撫でられます


今日ルナが届きました。

ドイツからやってきました。ケーセンのぬいぐるみ。

後ろは先代たちが虹の橋に渡ったときに買ったものです。

 

ぬいぐるみでしかないですが

でも、撫でられるのっていいです。

毛並みもすごくよくて

お勧めです。

私はショップに連絡して、写真を送ってもらって

ルナに似てると思える子を選びました。

 

柴犬以外もありますよ~!

 

最初はオーダーメイドを考えていたのですが

それはそれで辛いなあと思って。

 

 

その後私は旅行行ったり友達と遊んだり

勉強したり

楽しく暮らしてはいるんだと思います。

 

でもやはり毎日のように涙でますね・・・

まだ二か月もたってないんですもんね・・・

 

もう二年くらいたったような気がします。

もうずっとルナには会っていないような。

 

基本自分は精神的には強い方だと思います。

 

でも、心の病気は自分で気づかないうちにかかるというし

 

気をつけるようにしています。

 

眠れなくなったり

毎日のようにルナの散歩道で涙が出たりするのは

あまりよくないかな・・・でも

 

少しずつ悲しみが薄まっていくようなら正常だそうです。

 

今も辛い、けどそれでも

ご飯は食べれるようになってるし

きっと少しずつ受け入れているんだと思います。

 

でも時折どうしてもルナに触りたくて撫でたくて

 

そんなとき、ぬいぐるみがあると少しだけ

いえ、随分違います。

今も、ルナのいつものマットにこの子を座らせています。

私がPCするとき、ここにこうしていつも座ってたなあ・・・

サイズは小さいですが、それでもうれしい。

 

とはいえお高いんですよねーw

なので、あまり触りまくったり、抱っこして寝る、とかはちょっと・・・

 

そんなわけで

実は別途抱きぐるみも買ってしまいましたw

夜中に目が覚めると眠れなくなってしまって。

大きいのを買っちゃいました。

茶柴と黒柴、2体も!

こちらはそんなにリアルじゃないけど、でもふとんでぎゅ!とできたら

夜中も寂しくないな、と思ったり。

 

もう飼うことはできない、

でも辛くて仕方ない方は

 

ぬいぐるみもご検討されてみてはいかがでしょうか。

 

 

49日

明日で49日です。

仏教徒ではないので

正確な49日のカウント方法がわかりませんが

(調べる気にもなれないし)

 

友達の猫は49日に会いに来てくれたと言っていたので

ルナも来るかな・・・明日。

 

でも49日までこの世にいて

翌日から天国(というかあの世)にいくという設定なので

 

そう考えるとちょっと違うかな・・・

 

その後の私は

旅行に行ったり

友達と遊んだり

呑みに行ったり

 

今までできなかったことをめいっぱいやっています。

 

寒い日の朝

雨の日の夜

 

ああーお散歩たいへん・・・といまだにうっすら考えてしまいますが。

 

保護犬の里親募集を見るとふと心も動きますが

 

やはり最後のルナを思い出すと

とても無理です。

 

49日前まで

ルナがいたなんて思えないほど

 

もうずっと昔の話みたい・・・

 

まだ毎日毎日泣けますが

 

でも得たものもとても多いな

 

ルナを看取ったらやろうと思ってたあれこれ

 

先週末も旅行に行ってきました。

 

考えてみたら

夫との生活も(今だけかもですがw)

わんこのいない部分の寂しさを

うまく埋めるようにお互い気づかえているようにも思えます。

 

同時に

ある意味自由であるということが

気を楽にさせているのかもしれません。

 

ルナが最後のわんこになったのには

意味があったように思います。

 

病気でなく看取りたかったけれど

そうしたらまた次のわんこを引き取っていたかもしれない。

 

それはそれでいい人生だとも思いますが

 

やはり私にはもう一つ過ごしたい人生のあり方があったのです。

 

ここでそれを手放せば

ルナが私にくれた時間を手放すことになるように思えてしまって。

 

 

 

明日

ルナが会いに来ないかな・・・

 

何かサインをくれたらいいのに。

 

思い出したときは近くに来ているとき、なんてよく聞きますが

ルナも

先代たちも

 

いてくれるといいな。ずっと。

 

前も書きましたが犬友達さんが

わんこたちは虹の橋にいるけれど

 

思い出すといつでも近くに来てくれるんだ、って。

 

私も今はそんな気がしています。

●FBの、数年前のこの日の記事、が出てくる機能。

ルナがふいに出てくるのも辛いし

先代の介護が出てくるのも辛い。

辛いけど見ないようにはできない。

 

●去年の秋くらいを思い出すと辛い。

例えば仕事のファイルの作成日が

ルナの病気がわかった日だったり

 

10月に友達と旅行に行ったけどあの時はもしかしてルナは

もう病気だったのかもしれないとか

思うと辛い。

何やってたんだ自分とか思って辛い。

 

●昨日はルナの月命日。

まだ一か月しかたっていなかったことにびっくり。

ルナがいなくなってたった一か月・・・嘘でしょ

 

もう一年くらいたったような喪失感・・・

一か月前までここにいただなんて信じられない・・・

 

●ルナが最後まで食べれなかった

にぼしとか乾燥納豆とか。

到底捨てる気になれず、しかし開封しているし寄付もしにくく。

で、自分で食べる。絶対捨てない。でも辛い。

ルナのために買ってあった冷凍のお肉とか

食べる、けど辛い。

 

●ルナが年取って看取ったら

旅行に行こうねとか話してた自分を思い出すと

吐きそうになる。

 

●ルナの友達わんこの散歩を見る。

でもこれは辛くない。うれしい。よかった元気でと心から思う。

そして、「ルナちゃん最近見ないね」とか

「ルナちゃん亡くなったんだって」とか噂してくれてたらうれしいな。

ルナのこと忘れないでいてくれたらうれしいな。

 

 

ああ辛いなあ

辛いです

 

ルナ。

かわいいルナ。

 

ごめんねルナ。

 

会いたいな・・・

私が死ぬときにまた会えるよね。

『我が子の死』

私はいま大学で哲学を学んでいますが

(あ、二つ目の大学です・・・十分大人ですw)

 

今日は西田幾多郎の『我が子の死』を読みました。

 

西田幾多郎は有名な日本人の哲学者です。

 

お子さんを亡くされていたのですね・・・。

 

お子さんを亡くされた方には申し訳ないですが

私にとっては犬たちが子ども。

 

ルナのことを考えつつ読みました。

 

子供の死は他の死とは違って

思い出の中に風化させて

乗り越えることができないものだと

 

過去をいくら後悔してもしかたないのに

辛くて仕方ないのに

 

それでも忘れずに生きていくのが親だと。

 

とてもわかる気がしました。

 

他にもいろいろ考えさせられて

涙がでます・・・でも同時に

 

ああそうか

 

と納得もできたりもしました。

 

青空文庫にも掲載されていますので

気になる方はぜひ。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000182/card3506.html

 

夕べは先々代のわんこたちの夢を見ました。

亡くなった祖母も一緒で実家の夢です。

 

二匹を両手に抱えて撫でました。

 

最近先代たちの夢をよく見ます。

そして思い出します。

 

ルナが来てからルナ一色でしたが

ルナがみんなもいるよ、と言っているような気がして。

 

 

死ぬまでもっていきます。

この後悔と思い出と。

先日、ルナの出身保護団体さん

わんにゃん小梅保育園さんに寄付に行きましたが

 

そちらではまだ使わないという車いす他の寄付品を

今日まとめました。

 

大阪の個人ボランティアさんで

たくさんの老犬や病気のわんこをセンターから引き取っておられる方です。

ありがたい・・・

 

自分がもう飼えないのだから

保護して飼ってくれる人に自分の思いを託す。

それにはボランティアをするか

寄付ですよね。

 

うちは近くに保護団体さんもないし

私は運転ができないので出かけていくことも難しいので

寄付です。

 

そしてさらに寄付しにくいもの・・・

少ししかないものとか

古いものとか

クッションフロアとか

 

そういうものでも需要がある団体さんも調べるとあって

そちらにお送りするつもりです。

 

いろいろ整理していくと

先代たちのものもけっこうあります。

ルナに使おうと思って使わなかったものなど

 

遺品をどうするかは人それぞれだと思います。

私も寄付しにくい古いものや

ルナがお気に入りだったおもちゃなど

 

寄付するのはやめるつもりです。

 

でもそれは本当に少しで

 

あとは寄付しようと思います。

 

昔からなのですが、あまり物に思いを私は込めない方で

 

若いころから

例えば元カレからもらった指輪とか

アクセサリーとして付ける、とか全然平気でしたw

 

物は物だし。

 

なので必要最低限があればいいかな、と。

 

それよりも今困っている子たちに

少しでも使ってもらった方がいいかな・・・。

 

 

そんなわけで皆さまも

古いタイルとか捨てよう・・と思う時はぜひ

寄付を!

検索するとすぐに出てきます。

 

コンビニとかのビニール袋もためておいて寄付すると

喜んでいただけますよー!

 

 

それにしても三連休。

結局どこにも行きませんでした。

友達とランチしたくらい。

 

部屋の片づけがあったし

連休は混むので出かけないことにしていることもありましたが

 

わんこがいなくても結局出かけないんですねえ・・・

 

わんこがいるから出かけられない、なんて

ぐーだらな自分へのある意味言い訳だったのかもしれません。

 

 

最近、家では歴代わんこたちの話ばかりしています。

 

嫁に行った子供の話ばかりしている老夫婦か?!w

 

犬が常にいたので

家では床に物を置かない工夫・・・

テレビを壁掛けにしたり

 

部屋のいろいろな角の部分を覆ったり

 

そういう仕様にしていたのですが

 

もうそれも終わり。

これを機に模様替えです。

 

寂しいなあ・・・

 

まだ

帰りがけ

 

散歩いかなきゃ!と急いでしまう

 

雨が降ると、散歩が大変だなあと思ったり

 

何十年もそうしてきたのだからしばしこんなですよね・・・

 

一日全く家を出ない日というのが(やろうと思えば)出来るなんて

なんだかすごい・・・不思議な感じです。

 

 

特に会社帰り

一人で歩いているときに

 

急いで帰らなきゃ!と思っている自分に気づき

 

その時が一番悲しいです。

その場で大泣きしそうになる。

 

ルナ

 

と声に出して

 

涙でちゃうんですけどね。

 

ルナと歩いた道だからかもしれない。

 

歩くこととわんこはいつもリンクしてしまうから。

 

 

ルナちゃん。

おうちにまだいるって

合図を送ってほしいなあ・・・

今日、数年前猫を亡くした友人と会いました。

 

先日の、保護団体さんの経験

(亡くなった先代犬の姿が子どもだけに見えていた話)をすると

 

彼女も、夜寝ていると猫が自分の体の上を歩いてきて眠る、という感覚を経験したことがあるそうです。

 

彼女もそういうものが見えてしまう人などではないのですが。

 

私でさえ足音を聞いたことがあるのですから

 

やっぱりいるのかな・・・。

そうだといいのに。

 

人間みたく、死んだら天国に行くんだとかそういう意識がないわけなので

 

そのまま一緒にいてくれるのかもしれません。

そして私たちが死ぬときも一緒に来てくれるのだと思います。

 

ところでケーセンのぬいぐるみってご存知ですか?

ドイツ製のぬいぐるみなんですが。

 

ここの柴犬のぬいぐるみがリアルで良いです。

小さいですが

 

うちは先代の赤柴と黒柴

ふたつのぬいぐるみを仏壇代わりにして

毎日声をかけたり撫でたり

お水やごはんなどあげていますが

 

ルナのぬいぐるみも買おうかなあ・・・

 

それを言ったら先々代のぬいぐるみも欲しくなるわけですが

キリがないので、先代たちもひとつのぬいぐるみでいいじゃん、と思ってはいるのですが

 

やはりどうしても今の二つは先代のライムとプラムにしか見えず。

 

ちょっとお高いんですけど

 

ツレには内緒でこっそり買って

こっそり二匹のぬいぐるみの隣においてみようかと思いますw

 

 

今日友人とも話していたのですが

 

私の人生の価値観が本当に変わったなと思います。

 

階段を上るようにスキルアップするように生きるのが

正しいことのようにどうしても思ってきたのですが

(そういう教育を受けたからです。それが世界の「真理」ではありえません)

 

もういいかな、と。

 

何かで成功したり

自分の夢をかなえたり、とかねw

夢の実現、とかw

 

もうそういうの、いいかなと思っています。

 

そうではなく

もう

 

今を楽しんで生きていくことにしようと。

 

大学や読書や旅行や制作や。

 

もちろん仕事はするしかないですがw

 

でも仕事に情熱とかもういいや・・・

 

けっこう仕事至上主義的に生きてきて人生でしたし

それはそれで素敵なことだと思うし

自分の好きな職種につけたことは幸運だとも思っています。

 

でも、

 

なんとうjか

 

人の役に立つとか立たないとか

 

天職だとかそうでないとか

 

もうそういう全てがどうでもいいことです。

 

働くことが楽しいと思えるのはいいことですが

もうそれもどうでもいいことw

 

気分は隠居ですね。

 

そうだ!隠居しよう私!

 

仕事はしますけどーーーするしかないですけどーーー

 

あとの人生はもう流れるように

旅するように生きよう。

 

そう思います。

 

本当は私は大学で哲学を学んでおり

そこに至るまでの思想にはいろいろいろいろあるのですが

 

そのいろいろいろいろを含めて

 

この世界を旅するように(旅行にいくという意味ではなく)

生きようと思います。

 

仏教の思想では(私は無宗教ですが)

人間はかりそめにこの世に生まれてこの世を味わい

そしてまた帰っていくという存在だそうで

 

この世に生まれたのは

旅のように「味わう」ためだそうです。

 

そんなふうにあとは生きていこう。そう思います。

 

ルナのことがなければこんな風に思えなかっただろうな・・・

 

犬がいなくなってしまって

なんでもできるようになって

 

そして思った

 

なんでもできるということは

 

むしろ

今のままでさらりと生きていくことなんだと。

 

でもそれは決して

悲観的になったとかそういうのとは違います。

 

うまく言えないのですが

生まれて初めて穏やかな気持ちになれたような感じ。

(もちろん悲しみは消えないですが)

 

きっともう心配する存在が私にはないからなのかもしれない。

 

ぬいぐるみ、買おうっと!

ツレの反応が楽しみですw

 

歴代わんこの画像のはいったフォトフレームに

ルナを加えました。

 

うちでは常にフォトフレームに次々わんこが映し出され

それが仏壇のようになっています。

 

まさかルナをもうそこに参加させるなんてね。

 

ルナの月命日は来週。

 

まだ一か月たっていないんだ・・・

なんだかもうすごく遠い昔のようであり

 

同時に毎日散歩いかなきゃ!といまだに思ってしまったり

 

でも思ったよりも恐ろしく早く

ルナがいないことに寂しさはあっても

いないんだということを認識してしまっている自分がいます。

 

辛さは変わらないですが。

 

ごはんあげなきゃとか

そういうのが

 

(ツレは毎日お水とごはんを先代わんこの時からずっと続けていますが)

 

自然となくなってるんですよねえ・・・

 

半年もしたら

散歩 という意識もなくなるんでしょう。

 

 

先日会社で、営業さんが

本社の方と電話していたんですが

 

「●●さんの犬、死んだ?じゃあもう会社出てくる?いつ出てくるだよ~」と笑い話として笑いながら話していました。

 

犬を飼っていない人にとっては

犬なんかで休んで

そんなことよりも早く出てきて仕事しろよ

 

という気持ちですよね。

わからなくもないです。

 

子供のいない私は

しょっちゅう子供が熱を出して帰る、という男性社員に

またかよ~~と正直思ったこともありました。

(だって奥さんがいるんだし。)

 

それと同じなんだろうなあ。

 

人間なんかそんなもんですよw

 

でもそれを責めるとか腹を立てるとか

 

私の場合はちょっと違いました。

 

私はその営業さんがとてもいい人だと知っていることもありますが

 

他人にとっては

「犬もう死んだ~?!(笑)」

 

な出来事でしかないんだなあ、と。

 

もちろん私にとっては人生の恐らく一番つらい出来事でした。

 

けれど

 

他人にはその程度の出来事でしかないわけです。

 

そう考えてみると

 

なんだかむしろ気が楽になるというか

視点をもっと俯瞰して見るようにすると

 

考えたら世界にはもっとかわいそうなわんこや人間も動物もいるし

 

例えば

戦争の余波で子供が死んでいく。今この瞬間も。

 

でもそれを慮るよりも

私たちは今日の犬の散歩の方が重要なわけです。

 

俯瞰してものごとを見れば

どんなに酷い出来事も

 

出来事のひとつでしかない

 

ということ。

 

 

一番心が慰められるのは

私にとっては同じ体験をされた人のお話ですが

 

その次に

全く関係がない人のそういう一言なんだなあと気づきました。

 

こちらを心配している体で

実は「自分のやさしさ」をアピールしている(本人はそんなつもりはなくても)人や

社交辞令的に話をする人もいっぱいいました。

 

動物を亡くしたことのある人からは

そんな思いをさせられることはありませんが

 

「犬、どうした?」と聞かれたりね。

 

私がもう仕事に復帰していたり

こちらから治ったよと言わない限りは

 

どうなったかもわかりそうなものです。

 

わからなくても普通は聞いてきませんよね。

そこで説明したところで、何があるというのでしょう。

 

しかし思えば

私もそうして人の心をずけずけと傷つけていることもあるんだと思います。

 

知らず知らずのうちに。

 

表面上の言葉で

お悔やみ申し上げますと言われることがどんなにつらいか。

 

 

そういえば

しばらくゆっくりするといいよと友達に言われました。

 

ゆっくり、の定義がわからなくて

でも仕事もあるし、むしろ仕事してた方が気が楽だしとか

いろいろ考えたのですが

 

ふと

 

そうか、いまはがんばるのをやめよう

 

と気づきました。

 

私の場合のがんばる、とは大学の勉強と、日本画の制作です^^;

 

試験もあるのでまったくやらないわけにもいきませんが

 

しばしレポートを書いたり単位のことを考えるのはお休みです。

 

そのかわりに旅行に行きます。

あと数年ぶりにコンデジ買いました。

その使い方も覚えなくては。

 

それと久しぶりに読書しました。

夏目漱石。よかったーーー!草枕。

リアル学生時代に読んだときは読めていなかったとつくづく思います。

頭悪かったなあ自分。(自分内比)

 

もうずいぶんそういう好きなことだけで日々を暮らしてしまったなあと思っていますが

 

まだ一か月たっていないんだなあ・・・

 

まああまり続けると癖になるので危険ですがw

 

いましばらく

 

桜が咲く少し前まで

このままでいようと思います。

 

桜が咲けば制作です。

 

作家活動は私そのものなので

やめるわけにはいかない。

 

これをやめて旅行行ったり友達と遊んだりして

あとの人生を埋めるというのもアリですが

 

そもそもそれを続けたら人生に飽きてw

始めたのが絵描きなのですから

どうせ戻るのはここなんだと思います。

 

ルナがきてからほぼ制作していなかったな。

大学に力を入れてしまったのもあるけれど

 

制作するとアトリエにこもるのでルナのそばにいられなくなる。

 

それを思うと

ああよかったと思います。

 

ルナのそばに少しでも長くいたことを思いつくと

よかったと思えます。

 

去年ツレがリフレッシュ休暇で10日くらい仕事を休んだのですが

 

二日友達と旅行に行っただけで、あとはどこにも行かずにルナと過ごしていました。私は仕事でしたが。

 

そういうのを思い出すと

 

ああよかったと思えてしまう。

 

少しでも長くルナといたことを

 

 

また乱文になりましたw

大学の厳しいレポートを書いているとは思えないような乱文ですがw

 

こんなふうにつらつらと気持ちを吐き出すのもいいかなと。

 

もしわんこを失ってつらくて

でも自分でブログを立ち上げる元気もない方は

よかったら

ここのコメントに書いてみちゃってください。

 

書くと少しだけ楽になります。

誰かが読んでくれるかもと思うとそれだけで支えられているような気持ちになります。

 

皆さん

いつもありがとうございます。

世界が辛い

今日はツレと銀座に行ってきました。

犬にお留守番を極力させない生活をしてきましたので

10数年ぶりです。

 

それまでは実家に住んでいたこともあり

出かけても誰かしら家にいたので犬が一人になることはなく、

週末ごとにあちこち出かけていたのですが。

 

久しぶりにどこのレストランにいこう?と

昨日からあれこれ調べていたのですが

 

結局地元のレストランへ。

 

犬がいるから遠くに行かないようにしてきたのに

もうそれが自分たちの生活になってしまっていたようです。

 

出かけても明るいうちについ家に帰ってしまいます。

夜の散歩に間に合うように帰ってしまうのです。

 

まあ、年をとったのもあるかもですがw

 

 

世界中が辛いです。

ルナと散歩した道を歩くだけで

 

部屋の掃除で犬の毛を見つけるだけで

 

辛い

辛い

辛い

 

友達に、

もう元気そうだねと言われると驚きます。

 

犬猫の死を体験したことのない人には

そう見えてしまうんですね・・・

 

経験したことのある人には

私のこれがカラ元気であることなんかお見通しです。

 

でも、人に会うたびに泣いているわけにもいきませんから

普通に笑うしかないんですけどね・・・。

 

必死に毎日を取り繕っているのに

 

もう平気そうだねと言われると

もう生活が戻ったねと言われると

 

そこから崩れ落ちそうになります。

本当は違う、でもそれを言ったところで意味ないですもんね・・・。

 

 

反対に

カフェの顔なじみの店員さんが

ルナの死を知らずに、

 

今日は雪になっちゃってお散歩大変ですね、なんて言ってくれると

 

ルナのこと、覚えてくれていたんだ!と

少しうれしくなりました。

 

今日行ったレストランの方も

わんこを癌で亡くされていて、だから

私のことを気にかけてくれていて

 

辛いですね、と・・・。

 

それ以上言葉がお互いにはないですが

でも気持ちをわかってくれているのがお互いわかるので

ちょっとだけうれしかったな・・・。

 

 

ルナの遺品は(先代たちのも)

食べ物と、思い入れのないもの以外はとっておくことに決めました。

 

介護グッズは思い出にしたくないし

必要な子もいますから今後も寄付する予定ですが

 

ハーネスとかとっておこう。もう。

 

でも反面辛いです。

みるだけで。

だってついこの前まで使って河原に行ったりしていたのに。

 

今日玄関を片付けたのですが

オシッコ用のお水・・・それも放置したままでした。

ペットボトルにお水をいれてシャワーにするアレです。

 

ペットボトルの水を捨てながら泣きました。

 

その水は

ルナのオシッコを流すために入れておいた水なのに。

 

ああいやだ

 

何でルナがいないんだろう

 

 

さてこれから部屋を片付けます。

 

実はマンションの非常口の点検で

業者が来るので片付ける必要があるんです。

 

ルナが歩けるようにリビング前面に敷きつめたヨガマットも片付けないと。

 

マットに残ったルナの爪痕。

 

もう少し早く病気に気づいていたら・・・

 

考えずにいられない・・・けどそれは考えてももう

どうしようもないこと。

 

考えてもどうしようもない過去のことを後悔しても

意味はありません。

 

経験を活かす「次」もないのですから。

 

だからそこで思考を止めます。

 

 

ところで友達にこのことを話すと

 

犬猫を看取った経験のある人もけっこう多くて驚きました。

飼っていることさえ普通は知らないですから

 

そして

この気持ちをわかってもらえること、それはやはり

私にとっては救いです。

 

特に今はもう飼っていないという人に

気持ちがわかってもらえる気がします。

 

私は過去、犬猫を亡くした人に

保護犬猫を引き取りなよ、と平気で言ってきてしまったな・・・

そういう気持ちはいまももちろんありますが

 

保護犬猫に限らず、もう動物は飼えないんだという気持ちが

 

今やっとわかるからです。

 

そういう友達たちを見ると

半年くらいは また飼おうかなと考えなくもない、と話していますが

 

半年くらいで諦めがつくようです。

きっと新しい生活パターンが出来上がるんだと思います。

 

私も今は

まだまだ

散歩いかなきゃ!とつい思ってしまう生活をしていますが

 

きっとすぐに

その時間は他の何かで埋まってしまうことでしょう。

そう思いたい。

 

ずっと犬がいたので

うちは家中にコルクマットを敷き詰めていましたが

 

それも全部剥がしました。

マンションを購入してからすぐに敷いたので

剥がしてしまうのは初めてのことです。

(交換はしていますが)

 

この家は

犬のための家だったんだ

 

だから犬のいない今

 

だれもいないみたい。

 

だから

 

自分の家にしなくては。

 

10数年、友達も呼んでいないし

親さえ来ていませんw

だってわんこが怖がるから。

 

でもわんこのいない今、

別に友達ももう呼べるんだよなあ・・・。

 

ルナという意味だけでなく

犬がいない

という生活。

 

これをこれから始めるんだ。

 

そしてそれに集中することだけが

気を紛らわしてくれる気がします。

 

わりと広いリビングなんですが

机も椅子もほぼありませんw

犬のために邪魔なので他の部屋に押し込めてしまって。

老犬はソファーにも登れなくなるので

ソファーも捨ててしまいましたしw

 

ここにダイニングテーブルを持ってきて

友達を呼ぼうかな・・・。

 

なんかまた

乱文です。

辛くなるとここに乱文を吐き出して

そうすると落ち着くみたいです。

 

さあ、また掃除の続きしましょ

 

ルナの毛が出てくるたびに辛いけど

 

また会えるもんね。

 

そういえばクローンぬいぐるみなるものがあるとか。

買ってみようかな・・・

遺品整理が辛い

今日もまとまりなくパラパラ吐き出します。

こんな謎のブログを読んでくださっている皆さま、

本当にありがとうございます。

 

私と同じような思いをしている誰かに

届くといいな。

 

同じだ、と思うだけで

ちょっとだけ救われるから。

 

 

 

寄付できるものは寄付してきましたが

 

まだまだ片付けないといけないものがたくさんあります。

部屋はいまだ

ほぼ介護の生々しい散らかり方のままです。

 

このままでは辛いだけ。

今日から少しずつ片づけを始めることにしました。

 

私の新しい生活のためにも・・・

 

いま私のアトリエは介護に邪魔だったリビングのいろいろなものを投げ込んだような状態です。

 

来週末マンションのベランダの非常口の点検がくるので

片付ける

いいタイミングだと思います。

 

今まではずっとわんこがいたので、点検いやだったなあ・・・

 

どのわんこも(皆柴犬だったので)

よその人が基本的に苦手だったので・・・

 

今回も介護で断る予定だったのにな・・・なんてことまで思い出して

いちいち辛いよ。

 

今日は介護に使ったもので寄付できないような古いお皿などを始末。

先々代の介護から使っていたお皿なので

思い入れみたいなのもある反面

 

常に介護の時ばかりを私は思い出してるなあ、と

元気だった皆を思い出してあげた方がいいのに。

 

思い出す状態で今の彼らの状態が決まったりしないとも限らないし

 

そう思うと

 

とりあえず介護の時に使っていたものたちは処分しようと決めました。

 

シリンジ、捨てられるかなあ・・・これも先々代の時から。

 

寄付したいけど古いからなあ・・・

 

まあ、シリンジは最後にしようw

 

ルナがしょっちゅう入り込んで床をぺろぺろしちゃって

だめ!と叱ってたキッチンの床のタイルマット。

 

これも捨てよう。

 

ルナがきて初めての夜、怖がってキッチンの奥にじっとしてたっけ。

そうえいば先代犬を引き取ったときもそうだった。

 

だからこそにマットを敷いてそっとしておいたんだよね。

 

たった三年半前のことなんだ・・・

 

まだ10年も一緒にいるつもりだったのにな・・・

 

リードとかハーネスとかは寄付や捨てるのをやめた。

あの子たちがここにいるなら

あの子たちのものがあった方がいい、と

保護団体さんに聞いたので。

 

神社でもらったお守りや

絵馬とか

何もかもが虚しいな

 

治れば神様のおかげ

治らなければ穏やかに逝けてありがとう

 

ってことなんだろうけど

 

今の私はまだ神社に「御礼」には行けないでいる。

 

長生きだけど祈ったわけではない。

奇跡的な完治を願ったのはルナが逝く少し前のこと。

だってそんなこととても願えなかったよ・・・

せめて穏やかに、と

最後まで幸せにいて欲しいというだけで。

 

願いは叶ったのかな・・・

 

叶ったと思えば叶ったんだろうけど

 

やはり今は考えることができないや。

 

役所に死亡届も出しにいかないと。

 

いろんなことはまだ後回しにしよう・・・

 

 

人生で初めてペットロスを乗り越える。これから。

今までももちろんロスにはなってきたけど

次の子をすぐに引き取ることで

こんなに辛い思いはしないで来てしまったんだ。

 

でも、ここでまた引き取ると私の未来は決まってしまう。

 

私が引き取らない方が幸せになれたかもしれない子を増やすだけだし

 

犬を

自分の何かを埋めるために引き取ること

それをやめる日はいつかは来てしまう。

 

年をとれば最後まで責任をもって犬を飼えなくなるのだから

 

余談ですが犬のいる老人ホームに入れたらいいな・・・

でもそこの犬は幸せに暮らせてるんだろうか?

年寄にいじめられたりしないか?とか気になってしまう・・・

やはり動物を人間のための何かに使うのはいやだと思う。

はやくリアルなaiboとかできればいいのにね。

 

人間がいなくなれば動物や植物は恐らくは

もっと幸せに生きられたんだろうな・・・

 

ええと。

 

思考がこうしていつも広がってしまいますw

 

哲学に至ってしまう。

 

そんなわけで

家を片付けるのも辛くてたまらないわーーーーー!!!!!

 

服についたルナを毛を見かけると

捨てるのも嫌だし

かといって一本ずつ集めるのもね・・・

(遺髪は別にとってあります)

 

こんなどうしようもないもやもやを

 

もやもやしながら引きずって

 

いつか良い思い出だけ思い出せるのかな・・・

 

また愚痴ります・・・。

寄付へ行ってきました。

 

わんにゃん小梅保育園さんの里親会へ。

 

ルナを引き出してくださった代表さん。

ルナが病気になって

迷ったとき辛い時

お電話させていただけてありがたかったな・・・

 

ルナが亡くなって

ツレの次に連絡をしたのも代表さんへ。

 

だってルナのこと家族以外で一番考えてくれる方なのだから。

 

それで、ちょっといいお話をお聞きしてしまいましたので

皆さんにも・・・。

 

保護わんこをお届けにスタッフさんとお子さんと一緒に

行った時の話。

 

二匹のわんこを連れて、その話を皆でしたりして。

 

その帰りにお子さんが

 

なんでみんな二匹の話しかしないの?

三匹いて、もう一匹はずっとこっちを見ていた

 

というのだそうです。

 

でもそこには二匹しかいなかった、と・・・。

 

もう一匹のわんこの特徴を話すと

 

そこのおうちの先代犬、だったそうです・・・

 

涙出そうになりました。

 

いるんだな、おうちに・・・。

 

 

私は先々代の足音を数回聞いたことがあるけれど

(私見えたりしない人ですが)

 

代表さんも、目のふちに白いしっぽがちょっと見えたり

車で、誰も載せていないのに猫のくしゃみを聞いたり

されたりするそうです・・・

 

霊感なんかないし、なにも見えないのに、とおっしゃっていました。

 

先述のお子さんには見えていたんだなあ・・・

 

なんだかうれしくなっちゃいました。

 

だとしたら

 

いるんだここにも。

 

ふといつもの場所を見ると

ルナもこっちを見ている気がする。いつものように。

 

先代たちもそれぞれの好きな場所にいるはず。

思い思いに

 

家の好きな場所にいるんだ。

 

そう思うと少しだけ気持ちが楽になるような気がします。

 

そう思いたい。

 

 

ルナがいなくなって

先代たちのことをむしろ思い出します。

 

皆が一緒にいるような気がして。

 

足音、また聞こえるといいな・・・