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2008年1月2日up

$桜日和

$桜日和
渡辺「関岡さん、こんにちは」

関岡
「こんにちは」

$桜日和
渡辺
「ええと関岡さんは2年前ぐらい、文春新書(ぶんしゅんしんしょ)から『拒否出来ない日本』という本をお書きになって、あれはね、あの、物書きたちに深刻な影響を与えましてですね、ま、その政界にも影響力を与えて今日に至ってるようですね。
今回また『奪われる日本』って更に分かりやすい形でね、あの非常にインパクトのある本をお書きになりました。ま、全部一息で読みましたよ、面白くてね。
あの、赤線だらけですが。驚いたのはですね、毎年毎年、アメリカから『年次計画書』みたいなのが来ると。あの、それが非常に重要でそれに従って日本の政治が進んでいるのに、新聞が報じなかったという事ですねぇ。どうしてそういうのにお気づきになったか、その辺の個人的な体験をお話していただきたいですね」

関岡
「はい、ほんとに今日はどうもお招きいただきまして本当にありがとうございます。
今、過分にご紹介頂いて恐縮している所なんですけども、まぁ今、ご紹介いただいた『拒否できない日本』という本を2年前に出した時はですね、私は初めからこういう本を書こうとかですね、出版社からこういう本を書けという依頼を受けて原稿を書いたわけでは無いんですね。まぁあの、サラリーマンを14年ほどやっておりまして、辞めた後に、まぁちょっと学歴からリストラしようと思いまして、建築士の資格を取ろうと思って学校に入りなおしたんですね」

渡辺
「どういう風なサラリーマンだったんですか?」

関岡
「あ、私は銀行員を14年ほど」

渡辺
「どこの銀行?」

関岡
「あ、今は三菱東京UFJとか長い名前になっておりますが、元々東京銀行という所に入っておりました」

渡辺
「東京銀行っていうのはね、戦前の英語でね、スペシャルバンクと言っていたんですよ」

関岡
「ええ、はい。横浜正金銀行なんて風に」

渡辺
「非常にスペシャルだったんですね」

関岡
「あの、政府系で、外国為替というんでしょうか、円とドルの取り扱いを認められたただ一つの銀行だったんですね、はい。
で、そこで普通のサラリーマン生活送っていたんですけども、36歳の時にですね、ちょっと思う所ありまして、ま、僕は文系のサラリーマンはもう駄目じゃないかと思ったんですね。
それで職人さんに憧れてですね、まぁ何か資格を取ろうと。
という事で、たまたま建築の専門学校に入ったんですが、色々な経緯があって、大学院に、やはり建築勉強で入ったんですけども、そこで論文を書いている時にですね、この問題の根っこと申しますか、発端に偶然行き当たったというのが正直な所なんですね、はい。
ですから元々日米関係ですとか、外交について詳しいわけでも無いですし、関心があるわけでもない。ごく普通のサラリーマンだったんですけども」

渡辺
「それは、これは!という感覚はすごいですね」

関岡
「いやいや、それは本当にもう随分苦労して、、七転八倒しながらですね、資料集めて、読んでいくうちにですね、どうもこれはおかしいなと思い始めたのがほんとの始まりなんですね」

渡辺
「年次計画書というのは、案外、関岡さんが発見するまで、説明もされないし、知る人も少なかったんで、ちょっと説明していただけますか?」

関岡
「まぁあの、私が気がつきましたきっかけというのはですね、実は今年の前半かなり話題になりました、あの『建築基準法』の話なんですね。姉歯ショックというのがございまして、マンションの耐震強度偽装していたと。
で、どうもそのきっかけの一つがですね、1998年に行われた、建築基準法の改正だったと指摘する声があるわけですね。で、98年というのが私がちょうど建築の勉強を始めた頃でして、まぁ大きな出来事です。建築の世界では憲法改正に等しいような、始めての大改正でしたので」

渡辺
「あれは民間が建築の調査をするという事で」

関岡
「ええ、それも含めてですね。かなり根本原則から変わってしまったんですけども、たまたまその建築の勉強している時に、そういう時期にあったものですから、建築基準法をテーマに論文を書こうと思いまして、その法改正の背景を調べていたんですね。そうしますと、検討が始まったのが1995年の秋だったんですね」

渡辺
「その頃の内閣は・・」

関岡
「その頃の内閣というとー、95年というと、橋本内閣じゃないかと思いますね」

渡辺
「宮沢さんは関係ない?」

関岡
「宮沢さんは93年ですね」

渡辺
「そうすると宮沢さんが終わった後?」

関岡
「終わった後です、はい。で95年といいますと、1月に阪神淡路大震災がございましたですね。ですからその地震の教訓からですね、恐らくその耐震強度だとか、建築の基準というものが厳しくなったんじゃないかと、まぁそういう風に直感的に思いまして、調べ始めたんですね。ところがどこをどう調べても、建築基準が厳しくなったんでは無くて、緩和されてるんですね

渡辺
「なるほどね」

関岡
「はい、先ほど先生がご指摘になった今までの建築の確認業務というのが官しか出来なかったんですけど民間に開放されるとかですね、まぁ建築の建て方についても色々と緩和されてるんです。で、これはあの、阪神淡路大震災がもしきっかけとして法律が見直されたならおかしいなと、逆じゃないかと素朴に疑問を持って調べ始めたんですね」

渡辺
「あぁそれはいい疑問でしたね」

関岡
「その頃はまだ、アメリカが関係あるとかですね、夢にも思ってなかったんですけども、色々調べていきますとですね、建築基準法の背景にですね、何年も前からですね、アメリカと日本の間で交渉がありまして、アメリカはその、木材の輸出大国なんですね」

渡辺
「あぁそうなの」

関岡
「はい、かなり輸出しておりまして、えー、それをもっと増やしたいと。
その上で、日本の建築基準法が大変厳しいものですから、これを緩和してくれないかという話し合いがですね、実は阪神淡路大震災が始まる前から続いていたんです
で、あの日本の木造建築というのはですね、これは法隆寺に始まってですね、日本書紀の中にも飛騨の匠なんてのもありまして、素晴らしい建築技術なんですね」

渡辺
「世界にその冠たるものですね」

関岡
「全くその通りでございまして、法隆寺は世界最古の木造建築という事で、世界遺産に登録されているわけです」

渡辺
「しかも地震のある国で残っているわけですから」

$桜日和
関岡
「そうです、一度も倒れた事が無いわけですから、どうやってそれだけの技術を編み出したのか、これは正に日本人の資質の優秀性をね、象徴していると思うんですが。
日本は、大変雨の多い所ですよね。
ですから、釘や金具を使いますとですね、そこから錆びてきまして、どうしても強度が弱くなってしまうんです。
ですから日本の伝統的な木工技術というのはですね、例えば梁と柱の接合部分というのは、絶対釘を使わないんですね。
で、大工さん達がノミとカンナで非常に複雑な立体パズルみたいなものを作りまして、で、一度嵌めるとお互いかみ合って絶対外れないと。
こういうものすごく高度な技術を要するものなんですね。
ですからやはり日本の風土とか、歴史が育んできた、非常に優れた文化の一つだと思うんですね。
で片やアメリカではですね、西部開拓時代にどんどん幌馬車で奥地に入っていって、その辺に生えている木を切り倒してですね、自分で家を建てなきゃいけなかったと」

渡辺
「まぁログハウスから始まるわけですね」

関岡
「そうですね。周りに熟練した大工さんもいないですから、開拓民が自分で家を建てなきゃいけなかったわけですね。
そこから生まれてきたのが、例えば2×4(ツーバイフォー)といってですね、釘をどんどん打ち付けて、ま、素人でも簡単に建てられるという。
私はこれはこれで優れた文化だと思うんです。
アメリカの風土や歴史が生み出してきた、アメリカ独自の建築文化だと思うんですね。
ですから、これをお互いに尊重し合うという事であれば良かったんですが、アメリカの木材の輸出業者がですね、日本に住宅用の建材を輸出したいと言った時にですね、アメリカ流の建築技術ですとか、建築の建て方を、そのまま日本に持って行きたいと。
まぁこういう発想だったわけです」

渡辺
「そうすると、アメリカの建て方だと当時の建築基準法では許可ならないと?」

関岡
「限界が。ツーバイフォーなんかはもう入ってはいたんですけども、もっと市場を拡大する為には、厳しすぎると。ですからそこを緩和してくれという事で。
もちろんアメリカは日本の木工技術を否定していたわけでは無いんですけども、そうして規制を緩和していった結果ですね、やはり大工さんの技能がだんだん落ちていってしまってですね」

渡辺
「それはそうですよね」

関岡
「はい、まぁ日本の建築文化衰退の一つのきっかけになったのは、間違い無いんじゃないかなと思うわけなんですが。
まぁそれはさておき、私は元々、阪神淡路大震災がきっかけになって始まったと思い込んでいた、建築基準法の改正の背景にはですね、実は日米交渉がもっと前からあって、で、アメリカの要求をかなり入れた形で、建築基準法が改正されたという事に、まぁ偶然、論文執筆の過程で気づいたんです」

渡辺
「阪神淡路で改正になるなら、厳格になるのかと思いきや、もっとルーズ、緩やかになって、これはおかしいなと」

関岡
「はい、そうしたらそれがアメリカからの要求が背後にあったという事ですね。
で、それがあの色々な書類を調べている時にですね、要望書という言葉がしょっちゅう出てくるんですね。
アメリカ側の議会に対する報告書の中に、アメリカ政府が日本政府に出した要望書の中に、こういう事が実現したとか、という事が書いているわけです。
要望書というのはなんだろうと、インターネットを使って調べていたんです。
そしたら以外と簡単に見つかりまして、日本にあるアメリカ大使館が日本語でHPを開設しているんですけども、そこで、要望書というものが出てきまして」

渡辺
「日本語で出ているんですか?」

関岡
「日本語で出ているんですね」

渡辺
「はぁー」

$桜日和

$桜日和
関岡
「今日は一部現物を持って参ったんですけども。これは少し古いもので、2002年の10月のものなんですけども、あの大きなタイトルは規制改革要望書と書いてあるんですけども、ほんとは英文のタイトルが正式ですので、”アニマル リフォーム リコメンデーションズ”と。
つまり、リフォームが改革ですね、リコメンデーションズが勧告とか推奨とか。
で、アニマルと入ってますので、これは年次と。小さい方のタイトルには、”日本政府への米国政府の年次改革要望書”と入っておりますので、私はいつも年次改革要望書と略称するようにしております」

渡辺
「あぁいいですね。やはり年次がつかないといけないですね」

関岡
「そうですね。これは定期的に出ていて、恒例化していると、定例化しているという事がですね、重要なポイントだと思いますので、年次というのはいつも強調しているんですけども。
ま、こちらに合衆国の国璽(こくじ)が刻印されておりまして、一番下に仮訳と書いております。これはあの、あくまで合衆国政府の公式文書ですので、英語版が正式ですよと。
日本語版はあくまで仮のものですよという事で、仮訳と書いてあるんですが、これを翻訳しているのはどちらかというと、日本にある米国大使館の、これは広報文化交流部という所ですね。ですからあくまでも、米国政府の公式文書なんです。
でこれをインターネットで偶然見つけまして、読んでみますと、まさに建築基準法を改正してくれとかですね、そういった事が書かれていて大変驚いたわけなんですね」


(2)につづく
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