来年は

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自分の頭の上に、いつロケット弾が打ち落とされるかもしれないという

戦争の恐怖に脅えている人達。


仕事を首にされ、突如収入も住む場所も奪われ、この寒空に放りだされ

不安感や絶望感と戦っている人達。


生きるか死ぬかの瀬戸際で、苦しみながらこの暮れを過ごしている

そんな人達の存在を考えると、仕事であった事がどうのこうの、人間関係でああだこうだ

あれが高いこれが高い、損した得したなんてほざいている事全てが


ああ、ちっちぇーよお。


どーでもいい事じゃん、そんな事。


明日生きていられるかを考えている人の事を思ってみろ。


究極にちっぽけな考え事。


そんな事に時間を費やしてどうする。


自分自身の頭をぶん殴り、渇を入れる。






来年はもっと視野を広げて、心のでっかい人間になる努力をするべき。


さびを磨かにゃ駄目だ。




そんな事を考えながら、この師走を通り過ごそうとしているおねばであります。




今年一年、何不自由なく生きてこれた事に感謝。


そして来年もそうなれるよう、こつこつ地道に頑張るしかないや。




この一年間、お立ち寄りありがとうございました。

例えそれが一人きりの訪問者であったとしても、それはとっても嬉しい事でしたよ。

本当にありがとうございました。




皆様、良いお年をネ。


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天寿

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一昨日祖母が亡くなりました。

早朝血圧が急に下がったと、入所している介護施設から連絡を受けた

私の母とその姉と曾孫がかけ付け、その3人が見守る中一日の午前中に

静かに息を引取ったそうです。

自分がその事を知ったのは、夕方仕事から戻って聞いた

母からの留守電でした。


数えで100歳の祖母ですから、身内はお迎えがそろそろだと

その時の覚悟は出来ていました。

常駐医からも心肺不全がいつ何時でも起こりうると、説明も受けていました。


そしてひと月半前、食事や水をピタリと受け入れなくなってしまった時に

延命処置をどうするか、施設のお世話係りの方からの相談があったのですが

家族としてはなるべく自然な形でお願いしますと、そう意思表示もしていました。


飲んだり食べたりしなくなった事は、具合が悪いとか気分が悪いからとかでは無く

身体が自然な形で死への準備に入ったんだと理解して、高度な医療の存在が

目の前にあったとしても、無理な延命をしない事が本人にとっても1番幸せな事。

身内の意見は皆同じでした。

自分が小さい頃からとても身近な祖母でしたし、思い出も沢山残してくれた祖母ですので

もちろん悲しい気持ちもあります。

でもそれ以上に、健康体のままどこが痛い苦しいも無く、「眠りたい」という自然の欲求と

同じような気持ちで逝った事への、驚きや感慨深さの方が大きかったです。

こんなに安らかで悔いの無い納得出来る死があるんだ。

病死や突然死が当たり前の今、祖母の成し遂げた天寿の全うは、本当にすごすぎます。


長い長い人生という旅に幕を閉じた祖母。

この人がいたから、私たちの存在が今ここにある。

子も孫も曾孫も玄孫も、皆でその事を心から感謝しあい、昨日祖母を天に見送りました。

おばあちゃん。本当にありがとう。どうぞ安らかに!

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命が大切であることは、今まで当たり前だったはずなのに、それが

毎日のように打ち消されている現実。


昨日も今日も、子供が高いところから身を投げて命を落とし、どこかの家の中では

自分の小さな子供に、親が醜い虐待をしている。



「命を大切に」と訴えかけてはいても、では何故大切なのかという理由を

大人は上手く説明出来ていない。

気になってはいても、所詮他人の家の中の事。隣の家の子供の命を

親身になって気遣う必要性も薄れてしまっている。



多くの人たちが、巨大な迷路に迷い込んでしまったようで、本当に

この空気は絶え難い。


そんな中、この理路整然としたコラムは、なかなか分かりやすく

説得力のある文面だった。


自分を失いかけている人は、広い視野を取り戻してもらう事が先決。

生命科学の観点から考えたこの命の尊さは、そういう人たちにとって

かなりの説得力があると思う。

物事をきちんとした道理で考える事は大事だなと、読んでいて妙に納得!





【正論】村上和雄 「いのち」はなぜ尊いのか

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10年後の自分をイメージする

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5年後の自分、10年後の自分。

その未来にいる自分が、どうなっていたいのか。

そしてどうあるべきなのか。

想像した事ありますか。


先々の自分の事をちゃんと考えてイメージし、目標を定めて進んでいこうとする人。

ただ何となく時の流れに身を任せて、何も意識せずに日々を暮らしていく人。

同じ10年間を過ごすのは、そこを意識しながら生きるのと、受身でいるのとでは

やっぱり終着点で何かが違うと思う。



自分は明らかに後者の方。ずっとそう。

はっきりとした将来の夢も無く、目標を持つでも無く、やってくる明日を

毎日ただただこなして生きているだけ。

まさに受身の人生やってるのよね(;´Д`)ノ



思うに目標なんてのは、そんなに大げさに考えなくてもいいものかも。

ささやかでちっちゃな希望であってもいいはずよね。


例えば健康に自信のある自分を目標に決めたなら、10年計画で身体に

いい事を続ければいいし、人とのつながりを大事にしようと決めたなら

10年後に多くの友人に囲まれている自分を想像しながら努力すればいい。

今と同じ生活を持続する。今やっている仕事や商売が、今以上に好きになっている。

趣味を極める。勉強をする。資格を取る。

10年後の自分に向かう為に、その人なりの身の丈の目標は必ず作れるはず。



これって夢と言うよりは、心がけという感じなのかな。

そう言うちょっとした心がけを持つか持たないかでは、10年先の未来の自分は

その目標を持って暮らして行った方が、実り方も輝きの点でも、より良い人間に

なっているに違いない。


だけどね。


それが分かっちゃいるけど、実行出来てないってのが現実よ。

行動が伴っていない理想論でしかない( ̄_ ̄ i)




年を取る度に、時の経ち方が加速している事に気付いちゃう。

1年があっという間に過ぎ、自分が1年間して来た事に意味があるのか

価値はあったのか、自分の為や誰かを助ける為になっていたのか

反省と得体の知れないもやもや感に襲われ、達成感の無さに愕然としてしまう。


こんなんで自分の人生終わっちゃう?

嫌だ嫌だと思っている割には、何の目標も浮かばないし掲げられない。





10年後の自分。

今年中にはイメージ固めよう。 

と言うのがとりあえず今年最終の自分の目標かな。


10年後、ただ年だけ食っただけの錆びたおばはんにはなりたくない。

わんぱくでもいい。たくましく育ちたい。

いくつになってもその気持ちだけはあるもんな。



どうですか?

ちょっとだけイメージして見て下さい。10年後の自分。

いいイメージ沸きましたか(^_^)v



いじめるをやる人間

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大人、子供どちらの世界にも関係なく『いじめる人間』の心理を考えてみた。

その事に触れない限りは、いじめが減る事は無いし、腐った根はいつまで絶っても

蔓延っているままで、抜き去ることは出来ないと思う。

大人の場合、よくあるのが職場での上下関係でのいじめだ。

最近話題になっている「パワハラ」がそのいい例ではないだろうか。


上司が部下を自分の立場をいいことに、仕事に関係の無い事でいびり倒す。

部下を伸ばす事が目的では無く、ただただ自分の鬱憤晴らしという

人の上に立つ人間としてあるまじき行為だ。

その人が辞めてしまおうが、どうでもいい事なのだろう。

自分に痛手がない事を承知でやるのだから、どんどんエスカレートするわけだ。



子供の世界では、同級生であれば上下関係などは無いはずだなのだが

起こったいじめを見ても、弱い者だけ選択するいじめ、容姿や表現力や性格で

少しでも自分より劣っていると見なした場合にいじめは起こっているし

頭脳や運動能力をけなす行為からすれば、やっぱりそこにも人間関係を

支配関係でとらえようとする、大人社会と同じ心理が見え隠れしていると思う。



地位や立場は違っていても、その違いはあくまで役割の違いだけであって

人間としての価値に違いなどは無い。

支配する権利など無いし、侮辱したりどう喝したり出来るはずもないのだ。


人間はみな気持ちの上では、対等でなければならない。

それを前提として人間関係を作れば、相手を同じ一人の人間として尊重出来るし

理解もするし、尊敬も思いやりの精神も生まれてくるものだと思う。



部下へのいじめ、後輩へのいじめ、弱い者いじめ、どのいじめにもそういう精神が

欠けている人間が関わっていたのでは。

支配関係で物事を考える大人たちの中で育った子が、いじめという行為に走るのでは。

そんな気がしてならない。


真の平等とは何かを見つめなおす。

人間はみな対等であるという再認識をする。

そこから皆で改めて出発しなければ、いじめという構図がこの日本から

消え去る事は無いし、嘆き苦しむ人が減ることは無いと思う。



担任もいじめ

テーマ:

「お前がこの笑顔をなくしたんたい!」

自殺した息子の遺影の前で、いじめに加担した担任に父親がこう叫んでいた。


「からかいやすかったんだと思います」

そう認めている担任は、一生かけて償いますと約束している。


自殺当日もトイレでズボンを脱がされるなど、陰湿ないじめを

生徒達から受けていたという。


子供に限らず、「自殺」という文字がテレビから新聞からネットから

毎日毎日目に飛び込んでくる。


自分の心をコントロール出来なかったとか、気持ちの転換が人より

衰えているとか、自殺者自身の問題もあるかもしれない。

でもやはり、その人が自ら命を絶たなければならない心境まで

追い込んでいる加害者や第三者がいることも間違いない。


上下関係を作り優越感に浸る為のいじめ。

誤った強さを誇示する為のいじめ。

仲間はずれにされない為のいじめ。

いじめる方にもそれなりに心の底に、それをやる理由が隠されていると思うけど

この担任は、場を面白おかしくする為や、他の生徒に受けを良くする為のいじめだったのか。


自殺者の孤独感。

誰もそれに気付かない。心の内側を覗こうとする者もいない。

気付いていても悩もうが苦しもうが命を絶とうが、関心が無いどころか

それに追いやる事に快感を覚える卑劣なやつまでいる。



病んでいるのは自殺者では無く、そういう人間の方じゃないのか。

正常な心を持っているのは、実は自殺者の方じゃないのか。



心の中にあるべきものが欠落した異常者が増えている。

誰の心の中にも、いじめに加担する悪い芽を持ち合わせている。


そして自分もその予備軍になってはいないか。

胸に手を当てて、よーく考えてみようと思ったよ。

心だけで人を殺せる。

人間てつくづく怖い動物だ。

霊界へ旅立った丹波哲郎さん

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1952年、映画俳優としてデビュー。
中でも007では、大スターのショーンコネリーとも共演。
テレビドラマのGメン'75では、持ち前の渋い声で警視役で
名俳優ぶりを発揮。


その丹波哲郎さんが、昨日肺炎のため84年の生涯を終えました。



誰もが知っている丹波さんのもう一つの顔は、霊界研究家としての姿ですね。

死は全ての終わりではないと、そう断言しておられました。
霊界を宣伝する使いの者になる為に、俳優になったのだそうです。



丹波さんにとっては、この人間界は魂の修行の場であった。
全ての希望を抱いて、大空へ旅立つ心構えがあるので
死ぬのが楽しみだったとも!



ある意味、こんな気持ちで死を迎えられるのなら、恐怖感も
未練も無く、新しい世界へ引っ越すような気持ちで逝けていいだろうな。


もちろんそれは、天寿を松任した人のみにやってくる来世であって

死を勝手に急いじゃった人は、そうはなれませんね。

だから、修行あるのみ?!




今頃丹波さんは、40年間研究し尽くした霊界で、どんな楽しい時を
過ごしているんでしょ。
すでに、透明人間になって人間界に降りてきているかもしれませんね(ノ゚ο゚)ノ



丹波さんが実際に見た霊界からの新刊書が、下界に届けられるのを
待つとしましょうか。

「霊界から見た人間界」、本の題名は多分これっきゃない(^_^;)



丹波哲郎さんのご冥福と、これからの活躍を心からお祈りいたします!
霊界への旅立ちおめでとう。

そう言ってあげた方が、丹波さんは喜ぶね、きっと!

本能が働かない人間

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若い女性の産み捨て事件が増えている。

そんなニュースを聞くたびに、はらわたが煮えくり返る思いがする。


今日は、トイレで産んだ赤ん坊を、そのまま放置して死なせた19歳の女の話を読んだ。

記事LINK



「金もないし、育てられないから、放っておけば死ぬと思った」


トイレで1回や2回いきんだだけで、産まれてきた訳ではないだろうに。

お腹の中に焼け石を押し付けられるほどの陣痛に苦しみ、歯を食いしばって

産み落としたはずだ。


避妊もせず、ただただその行為を楽しんだだけで、知らぬ間に宿った子だったんだろう。

そうではあっても、十月十日、日増しに大きくなっていくお腹の中に、自分の心臓の鼓動と

共に息づく赤ん坊の存在を確認した瞬間が何度もあったはずだ。


それがいとおしく思えなくても、どうでもいい事であっても、産んだその瞬間に

自分の思いを打ち消す母性の本能が、自然に働くのが人間の身体の摂理のはず。

それが働かなかったのが、無性に悔しい。



人間の本能を消している魔物は何なんだろう。



目の前で、新しい命が必死にもがいて、呼吸したいと喘いでいる。

しかも、自分の細胞と血から出来た分身ともいえるこの世にたった一つしかない命だ。



そんな状況下において、手も差し伸べられない、心も動かない母性とは?


野生動物は、産み落とした我が子にこびり付いた汚れた皮膜や血を

自然に舐める行動を見せる。

誰が教えたわけでも無いのだ。


人間は進化すれば進化するほど、何かを失っていくものなのか。

唯一感情という素晴らしいものを与えられた人間なのに。

それが活かされない事こそ、現代の1番もったいない事なんじゃなかろうか。



緊張とあがらない方法

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手に「人」という文字を書いて飲む真似をする。

相手をじゃがいもと思え。

そんな事は迷信だと思っていた。


緊張するときは、何をやっても緊張する。あがるときは間違いなくあがるものだ。

緊張とあがらない方法などあるはずが無い。そう思っていた。



自分は大勢の人の前で話すのが苦手。小さい頃からそうだった。

答えに自信があるのに、もし指されてしまい黒板の前に出て

発表しなければならなくなったら困る。考えただけでドキドキする。

だから手を上げたいくせに上げられない、そんな引っ込み思案の子供だった。



とにかく緊張してあがってしまう。

練習しても、言葉を一生懸命暗記しても、いざ本番になると考えていた事の

半分も言えずに終わってしまう。

中学、高校へ進んでもその苦手な分野を克服する事は出来なかった。



スポーツの上でも、せっかくの練習の成果が試合で発揮できない。

余計な緊張感が、自分の足元をぐらつかせる。

あとから自分の極端な緊張感をよく恨んだものだ。



大人になっても、あらゆる場面でそういうことに遭遇した。

仕事のミーティング、責任者と言う立場になった時は朝礼をやるのが

とても苦痛だった。話したいことはいくらでもあるのに、上手く話せない。

思いを伝えられない自分に、嫌気がさした事もあった。

しどろもどろになって話す自分の姿を思い出しただけで、頭に何かを

被せたい位の心境に今でもなる。



この年になると、人前で話す機会などほとんど無い。

だからなのか、結構冷静に自分の事を分析できるようになって来た。



結局は人に良く見られたい、失敗を悟られたくない、上手く話そうという気持ちが

大きすぎて、そのことで自分で自分にプレッシャーをかけて追い込んでいた。


楽観的に望めばいい事なのに、人の目を気にしすぎ、意識しすぎて

格好つけすぎていた。



うまくやれ、落ち着け、上手に話せ、リラックスさせようと頭の中で繰り返した事が

実はそれこそ間違っていたんじゃなかろうか。



無理に落ち着かせる事が、逆に緊張感を増やしていたのかもしれない。

もっと気軽な気持ちで挑んでいたらな。

こんなの今思ったって遅すぎだ。

あらゆるチャンスを無駄にし損したなあと、今になって思っても取り戻せないのだ。



ブログはいい。

相手をジャガイモと思わなくてもいいし、下手な文章でも緊張感無く書ける。

でも不思議なもので、こうやって自分の考えや思いを書いていると

今なら大勢の人の前でも話せるんじゃないか、何の事なくこなせるんじゃないか。

緊張やあがりへの恐怖心に楽々対抗出来る、そんな気もしてくる。

ものは考えようだ。



これって図々しくなっただけかもしれないけれどね(^~^)

日本人のモラルの低下

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昨日のNHKのニュース番組の中の特集で、日本人のモラルの低下

取り上げられていました。


前に記事にした事もある、給食費の未納問題もやっていましたが

酷いもんです。


長期に渡り子供の給食費を支払っていない家庭に取り立てに行ったら

何と「最近家電を買い換えたので、持ち合わせが無い」と支払いを

拒否してました。

あほか!

電気製品買えるお金があったら、払うべきものを先に払えって!

無銭飲食、ただ食いですよ、ただ食い!



図書館の話もたまげました。

借りた本に、文字や線を書き入れて平気で返却する人!

酷い人は、欲しいところをハサミで切り抜いている人もいる。

中には作者への批判や中傷文を、赤ペンで書き込んでる馬鹿もいた。

公共の大切な本を、私物化しているんですよ。

次に借りる人の事なんか、微塵も考えていない。

本を借りる資格なんてありません。

弁償させればいいんですよ。



ゴミ問題もやってました。

自分の家庭ごみを、関係ない店舗に夜な夜な捨てに行く人の多いこと!

きっとゴミが有料化されているところでしょうね。

それを浮かせようと、勝手にゴミ箱を見つけて捨てに行く非常識人間です。

それが若い人だけかと思ったら、主婦や中年男性の方が多い。

セコイ人間が多すぎます。

恥を知れ、恥を!



こういうところに監視カメラなどを設置して、被害を防ごうという試みが

されているのが実態ですが、番組の中でジャーナリストの江川紹子さんが

いい事を言っていました。


カメラは監視はしても、そういう事をする人の心までは治せない。

そういうことだけで解決しようじゃ無く、もっと心を育てる方法は無いものかと。

監視しても、何も解決にはならないという見解でした。



ほとんどの人は、人の目を気にしたり、やっていい事と悪い事の分別は

自分の心の中の内なる目があって、それが働くものです。

モラルが無く、自分だけ良ければそれでいい人は、その内なる目が

育っていなくて、欠落している。



かつて日本人は、人情や人との関わりを大切にし、他人様に迷惑をかけることを

強力嫌う人種だったはず。

日本人ほどの常識人は、他にはいないと思っていました。

そしてそれが当たり前のように引き継がれてきたのです。


多くの人の目が、反する人を許さなかったし、黙認もしなかった。

そこの仕組みが、どこかでおかしくなって崩れてしまっています。

一人一人が、公共の場面での自分の姿を改めて見直し、自分の内なる目は

これで正しいのか、それを考える必要性を痛感した番組でした。