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約10年、日本を留守にしてましたが、最近ハローキティ天国、ニッポンに帰国し、現在リハビリ中。ズレの補正をしとります。補正は想像以上にハードワーク。よきにおはからいください。



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my fortune cookie - パワースポット、開運、成功5

テーマ:blog ブログ 2012-02-15 18:34:34
my fortune cookie - パワースポット、開運、成功5

突然続きを始めたいと思います(笑)
my fortune cookie - パワースポット、開運、成功4からの続きです。

<過去関連記事>
my fortune cookie - パワースポット、開運、成功3
my fortune cookie - パワースポット、開運、成功2
my fortune cookie - パワースポット、開運、成功1

introvert(〈関心などを〉自分の内部に向ける.)(←マックについてる辞書からの受け売り)になっちゃだめだなって思う。

日本人の勤勉さって、『道』の世界に多分ひもづいていて、こつこつと孤独でも道をきわめて行くところに我々の美しさがあるんだけど。 - またそんな日本人が私は好きだし、誇らしくもある。けどその手の美徳はおそらく、個人が究極を求める道の中の精神世界としてしっかり持ち続ければいいことで、いろーんな観念がごったがえしていて、とりわけ、未だに欧米的なビジネスが主導になっている”グローバルビジネス”の世界では、日本人が理想とするような結果は導かれないような気がしてます。ひとりカプセルの中で精進し始めたりしない方が良いと思う。ひとりで黙々とあるいは淡々とやるのなら他からの影響を受けないから、人生のups and downsに翻弄されなくて済む。けどそれでは運は開けない。人からの影響をなるべくうけたくないと、逃げ腰になると運も多分逃げちゃうんだと思う。

巧みの技を盗みなさいとか、
門前の小僧よ、お経は教えぬが、読めるようになれとか、そういうのは、日本列島の外に出てしまうと通じない。学ぶ側や聞く側にそこまで押し付けられないからね~。伝えられない、教えられない方が悪いとなってしまうことの方が多いと思う。


私もついつい、日本人だから『道』的なスピリットにはまりそうになったりする。
どっちがお得かとか、どっちが手っ取り早いかじゃなくて、究極をきわめてみたくなっちゃうわけ。生産性や効率性なんかよりも精神世界の方にワープしちゃう。


翻訳の仕事なら、多少荒削りでも、わかりゃいいよ的な翻訳よりも、巧みの技がないなりの巧みの技を盛り込みたいと思うし、クオリティの高い語を使えるのなら使いたいと思って切磋琢磨したくなってしまう。仕事ってよりも作品として向き合ってしまいたくなる悪い癖。


時として鶴の恩返しじゃないけど、秘密の小部屋にこもってもくもくと1人で素晴しい反物を精魂込めて織り上げたくなっちゃったりするけど、あんまりそれをやっちゃうと逆効果になるのかもしれないと自分を制してます。
基本的にはいつもフィールドに出てってなくちゃだめだ。プレーヤとしていまいちだからひとりで自主練して出直してきますって、フィールドからでないのがいいのかもしれない。いつもフィールドでボールを取りに行こうとしてることが大事なのかもしれない。秘密トレーニングをすることはあんまり考えないで。

俗っぽい例えをすれば、コイビトが欲しい時、出会いを求め街に飛び出して行くか、それとも自宅で腹筋したりお肌のお手入れをしたりするか。今のままじゃだめだと思うと後者になっちゃうんだろうと思うけど、街に繰り出しつつも、いくらでも自分磨きができると思ってた方がいい。あるいは、街に繰り出せなくなるほど大掛かりな自分磨きをしたからって、それに見合う効果は期待できないのかもしれない(笑)今の自分を認めて受け入れて、今の自分に自信をもって他者と関わって行くことが何よりも大事としよう。その大前提の中で出来る努力はしましょうって。
一旦人と関わると、ずぇったいに自分の思い通りになんてことは運ばないからだ。こんな決め台詞をここでとか、いろいろシナリオをたててもシナリオ通りに言った人なんて多分そんなにいないと思う。

とても威張れることじゃないけど、私という器の中には、たいしたものが入ってない汗
サラブレッドでもなければ、道を極められるような精神的な強さも根性も一貫性もない。特別何かに長けているってものもないと思う。美しさを武器にして欲しいものを手に入れられるほどの美貌は全く持ち合わせていない。『強運』の持ち主でもないし、たいした図々しさも実はない。要領はきわめて悪く、コネもない。そしてみなぎる若さ故のパワーみたいのも枯渇が始まっているのかもしれないし、玉の輿にものってなければ、親から授かった恩恵も十人並みだ。万人受けをするキャラでもない。そつなく立ち回れるかというと決してそうじゃなくて、しょっちゅう一言多かったり、足りなかったりの繰り返しだ。挫折は数知れず。しょっちゅう危うい状態に陥っている。あるいは身から出た錆とか、自分がまいた種で後でしっぺ返しを何遍もくらっている。安定はまた夢のまた夢だ。もう大丈夫かなーと思うと次の瞬間には奈落の底に落とされている。それでもなんだかんだいって私が結局は危機を脱して、かなり面白おかしく社会に貢献させてもらえるのは、多分、人との出会いや付き合いからもたらされた幸運を私が享受しているからなんだと思う。幸運とはつまり、言ってみればチャンスのことなのだろうか。
不運とは、チャンスに気づかずやり過ごしてしまうことなのだろうか。今年1年考えてみよう。


ひとりじゃ絶対無理だった。ヒトからもたらされたチャンスがなかったら、いくら私の中にやる気がみなぎってたって私はどこにもたどりつくことができなかった。チャンスをもらたしてくれるヒトがあって、私の背中を押してくれるヒトがあったから、私は単純にたのしく頑張ってさえすればどうにかなってきたのだ。例えば起死回生が今度こそできないんじゃないかってな時にもね。そんなヒトがなければ、私はハムスターみたいに、頑張って頑張って頑張って(なんて言うんだあのディバイス!)あの輪っかの中をはぁはぁっぜいぜい言いながらくたばるまで走っているだけだったと思う。

捨てる神がいて拾う神ありとはよく言ったもんだ。

ただ一つ、覚えておきたいのは、

『できません』って言うことについて。

日本語ではやりたくない時も、能力的に無理だという時も、ほとんどどっちも『できません』だと思うけど、
(やりたくなければ)I don't want to do it.
ってどんどん言ってもいいと思う。
だってやりたくないんだから(笑)


自分が、やりたくないからできませんなのか、自分の今持っているツールや力では無理と能力的に無理という意味で自分ができませんといっているのか、いつもはっきりさせてたいって思う。
日本人の輪の中では、できませんと言えば、あまり無理強いはされないような気がするけど、私が今いる環境では、(やりたくないから)できませんといえば、皆そっとしておいてくれると思うけど、
後者であったら、そんなできませんは絶対却下される。いや、却下され続けて来た。
I cannot do itって言っても、yes you can.でおしまいだ。やってもみないうちからなんでできませんとわかるんだ?できないのなら、できるようにしてあげるからやってみな。ってことになる。
まじかよ~!と何度も思ったけど、自分がそういう環境にいられることを『ありがたや』と結局思ってる。じゃあそうですかってお言葉に甘えていろいろやらせてもらっている。

そのかわり失敗してもいい。失敗から学べば。完璧なんか求めちゃいないぜって。
アラフォーにして、補助無しチャリを乗れるようになれと訓練を受けているようでもある。
アラフォーにして、いつも膝のかさぶたが耐えない。が、退屈するいとまがない。

そして思い返すと、小さなチャンスっていうのは、雑談の中から生まれてる。
恐るべし雑談。

ということで、私のフォーチュンクッキーは、神社仏閣でもない、チャーチでもない、パワースポットでもない、おみくじでもお参りでもない、タロットカードでも、風水でもない。コネでもない。私が今関わっているヒトたちなのであり、また、この人たちの出会いの種を成長させていくことであり、はたまた、芽吹いた種が成長できるスペースを気持ちの中に持つことなのであります。
そうすれば、のんきではありますが、おのずと、順風満帆とあいなってきたわけです。

私に関わってくれているヒトたちをすべて宝船に乗せとうございます。

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2ヶ月近くずれ込みましたが、皆々様と一緒によりよい1年を過ごしていきたいと思っております。



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Valentine roses - 高島屋ローズ

テーマ:blog ブログ 2012-02-14 14:12:33
Valentine roses - 高島屋ローズ

今日はバレンタインデーでございまするが、あいにくの天気。
うすら寒いし、冷たい雨が降っとります。

こういう日は、色鮮やかなものがよいざます。


今朝のお届けもの♪

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バラのつぼみちゃんたちは、まるで高島屋の紙袋、そうじゃなかったらボジョレグラス。
花がグラスに見えるとは、私もいよいよアル中か!?

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my fortune cookie - パワースポット、開運、成功4

テーマ:blog ブログ 2012-02-14 09:13:32
my fortune cookie - パワースポット、開運、成功4

前回の続きです。
my fortune cookie - パワースポット、開運、成功3
my fortune cookie - パワースポット、開運、成功2
my fortune cookie - パワースポット、開運、成功1

前置きなしにはじまっちゃうけど(笑)、

じゃあ、具体的にいって、気持ちのどこかにスペースをもつってどういうことなんだろう?
そんなスペースを測るスケールもなけりゃ、数量単位もない。
申し訳ないけどとても抽象的だ。敢えて具体化するのなら、私なら個人的にこう考える。
共有している空間と時間をシェアできるゆとりをェアしているんだってことを相手に伝えられること。山の手線の第3番目の車両に100人のひとが乗っていても、皆が皆その時間や空間を共有しちゃいない。
目の前に立っている人に身体的なハンデキャップがあっても、お腹の大きな意女性があっても、気づかない人が多いくらいだ。これじゃあ、目の前に経った人が恵比寿で降りても、実は恵比寿様だったとしても、弁天様だったとしても素敵な出会いのチャンスはやり過ごしてしまう。これは実は残念なことだ。アメリカのロマンティックコメディじゃないけど、出会いはいろんなところに落ちてるはずなのに。知らないヒトに話しかけるのは、何かしらの勧誘か、ナンパかっていうのがまかりとおった観念ならばそれはとっても寂しい。恋に堕ちるのだって、合コンとかもうけられた人工的な席ではなくて、エレベータの中とかそういう未知数の高いところで堕ちるのが恋の醍醐味だ。

私がここにいて、あなたもここにいるっていう意識をもって、その意識をもっていることをなるべく発信することが大事かと思う。そうすると、気持ちのどこかにスペースがうまれるはず。
『私は黒子です。あなたからは見えてないはずです~』では絶対にやばい。

見ず知らずの人は別として、社会に貢献する中で関わって行くような人たちの間では、ー例えば仕事がらみの環境ではー、私はこのスペースづくりを、雑談をつかってやらせてもらっている。
私ほど雑談を崇拝するものも珍しいかも。
雑談がほとんど全てっていっても過言ではない。バックパック旅行をひとりでした20年近く前から私は雑談の大ファンだ。以来雑談から多くのウィズダムを授けてもらっている。雑談の中に答えあり!

定例会議に何度出たって、雑談をしたことない人との距離はなかなか縮まらない。距離の縮まらないところでは、物事はあまり早く進んで行かない。皆忙しいから、どうしても伝えなければいけない用件以外で、わざわざ話しかけたり、メールをしたり、電話をするのも遠慮してしまうという気持ちもわかる。けど、軽口をたたくくらい誰も迷惑だと考えない。
雑談は、宝の山だと私は思う。雑談の中にはいろんな知恵、隠された事実(笑)、本当のところ、人々の気持ちなんかがたんまり詰まっていて、とても有用だ。雑談を通してニンゲン同士の理解も深まるから、そこにfriendshipもうまれて手をさしのべたりさしのべられたりしやすくなる。つまり、ある程度相手のことがわからないともちつもたれつなんてことはできない。かといって相手を知ろうと探り始めると事態はうまく進まなくなる。

そして何よりも雑談は面白い。難しい話しをするよりずっと楽しくて、皆の笑顔も見ることができる。
雑談をする相手の人となりも、正式な会議よりもずっとわかりやすい。雑談をすると、どんどん人が固有名詞化された個人に変わって行く。
例えば見ず知らずのヒトだったら、

電車の隣に乗ってた人→○○大学で××を勉強してる学生さん→ラーメン屋でバイトしている彼女募集中のお兄ちゃん→ちょっぴりシャイな太郎君と出世していく。

例えば職場で見かけるヒトだったら、
経理部の人→息子さんが産まれたばっかりでちょっと最近疲れ気味の経理部の主任→ほんとは営業部に行きたいと密かに考えている山田さん
とか、だんだん私の脳みその中で個人化される。

一旦個人化された人の発言というのはよく頭に入ってくるし頭に残る。
これは、相手が日本人でも外国人でも一緒だ。

まだ脳みそが、訳の分からない国からきた外国人としてしか相手を認識できないでいると、アクセントに気を取られたり、相手の発言が漠然としか頭に入ってこなかったりして、あまり良いことがない。多少雑談をすると、その人となりというのが見えて来て、ぐっと相手の発言が脳細胞に浸透してきてくれるから不思議だ。お互いにお互いの脳みその中で個人化されると、

自分のメッセージをわかってほしい=伝えたいという気持ちも強くなる。


多分同じことが相手の頭の中にも起きるんだと思う。
極東の、stone faceの例えば、通訳者とかしか認識してもらえないと、この通訳者さんの、日本人的なアクセントが気になったり、日本人独得の構文の使い方が気になったりして、思考の邪魔になるけど、一旦この通訳者が通訳者さんじゃなくて花子さんになってしまえば、アクセントもちょっとした文法の間違いも、口癖もあんまり気にならないんだと思う。


雑談であれば、自分ことを語るのも簡単だ。
このまえ私も困ってしまった。大きなテーブルの向こう側とこちら側に座って、『ご自身について話してください』と言われちゃったことがあった。いや~、anythingといわれても、in any wayといわれてもね~、改まったところで漠然といわれると、雑談のようにするするとは出てこないってもんだとつくづく。

ニンゲン中のは、他のニンゲンがこわいという心理が多かれ少なかれあるんだと思う。相手がどういう人なのかがわからなければね。
モロッコを一人旅してるとき、夜間バスにオンナ一人で乗った時の、ネズミオトココスチュームを着た地元のヒトたちには最初うっとひるんだもんだ。でも何時間も一緒にバスに揺られている間に、言葉はまったく通じ合うことができなくとも、ピーナッツを一緒に食べたり、家族の写真をみせてもらったりしていると、知らないニンゲンに対する潜在的恐怖はなくなる。

この人はこういう人で、こんな考え方してて、こんな感じで暮らしてるって言うのがわかると、双方の間のテンションがぐっと緩和される。それなら最初っからどんどん雑談してしまって、いらぬテンションは除去してしまった方が仕事も会議もやりやすい。やりやすければやりやすいほど、物事はすすめやすい。まあ、だからエンターテイメントだ、ゴルフだ、歓待だってことになるんだけど、そんな風にわざわざ『親睦を深める』機会をもうけてばかりもいられない。

雑談はとても手っ取り早くて楽しい方法なので、私は出来る限り雑談の恩恵に預かるようにしている。
おかげで、相手の発言をじっと読み取って、きっとこの人はこう考えているとかいった分析/マインドリーティングもあんまりしない。せこいことを言えば、接待費もかからない(笑)

そして面白いことに雑談をすればするほど、ラッキーなことがどんどん転がり込んでくる。
雑談によって私のこともよりわかってもらえて、私ってこういうニンゲンなのですという当てにならない自分についての言及なんかもしないですむ。本人が語る、私ってこうなんです的発言ほど当てにならないものはないと私は思っている。

雑談が気持ちのスペースを広げてくれて、そこでどんどん出会いの種が芽吹いていくつもの盆栽ツリーが成長している。皆まだ小さいけど、すくすく健康に育っている。楽しいから苦にならない。
楽しくないところに気持ちのスペースはすくすくと大きくなってはくれない。
気持ちのスペースに余裕のないところに、良い発想は生まれにくい。発想がぱっとしないと、自分のたどる道(つまり運)もぱっとしない。

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