リベラルアーツの成れの果て

リベラルアーツの成れの果て

代々木ゼミナール英語科講師 栗山健太のブログ

Amebaでブログを始めよう!

あけましておめでとうございます。
2012年もよろしくお願いいたします。
そうは言っても、受験生にとってはめでたくもなんともないだろう。
だって、今週末はついに、ついにセンター試験なのだから!
今年もいくつか「予測」をさせていただいたが、一つくらいは当たると思うので、授業に出ていた人は、こんな文章読むのをやめて、今すぐ復習するように!

ということで、この先は受験生は誰も読んでいないでしょうから、テーマは受験と関係のないことで。
ズバリ、「予備校講師になろう!」です。

***

なぜそんなテーマか?
実は、昨年末、代ゼミの諸先輩講師の方々(具体的にはひみつ)と忘年会がてら長く会話をする機会があったからだ。

非常に有意義なお話(これも具体的にはひみつ)。

しかも…なんとご馳走になってしまった! 

こういうとき、年下だと気楽である。ありがとうございました!

年下。

そう。実は何を隠そう、私、英語科で衛星授業を担当している講師で未だに最年少なんですね。

これは結構驚きの事実である。

だって、私、来年で代ゼミ11年目。

サテ担当を始めてから9年目。

そして年齢はついに35歳…。

35っすよ!
一般的に言えば、単なるおっさんである。

ウチの父親が35歳のとき、僕は既に11歳だった。
東京のど真ん中、目黒区で暮らしていたにも関わらず、「終の棲家」が欲しいと言い出して、千葉のど田舎に一戸建てを買い、それが完成した年である。
うーん、「父」ですな。 

当時の記憶では、腹も出てきて、頭髪も薄くなっていた。自然の成り行きに任せておけば、35歳とはそのような年齢なのだ。 

ちなみに、有名人では芥川龍之介やモーツァルトやアンディ・フグが亡くなったのも35歳。

芥川…。
彼はこの歳までにあれだけの作品を完成させたのだ。
モーツァルト…。
彼はこの歳の頃、既に死の予兆を感じていたからこそ、彼にしては珍しい短調で交響曲40番を発表していたのだ。 

更に、プロ野球。
同学年で今もなお現役なのは、ベイの江尻、ドラゴンズの荒木、メジャーでは福留くらい。
昔活躍していた横山道哉や加藤武治らは引退してしまったし、斉藤和巳はあんな調子だし、長いことカープにいた長谷川昌幸もオリックスをクビになった(という羅列で、どれだけの人が理解できるんでしょうね…)。

まあ、もちろん予備校講師と野球選手では、現役寿命も違う。

講師の場合、長くやればやるほど味が出てくるものだから、年齢層が広く厚いのは当たり前だ。

でもさ。

いくらなんでも、11年目で最年少講師って問題があるんじゃないっすか?

なぜこんな事態になっているんでしょうね…。

***

野球の話を更に続ける。
これだけ野球が好きなのに、僕には野球経験があまりない。

小学生のときの少年野球のみ。
実は、そのときの苦い経験が僕にユニフォームを脱がせた(というほど大げさなものではないですが)。
小6の頃の背番号は5番で、その番号通りサードを守っていた。

ただ、かなりの下手くそで、最終的には一学年下のチームメイトにポジションを奪われた。
おかげで、最後の試合には代打でしか出られなかったよ。
無念…。

僕は成長の早い子供で、小6の最後には既に身長が160センチあったから、バッティングは(相対的には)得意だった。

向かいのグラウンドをホームにする「西四ゴールデンスターズ」というチームのエース・渡辺くん(球だけやたらと速い)から打った完璧な当たりのセンターオーバーのスリーベース。
その手のしびれの感触。
未だに覚えていますよ。

そう。

野球、私、バッティングが好きだったんですね。

ただ、苦手なのが走塁と守備。

太り気味の子供だったので、足は非常に遅い。だから外野をクビになった。すぐにランニングホームランにしちゃうから。
そんなわけで内野手転向。
でも、鈍足では守備範囲の広くあるべきショートは務まらない。
セカンドは、背の低い選手の定番。 

身体が大きく足の遅い人間のポジションの定番と言えば、サードかファースト。
ファーストには僕よりも背の高い山本くんがいたので(全て実名)、結果的に僕はサードに押し込まれたわけだ。
言わば消去法である。 

ところがだ。
守れない。
いや、ほんと守れないのだ。
なぜか。
どうしても腰高になってしまうからだ。

野球経験者にはすぐわかるだろうが、ゴロがたくさん飛んでくる内野手、中でも強い打球が来るサードは、一際腰を低く構えなくてはならない。
カープの小窪がサードを守ったときの様子はこんな感じ。

http://livedoor.blogimg.jp/takumagogo/imgs/8/f/8f899926.jpg

うーん、低いね!
彼はサードだけは上手い(ちなみに、ショートは失格…)。
僕は、サードすらできない。そして、試合で何度トンネルをやらかしたことか…。

「だから言ってるだろ! こうだよ、こう!」

そう言われてコーチから見本は見せられる。

で、僕もそれを真似て試してみる。

うん。たしかに最初の内はできる。

ところが、守っている内にその体勢が辛くなってきて、結局また腰が上がる。

そして、またトンネル。重なる怒声。

私、怒られるのが苦手だったので、練習中グラウンドで泣いたりした。

で、で、できないよ…(涙)。

やっぱり僕は野球の才能がないんだ…(涙涙)。

こんなに、こんなに野球が好きなのに…(涙涙涙)。

もう諦めるしかない(号泣)。

…ということで、中学校に入ると同時に、野球の道から完全に身を引いたわけです。

さようならベースボール…。

 

それから22年。

この数年ジムに通い続けて、トレーナーから様々な、いやほんと、様々すぎるほど様々な、ときにはそこまでするかというくらいに様々な身体の使い方をアドバイスされている現在となってはよくわかる。

なぜ僕がうまく守れなかったのか。

そう。

実は、単純に股関節が硬かっただけなのです。
いやいや、常軌を逸して硬かったのだ。 

股割りができず、開脚して座ることすらできなかった。
普通に歩いていても、なんでもない段差にすぐに躓いてしまうほど。 

今はかなり入念にストレッチをしているので、ほら!(って誰も見ていないけれど)簡単に腰を低くできる。
おまけに、なぜか最近、内野の守りの体勢をする機会が多いのだが、それも簡単!
いくら続けても、大して疲れない。 

でも、です。

35歳になってからできるようになってもどうしようもないじゃないか!


ここで一つの仮定。
もし、現在の僕がタイムマシーンを持っていたら。
ドラえもん「おばあちゃんの思い出」のように、生前の祖母に会いに行くのもいいだろう。
更には、バック・トゥ・ザ・フューチャー的に、頭髪に問題を抱える前の父親に会いに行くのもいいだろう。
でも!
僕が一番やりたいのは、自分勝手ながらも、小学生の自分に会いに行くことだ。
そして、声を大にして本人に言いたい。
「健太、お前、まずは股関節をストレッチしろ。しかも毎日しろ。守るのはそれからだ」と。 

当時、少年野球の監督とコーチは「指導」をしなかった。
指導とは文字通り「導くこと」だ。
たしかに彼らはできれば褒めてくれる。
そしてできなければ叱る。

でもハッキリ言いたい。
「そんなものは指導ではない」。
なぜできないのか。
どうすればできるようになるのか。
何もわからない小学生を適切な方向に導くこと。これが指導だ。
その後、中学ではバスケ部に入ったが、そこの顧問も似たようなもの。
彼なんて学校の教師だったのに…。
いや、たしかに、できないと「こうやるんだよ」という見本は見せてくれる。
けれど、肝心の身体の機能が追いついていないのだから、できるわけがない。
だから、生まれつき運動神経の良い人間だけが活躍をできる。
僕のような身体能力に劣った人間が勝てるわけがないではないか!
バスケはまだいい。
でも野球は本当の本当に好きだった。
せめて高校生くらいまでは続けていきたかったよ。
上手くなりたいという気持ちと練習量だけは誰にも負けてなかった自信はあるのだから…。
人のせいにするつもりはないけれど、でももうちょっとやりようはあったのではないだろうか。

***

予備校講師として僕がしたいのは、「第二の私」を出さないようにすることだけ。
ただそれだけなのだ。
「やる気のある選手」をなんとか「できる選手」にしたい。
言い換えると、「やる気のある生徒」をなんとか「できる生徒」にしたい。
野球を、もとい受験を、諦めてしまうその前に。
努力を、正しい結果につなげられるように。
たまに「授業、わかりやすかったです!」と褒められることがあるのだが、正直言うと「わかりやすい」と言われている内はまだまだだ。
「言われたとおりやってみて、気がついたらできるようになっていました!」これが理想。
だから、自分の説明の「わかりやすさ」を自慢気に語る講師(代ゼミじゃなくて別の予備校)がいるのも知っているけれど、僕は全く賛同できない。
いや、そりゃわかりづらいよりはわかりやすい方がいいだろう。
けれど、予備校講師は生徒に「股関節ストレッチ」をさせることが必要なのだ。
その作業は、わかりやすくもなければ、面白くもない。
生徒の方だって、「なんでこんなことをさせられているんだ!」と腹も立つだろう。
苦痛でしかないからだ。
けれど、「いいからとにかくやってみなさい。やればわかるから」と説得させる作業も必要だと思うのだ。
村上春樹は、自分の習っていた水泳のコーチについて、次のように書いている。

 この人の教え方の特徴は、最初から教科書的に正しいフォームを教えようとしないところにある。たとえば正しいローリングを覚えさせるためには、まずローリングなしで泳ぐことから教える。つまり自己流でクロールを身につけた人は、ローリングを意識してやりすぎる傾向がある。そのために逆に水の抵抗が増えて、泳ぐスピードが落ちる。エネルギーが無駄に費やされる。だからまずローリング抜きで、平たい板みたいになって泳ぐことを覚えさせる。つまり水泳のテキストブックとはまったく逆のことを教えるわけだ。言うまでもなく、そんな泳ぎ方をしていたらスムーズには泳げない。でも言われたとおりにしつこく練習していると、その理屈に合わない不格好な泳ぎでもなんとか泳げるようになってくる。 
 するとそこに彼女は少しずつローリングの動きを賦与していく。ほんの少しずつ。それも「これはローリングの練習ですよ」みたいなことは言わず、個別的な身体の動かし方だけを教えていく。教えられる方は、そのプラクティスの具体的な意図はわからない。ただ言われたとおりに、身体のその部分をこつこつと動かしているだけ。肩のまわし方なら肩のまわし方ばかり、しつこくいやというほど反復させられる。肩のまわし方だけで一日が終わることもある。これはけっこうくたびれるし、むなしい。しかしあとになって振り返ると、「ああ、そうか。そういうことだったのか」と理解できる。パーツが全部組み合わされ、全体像が見えてきて、そこで初めて個別の部品の機能がわかってくる。(
村上春樹「走ることについて語るときに僕の語ること」p.218-9)

うーん、やはり水泳のコーチも、トレーナーも、予備校講師も同じですね。
クライアントに「できた!」という感覚を味わってもらうこと。
目的はそれだけなのだ。

優れた講師の提案は、ときにラディカルだ。
「テキストブックとはまったく逆のこと」を言うこともある。
恐らく、この文章を読んでいる皆さんの多くは予備校の授業経験者だろうから(違う人がいるのも知っているけれど許して)わかると思うが、彼ら(私も含め)の授業はオーソドックスではない。
だから、批判もされる。時には同業者からも。
けれど、その結果、パーツが全部組み合わされたとき。
上手く行けば、生徒は「見えた! できた!」という快感を味わう。
残念なことに、学校(特に公立)ではなかなかそれができない。
優れた講師も多いだろう。
けれど、教育指導要領という鎖でガチガチに縛られているから(鎖を解いたら、教育委員会から指導される)、なかなかそれができない。
塾・予備校業界というのは、それができる。
まして、予備校では、大人数を相手にそれができる。
我々の職業をアウトサイダーとして認識(ときには侮蔑)する声があるのも知っている。
実は私も、親戚に「健太はいつになったらちゃんとした職業に就くんだい?」と聞かれたことがある(←結構ひどい…)。
でも。
でもだ。
やる気のある人々を、正しく導くこと。
こんなことができる職業って、やっぱり素晴らしいじゃないか!
そう思うわけです。

ということで、そういうことに興味ある方は、是非予備校講師を目指してください!
求む、若い力!