ブログ・ザ・不易流行

自分のための言葉を見つける旅


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 卒業式シーズンである。私は高3の担当をしているので、実は他人事のようにあれやこれやと述べる資格はあまりない。しかしながら、「卒業」という言葉で真っ先に思い浮かべるのは、「仰げば尊し」や「蛍の光」、もしくは厳かで感動的な式典といったものではなくて、ダスティン・ホフマンが主役を演じた『卒業(The Graduate)』という映画なのである。


  これは1967年にアメリカで制作された青春映画で、テーマ曲は、かの有名なサイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」。この曲が醸し出している清冽なイメージとは裏腹に、ストーリーはかなりどろどろしている。ここで若い世代のためにおさらいしておこう。


  大学陸上部の花形であった主人公ベンジャミンという若者は、卒業を機に帰郷する。そして、友人親戚一同が集った卒業記念パーティーで、父親の職業上のパートナーであるミスター・ロビンソンの妻であり、幼なじみエレーンの母であるミセス・ロビンソンと再会する。パーティー後ミセス・ロビンソンを送ったベンジャミンは、彼女から思わぬ誘惑を受ける。一度は拒んだベンジャミンだったが、夜ごとに彼女と逢瀬を重ねるはめになってしまう。


 大学進学を控えた若い身の上でありながら誤った道に迷い込んでしまっているという、彼の虚無感は晴れない。落ち込んでいる彼のことを心配した両親は、同時期に帰郷した幼なじみのエレーンをデートに誘うよう勧める。仕方なしに彼は、一度きりのデートでわざと彼女に嫌われようとするのだが、逆にエレーンの一途さに打たれ、二度目のデートを約束してしまう。だが二度目のデートの当日、約束の場所に来たのはミセス・ロビンソンであった。ミセス・ロビンソンはベンジャミンにエレーンと別れるように迫り、別れないなら彼と交わした情事をエレーンに暴露すると脅す。とうとうベンジャミンはエレーンに彼女の母親と不倫していることを告白する。ショックを受けたエレーンは、ちゃんと話も聞かずに、ベンジャミンを追い出す。

 

 エレーンを忘れられなくなったベンジャミンは、彼女の住む街にアパートを借り、大学に押しかけ、エレーンを追いかける。エレーンの心は揺れ、結婚しようという彼の言葉を受け入れかけたものの、すでに彼女は他の男と結婚するために退学していた。

 

 その後、どうにか彼女の結婚が執り行われている教会まで駆けつけたベンジャミンは、エレーンと新郎が今まさに誓いの口づけをした場面で彼女の名を叫ぶ。「エレーン、エレーン」。ベンジャミンへの愛に気づく彼女はそれに答える。「ベーン」。ベンジャミンを阻止しようとするミスター・ロビンソンや悪態をつくミセス・ロビンソンを置き去りにして、二人は手に手を取って式場の教会を飛び出し、どこかへと旅立っていく。

 

 この映画は、やはりなんと言っても最後の花嫁強奪のシーンがかっこいいのだが、いったい何人の若い男が、自分がダスティン・ホフマンのようなイケメンでもないことを忘れて、彼のような振る舞いを一度はしてみたいものだと憧れたことであろうか。私もその一人でなかったとは言わない(笑)。

 

 私はこの映画のリバイバルを、大学時代にダサい者同士の、男の友人と観に行ったのだが、観終わってから彼が真顔で言うには、あの男女は確かにカッコはよかったが、あのように一時の激情に駆られて厳粛な結婚式を破壊して、その後の保障はどうするんだろう。結婚するはずだった花婿をはじめ、両親や親戚などにどうやって申し開きをするつもりなんだろうというようなことであった。私はその時、こうした感動的な恋愛映画の後で、それに水をさすようなことを言うなんてなんて面白みのないやつだと、半ば軽蔑するような気持ちで聞いていた。「将来の夢は孫の顔を見ること」だと公言して憚らなかった彼は、その後見合い結婚をして、円満な家庭生活を送っているようだ。おそらくベンジャミンのような恋愛体質の男は、その後最愛の人であったはずのエレーンとも別れて(たぶん浮気が原因?)、平穏な中年以降を迎えていないであろう。そういった意味では、映画の後私の友人のつぶやいたセリフは、至極まっとうな意見であったとも言える。

 

 ところで、この映画がなぜ『卒業』という題名であるのかは、観る者それぞれが納得するように解釈するしかないのであろうが、単に学校を卒業したという意味ではもちろんなくて、上の者からさまざまなものごとを与えられるだけの、お仕着せの時代からの「卒業」とでもいった意味合いなのであろう。ベンジャミンにとっては、大人たちの支配から脱して、主体的で自立した男になるプロセスが恋愛であったのだ。

 

 この「支配からの卒業」という言葉からは、ある年齢以上の人たちならば、真っ先に尾崎豊の『卒業』という曲を思い浮かべるだろう。尾崎豊の歌詞の真似をしようと思ったら、夜の校舎のガラスを叩き割らなければならないが(笑)、最近はそうした、「大人はわかってくれない」というモードの「つっぱり」という言葉ももはや死語になってしまった。思うに「大人はわかってくれない」という反抗心は、実はまだ見込みがある。そこには「わかり合いたい」という純粋な気持ちが感じられるからだ。表だって反抗はしないけど要領良くやっている面従腹背的なやつのほうが、実は怖い。
 

 最後に私は、松田聖子の名曲『制服』を紹介しておきたい。『赤いスイートピー』のB面で(このB面という言葉もいまや使われなくなった)である。好きな男の子に思いを伝えないまま卒業してしまう女の子の気持ちを歌った曲だが、卒業式というのは、「支配からの自立」とか、そんな大げさなものではなくて、やはりそうした、他人にとってはささやかなことかもしれないがやはり私にとっては別れがつらい、といったものであろう。

 

 「卒業」という言葉からくる連想が高校生のわからないようなものになってしまったが、ご容赦願いたい。生徒諸君にとってこの度の「卒業」が、単なる卒業式という行事のことではなくて、真に実り豊かな本来の意味での卒業であることを祈念して、祝辞を述べたい。卒業おめでとう。

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