倉賀野神社から、嘗て松並木が続いていたであろう街道を(県道121号)
高崎宿(たかさき)に向かい歩くあし
倉賀野宿から一里三十町で江戸からは十三番目の宿になる
上越新幹線の架橋を潜り上信電鉄線の踏切を渡ると、
もう高崎宿の江戸より東口入口になる
      
木曽街道六十九次之内 高崎      松並木があったと言われる街道を高崎宿に向い
(現在の一里塚?あたりと言われている)         歩く(倉賀野宿⇒高崎宿)
 
高崎宿は越後の三国街道や富岡方面への分岐点でもあり、
高崎城の城下町であったこともあり中山道でも最も豪華な宿場町であったという
高崎城は鎌倉時代の初期、和田正信が築き(和田城)、井伊直正が城を大修理して
慶長三年(1598)地名を高崎に改めたという・・・しかし、
諸大名から城下町の宿泊は敬遠され本陣や脇本陣はないのです・・・
 
  
21階建て高層の高崎市役所  高崎城の由来  高崎城「乾門と東門(城址公園)
 
高崎宿の入口、新喜町(あらきまち)を経て~南町~を歩いたときにひょんなことでひらめき電球
新田町で知り合った同輩の女性たちと地元話音譜になりました・・・・
さて、高崎宿と次の十四の宿となる
板鼻(いたはな)宿のさわり街道歴史を画像含め掲載します
 
  
高崎市荒田町あたりでショット 新町(あらまち)諏訪神社     諏訪神社の説明板
 
新町交差点の左に土蔵作りで城郭風の屋根を持つ諏訪神社があります・・・
道沿い角隅でしたので見落すところでした・・更に北へ連雀町に入ると大信寺です
この大信寺に徳川二代将軍秀忠の三男で三代将軍家光の弟の駿河大納言徳川忠長の
墓があります・・・享年二十八歳・・その若さで生涯を終えますが自害理由は諸説あり
詳しくは割愛します・・その後、高崎宿を通る諸大名は大信寺の前で駕籠を降り一礼を
してから通り過ぎて行ったという・・・
 
  
JR高崎駅(西口)      大信寺にある徳川忠長の墓   忠長の説明板     
     
  
本町三丁目を左折すると  君が代橋潜り烏川を渡る   石神社(下豊岡町)
蔵造りの商家が左側にある
 
中山道の商店街を歩き田町を過ぎ本町三丁目の交差点信号機を左折すると蔵造りの商家がある
この通りを歩き、道幅が狭くなる赤坂通りを歩き常盤町の交差点信号機を右折し
烏川と平行して君が代橋を潜り渡る(君が代橋西 交差点)
 
  
高崎は「だるま」が有名  「分去れ道標」にある地図   (分去れ道標)分岐点手前より
 
信州街道分去れの道標
道標から・・・右に折れる道は信濃国(長野県)・・いわゆる信州街道
「草津みち」とも呼ばれている・・・また、自然石の道しるべには
「みぎははるなみち・くさつみち」と刻まれている
高さ二メートルほどの道標「下豊岡のみちしるべ」の左側面には左 中山道・安中・松井田
横川」と記載されています
 
  
信州街道分去れ道標       八坂神社           若宮八幡宮
 
上記道標の標識左側の中山道は安中方面へ「八坂神社」~平安末期の源義家・義家父子が
建立した「若宮八幡宮」を通り、飯野家の茶屋本陣跡に来ました・・・
ここでは公家や参勤大名・上級武士などが休憩お茶・食事割り箸・お休みしたところで
皇女和宮も休憩して群馬県史跡「上段の間」を残しています
残念なことにしょぼん、訪問したこの日は休館日NGになって内部を観ることはできませんでした
 
  
飯野茶屋本陣跡        松本商店だるま工房       石仏石塔群
 
更に進むと国道18号線に合流し国道沿い左側に「藤塚の一里塚」が見え
樹齢200年を超える榎があり群馬県内に残る唯一の両側に残る一対の塚で
大変貴重なものです
やがて北側に朱色の大きな鳥居が見えます・・・
この鳥居が江戸幕府から百石の朱印地を寄進されていて「上野国一社八幡宮」称しています
 
  
  藤塚の一里塚  国道18号線左側にある一里塚      八幡宮鳥居
 
  
中山道道標 板鼻宿まで0.5㌔  十四の宿「板鼻宿」   中山道板鼻宿絵図
 
  
彫刻の寺 長伝寺    水が綺麗な「板鼻堰」用水  男女仲が良い「双体道祖神」
                                    (八坂神社)
 
  
板鼻宿のマップ                    中山道板鼻宿碑(板鼻公民館)
  
板鼻宿の本陣跡は板鼻公民館の敷地内・・・ここの裏側に本陣書院の跡があり
皇女和宮宿所(皇女和宮資料館)として補修され大事に保存されている・・・
公民館の窓口まで内部を見せていただくため訪問した・・・係りの人(女性)は鍵を持って
案内してくれました・・・皇女和宮の資料コピー(一部10円)や町内の町興しのことや
和宮絵葉書・グッズまで話が盛り上がり大幅なタイムオーバーです・・・
・・最後は「長伝寺?」行かれました?彫刻のお寺です~「未だ行ってませんが?」と答えると
地図で場所を説明・・ぜひ!行かれては・・と言われ退散?してきました
 
  
皇女和宮資料館内部       皇女和宮の草履    板鼻宿本陣(上記板鼻公民館)
 
    
皇女和宮資料館      皇女和宮 江戸へ降嫁するの巻     皇女和宮銅像
旧板鼻宿本陣書院(皇女和宮仮泊所)
 
                  
                    荒木寅三郎の誕生地碑
 
板鼻宿に来ると荒木寅三郎の名前の書や碑が見られます
板鼻出身の大学者で日本近代医学の開拓者の一人だそうです(後に知りました)
(京都帝国大学総長・学習院長等・・)
 
江戸より十四番目の板鼻宿は本陣一軒、脇本陣一軒、旅籠は五十四軒と
中山道では多い方ですね・・・固い城下町高崎宿から嫌われ宿場代替えで増えた?なのか?
本質は碓氷川の渡場ですね・・・増水すると川止めになり旅人が長く逗留するようになった
有名な「徒歩(かち)渡し」ですね・・もちろん飯盛り女おとめ座もいたことでしょう賑わったと思います
 
今回は高崎宿から板鼻宿まで10・5キロあしくらいでしょうか?
退院して二日目でしたので・・・
手術後の心臓ドキドキもおとなしく鼓動してくれたんではないでしょうか?
あまり足早に歩くでもなくノンビリ音譜街道を歩かせていただきました・・
次回は「安中宿~松井田宿」です・・・宜しくね~
 
 
 
 
 
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