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自分のための言葉を見つける旅


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  手許に一冊の本がある。高岡修編『新編 知覧特別攻撃隊』という小冊子で、以前鹿児島にある「知覧特攻平和会館」に行った時に買ってきたものだ。第二次世界大戦末期の沖縄戦において、爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たり攻撃をして亡くなった陸軍特別攻撃隊員の写真や遺書、遺詠、日記などが収録されている。「特攻」というのは、必沈を期し空母に体当たりするという、世界戦史に類のない攻撃法である。
 
  実はこの小冊子は私がここ数年で手に入れた本の中でもベスト3に入るほどであり、おおげさではなく「家宝(?)」にしたいくらいなのであるが、この本の表紙を飾っているのが、「子犬を抱く少年兵」の写真である。出撃前の5人の若者が笑顔で写っている。そして中央の若者が子犬を抱いている。結構有名な写真のようで、ネットで検索すれば見ることができる。ワシモ(WaShimo)(本名:下土橋 渡(Shimotsuchibashi Wataru)氏がHPに載せておられるのがオススメである。
 
  よく知られているように、知覧飛行場に集結した特攻隊員の多くは17歳から20代前半の若者たちであった。ほとんどの隊員たちは知覧基地に到着して4~5日間をここのみすぼらしい兵舎で過ごし、出撃していった。そこで隊員たちは出発を待ちながら、友と談笑し、自らの遺品を整理したり、遺書を書いたりしたのである。
 
  この写真には、1945年5月26日、2時間後には出撃して命の終焉を迎えようとする若者たち5人が写っている。彼らは午後4時の発進を待っていた。そのうちの一人荒木伍長が動き回る一匹の子犬を見つけたのは午後2時頃だったという。その子犬はまだ生後1ヶ月ほどの雑種で、基地の隊員が拾ってきて餌を与えていたものらしい。犬好きだった荒木伍長はとっさにその子犬を抱き上げた。そこに他の隊員4名がかけつけ、あやしているところを報道カメラマンが撮影したものだという。本書の記述を少し引用してみよう。
  
 報道カメラマンもまたその至上の光景に打たれたから撮影したにちがいありません。結局、彼らの出撃は翌二十七日となり全員が散華するのですが、二時間後には出撃して必死の体当たりをしようとする若者たちが小さな命をいたわるその純真さと微笑は、これからもこの写真を見る全ての人たちに多くのことを語りつづけるにちがいありません。
 
  私もこの写真を見るにつけ、さまざまな思いにとらわれる。それは、尊い命が犠牲になることに対する痛ましさ、というようなものだけではない。特に私がある種の感銘を受けるのは、死を前にした彼らの「平常心」とでも呼ぶべきものだ。我々は、まもなく死に向かうという状況の中で、無邪気に子犬を可愛がり写真に収まることができるものだろうか、という驚きにも似た感慨である。
 
  もちろん彼らとて、表面に表さない心の中では決して平気ではいられなかったはずである。彼らは自分たちのことを「ほがらか隊」と呼んでおり、いつも底抜けに明るく、その朗らかな態度に当地の人たちはみな驚いたという話が残っている。しかし、出撃を前にしたある夜、宴席で、ある者は郷里の家族を思い、ある者は死への恐怖を感じて、泣き出したともいう。だから、ここで「平常心」というのは、そうした闇を抱えながらも立派にすっくと背筋を伸ばし、爽やかに他者を思いやることの出来る精神の謂いである。本書には、そうした隊員たちの心情を象徴するものとして、22歳で散華した枝幹二大尉が遺書の中で書いた詩が引かれている。
  
 あんまり緑が美しい
 今日これから
 死にに行く事すら
 忘れてしまいそうだ。
 真青な空 
 ぽかんと浮かぶ白い雲
 六月の知覧は
 もうセミの声がして
 夏を思わせる。
      作戦命令を待っている間に
   
 詩とは行間を読むものだというが、これほど行間に書かれざる多くのことが充ち満ちている詩も少ないであろう、と編者は述べている。私も同感である。こうした詩を前にすると、芸術性を纏ってレトリックを凝らした、巷のセンチメンタルな詩などはどこかに吹き飛んでしまうのではないか。何のてらいもない独り言のようなこの詩には、脆弱な芸術じみたものなど寄せ付けない、巧拙を超えた迫力がある。もう一つ。
 
 小鳥の声がたのしそう
 「俺もこんどは
 小鳥になるよ」
  日のあたる草の上に
 ねころんで
 杉本がこんなことを云っている
   笑わせるな
 本日一三時三五分
 いよいよ知ランを離陸する
 
  先ほど死を前にしての「平常心」ということを述べたが、普段からよほどの覚悟、精神の修養が出来ていないと、このような心境は得られないであろう。思うに、ここで特攻隊員が見た青空は、生死を超えた「永遠の今」とでもいうべきものにつながっているような気がする。我々はたとえ数時間後に死が迫っているとしても、犬を可愛がり、夏の青空や小鳥の声に感動できるのだ。理屈めくが、そもそも本来我々には、過去も未来もなく、一瞬一瞬の現在しか存在しない。過去も未来も今現在に想起することによってしか存在していないのである。
 
  こうした遺書を前にする時、私は、かつて日本に存在した「特攻隊」というものに対して、「尊い命が犠牲になって可哀想」といった単なるお涙頂戴的な理解では片付けられないものを感じる。彼らは、ここに載せられている遺書を読む限り、特攻隊員として命を捧げて祖国を守り、やがては靖国神社の英霊となることに、心底からの使命感を持っていた。そして、特攻隊員として散華できることに栄誉と喜びを感じていた。もちろん彼らとて、死ぬことが怖くないはずはないだろう。だからそれは、死ぬのが嬉しい、といったことではなく、倫理的な喜びとでもいうべきものであった。
 
  ここで、女子勤労奉仕隊員として、特攻隊員を支えた前田笙子さんの記録を引きたい。前田さんは、当時知覧高等女学校の3年生(15歳)であった。彼女は炊事、洗濯、縫い物、掃除などでかいがいしく隊員の世話をしていたが、次に引くのは、ある日の隊員とのお別れ会の様子のくだりである。
 
  「空から轟沈」のうたを唄う。ありったけの声でうたったつもりだったが何故か声がつまって涙が溢れ出てきた。森さんと、「出ましょう」といって兵舎の外で思う存分泣いた。私達の涙は決して未練の涙ではなかったのです。明日は敵艦もろともなくなられる身ながら、今夜はにっこり笑って酔い戯れていらっしゃる姿を拝見したとき、ああこれでこそ日本は強いのだとあまりにも嬉しく有り難い涙だったのです。岡安さん、酔って自動車にぶらさがってお礼を言われる。何んと立派な方々ばかりでしょう。森さんとだき合って泣いた。
 
  特攻隊員の大半は、教養もあり、知的に状況を把握できる力もある有為の青年であった。それは残された遺詠が確かな教養に裏打ちされた立派なものであることからもわかる。彼らの中には、「日本は負ける」という判断を下しながらも、自ら進んで命を捧げた者もいた。私は、彼らのことを、「お国のために死ね」という軍国主義的教育によって洗脳された「哀れな犠牲者」として片付けてはいけないと思う。もちろん当時の教育が正しかったとはとうてい言えない。私たちは、常に戦争の悲惨さを思い返さなければならないし、「特攻」などという悲劇を二度と繰り返してはならない。だが、彼らの存在、彼らの行動がそのような卑小なものであったとはどうしても思えない。私はそこに、政治的イデオロギーなどを超えた、なにか崇高なものを感じざるを得ないのである。
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