ブログ・ザ・不易流行

自分のための言葉を見つける旅


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 和田秀樹氏が、本の中で面白いことをおっしゃっていた。英会話において大事なのは、実は文法力・単語力・発音の正確さといったことよりも、対話相手に話を聞きたいと思ってもらえるかどうかだというのだ。
 つまり、いかにうまく話すかといった英語自体の堪能さよりも、話している本人の話、もしくは本人自身が、相手にとって魅力的かどうかのほうが問題だという。確かに我々も、興味のある話であれば、少々聞き取りにくくても、理解しようと真剣に耳を傾けるし、もし解らなければ、もう一度言ってくれと求めたりもするであろう。
 反対に興味のない話であれば、いかに聞き取りやすかったとしても、ついつい上の空になってしまうこともある。要するに、英会話において達者になるためには、語学力をつけるだけではだめで、内容のある話のできる人間にならなければならないということだ。
 
 同様のことは、渡部昇一氏も述べておられる。世間では、「教養のある英語」なるものを身につけさせることが求められていると聞くが、それは、教え方の問題ではなくて、高い志を持って継続的に勉強し続けているような「教養のある教師」が教えれば、それが教養のある英語の授業として成立するのだという。
 
  渡部氏はまた『知的生活の方法』の中で、恩師とめぐり会えた経験を次のように語っておられる。少し長くなるが引用しよう。
 
 もう故人になられた佐藤順太先生は、戦時中は隠棲しておられたのだが、敗戦とともに英語の教師の需要が増えたため、老軀をいとわずに、再び教壇に立たれたのであった。先生は英語の教師であられたが、(中略)私は第一回目の授業から先生に魅了されてしまったのである。
 還暦を超えた老教師が初歩の英語の教科書を教えるのだから、別にドラマティックなことは何もないはずなのである。しかし私は何やら無意識にずっと求めてきた師にめぐり会ったという直感がした。その後、先生から二年半以上クラスで教えていただき、ご自宅にもお伺いするようになってから、私の直感が正しいことがわかったし、私が何を求めていたかも明らかになった。
 それはひとくちに言って、本当に知的生活をしている人にめぐり会った、ということなのであった。先生の隠居所は広い建物ではなかったが、天井まで和漢洋の本が積んであった。英語の先生だから、英語の本があるのは当然である。漢文の古典と日本の古典は和本である。しかも積んであるだけではなく、先生はそれを読んでおられたのだ。そのような人がいることは、本では読んだことがあったが、実物を見たのは初めてであった。
 
 1976年以来刊行され続けているこの本は、講談社現代新書のベストセラーであり、私の愛読書でもあるが、この箇所は私の好きなくだりである。というのも、後に名のある知識人の一人として数えられるようになった渡部氏の、志のある紅顔の若者であった時代が彷彿としてくるからである。
 さらに、教育現場に身を置いている私は、このような幸福な師弟関係を素直にうらやましく感じるし、できればあやかりたいような気にもなる。
 
 私は、国語の教師なので、やはり中学時代ぐらいから国語は得意なほうであったのだが、自分のことを差し置いて、少し傲慢なことを書かせていただくと、4月の最初の授業ですでに、その1年間の担当の国語の先生が、「いい先生」かどうかはだいたいわかってしまったような気がする。
 もちろん自分にとっての「いい先生」という意味で、他の人にとってはどうであったのかはわからないが、最初の授業でピンとこなければ、その先生の授業は年間を通じて、どうも「面白くない」、つまりあまりインスパイア(啓発)されるものがなかったのである。反対に、渡部氏ほどではないが、自分に大きな影響を与える恩師との邂逅といったことも、たいていは最初の段階での予感が的中したように思う。
 
  最近の教育論などにおいては、どうも指導方法とか学習方法の方にばかり議論の重点が置かれているような気がするが、思うに「どのように教えるのか」という方法論よりも、実は「誰が教えるのか」ということのほうが重要なのだ。
 ただそれは本当のことすぎて、それで済ませてしまうと、身も蓋もないことになるので、困ってしまうのである。そのように言ってしまうと、すでに教師という職業に就いた者が、どのようにうまくやっていくかという問題に答えたことにならないからである。
 
  そこで、現役教師の「教員の質の向上」といったことが謳われるのであるが、確かに研修制度の充実なども、効果がないとはいえないだろう。
 けれども、一番効果的な方法は、優秀な教師を現場にどんどん採用していくことである。そして、優秀な人材を教育界に集めるのに最も有効な方法の一つは、教師の給料を上げることではあるまいか。
 
 少し古い話になるが、もともと我が国の教員の賃金は、他にアルバイトをしなければならないほど、低いものであった。
 それが、田中角栄内閣において、1974年に「人材確保法」が制定されてから、小・中学校教育職において約25%もの給与改善がなされ、一般公務員よりも高い水準に引き上げられた。それ以来、我が国で小・中学校の教師が不足するようなことはなくなったとされている。
 そういえば、私の中学校の時の先生は「田中角栄は、ロッキード事件などで逮捕されたこともあったけど、実は立派な政治家だった」とおっしゃっていた。その言葉の背景には、実はこのようなことも含まれていたのであろうか(笑)。
 
 田中角栄の、「教員の給料を上げれば、給料が安いということで他の領域に流れがちな優秀な人たちが、どんどん教員になろうとするだろう」という考え方は、正論である。言い換えれば、教師を収入の面でも「憧れの仕事」にして、優秀な人材を確保してしまおうということである。
 やたらに大学教育の高度化や教員研修の必要性を語るだけのおぼっちゃま政治家などとは一線を画する、世間の修羅場をくぐってきた角栄のリアリズムには、かなりの説得力がある。
 
 私は、だから教員の給料を上げるべきだ、という短絡的なことが言いたいのではない(ちょっとは言いたいのだが(笑))。方法論に溢れすぎた昨今の風潮の中で、あたりまえの前提をもう一度再確認しておこうと思っただけである。
 だが、将来給料が上がって、優秀な先生がどんどん採用されたときに慌てないためには、私自身の「質」の向上が喫緊の課題のようである。
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