my fortune cookie - パワースポット、開運、成功4前回の続きです。
my fortune cookie - パワースポット、開運、成功3my fortune cookie - パワースポット、開運、成功2my fortune cookie - パワースポット、開運、成功1前置きなしにはじまっちゃうけど(笑)、
じゃあ、具体的にいって、気持ちのどこかにスペースをもつってどういうことなんだろう?
そんなスペースを測るスケールもなけりゃ、数量単位もない。
申し訳ないけどとても抽象的だ。敢えて具体化するのなら、私なら個人的にこう考える。
共有している空間と時間をシェアできるゆとりをェアしているんだってことを相手に伝えられること。山の手線の第3番目の車両に100人のひとが乗っていても、皆が皆その時間や空間を共有しちゃいない。
目の前に立っている人に身体的なハンデキャップがあっても、お腹の大きな意女性があっても、気づかない人が多いくらいだ。これじゃあ、目の前に経った人が恵比寿で降りても、実は恵比寿様だったとしても、弁天様だったとしても素敵な出会いのチャンスはやり過ごしてしまう。これは実は残念なことだ。アメリカのロマンティックコメディじゃないけど、出会いはいろんなところに落ちてるはずなのに。知らないヒトに話しかけるのは、何かしらの勧誘か、ナンパかっていうのがまかりとおった観念ならばそれはとっても寂しい。恋に堕ちるのだって、合コンとかもうけられた人工的な席ではなくて、エレベータの中とかそういう未知数の高いところで堕ちるのが恋の醍醐味だ。
私がここにいて、あなたもここにいるっていう意識をもって、その意識をもっていることをなるべく発信することが大事かと思う。そうすると、気持ちのどこかにスペースがうまれるはず。
『私は黒子です。あなたからは見えてないはずです~』では絶対にやばい。
見ず知らずの人は別として、社会に貢献する中で関わって行くような人たちの間では、ー例えば仕事がらみの環境ではー、私はこのスペースづくりを、雑談をつかってやらせてもらっている。
私ほど雑談を崇拝するものも珍しいかも。
雑談がほとんど全てっていっても過言ではない。バックパック旅行をひとりでした20年近く前から私は雑談の大ファンだ。以来雑談から多くのウィズダムを授けてもらっている。雑談の中に答えあり!
定例会議に何度出たって、雑談をしたことない人との距離はなかなか縮まらない。距離の縮まらないところでは、物事はあまり早く進んで行かない。皆忙しいから、どうしても伝えなければいけない用件以外で、わざわざ話しかけたり、メールをしたり、電話をするのも遠慮してしまうという気持ちもわかる。けど、軽口をたたくくらい誰も迷惑だと考えない。
雑談は、宝の山だと私は思う。雑談の中にはいろんな知恵、隠された事実(笑)、本当のところ、人々の気持ちなんかがたんまり詰まっていて、とても有用だ。雑談を通してニンゲン同士の理解も深まるから、そこにfriendshipもうまれて手をさしのべたりさしのべられたりしやすくなる。つまり、ある程度相手のことがわからないともちつもたれつなんてことはできない。かといって相手を知ろうと探り始めると事態はうまく進まなくなる。
そして何よりも雑談は面白い。難しい話しをするよりずっと楽しくて、皆の笑顔も見ることができる。
雑談をする相手の人となりも、正式な会議よりもずっとわかりやすい。雑談をすると、どんどん人が固有名詞化された個人に変わって行く。
例えば見ず知らずのヒトだったら、
電車の隣に乗ってた人→○○大学で××を勉強してる学生さん→ラーメン屋でバイトしている彼女募集中のお兄ちゃん→ちょっぴりシャイな太郎君と出世していく。
例えば職場で見かけるヒトだったら、
経理部の人→息子さんが産まれたばっかりでちょっと最近疲れ気味の経理部の主任→ほんとは営業部に行きたいと密かに考えている山田さん
とか、だんだん私の脳みその中で個人化される。
一旦個人化された人の発言というのはよく頭に入ってくるし頭に残る。
これは、相手が日本人でも外国人でも一緒だ。
まだ脳みそが、訳の分からない国からきた外国人としてしか相手を認識できないでいると、アクセントに気を取られたり、相手の発言が漠然としか頭に入ってこなかったりして、あまり良いことがない。多少雑談をすると、その人となりというのが見えて来て、ぐっと相手の発言が脳細胞に浸透してきてくれるから不思議だ。お互いにお互いの脳みその中で個人化されると、
自分のメッセージをわかってほしい=伝えたいという気持ちも強くなる。
多分同じことが相手の頭の中にも起きるんだと思う。
極東の、stone faceの例えば、通訳者とかしか認識してもらえないと、この通訳者さんの、日本人的なアクセントが気になったり、日本人独得の構文の使い方が気になったりして、思考の邪魔になるけど、一旦この通訳者が通訳者さんじゃなくて花子さんになってしまえば、アクセントもちょっとした文法の間違いも、口癖もあんまり気にならないんだと思う。
雑談であれば、自分ことを語るのも簡単だ。
このまえ私も困ってしまった。大きなテーブルの向こう側とこちら側に座って、『ご自身について話してください』と言われちゃったことがあった。いや~、anythingといわれても、in any wayといわれてもね~、改まったところで漠然といわれると、雑談のようにするするとは出てこないってもんだとつくづく。
ニンゲン中のは、他のニンゲンがこわいという心理が多かれ少なかれあるんだと思う。相手がどういう人なのかがわからなければね。
モロッコを一人旅してるとき、夜間バスにオンナ一人で乗った時の、ネズミオトココスチュームを着た地元のヒトたちには最初うっとひるんだもんだ。でも何時間も一緒にバスに揺られている間に、言葉はまったく通じ合うことができなくとも、ピーナッツを一緒に食べたり、家族の写真をみせてもらったりしていると、知らないニンゲンに対する潜在的恐怖はなくなる。
この人はこういう人で、こんな考え方してて、こんな感じで暮らしてるって言うのがわかると、双方の間のテンションがぐっと緩和される。それなら最初っからどんどん雑談してしまって、いらぬテンションは除去してしまった方が仕事も会議もやりやすい。やりやすければやりやすいほど、物事はすすめやすい。まあ、だからエンターテイメントだ、ゴルフだ、歓待だってことになるんだけど、そんな風にわざわざ『親睦を深める』機会をもうけてばかりもいられない。
雑談はとても手っ取り早くて楽しい方法なので、私は出来る限り雑談の恩恵に預かるようにしている。
おかげで、相手の発言をじっと読み取って、きっとこの人はこう考えているとかいった分析/マインドリーティングもあんまりしない。せこいことを言えば、接待費もかからない(笑)
そして面白いことに雑談をすればするほど、ラッキーなことがどんどん転がり込んでくる。
雑談によって私のこともよりわかってもらえて、私ってこういうニンゲンなのですという当てにならない自分についての言及なんかもしないですむ。本人が語る、私ってこうなんです的発言ほど当てにならないものはないと私は思っている。
雑談が気持ちのスペースを広げてくれて、そこでどんどん出会いの種が芽吹いていくつもの盆栽ツリーが成長している。皆まだ小さいけど、すくすく健康に育っている。楽しいから苦にならない。
楽しくないところに気持ちのスペースはすくすくと大きくなってはくれない。
気持ちのスペースに余裕のないところに、良い発想は生まれにくい。発想がぱっとしないと、自分のたどる道(つまり運)もぱっとしない。