長野の山奥を水源とする木曽川はいくつもの川との合流を繰り返しながら、自然の造る美しい渓谷、峡谷を見せ、犬山城辺りで最後の渓谷を造り、やっと広大な濃尾平野へと伸びやかに流れ出る。

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▲国宝 犬山城

 国宝犬山城は、まだ流れの早い木曽川の渓谷の先端に、北に美濃の山々、南に濃尾平野を見渡せる絶好の位置に建てられている。犬山城は天文六年(千五百三十七年)織田信長の叔父にあたる織田信康により創建され、戦国期、信長の美濃、尾張制覇に向けた激しい戦乱の中心地であった。そのために殆ど戦いの度に城主が変わり、豊臣家滅亡後、初代尾張藩主、徳川義直の補佐役で尾張藩付の家老となった成瀬正成が城主となり平和な江戸期にやっと代々世襲されて行くこととなる。
 国宝四城(姫路、松本、彦根)の中で最も古いこの城は、戦国期の第一線陣地としての面影を多分に残しながらも慶長、元和期に増築された江戸初期の城の形も見ることが出来る。
天守閣は、外見三層、内部四階地下二階、約五メートルの石塁上に二層二階の東西母屋があり、その上に天守が置かれた形式である。入城口を入ると、すぐに左手に穴蔵と呼ばれる石塁と踊り場が見え、恐ろしく急で細い階段を上がらなければならない。一階には武者走りと上段の間が四室ある。桧材が主に使われた天守中最上の間である。二階は、武具の間として使われていた所、甲冑や武具、鉋、武具関係の古書等の展示がある。柱等の仕上げはチョウナ仕上げ、要所は槍鉋仕上げが施されている。三階は破風の間と呼ばれている望楼増築に伴って三階となった所である。四階は三階の真上にあり三階と同じ大きさを有し、外側に廻り縁が設けられ、ぐるりと遠望出来る。

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▲天守からの木曽の眺め

北は御岳山から美濃の山々や岐阜城、南は御在所山、広く濃尾平野を見渡すことが出来絶景である。真夏にもかかわらず天空の風は涼やかで、伊木山を越えて続く木曽の流れも実に美しい。

 多くの古墳群があることからも犬山の歴史は古く、鎌倉、南北朝期、室町期と多くの史実が残っている。が、犬山が城下町として大きく発展したのは慶長期、秀吉の直臣石川光吉の時である。秀吉によりほぼ統一された天下は、平和の兆しが現れ、各地で新しい形の築城、寺社の建築が相次いだ。材木の伐り出しが盛んとなり、木曽の山々から伐採された材木は木曾川で筏に組まれ、犬山へと集められたのである。官材はもとより、商用材をめぐる利は木曽川の支配を全て手中に治めた光吉にとって相当なものであったに違いない。
整えられた城下町には鍛冶屋町があり、美濃関から多くの刀工が移り住んでいる。政常と名乗る前の兼常、兼氏、兼若等、犬山住と銘された刀剣を見ることでき、慶長新刀期の刀工の城下町への移住の典型を見ることが出来る。

 犬山を訪れるならもう一つの国宝を見落としてはならない。信長の実弟、信秀の十一男、織田有楽斎の茶室「如庵」である。京都建仁寺正伝院にあった有楽斎の隠居所が紆余曲折を経て、有楽斎の生まれ故郷尾張の地に昭和四十七年移築されたものである。忠実な時代考証のもとに創建当時そのままに再現された茶室、書院、庭、露地、石橋等、一枝の木々に至るまで心尽くされた風景は、一瞬にしてタイムスリップして別世界に来たような美しさ。竹林や木々で外界と切り離されたその空間は、日本の夏は、本当はこのように爽やかで涼しかったのではないだろうかと思えるほど心地よく、一時真夏の暑さを忘れさせた。

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▲如庵入口

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▲国宝 如庵

 電車で訪れるのであれば名古屋から名鉄犬山線、犬山駅下車、犬山城、如庵まで徒歩十五分ほど、城下町へも城から十分程度で行ける。車であれば東海北陸道を木曽川で下り、是非とも県道95号の通る木曽川堤防沿いを川の流れに逆らい上って頂きたい。信号もほとんどなく、左手に木曽川を眺めながら、緑多き田舎道を走るドライブは最高である。そしてライン大橋を過ぎるとすぐ目の前の渓谷の上に美しい犬山城が現れる対岸からの絶景も是非ともご覧いただきたい。

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▲対岸から見える犬山城




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