bikuremichiko ヘア・メイクアップアーティストとして各方面で活躍中の著者の最新刊。
大切な私物・こだわりのアイテム・藤原美智子流のメイク術・生き方や日々の暮らしなど、藤原美智子を形成する世界を教えてくれる。


「美をくれるものたち」と「美をくれるメイク術」、「美をくれる暮らし」の3つに分かれている。
各章ごとに藤原美智子のセンスやテクニックが散りばめられている。
「美をくれるものたち」では、こだわりのアクセサリーや芸術品、日用品や素敵な時間などをカラー写真とエッセイの見開き構成で紹介している。
フランクミュラーの時計やティファニーの1粒ダイヤピアス、アンティークの指輪など手軽に手に出来ない物も含まれているので身近に感じたり真似をするのは難しいものも多いが、それらに対する思いや女性として、ひとりの人間として生活の中で美を得て心を潤したり活力とするという生き方は共鳴できたりなるほどと思ったりできる点もある。
「美をくれるメイク術」ではNHKでの番組や各美容雑誌等で披露しているテクニックのまとめが紹介されている。
メイク専門の本ではないので眉・アイメイク・チーク・ファンデの基本技術についてさっくりと写真入りでまとめられていて役立つ。
メイク専門の本だと、あれやこれやとテクニックやメイク商品の薀蓄などが詰め込まれていて敷居が高く感じられて諦めてしまうのだが、この程度の軽さならば「できるかも」と思えてよかった。
「美をくれる暮らし」では毎日習慣として著者が行っている数々のこと、休日の至福の時とは何か、撮影の1日などを読みやすい文章と憧れられるような雰囲気で作り上げてある。


藤原美智子のメイクが好きだったり、彼女に対して興味のある人ならば楽しめると思う。
編物や料理関連の本のように、ちょっと大きめでフルカラー構成となっているので読みやすいが電車等で読むには向かない。
自宅で休日にのんびりとページを開くのが向いているだろう。
大人の女として凛とし、いきいきと若々しく暮らすことは大切だなぁと感じた1冊。


<集英社 2005年>


藤原 美智子
藤原美智子美をくれるものたち


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bungukainikaini 70年代~80年代に若者から圧倒的な支持を受けた作家で、>文房具フリークとしても有名な著者文房具について著者ならではの文章とカラー写真で綴る。


手帖・ノートといった紙類から鉛筆、・消しゴム・万年筆等の筆記具、その他の文房具全般について著者の深いこだわりと思いが綴られている。
よくある、文具についてのエッセイだ。
ただ、男性向けかなぁと思ったのが新しかった。

文房具をテーマにしながら、カッコイイ使い方について語っていたりする。
女性は文具をカッコよく使うなど、考えないと思う。少なくとも私は考えない。
使い心地、価格、デザイン、色、ブランドなどは意識するが、文房具をどうカッコよく使うかなど考えたこともない。
しかし、著者はそれについてこだわりがあるようだ。
また、本書に収まっている文房具の写真の数々にもこだわりがあり、撮影についての細かいエピソードも詰まっている。
男性ならではの感覚とでもいのうだろうか。
これは驚いた。
少し風変わりだが、著者のセンスと拘りとファッショナブルさについての美意識が感じられる1冊だ。

モールスキンの手帖、カナリア色の鉛筆、ステッドラーの消しゴム、リーガル・パッド、ロディアの方眼紙パッドなどおなじみの品々や、自分が好きで使っている文具についてのくだりは面白く読めた。

文具に関してエッセイをまとめる作家は思いのほか多い。
このブログでもいくつか紹介している。
書き手が違えば内容も違うが新鮮味が欠ける。
本作は、その中でも先に述べたとおり「男性向け」だと感じる部分や「男の美徳」や「カッコよく使う」といった主軸があり新鮮だった。

新しい文具をテーマにしたエッセイを出してくれる作家を今後も待とうと思う。


<東京書籍 2003年>


片岡 義男
文房具を買いに

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binetu ジャンルは一応ミステリーに該当するようだが、読んだ感想はミステリーというより美容界でのサクセスストーリーという感じだ。
それにプラスして恋愛要素もあるが、女性同士の厄介な嫉妬や妬みが軸となっている。
エステサロンを舞台にした女性向けの長編。

 

主人公は和倉麻美。
脱サラ(OL)してエステティシャンになった。
大手エステティックサロンで働いていたが、或る日突然カリスマサロンとして名を馳せている個人経営のエステティックサロンのオーナー・京子からヘッドハントされる。
迷うことなく移籍し、自分の腕に自信を持っていく麻美。
移籍したサロン『ヴィーナスの手』は、手だけを用いるアロママッサージをメインとした施術を行う。
肉体的な疲労は重なるものの、心は充実し、毎日を楽しく過ごしていた。
同僚の嫉妬、オーナーからの期待など様々な負担があるものの、麻美はエステティシャンとして自信を持ちいきいきしはじめていた。
その昔、『ヴィーナスの手』には神の手(ゴッドハンド)と呼ばれる手を持っているエステティシャン・サリが居たことを知る。
不慮の事故で亡くなったサリの後釜としてオーナーが自分を引き抜いたと知り、複雑な思いを抱く麻美だったが、サリのことを知れば知る程サリを目標とし、追い抜きたいという野望が渦巻くようになる。
麻美を後押しするように新しい顧客や雑誌の取材などが続き、麻美の施術を受けるには2ヶ月待ちになる。
サリを追い抜きたいという一心で頑張る麻美の前に、オーナーの夫や息子が登場する。
サリが生前使用していたアンチエイジングのクリームを元に、新しい美容液を作るオーナーの息子。
そして、それに魅せられる麻美。
麻美はその美容液を使って施術をはじめる。
エステ業界も流れが速く、今のままでは『ヴィーナスの手』はダメになると思い美容液での施術をウリにしていこうと提案する麻美。
迷うオーナーを説き伏せて、麻美は走り出す。
そんな中、『ヴィーナスの手』を中傷するワイドショーの放送があり、サロンは急に傾きはじめる。
美容液についてのクレームも出始める。
サロンの復活を願い、麻美は動き始める。
そして、サリの死には理由があったのだと察する。
それでも麻美は施術を続け、一流のエステティシャンになろう、サロンを盛り上げようと邁進するのだった。


 

林真理子の『コスメティック』と似たところがある。
唯川恵に似ている雰囲気がある。
そんな女性向の小説だ。

年頃の女性が仕事をルーチンと感じはじめる。
自分がしたいことは何か考えはじめた時、突然スカウトされ新しい職場に異動し開花する。
そのプロセスは仕事に疑問を持っていたり、頑張っていたりするワーキングウーマンには楽しく感じることだろう。

自分が上に上がるとなれば、確実に下に落ちていく人間は居る。
足の引っ張り合い、落とし込みなど女性が喜ぶ刺激がふんだんに用意されている。
一気に読めるし、読み終わった後「こんな話は無いな」と思っても不快感は無い。
エンターテイメントとして読み終えられる面白い1冊。


<小学館 2005年>


永井 するみ
ビネツ―美熱

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nedan 著者の家計簿を元にしたエッセイ。
毎日使うお金。
何を買うにも食べるにも、いくらか支払うのは当然で。
その価格に見合った金額を使えないこともあるし、大満足してしまうこともある。
そんな事も含めて、著者の金銭感覚やお金にまつわる出来事や思いを綴っている。


目次を見ればわかるが、全ての題名に金額が添えられている。
昼めし 977円
健康診断 0円
空白 330円
キャンセル料 30000円
記憶 9800円×2
などである。
まるでMasterCardのCMのようだ。
そこでまず興味が惹かれて購入に至った。


『一日(1995年の、たとえば11月9日) 5964円』はとても心に響いた。
10年間、家計簿をつけている著者。
どうして家計簿をつけはじめたかというと、経済が不安定だったからだ。
困窮していた訳ではないが、将来的に困窮しそうだと思い、自分の家計の弱点を知ろうと始めたそうだ。
しかし、弱点はわかったものの何も変わらなかったのだという。
家計簿をつけ続ける上で得てしまうテクニックや、弱点と向き合った時のたまらない気持ちについても書かれている。
現在は、単純に癖としてつけ続けているらしい。
そんなことはいいのだが、このエッセイの最後にとても素敵な事が書かれていたのだ。
それは、私も最近感じていることの1つ、20代のお金の使い方であった。
20代で手にしているお金というのは、例外もあるが殆どが自分で稼いだお金で、そのお金でどんな目にあおうが自分の責任なのだ。
そして、そのお金をどう使ったかが、その後の基礎のようになると思うと書かれていた。
ほんの基礎の一部でしかないが、確実に基礎の一部なのだと。
著者は30代になり、楽になったと思うらしい。
40代が近付くにつれ、どんどん楽になっているそうだ。
その理由は「どうでもいいこと」が増えるからで、その「どうでもいいこと」こそ、20代の自分が作り出した気分だと著者は記している。
30代で使ったお金も、40代の自分に繋がり、何かしら意味を持ち、自分の中の一部として存在していくのだということを書かれていた。

そうなのだ、人生はすべてその先の自分の基礎になっている。
だから毎日つまらなく生きていたら、その先もきっとつまらないのだ。
私は常日頃そのようなことを考えていたけれど、こんなに簡潔にまとめてくれている文章を見たことがなかった。
最後にあるこのエッセイを読んで、この本を読んでよかったと思えた。

お金について書いてある本は沢山あるが、身近で軽く読めて楽しめて、わかるわかると素直に思えるエッセイは少ないと思う。
本書はそれに該当し、手軽である。
おすすめの1冊だ。


<晶文社 2005年>


角田 光代
しあわせのねだん

lunch 三十歳を目前にし、今のままではダメだと焦りインテリア・コーディネーター募集の求人に惹かれ転職した主人公の仕事や恋愛、日常に起こる様々な事件を描く連作のミステリー短篇集。


主人公・知鶴は29歳。
鉄鋼会社で事務をしていたが、20代半ばから後半で結婚退職するものと相場が決まっていた。
知鶴は既にその年齢に該当しているが、結婚の予定は全くない。
暫く予定が無いだけではなく、この先は独りで生きることも視野に入れなければならないと思い、転職を決意する。
結婚退職を気取り会社を辞め、就職活動をし、現在勤めるドエル・コーポレーションにインテリア・コーディネーター見習として転職した。
しかし、現実は厳しいものだった。
入社後3ヶ月は研修を受けながら試用期間という扱いなのだが、実際は雑用ばかりでインテリア・コーディネイターに関する事など微塵も勉強できていない状態で、社員の弁当の管理やコピー、書類の整理ばかりを繰り返していた。
上司の水沢は取引先ではいい顔をするが、社内の人間には態度が違うといった嫌なタイプの上司で、知鶴はいつも悩まされていた。
その水沢は弁当を頼みもしないのに「今日の弁当は会議室に持ってきて」などと言い、知鶴を苛立たせる。
知鶴は弁当は注文を受けてないので無いと言えば倍以上の嫌味が返ってくると落ち込んで居た時、昨日の弁当の余りを見つけて黙って差し出してしまう。
その直後、水沢は原因不明の体調不良で倒れて救急車で運ばれてしまう。
知鶴は自分が昨日の弁当なんて渡したからだと頭を悩ませ混乱するが、医者は全く違う診断結果を出す。
一体誰が、水沢をこんな状態に追い込んだのか、知鶴は気付いてしまう。


ミステリー要素や恋愛要素が詰まった連作で読みやすかった。

ミステリーだけではなく、女性の転職や恋愛、職場での悩みやお客とのイザコザなどが描かれており、女性は楽しめると思う。
軽い日常的ミステリーはあっという間に読み終わる軽さがいい。
通勤などにおすすめの1冊。
松尾たいこ氏の装画がステキ。



<集英社 1999年>


永井 するみ
ランチタイム・ブルー
永井 するみ
ランチタイム・ブルー

anatatodokokahe 日産TEANAという車のオフィシャルサイト内で発信されていた8人の作家が書き下ろした、ドライブや車を感じさせるショートストーリー集。


『時速四十キロで未来へ向かう』は角田光代の作品。
主人公は二ヶ月前に会社を辞め、部屋にひきこもっている女である。
ほんの二ヶ月前までは、派遣社員として出向した広告代理店で契約社員として働いていた。
毎日それなりにおしゃれをして通勤し、週に2回はスポーツクラブへ行ったり恋人とデートをしたり女友達と流行のレストランへ行ったりとOL生活を楽しんでいた。
ところが、ブレーカーが落ちたように突然全てが落ちてしまった。
何もする気がしなくなったのだ。
何もかもが嫌になり、女は自宅で時を過ごすようになった。
理由は明確だった。

失恋である。
正月も自宅で過ごしてしまった女を、弟が尋ねてくる。
外には出たくないという女に「彼女とのデートの下見の為にドライブに付き合ってくれ」と言うのだ。
嫌だと言ってもなんともならず、止む無く女はドライブに付き合うことに。
ずいぶんと豪華な青い車で、弟と走り出した。
車中では思い出話に花が咲き、流れる景色を見ていたら、女は涙が止まらなくなってしまった。
弟に思いかけず癒されてしまった女のせつなさを描く。

ドライブや車というのは思い出に直結していると思う。
昔の恋人と訪れた場所に、新しい恋人と行くというのはなんとなくせつなさと繋がる。
一瞬、その時を思い出してしまったりもする。
車をテーマにするというのはなかなかステキなことだと思った。


その他、吉田修一・石田衣良・甘糟りり子・川村弘美といった人気作家の作品を手軽に読める。
私はこういったアンソロジーと呼ばれる類のものをよく読む。
そこで新しい作家に触れ、作家を開拓している。
今回は石田衣良の作品が初めてだった。
本書に収録されている短編『本を読む旅』はなかなかステキな物語で、同じような旅をしたいと思わされた作品だった。
感触はよかったが、著者の出版されている作品のラインナップにどうも魅力を感じず手が出ない。


<文藝春秋 2005年>


片岡 義男, 甘糟 りり子, 林 望, 谷村 志穂, 角田 光代, 石田 衣良, 吉田 修一, 川上 弘美

あなたと、どこかへ。 eight short stories

jisatu 分類に困る作品。
日本が自殺を承認し、お手伝いまでしてしまうという法案が出来てからの混乱や人々の変化、そして衰退までを描く長編の衝撃てきな作品。


20XX年の或る日、日本で「自殺自由法」施行された。
「日本国民は満十五歳以上になれば何人も自由意志によって、国が定めたところの施設に於いて適切な方法により自殺することを許される。但し、服役者、裁判継続中の者、判断能力のない者は除外される。」
それが、「自殺自由法」だった。
秘密裏に自殺を幇助する、公共自殺施設「自逝センター」の広告が街に溢れる。
自ら人生を閉じようと、センターへ向かう者。
センター行きの白いバスに並ぶ者。
自殺したいと迷い自殺の名所へ行って、センターの事を知る者。
自殺を望む者には素晴らしい施設、と思われセンターには長蛇の列が出来る。センターはいつも人で溢れかえる。
疲れたから死ぬ、未来が無いから死ぬ、ダルいから死ぬ・・・
センターに向かう者の理由は、いじめや借金苦等といった理由では無くなっていた。
しかし、自らが自殺を望まない者もセンターへ招致されるようになる。
前科を持つ者や生活保護を受ける者はセンターへ斡旋されたり、センターから勧誘が来たりする。
洗脳のようにセンターへの勧誘を受け、気付いたらセンター行きのバスに乗ってしまう。

センターへ向かう者や自殺を望む者についてのショートストーリーが次々出てくる。
若者から老人まで、会社員からフリーターや無職、タレントまで登場する。
突然現れた「自逝センター」の存在により、国民の人生が揺れていく様を描く。
そして、センターが閉館された後の日本までを描き、物語は終わる。

ブラックユーモア作品でもあり、近未来モノでもあり、バトルロワイヤルのような感じの作品でもある。
途中のエグい表現や、人が人を殺したり死ぬことに対しての軽さが恐ろしくなる。
死ぬ自由ってなんだろう?
自逝ってなんだろう?
最初は軽い気持ちで読み進められるが、次々新しい人々がこの法案に関して考えたり悩んだり死んでいったり迷ったり泣いたりしているのを読んでいると混乱してくる。
そして、鬱々とした気分になる。
でもページを進めてしまうし、読み終えたいと思わせる何かがこの作品にはあった。
自殺というキーワードに以前から興味を抱くタイプの私は、鬱々としながらも興味津々に読み進めた。
あとがきで著者は書き終えてから数日鬱状態だったとあるが、それは当然だと思う。
精神状態が良い時でも多少ダメージを受けると思うので、参ってる方にはおすすめできない。


<中央公論新社 2004年>


戸梶 圭太
自殺自由法

katudon 訳のわからないこと、普段ならそんなことどうでもいいじゃないとスルーするようなこと。
でもそんなことに対して熱い思いを抱く人もいる。
そんな人々を描いた表題作を含む3作品が収録されている。


今でも、ランチに時々登場しする「 かつどん」。
大衆食堂が生んだ戦後の食のヒーローだったらしい。
そして、そのヒーロー「かつどん」が滅びつつあるのを危惧した人々が、「かつどん」の人気再生の為に立ち上がろうとキャンペーンを展開しようする。
それが「かつどん協議会」。
全食連(全国食堂中央連盟)が「かつどん」の復権を目指したかつ丼推進キャンペーンを行うことになったことから開かれるようになった会議である。
普通に「かつどん」を愛しており、近所の食堂で「かつどん」を食べることを楽しみとしていた失業中の男は、ひょんなことからその会議に食堂のオヤジの代理で出席することになる。
軽い気持ちで「くだらない会合だろう」と参加してみると、なんとまぁ熱いこと。
「かつどん」に関係する食材を扱う人間が集まり、どの食材が一番「かつどん」に貢献しているだとか普段は考えもしないようなことを議論しあっている。
キャンペーンでイニシアチブを握りたい各業界の代表者は、なんの利害もなく参加してきた男を自分に取り込もうと手を変え品を変え迫ってくる。
米俵を送ってくる者など賄賂まで飛び出す始末。
ただの好物として「かつどん」を捕らえていた男は、「かつどん」と社会だとか「かつどん」をヒーローだと称えるなんて事に違和感を覚えまくる。
それでも食堂のオヤジと約束してしまった以上、参加せざるを得ない。
そして、話し合いが佳境に入り皆が自分の熱い思いをぶつけ合う時、とんでもないオチがやってくる。


キョーレツなイラストの表紙と、「かつどん」と堂々と書かれている背表紙に引かれて手にした作品。
内容はユーモア小説。
だが、爆笑できるほどでもないし、ちょっと中途半端なのだ。
でも、男性が描くユーモア小説というのはなかなか出会えないので楽しめた。
図書館で軽い気持ちで借りた割には、ヒットだったと思う。


<ベネッセコーポレーション 1997年>


原 宏一
かつどん協議会 (単行本)

原 宏一
かつどん協議会 (文庫本)

sawamobungu イラストレーターであり、作家である著者が好む万年筆への想いや旅先で出会った文具とのエピソードなどをまとめた1冊。


筆記具といっても様々な種類がある。
万年筆、ボールペン、シャープペンシル、鉛筆・・・
それぞれにまつわる小さな物語がある。
そして、小さな想いも存在する。
本作はそういった小さな文具にまつわるエッセイ集である。
筆記具だけじゃなく、原稿用紙やハサミ、ペーパーナイフや輪ゴム・ゼムクリップなど文具全般がテーマとなっている。
また、著者は海外へ行く度に目新しい文具や限定品を収集しているようでそれらについても描かれている。
ニューヨーク、パリ、ハワイと各地で文具店やスーパーの文具売り場に足を運んでいるのだ。
その想いの強さに驚く。
1つのアイテムに3ページ程度のエッセイ+イラストでまとまっていて読みやすい。


私も文房具が好きである。
伊東屋へも足を運ぶし、ロフトや東急ハンズといった店舗でも文具売り場で楽しめるタイプである。
著者とは凝り方も違うし、方向性も違う。
しかし、同じ文具好きとして年配の文具好きのあれこれを知るというのはかなり楽しい経験だった。
なんの期待もなく手にした1冊だったが、思いのほか楽しめてしまった。
文具好きの方におすすめの1冊。


<小学館 2002年>


沢野 ひとし
さわの文具店

saranheyoyoyoyyo 第40回角川俳句賞奨励賞を受賞し、現在は女性だけの俳句結社「月刊ヘップバーン」代表とて活躍する。
17文字の詩 というブログも更新中。
韓国・釜山からソウルまでを自らの足でいて横断し、途中出会った沢山の韓国人との触れ合いの様子や韓国の季節・風景を情緒豊かな俳句とともまとめた紀行本。


日韓共同開催のワールドカップの話題で色めきたつ中、著者は旅に出た。
2001年から2002年に5度に渡り渡韓し、1週間ずつ歩き続け、釜山からソウルまでを北上していく旅を決行した。
真夏の地獄のような暑さの中も、オンドルと人々の暖かさだけが頼りの真冬の中も、澄み切った川と自然の芽吹く春も、著者は歩き続けた。
宿が無いような小さな集落で出会う優しい人々、喉がカラカラになるほど暑い夏は空のペットボトルに冷たい水やみずみずしい果物をご馳走してくれる人々、地図を片手に歩く日本人に道を丁寧に教えてくれる人など沢山の韓国人との出会いに支えられ、著者はソウルへ近付いていく。
小さな祭り、収穫の様子、日本語を勉強する若者、昔のことを静かに語ってくれる老人、世話好きなおばさん。
韓国人の性質や、ソウルまで歩いて行くという旅がどれだけ無茶な計画であったかなど面白い。
それでも著者は歩き続け、2002年10月30日にゴールする。
すてきな句とエッセイの組み合わせは読みやすく、韓国初心者も通も楽しめる、新しい旅行エッセイとなっている。


ソウルで買い物・アカスリツアーしか経験したことのない私が一生知ることが無いであろう田舎街のエピソードや人々の暖かさが新鮮で読んでいてわくわくした。
韓流ブームで様々な本が出版されているが、本書は異色である。
韓国俳優やエンタメ情報は一切無い。
韓国の季節の移り変わりと、著者の歩みが日記のように綴られているだけである。
それが面白いのだ。
こんな旅を経験できた著者を羨ましく思う。



<実業之日本社 2003年>


黛 まどか
サランヘヨ―韓国に恋をして