http://www.nicovideo.jp/watch/sm4262831
2008,8,12up


$桜日和-1
$桜日和-2
渡辺
「阿羅さんこんにちは」

$桜日和-3
阿羅
「こんにちは」

渡辺
「阿羅さんはですね、まだ南京事件という神話ですね、根拠の無い話が真実のごとく言われて、えーそれを否定する話をすると国賊かなんかみたいに、しいて言えば亡くなられた田中正明先生ぐらいしか、まー発言なさる方がいなくて、声も殆ど届かなかった頃にですね、南京事件の引きがけの本をお書きになってですね、ま非常に当時、私なんかも喜んでっていうか、嬉しかったですね。
その本をずっとね、阿羅さんは東アジアの研究、特にシナ事変と言われたあの戦争の話をずっと調べてらっしゃいましてですね、今年、南京の記念の年だっていうんで」

阿羅
「70年間」

$桜日和-4
渡辺
「70年間、インチキ映画を中国系の人たちがたくさん、アメリカ、カナダあたりで作っているらしいんですが、阿羅さんの本をですね、こういう本をお書きになりました。
色んなね、貴重な話が含まれております。で、南京で大虐殺があったんなんて言うのはね、戦後私は小学生ですからね、よく知っているはずなんですが、全然耳にも入りませんでしたしね、後からなってもあり得たとは思わないんですよ。
何故かというとね、私の家の隣の家の人、隣の隣の隣の家の人もね、ちゃんとシナ事変の最初の頃に出征してですね、あの頃はですね、1年2年ぐらいすると帰ってきていましたね」

阿羅
「そうですね」

渡辺
「で日本人、何万人と帰ってきているはずなんですよ。
そのどの兵隊さんもね、そんな噂しないわけです。ところがそれに反しましてね、ミッドウェー海戦で日本の航空母艦が沈んだという話はですね、うちの近所の、私は小学校6年生だったかな、その時ね。高等小学校2年生ぐらいの近所の大田っていう少年でしたけどもね、『おまえたち日本はね、赤毛も敵わんみんな沈んでいるんだぞ』なんていう話するんですよ。
でどうしてそういう所に来たか分からないんです。
私が住んでいる所は山形県鶴岡市の端っこの方でですね、いわゆる政治でも経済でも軍事でも偉い人なんか一人もいませんからね、特別な情報源は無いのにね、航空母艦が沈んだのはわーーっと入ってくるんですよ。
ところが南京で何十万も殺したなんて話はですね、何万の兵隊が引き上げた後にも一つも無かったという事はね、それだけで僕の心象として、心の受け取り方として信じる気が無かったんですね」

阿羅
「そうですね。
あの昭和14年の半ばですから、南京攻略から1年半で、南京に攻めてくるの殆ど半分以上がですね、日本に戻ってきているんですよ。兵隊さんが。
ですからもしそういう事があればね、その当然、6、7万の日本軍が攻めましたから、3万か4万の兵隊が戻ってきてますから、もしそういった事があればですね、さっきおっしゃったように、どっからかそういう話が流れているはずですよね」

渡辺
「そりゃあ流れますよ、兵隊さんはね、話しますから」

阿羅
「そうですね」

渡辺
「さーーっと伝わるんですよ、全然伝わらなかった。だから多くの、ていうか全ての日本人が東京裁判であれ出た時に、あっけに取られたんですね」

阿羅
「そうですね。あの東京裁判で松井大将が絞首刑になるんですけど、松井大将が一番初めに南京事件というのを聞いたのはですね、昭和12年の12月のいわゆる『真相はこうだ』というラジオ放送で」

渡辺
「あぁ真相はこうだ」

阿羅
「初めて聞いたって言ってますね。それと第六師団の師団長だった谷 寿夫(たに ひさお)中将が、これは南京に連れて行かれてあの処刑されるんですけど」

渡辺
「処刑されましたね」

阿羅
「あの谷中将が始めて南京事件という言葉を聞いたのも、その20年の12月の新聞に、『太平洋戦史』っていうGHQ編集のですね、アメリカの戦史が載ったわけです。アメリカから見た。そこで初めて南京事件という言葉を知ったと谷中将もおっしゃってます」

渡辺
「あのね、派遣軍の総司令官やですね、攻め込んだ総司令官がですね、知らなかった話なんですよ。何年間もね」

阿羅
「そうですね」

渡辺
「10年間近く知らなかったんですよ。そんな事はね、ま、おかしいんですよ。
ただ多分あの頃のね、日本人が多少信ずる気になりましたのはね、アメリカとの戦いのミッドウェー海戦後ね、インチキ発表が多かったんですな」

阿羅
「(頷く)大本営発表で」

渡辺
「大本営発表の嘘がこうだ~と言われるとね、こう、南京が加わるとね、あの時代の日本の発表が嘘のように思われてたんですね」

阿羅
「そうですね」

渡辺
「しかしあの頃の発表は嘘じゃないんですね」

阿羅
「そうですね」

渡辺
「非常に正確なんですね。いやーその、それを、一つ一つ掘り起こすのは大変だったでしょうね」

阿羅
「でも、だって、皆さんご存知だと思うんですけども、中華民国の宣伝だと、いう事が色んな分野から証明されてきてましたね。それで元々はまぁ、国民党の宣伝部、という所がやったんですけど、これは単に一つの党の宣伝部じゃなくて、あの当時の中華民国っていうのは国民党の独裁ですからね」

渡辺
「なるほど」

阿羅
「そこの宣伝部っていうのは、ま、日本で言えば宣伝大臣のような、そういうセクションの方ですから、その日本でいう宣伝省が、もう省をあげてやったという、そういう宣伝だったんです」

渡辺
「国策ですからね」

阿羅
「そうですね」

渡辺
「国策うそつき機関ですね。僕はね、これは阿羅さんがよく指摘して下さったと思うんですが、それをね、当時のチャイニーズが言うんならね、まぁ割引して聞きますけどね、黒幕はアメリカとかイギリス人を使ったんですね」

阿羅
「そうですね、宣伝するものもですね、今回私、この本の中に書いてるんですけども、あのイギリスのティンパリーという記者が、元々上海にいたんですけど」

渡辺
「彼は元々、オーストラリア生まれでしたね」

阿羅
「そうですね、ま、ですから国籍は、オーストラリアですかね、それで」

渡辺
「うん、戦前のね、我々知っている人間からしますとですね、オーストラリアというのは反日の塊なんですね」

阿羅
「そうですね、戦前はそうですね。あの戦後しばらくは、20年代いっぱいまでは」

渡辺
白豪主義というやつでね、非常に有色人種を嫌ったんですね」
※白豪主義(はくごうしゅぎ 英 : White Australia policy)オーストラリアにおける白人最優先主義とそれにもとづく非白人への排除政策。狭義では1901年の移住制限法制定から1973年移民法までの政策方針を指す。広義では、先住民族アボリジニやタスマニア州のオーストラロイド系住民やカナカ人などのメラネシア系先住民[1]への迫害や隔離など、オーストラリアにおける人種差別主義の歴史全般を指す。
阿羅
「それで彼が南京攻略から3週間ぐらしか経ってない頃に、観光に行くんですよ。それで国民党の宣伝と」

渡辺
「南京にいたわけじゃないんですね?」

阿羅
「いたわけじゃないんです。南京は知らないんです。それで上海から観光に行って、そこで国民党の宣伝部と、南京の宣伝の打ち合わせをするわけです」

渡辺
「なるほど」

阿羅
「それで、これまではその事は分かったはいたんですけども、ま、この新しい本の中に書いてある事は、その時ですね、蒋介石ともティンパリーは会っていたんです」

渡辺
「会ってるんですか。それハンカオまで行ったわけですかね」

阿羅
「そうです。当時はハンカオが中華民国の首都のような地位にありましたから」

渡辺
「イギリスのいる先でしたかね」

阿羅
「そうですね、ですから最高指導者の蒋介石以下、宣伝部やなにやら殆どハンカオにあったんですけど、そのティンパリーがそこに行って、国民党の宣伝部と打ち合わせをした上に、蒋介石とも会っていたと」

渡辺
「なるほど」

阿羅
「ですから、単に一つの宣伝省だけじゃなくて、中華民国全体が、南京虐殺の宣伝に取り掛かっていたと、そういう事が言えると思うんですね」

$桜日和-5
渡辺
「たっぷり執筆量なんかもあったんでしょうな(笑)」

阿羅
「ははは、よく分からないですね」

阿羅
「それであの、おっしゃってた中華民国だけじゃなくてですね、欧米の記者達がですね、やっぱり、すごく関わっているわけですね」

渡部
「そうですそうです」

阿羅
「やっぱり我々はですね、欧米の貴社は日本側でも無いし中国側でも無いし、第三国人の、中立的な、そんなに偏ってない報道してた、と思われているんですけど、やっぱりニュークタイムズにいたダーディンとかですね、シカゴデイリーニュースにいたスティールとか、あるいはタイムズのマクドナルドとか、そういう人の記事を見ると、南京の前からすごく反日で、もう親中国で、南京攻略戦の後も、ますます親中国になって、もう殆ど中国の記者と変わらない報道をしているんですよ」

渡部
「そうですね」

阿羅
「ですから南京だけが、正しい記事とは言えないんです」

渡部
「言えないでしょうね。それでもね、日本ではそれを信じる人がいましてね、昔、僕は12チャンネルでね、あのまぁこういう対談放送をした時に、南京事件なんて無いなんて事を言いましたらですね、日本人の人がですね、わざわざシカゴトリビューンかなんかかな、虐殺があったなんていう記事を送ってよこしたんです。ま、虐殺があったとってもあの頃は2、3万の話ですけどね。それもやはりスティールのインチキ記事ですよね」

阿羅
「そうですね。そこから引用されて、どんどんどんどんあちこちあちこち転載されたと思うんですけどね。スティール自体が日本に対して元々距離があったので」

渡部
「ダーディンなんかも大変悪質だったんですね」

阿羅
そうですね、やはり南京の記事を一番書いたのはダーディンなんですけど、やっぱりダーディンにしてもですね、例えばあの、南京攻略戦から3ヵ月後、4ヵ月後に有名な『台子荘(だいじそう)の戦い』ってのがあるわけです」

渡部
「あぁ台子荘の戦い」
※渡部が台子荘の漢字を説明

渡部
「あのね、僕、台子荘の戦いってよく覚えているんですよ。当時、子供でしたがね、あれ講談社の絵本だったと思いますが、ちゃんと絵にね、日本軍が大群で戦っている絵があるんですよ。だから僕は台子荘の戦いというと、あ、あの絵の話がと分かると」

阿羅
「あぁなるほど。結局あの、大群のいた中国の中にですね、日本の最先端部隊が進んだんですね」

渡部
「突出したんですね」

阿羅
「そうですね、突出したんです。で、大群に囲まれて、基本的に日本軍が攻めて攻めて攻めきったんですけど、常に中国の大群が来るんで、意識的に戦略的に撤退したんです。その時、日本軍が数百人、中国軍がその十倍くらいと言われているんですけど、ダーディンはですね、その戦いを日本軍は全滅したと書いてるんです」

渡部
「うーーん」

阿羅
「それで一万人ぐらいの捕虜が出たと」

渡部
「あーー」

阿羅
「それで一万人ぐらいの日本軍が殲滅されたと。こういう報道をですね、南京攻略戦から4ヶ月もしてるんです」

渡部
「これがあの、世界に伝わるわけですね」

阿羅
「そうです」

渡部
「ニューヨークタイムズでしょ?」

阿羅
「ニューヨークタイムズです」

$桜日和

渡部
ニューヨークタイムズってのはね、最近もよくインチキ記事流しますけどね、昔は本当に反日に凝り固まったインチキ記事を流していたわけです

阿羅
「あぁそうですね」

渡部
「これを我々はね、ニューヨークタイムズという権威を信用してはいかんのですね」

阿羅
「そうですね」

渡部
当時のアメリカ、特に白人はですね、日本が白人と対等の国である事をどれぐらい憎んだか、今の人は分からないんです

阿羅
「そうですね」

渡部
「アメリカというのは人種差別で成り立った国でしょう。
インディアンと自分たちが平等といったら、国が崩れますよね。それから黒人と平等といったら産業が成り立たないとか。
ですから人種差別が無ければ、自分たちの国が成り立たないというものすごく強い観念を、当時のアメリカ人は持っていたわけですよ。
なのに日本だけはロシアには勝つしね、白人と平等みたいな会議には出てくるし、憎くて憎くて堪らないというね、動機が私はあったと、人種差別的に。
だから大陸で戦った時は、嘘でもデマでも何書いても正義だという感じだったんではないかなと感じますね」

阿羅
「ですからアメリカの中に、日本を蔑視する雰囲気があって、ですからダーディンとかスティールはそういう記事を書けたんだと思いますよ」

渡部
「そうですね」

阿羅
「許される土壌があって」

渡部
「土壌があったと思いますね。歓迎される」

阿羅
「そうですそうです。ですからアメリカ自体が厳選中立でですね、そういう虚報を拒絶するような体質だったらですね、そういう記事というのは掲載されないし、彼らも書く気にはならなかったと思いますね」

渡部
「ノーチェックが効いたと思うんですよね。それから悪意が無くても間違うというのはね、日本海会戦の時、日本がバルティク艦隊全滅させたわけだけども、始めのうちはなんか、そういう風に伝わらなかったみたいですね。信じがたいという事で」

阿羅
「そうですね」

渡部
「それが後で訂正されるわけですけど、ダーディンの記事なんかは訂正されないわけでしょ?」

阿羅
「もう全然訂正されずに。それで戦略的に撤退してですね、あの2週間後には日本軍が全面的に攻めて、中国が逃げていきますね、その段階で、あ、あれは戦略的な撤退だと分かってもその虚報は訂正されませんでした」

渡部
「そうですよね」

阿羅
「ですから今でも中国の教科書には、台子荘で大勝したと、今でも中国の教科書に書いてあるんですよ」

渡部
「あぁ、それはなんとか向こうにね、当時のダーディンとかニューヨークタイムズの記事が全然デマ記事のインチキであった事をなんとか、知らせなきゃねぇ」

阿羅
「そうですね。それでそれだけじゃなくて、2月後にですね、黄河が決壊するんですよ」

渡部
「それも私はね、ちゃんと絵本で見ています(笑)」

阿羅
「そうですか、それで中国が何十万人、いわゆる田畑、家屋を失って、その黄河の水が溢れて、それをやっぱりダーディンとかスティールは、日本軍が決壊させたとこういう風に報道しているんです」

渡部
「うーん」

阿羅
「それは蒋介石がね、日本軍を抑える為に」

渡部
「確かね、子供の時の記憶だからちょっと不正確かもしれませんがね、(聞き取り不可)を守る為じゃなかったですかね?」

阿羅
「そうですそうです」

渡部
「あの(聞き取り不可)と人馬は進む、(聞き取り不可)という歌がありますけども、あの(聞き取り不可)を落とされると困るので、黄河を決壊させて日本軍の進路を止めたと、当時は思いました。それは正しいんですね」

阿羅
「そうですそうです」

渡部
「当時の報道は正しかったんですね」

阿羅
「そうですね。ですからそういうのを、ダーディンやスティール、マクドナルドっていうのは常に、日本が悪い事をした、日本が負けた、という流れの中で報道していたと、私はこの本の中ではっきりさせています」

渡部
「ああいいですね」


(2)につづく

黄河決壊事件
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