そういえば、トリノ五輪の開会式にオノ・ヨーコさんが招待されていました。

亡き夫ジョンレノンが残した名曲を通して、世界へ向けて平和のメッセージを

送っていました。


想像してみて」と訴えかけるその曲は、思想の神髄や言語の

違いがあっても、心に響く何かがあります。



みんなのイメージが同じものならば、みんなの目指すものが平和な世の中で

あるならば、それはやれるし、難しくないし、皆兄弟になれると歌っています。

地球上の全ての人たちが、全世界を共有しているのだと想像すれば

世界はいつかきっと一つになれる、それを心から願っているという歌です。



オリンピックに対しての捉え方は、これまた人それぞれです。

ただ単に、世界のトップアスリートたちの熾烈な戦いを見たい。

自国の勝利、結果を知りたい。世界の選手を知りたい。

逆に興味が無かったり、スポーツにこんな派手ばでしい演出やお金を

使い、環境に対しての問題などを考えれば、その意義自体を咎める人も

いるでしょう。

現にイタリアのオリンピック会場の外では、オリンピックに反対し

抗議活動をしている団体も存在しています。



選手入場の際に、たった一人の選手の出場国がありました。

日本の皇居の敷地面積しか無い小さな国からの選手もいました。

オリンピックを体感させ、4年後には頑張ってその場に立たせたいと

16歳の少年を一緒に行進させていた小国もありました。




スピードスケートの練習風景では、こんな場面も目にしました。

日本の選手と北朝鮮の選手が、同じリンクで笑顔で言葉を

交し合い、後ろからつかせてねと頼まれ、快くそれに応じる

日本の選手がそこにはいました。

互いを尊重し、何の違和感も無く譲りあっていました。



フェアプレーの精神を持ってお互いを理解しようと努力さえすれば

連帯感は必ず芽生えると、スポーツは語りかけてくれます。



オリンピックの意義を知り、それを理解しようと目を向ける事だけでも

意味があることだと私は思います。

これだけの多くの人たちが、同じものに共感し、感動し合える場は

他には無いですからです。



小さな活動を、コツコツと進めて広げていく事はもちろん大切ですが

その平和への気持ちや活動が、世界の隅々まで満遍なく伝わらない。

この世界最大の祭典には、それを成し得る大きな力や、人の心を動かす

何かがあると信じたい、そう私は思っています。

だから、その先導者になる選手たちには、心からのエールを贈りたい。

結果はどうであれ、日本の選手の悔いの無い活躍に期待しています。