたりまえかもしれませんが、
私は、ようやく最近、はっきりとわかりました。
「相対」で生きるのは、苦しいよ。
まったく休まらない。
でも、興奮や刺激もあるから、楽しいのですよね。
(「絶対」であっても、「相対」も、より楽しめますがね)
そもそも、
肉体や目に見えるものは、みな「相対」であり、
私たちは「相対」の中に生きているのですから、
「相対」から逃れることはできない。
逃れる必要もない。
しかし、「相対」の世界の中で、
「絶対」を持ちつづけながら、生きていくことはできます。
このメールで私が書いたのと同じ、
「絶対」の至福を感じているのだなー、ということがわかる、
新刊のご感想メールを紹介いたします。
_________
(略)
262ページの、自分の成長が一番うれしい、は
ものすごく腑に落ちて、とっても感動しました!!
それだったら、自分メインでできるから。。。
確かに、自分でしあわせ発生できる!って。
必ず相手を喜ばせる、とかだと
できるときとできないときがありますもんね。
そしてそして。エピローグにて、80年のパートナーは。。。
のところで、しあわせすぎて泣いてしまいました。
ほんと、なんてしあわせなんだわたし。。。って。
しあわせは、持ち物なんですね。
(略)
いま、愛いっぱいで、世の中ってなんて
美しいんだーみたいなキラキラ感でいっぱいです。
(また、すぐに忘れちゃうかもしれないけど。。。
そしたらまた、ご本を開きますね)
(略)
_________
彼女が挙げている部分、
「自分の成長」とかエピローグというのは、
まさに「絶対」について書いてある部分です。
そして、
「いま、愛いっぱいで、世の中ってなんて
美しいんだーみたいなキラキラ感でいっぱいです」
は、この「絶対」の無限の至福の状態です。
今流行りのアドラーも
「人間の悩みは全て対人関係の悩みである」
と言っていますが、
「私はこうである」という「絶対」には、悩みは生まれません。
安全で、安定した場所なのです。
セミナーでは、
「絶対」の世界の、時間が消える感覚を、
あなたにもぜひ味わっていただきたい。
宇宙(上で宇宙と言ってしまっていますが)とか
前世とかオーラとか、そういう話はなく、
地に足がついた話ばかりだと思いますが、
感じられる人には、
「時間が消える感覚」を感じていただけると思います。
むしろ、「絶対」の無限の至福は、
地に足がついているからこそ、
この現実の中で、味わえるのものなのです。
【3】セミナーの受付を開始しました!につづく・・・