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ジオターゲティング
2009年11月12日(木)

パニック障害  福岡

テーマ:パニック障害
「テレビに出ている本人が楽しくないのでは、見ている人たちは、楽しめないだろう。これ以上、テレビに出続けるのは、視聴者に失礼にあたらないか」2000年夏、歌手の円広志さん(54)は悩んでいた。

関西を中心に、レギュラー番組は5、6本を数えた。仕事の後は、気の置けない仲間と自宅で明け方まで飲み、そのまま早朝の番組に出演することもしばしばだった。「周囲から『いつ寝ているの』と驚かれるほど、仕事もプライベートも休みなく過ごしてきました。疲れもなく、自分は健康そのもの、と思ってきたのです」

異変が起きたのは、99年の春先だった。
夕方、一人で車を運転し帰宅する途中、通い慣れた道で渋滞に巻き込まれた。車を止めたのに、車窓の景色が流れているような錯覚に襲われた。「前の車に追突する」と思い、慌ててブレーキを強く踏んだが、景色は止まらない。動悸が激しく、息苦しくなった。初めてのことに戸惑った。

その数日後、テレビの生放送の冒頭で、再びドキドキが起きた。いつもの通り、何人かのタレントと並んで立っていただけなのに、動悸やめまいがして、ふらついた。「ああ、このまま倒れて、心臓が止まって死んでしまうのではないか」。恐怖や不安でいっぱいになり、体が崩れ落ちそうになるのを必死にこらえた。そんな状態が10分間ほど続いた。その後も、運転中やテレビの収録中など同じような状況で、発作が起きた。

収録中は、じっと立っていると倒れそうになるので、自分にカメラが向いていない時は、体を揺さぶるようにした。不安が最高潮に達し、思わずいすに座り込んだこともある。

「いつ発作が起きるか不安でたまらず、カメラが向いた時にだけ笑顔を作る。常に『あと何分で終わる』と自分に言い聞かせていました。特に、いつ終わるかわからない収録番組はつらかった」

車の運転も怖かった。トンネルや高速道路では「発作が起きてもすぐに出口にたどり着けない、と考えると不安でたまらない」。趣味で乗っていたオープンカーなど2台を売却した。そんな状態で1年が過ぎた。何とかテレビ出演はこなしていたが、恐怖や不安がぬぐえず、番組に集中できない。

発作が起きても、実際に倒れたことはなく、周囲は気づいていないようだった。だが、「こんな状況でテレビに出る資格があるのか」と、周りの人から責められているような気がした。

「もう許してほしい。仕事をやめさせてくれ」
ある日、マネジャーに涙ながらに訴えた。テレビ出演を休み、眼科や内科、脳神経外科などを回った。様々な検査をしても、異常は見つからない。

最後に受診した心療内科で、ようやく「パニック障害」と診断された。薬などで治療すれば「治る病気」だと言われた。円さんは「自分を悩ませてきた不安や恐怖は、気のせいじゃない。ちゃんとした病気だ、とわかってうれしかった」と振り返る。
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2009年11月12日(木)

パニック障害  福岡

テーマ:パニック障害
俳優の岡田義徳さんや長嶋一茂さんも、パニック障害を抱えていたと告白していました。パニック障害とは、パニック障害は突然の強い不安感(死ぬのではないか、気が狂ってしまうのではないかという恐怖)と自律神経症状(動悸、頻脈、呼吸困難、発汗、息切れ、胸腹部不快など)によるパニック発作を繰り返すことを主症状とする疾患です。

一般人口における生涯有病率は,諸外国の調査では1.1~3.5%、岩田昇らによる地域調査では0.9%であり、患者の約7割は発作で救急外来を受診しています。100人に1人~3人程度であり、決して稀な病気ではないといえるでしょう。男女ともに起きますが、女性の罹患率が2倍程度高いといわれます。好発年齢は、20~40歳であるとのことです。

1回の発作は、通常数分から30分、長くとも1時間以内に自然に消失します。パニック発作はしばしば救急外来での緊急処置の対象となりますが、診察中に次第に治まってくる、ということも多いようです。本人は非常に辛い状態にありますが、生命的危険のない発作であり、そのように説得することが重要です。

たしかに、命の危険などは少ないとはいえ、パニック発作の問題点として、発作が反復するうちに予期不安(発作が起こるのではないか、と不安になる)が形成され、発作が頻発すると広場恐怖(助けが容易に得られない場所にいることへの恐怖であり、1人で戸外や混雑の中にいたりすると生じやすい)と呼ばれる状態になり、外出もできなくなってしまうこともあります。

パニック発作の診断基準(ICD-10精神および行動の障害研究用診断基準)や、治療方針としては、以下のようなものがあります。

①激しい恐怖・不安の明瞭に区別されるエピソード
②突発的な開始
③数分のうちに最強となり、少なくとも数分間は持続
④次の少なくとも4項が存在し、そのうち1項目は(a)から(d)のいずれかであること。
・自律神経性の刺激による症状
(a)動悸,または強く脈打つ,あるいは脈が速くなる
(b)発汗
(c)振戦または震え
(d)口渇(薬物や脱水によらないこと)
・胸部、腹部に関する症状
(e)呼吸困難感
(f)窒息感
(g)胸部の疼痛や不快感
(h)嘔気や腹部の苦悶(例:胃をかき回される感じ)
・精神状態に関する症状
(i)めまい感,フラフラする、気が遠くなる、頭がくらくらする感じ
(j)物事に現実味がない感じ(現実感喪失)、あるいは自分自身が遠く離れて「現実にここにいる感じがしない」(離人症)
(k)自制できなくなる、「気が狂いそうだ」、あるいは気を失うという恐れ
(l)死ぬのではないかという恐怖感
・全身的な症状
(m)紅潮または寒気
(n)しびれ感またはチクチクする痛みの感覚

また、チェックするポイントとしては、「器質性(身体疾患や薬物の直接的な原因となる)不安状態」と特異的な「パニック障害」を区別することです。パニック障害では、特別な状況にも環境的背景にも限定されず、「予期されずに」発現する特発性パニック発作を反復する障害です。

てんかんなどの神経系発作性疾患、甲状腺機能亢進症や狭心症などが背景としてないか、しっかりとチェックする必要があります。

治療としては、まず疾患教育を十分に行い、発作そのものに生命の危険はないことを保証する(しっかりと納得してもらう)ことが重要です。発作が出現する時のために、抗不安薬(ワイパックスなど)を持参してもらうことも、安心につながるようです。

他には、薬物療法と精神療法があり、様々な治療が有効性を認められています。薬物療法では、発作の抑制を目的に抗うつ薬(SSRIや三環系抗うつ薬・スルピリド)が用いられ、不安感の軽減を目的にベンゾジアゼピン系抗不安薬が用いられます。

これらの薬物には明確な有効性があり、特に適切な患者教育と指導と併用した場合の有効性は極めて高いといわれています。また最近は、新型抗うつ薬であるSSRIの有効性が語られることが多いです。

こうした疾患をもっている場合も、治療を続け、社会生活をしっかりと営むこともできます。もし悩んでいらっしゃるようでしたら、一度、心療内科の受診をなさることをお勧めいたします
2009年11月12日(木)

パニック障害  福岡

テーマ:パニック障害

各界の著名人に、その人なりの福祉論を語っていただこうというシリーズ「この人と福祉を語ろう」。3回目のきょうは、「とんで とんで とんで とんで…」というフレーズで有名な「夢想花」で知られる、シンガーソングライター、円広志さんをお招きいたしました。

円広志さん


町永: 円さんには、昨年もこの福祉ネットワークにパニック障害ということで出演していただきました。

: はい。健康だけがとりえの男でしたから、夢にも思わなかったですね。

町永: 今、お体の具合は?

: 完ぺきではありまんが、こうやってテレビには出られるようになりました。

<円広志さんプロフィル>

1953年 高知生まれ
1978年 「夢想花」でデビュー。80万枚を超える大ヒット

: このヒットがあまりにも強烈だったので、このあとは苦労が多かったですよ。

1983年 森昌子「越冬つばめ」作曲

: 森昌子さんに作曲したのがきっかけで、演歌の方にも作曲をさせていただくようになりました。

1985年 テレビのレギュラー番組で超多忙。

: ヒット曲がなかったので、バラエティのほうにくら替えして、あちこちテレビに出るようになりました。多い時で週に10本以上レギュラー番組を持っていて、生放送だけで週に8~9本くらいやっている時がありました。とにかく忙しくて、休みはありませんでした。だけど、どんなに忙しくても友達とは飲んでいましたね。土曜日の朝に生放送があって、家を8時に出なければいけないという時でも7時まで飲んでいましたからね。それでもやっていけるほど、体力には自信がありました。

1998年 20周年コンサートを開催
1999年 恐怖感やめまいにおそわれる

: 朝の5時くらいから始まる番組をやっていまして、3時半とか4時くらいに家を出なければならないんですけれど、その本番中にクラッときたのが最初でした。「疲れかな」「眠いのかな」と思っていたのですが、その頻度が多くなってきて、「おかしいな」と思い始めました。
 ある時、3日間くらい寝なかった日があったのですが、夕方、車で帰っている途中、渋滞にはまりまして、車は止まっているのに周りの景色が動き出して、自分の車が動いているような錯覚をしたんです。ワーッとなってブレーキを必死で踏むのですが、それでも景色は止まらない。怖かったですね。
 そうこうしているうちに、今度はテレビの本番中に倒れそうな気になってきました。決して倒れないのですが、いつ倒れてもおかしくないという状況になっていて、「倒れたらいけない」という恐怖感が押し寄せてくるんです。それが癖になって、「5秒前、4、3・・・」と言われるとめまいがしてくるんですよ。

2000年 パニック障害 テレビ出演をすべて休む

: 1時間番組をやっていると、10分経過したら「あと50分で終わる」。20分を過ぎると、「あと40分我慢」と。要するに、番組中は恐怖で苦痛だったんです。体をまっすぐにしていると倒れそうな状態なので、カメラが自分を向いていない時は、自然と体をゆすっていました。そして、カメラがこっちを向いている間だけ我慢して、笑顔で「ああ、そうですね」とか言っている。
 でも、それがずっと苦痛で、もう限界だと思いました。視聴者の皆さんに楽しい気持を与えなきゃいけないのに、やっている本人が地獄のような気持でいては、これは出る資格はないと思ったんです。
 それである日、番組が終わった後、駐車場でマネジャに泣きつきました。「もう許してくれ」と。家に帰ってからも、女房に「僕を許してくれ」と土下座しました。別にマネジャも女房も僕を責めたりしていたわけではないんですよ。でも、「許してくれ」という気持になったんです。

町永: 奥様もびっくりなさったでしょう。

: 最初は冗談と思ったんじゃないですか。「きのうまで元気だった人が、何を言っているんだろう?」という感じですよね。自分でもどんな病気か分からずにいましたからね。それまで、苦しさは全部自分で抱え込んでいました。

町永: パニック障害だと診断された時は?

: ものすごくうれしかったですよ。めまいがしたから、眼科に行って、目を調べてもらっても正常。眼圧を見てもらっても正常。内科に行っても、どこも悪くない。脳の病院に行っても、悪くない。いろいろな病院に行っても原因が特定できず、どうしたらいいんだろうと思っていた時に、パニック障害だということが判明したんです。やっと得体の知れない自分の恐怖にたどり着いたということで、うれしかったです。

町永: 健康だけがとりえだとおっしゃっていた円さんが、なぜパニック障害になってしまったんでしょうね。

円: それは分かりません。働きすぎかもしれませんし、そのころ、人間関係でもちょっとトラブルがあったので、それが原因かもしれませんね。

町永: 病気になって、自分をもう一度見つめ直すということも必要だったのかもしれませんね。

: 「ふるさとでゆっくりしよう」と考えました。田舎は、自分を包んでくれるような気がしました。



自らが描いた絵に癒され

町永: 田舎では、絵を描いていたそうですね。

: ここは元気だった時によくテントを張っていた場所です。でも、この絵を描いた時は怖くて一人で行けませんでした。道路から川原に下っていったら、もう二度と帰ってこられないのではという恐怖があるんですよ、パニック障害というのは。だから、もう怖くて怖くて、やっとの思いで川原に下りました。でも、描いている間は夢中になりますから、不安はないですね。だから、自分の好きなもの、夢中になれるものをやるのもいいことだなと思います。
 僕はこの絵を描きながら、「毎年、ここで仲間とキャンプをやっていたのに、もうそれもできないな」という気持と、「いや、きっと治して、もう一度ここで仲間とわいわいやりたい」という気持がありました。自分が描いた絵を部屋に飾っておくと、自分の思いが持続するんですよね。絵を見ると、「ああ、またここに行きたいな」という気持が持続しました。



妻に癒されて

: 女房にも随分助けられました。それまでの僕は、仕事ばかりで女房のことは放ったらかしだったんですよ。でも病気の時は、女房が洗い物をしている時でも、女房の後ろで女房の服をつかんでおかないと怖くてとてもいられないんですよ。寝る時も、横にいてくれないと寝られない。女房が犬の散歩に行く時は、僕は怖くて外に出られないから、携帯電話を必ず持っててもらって、「帰ってきてくれ」とすぐに言える状態にしていました。少しよくなってきて、車の運転ができるようになってからも、トンネルに入る時は怖かったので手を握ってもらったりとか。

町永: それまで放ったらかしだったのが急にそうなって、奥様は?

: 最初は戸惑っていましたけれど、「この人は病気なんだ」ということが分かってからはいろいろ気を遣うようになってくれました。ひどいこともしましたよ。例えば、「お酒も駄目」だと言われた時、「酒も飲めないのか!」と思って、家にあるボトルを全部投げて割ってしまったり…。その時も女房は何も言わなかったですね。「はいはい」っていう感じでした。

町永: 夫婦の関係も随分変わったんじゃないですか。

: 変な言い方ですけれど、命の恩人みたいなところがありますね。そう思うようになりました。

町永: そういうこと、ちゃんと奥様に言っていますか。

: いや、言っていないです。それは言えないです。言うたらあかん。調子に乗りますから。

町永: でも、奥様は分かっていると思いますよ。



いろいろな人に支えられて自分は存在しているんだ

町永: パニック障害を経験して、自分の生き方、考え方が変わったということは?

: あります。僕、どこの事務所にも所属していなくて、一匹狼じゃないですけれど、「自分でやっている」と思っていたんです。でも、仕事ができなくなった時に、ほかのプロダクションのタレントさんに随分助けられました。「一人じゃないんだ。いろいろな人に支えられて、今の自分があるんだ」というのをすごく思いました。家族に対しても考え方は変わりましたが、仕事に対しても変わりましたね。人間は一人でできるものじゃないし、また、一人じゃないんだ。仕事だったら仕事仲間、プライベートだったら友達、家族、両親。そういういろいろな人とかかわりながら自分は存在しているということを知りました。
 この病気は、急激に良くなるということはありません。きょうはいいなと思ったら、次の日にはすごく体調が悪かったり、そういうことを繰り返しながらですけれども、その中で得るものも多かったです。



虹をつかんで

町永: そういった思いを込めて、曲を作ったそうですね。

: はい。少し動けるようになった時に、一人でボーっとしようと思って琵琶湖のほうに行っていたんです。そうしたら、急に不安が押し寄せてきて、怖くなって、電車で大阪に帰ったんですよ。旅館もキャンセルしてね。その電車の中で一人で考え事をしていた時に、「おれ、今最悪な状況だけど、本当に最悪なのかな。この病気になったことで、自分だっていろいろなことを知ったし、そんなに悪いことばかりじゃないな」って思ったんです。それで、携帯電話で自宅の留守電にその時に浮かんだメロディと歌詞を吹き込んだんですよ。

町永: 恐怖でパニックが起こりかけた時に、自分をもう一度見つめ直して作った「虹をつかんで」という曲。きょうはテープを持ってきてくださいました。

「虹をつかんで」より(作詞/作曲 円広志さん)

人生は悲しくも おつなもの
山あり谷あり長い旅路さ
お前も俺もあの子もこの子も
あんたも私もよく見りゃ悪くない
虹をつかんで幸せになろう
涙の熱さに気付いたらめっけもんだよ

: 僕はその時、パニック障害という病気でつらい思いをしていたのですが、いろいろな人がいろいろな悩みを抱えて生きているんだと思います。でもその悩みの中で、「それは不幸のどん底なのか?」といったら、そうじゃない。そんなに悪いことばかりじゃないし、あなた自身そんなに悪くないよ。だって、おれだってこんなに悪いけど、この悪いことのおかげで、自分で今まで感じられなかったことを感じ、得るものがあったんだ。そういう思いを歌にしました。

町永: 超多忙な時には思いつかない心境かもしれないですね。

: そうですね。「僕は最高に幸せだ」と思っている時に気づかなかったり、見逃してしまうことも多々あると思います。人生って、いいことがあったり悪いことがあったりしながら、その中に発見がある。そういうものだと僕は思います。

僕、このパニック障害と言われるもので、20年分も30年分も泣いたんですよ。夕方になると、夜になると、怖くて涙が出る。何度も何度も泣いて、そのたびにほっぺた熱くてしかたがなかった。でも、それすら僕は「めっけもんやな」と思ったんです。涙の熱さに気付けば、僕はそれだけで「ああ、よかった」と思えるようになった。パニック障害になってよかったとは言いませんけど、そのおかげで違うものを見つけたと思えれば、僕はそれで幸せだと思うんです。


町永: あらためて、円さんにとって福祉とは?

: 希望です。人生ってプラスの時もあれば、マイナスのこともある。だけど、マイナスの中には多少のプラスが混ざっているんですよ。そのプラスを自分で見つけることができた時に、この上ない幸せになると思うんですね。忙しくて、「こんな仕事つらいな」と思った時に、一日終わった後で、お風呂に入ると最高に気持いい。そういう、大きなマイナスの中に潜んでいるプラスを見つけることが本当の福祉だと思います。

2009年11月12日(木)

パニック障害  福岡

テーマ:パニック障害


福岡市中央区の心療内科・精神科  「メンタルクリニック桜坂」       (福岡県内で唯一、 日曜も診療を行っている心療内科です)




【 パニック障害はどのような病気でしょうか? 】
突然予期しない動悸や息苦しさ、めまい、発汗、胸痛、震えなどの発作が起こり強い恐怖または不快な感じを伴います。日本では排尿や排便などに関する症状も多い印象を受けます。普通は数分間で治ります。手軽に利用できるが出口のない状態*で恐怖を伴うことが多く「広場恐怖」といわれます。
   *・・・飛行機や電車での移動や列に並ぶ、
      雑踏や公衆の場所、トンネルや地下道、エレベータに乗る
      レストランでの食事、理美容時の洗髪
      歯科治療、MRI検査、一人での外出など
経過が経つにつれて、広場恐怖を伴う患者さんは突然起こる発作以外に状況に関連する発作が増えていきます。他に睡眠時の発作や特定の感情状態で起こる発作などもみられることがあります。また発作が起こるのではないかという不安(予期不安)や心配などが強くなっていき、以前に発作が起きたことのある場所などを避ける回避行動を認め、日常生活に支障をきたすケースも認められます。
【原因は?】
パニック障害は「気の持ちよう」で起こるものではなく、脳の生物学的要因が強く関与している病気と考えられています。発症から治療までの期間が予後を左右する要因の一つです。症状のある方は早めの心療内科受診をおすすめ致します。早期の治療で多くの方が症状が消失するか、それに近い状態になると思われます。正しい診断と病態の正しい理解が治療の出発点です。
【治療方法は?】
薬物療法(SSRIなど比較的副作用の少ない薬が開発されています)を主体にまずは発作や不安を軽減することを試みます。広場恐怖を認め、回避行動や予期不安などが持続する場合も多い為、認知行動療法的アプローチ(例:系統的脱感作法)やリラクゼーションなどを通して不安時のセルフコントロールを目指して行きます。薬物療法や認知行動療法は患者さん一人ひとりの病態や生活環境によって調整が必要であることは、うつ病など他の疾患と変わりありません。

2009年11月09日(月)

パニック障害と戦いながら得た勲章  日本ハム・小谷野

テーマ:パニック障害
 日本シリーズで巨人の前に敗退したものの、全6戦で安打を放ち打率.391をマークして優秀選手賞に輝いたのが日本ハム・小谷野栄一内野手(29)。3年前に発症した「パニック障害」と戦いながら得た“勲章”だった。ストレス社会の中で増加の一途、国内で100人に3人ともいわれる患者へ勇気を与えることになるか。

【打席やベンチで嘔吐】

 「表彰? 1軍では初めて。そういうものには縁がないタイプなので。精いっぱいやりました」。チームが敗退したとあって、小谷野は控えめに語り小さく笑った。

 小谷野が野球人生の危機に陥ったのは、ほとんど2軍暮らしだった3年前。打席に入ろうとするたびに吐き気を催し、たびたびおう吐した。「パニック障害」だった。

 パニック障害は強い不安、ストレスから発作を起こすものだが、症状は吐き気のほか、めまい、動悸、呼吸困難など人によって千差万別。電車に乗れない人、飛行機に乗ると発作を起こしやすい人などさまざまなケースがある。最近では長嶋一茂氏、タレントの高木美保さんなどがパニック障害に悩んだ経験を明かしている。

 医師による投薬治療なども行われるが、「『症状が良くなった』と感じる患者も、無意識のうちに自分がストレスを受けやすい場所へ行くのを避けているだけで、極端に行動範囲が狭くなってしまっているケースが多い。完治したかどうかの見極めは難しい。むしろ、まずは薬で症状を抑えながら生活に支障がないのならそれでいいではないか、とゆったりと構えた方がいいと思う」(NPO法人・全国パニック障害の会=会員約1000人)。

 しかし、小谷野の場合、打席に立たなくては仕事にならない。「正直言って、今も不安と戦いながらの毎日です。だからこそ、試合に臨む前に悔いのない練習をしよう、悔いのない準備をしようと心がけるようになって、結果的に技術が上がった。逆にプラスだったと思っています」。プラス思考などという言葉では軽すぎる、壮絶な“覚悟”を示す。

【「今の自分があるのは福良さんのおかげ」】

 その小谷野が「いまの自分があるのは福良さんのおかげ」という。

 福良淳一ヘッド兼打撃コーチ(49)は、3年前は2軍監督として小谷野を指導していた。「とにかくまじめな子。まじめ過ぎる。時にはベンチ内でも吐いてしまった。代打で行かせようとすると吐く。チェンジになって守備から帰ってきて、自分が先頭打者となるともういけない。審判に言って少し待ってもらったりしていた。自分にとって指導者として初めてのケースで戸惑った」と振り返る。

 症状が劇的に改善されたのは、同年秋の宮崎フェニックスリーグだった。「選手の数が足りなかったこともあって、十数試合に全部出場させた。『多少無理をしてでも、とにかく打席に立とうやないか』と話し合った。全試合に出られたことで自信になったのではないか。結果を恐れるあまりに発作が起こるようだから、『結果は考えるな。どうでもいいやないか』と言って聞かせた」と福良コーチは明かす。

 小谷野は翌2007年から1軍で活躍するようになり、福良コーチも梨田監督就任と同時に08年から1軍へ昇格した。「(小谷野には)今もなるべく数多く声をかけている」

 小谷野はいわゆる「松坂世代」の1人。中学時代、東京・江戸川南シニアでその松坂とチームメートだった。創価高3年の春にはセンバツ甲子園大会に出場したが、初戦でPL学園のエース上重聡(現日本テレビアナウンサー)に完封負けを喫した。

 今季はプロ入り初の規定打席数突破を果たし、打率.296(パ11位)、82打点(同7位)、11本塁打。遅咲きだが、押しも押されもせぬ一流の数字である。加えて日本シリーズでの活躍。たどり着いた栄誉の裏には、経験者にしかわからない苦難があった。(宮脇広久)

 ■パニック障害 1992年、WHO(世界保健機関)の国際疾病分類に「パニック障害」という病名で登録された。何の前触れもなく突然激しい不安に襲われ、動悸、息苦しさ、めまい、吐き気などの発作を起こす。1度発作を経験すると、再び起きるのではないかといった「予期不安」や、不安を生じやすい場所へ行くことを怖がる「広場恐怖」を招きやすいという。映画化もされたベストセラー恋愛小説「いま、会いにゆきます」の著者、市川拓司氏もパニック障害に襲われた経験を明かしており、同作品の主人公も似た症状の病気を抱えている設定。
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