九州自動車道を南下し約2時間、菊水I.Cを下りると玉名市亀甲を目指した。言うまでもなく玉名を代表する美術工芸品=同田貫の刀である。美術刀剣を愛する物として、この地を目指すのは必然であった。刀工集団同田貫は、初代正国(上野介)を棟梁とし、加藤清正入国後には抱え工となり熊本城の常備刀となったことで全盛期を迎えた。折れず曲がらず、良く斬れる。この質実剛健さが同田貫の象徴と言えよう。肥後もっこすと呼ばれる肥後人気質と一脈通ずるものがある。いや、むしろ肥後の地域性を真性として、それを具備して生まれたのが同田貫なのかもしれない。備前刀のような華やかさはないが、火花を散らした時、勝ち残るのは同田貫であると確信する。国道208号線沿いにひっそりと佇む墓石には、正国を始めとする歴代刀工の名跡が刻まれている。


▲同田貫碑
次に目指した場所は、六反製鉄所跡。県道4号線を北上すること30分、人里離れた山道をひたすらに進んだ。玉名市北西部、福山にある筒ヶ岳の中腹に跡地はあった。古来よりよほど良質な砂鉄が取れたのか、この周辺には六反を含め25もの遺跡がある。おそらく戦国期にもこの辺りで大量の砂鉄が採取されたに違いない。それがたたら製法により玉鋼となり、同田貫の刀へと昇華していったのである。


▲六反製鉄所跡
次はいよいよ熊本城である。玉名から1時間ほどで熊本市内へ到着した。加藤清正像と対峙した時、一年前にここを訪れたことを思い出した。その当時、改装工事をしていたため、クレーン車などが城内に設置され、美観を損ねてしまっていた。致し方ないとは言え、残念に思いながら、来年また必ず訪れると清正像に誓ったのである。城を囲うようにそびえる楠を見上げながら、須戸口門より城内に入る。右に左にうねりながら天守閣を目指した。途中何度も独特な曲線を描く武者返しと呼ばれる石垣を下から眺め、これは無理だなと妙に納得した。そして天守閣の全貌が露わになるに連れて、一年越しの思いが込み上げてきた。白と黒の重厚な佇まい、一年前には感じなかったが、やはり清正の魂はここにあったのだ。だから城巡りは堪らない。感慨に耽りながら本丸御殿へと向かった。
本丸御殿は、清正によって創建され、主に歴代藩主の会見場、行政の場として使用された。明治一〇年(1877年)の西南戦争で焼失したが、熊本城完全復元計画の柱として推し進められ、五年の歳月を費やし昨年春に落成したのである。畳数1570畳、部屋数53という他に類を見ない建造物であるが、中でも一際目を惹くのが『昭君之間』である。最高格式に備えられた部屋の各所に漆塗りや飾り金具が配され、極彩色の障壁画には、漢の絶世の美女・王昭君の物語が描かれている。下地には金箔を幾重にも重ね、当時の岩絵具を用いて描かれたもので、慶長期の大名文化の粋を集めた豪華絢爛たる空間がそこにはあった。『昭君之間』は『将軍の間』の隠語であると云う。つまり、秀吉子飼いの武将であった清正は、その遺児である秀頼の身に危険が迫った時、熊本城に迎え入れ匿うつもりだったのだ。西国武将を率いて徳川に背く覚悟でいたとも云う。そんな興味深い逸話を聞きながら熊本城を堪能した。

▲熊本城
最後に熊本には数々の名産品があるが、私的には馬刺しと晩白柚(ばんぺいゆ)に限る。馬刺しは言うまでもなく格別の旨さである。晩白柚は世界一大きなミカンと言われ、直径は25㎝にも及ぶ。一度食べたら止められない。機会があれば是非ご賞味あれ。
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