2011-07-23 14:19:58

キャンドル・オブ・ライフ(ムーディー・ブルース)

テーマ:嬰ハ短調


ムーディー・ブルースは1960年代の終わりから1970年代にかけて
ピンク・フロイドやキング・クリムゾンとともに
プログレッシブロックの代表選手としてFM放送などでよくかかっていました。
なぜか最近はほとんど話題にならないようです。
サテンの夜 マイソング ゲジングゲーム ロックンロールシンガー ・・・
いっぱい名曲がありますが
アルバム ”子供たちの子供たちの子供たちへ” に収録されていた
この ”キャンドル・オブ・ライフ” も最高傑作の1つです。

♪すぐにわかるよ 君が孤独だということは
 いくら心の奥深く隠そうとしても 僕にはわかる
 でも、そんな時 ちょっと心の中を覗いてみるんだ
 君の生命の蝋燭は密かに燃えている

2011-07-21 11:56:37

J-POP30年史(再連載9)

テーマ:ノンジャンル

しばらく何も書いてなかったはずなんですが

なぜか7月20日のアクセスが急に増えてる


原因はよくわかりませんが J-POP30年史の1977年を


他のところでもさんざん書いてきましたが

1970年代の後半はJ-POPの作られ方が大きく変わっていきました。


ラジカセやカーステレオが普及したことや

TVによる楽曲の宣伝が盛んになったこと


1人でじっくり聴く というスタイルから 大勢でワイワイ

何かをしながらBGM的に聴く(というか流しておく)


サウンドは派手になり、衣装や振り付けが斬新になり

音楽がファッションの一部になっていく


そんな時代でしたがフォーク系にも多くのソングライターが登場しました。




1977年に発売された名作アルバムを紹介しましょう。

 

 

大塚博堂の2nd 過ぎ去りし想い出は  

 

河島英五の3rd 信望

 

中島みゆきの3rd あ・り・が・と・う

 

 いずれも期待を裏切らない内容でした。

 

2011-07-03 11:15:01

J-POP30年史(再連載)

テーマ:ノンジャンル
中島みゆき は 1975年に アザミ嬢のララバイ で
シングルデビューをしてますが
この年にはさほど話題にならず
雑誌のレビューでそういう曲が出たことは知っていましたが
曲は耳にした記憶がありませんでした。

しかし翌年に1stアルバム

”私の声が聞こえますが” が発売され

このアルバムはたちまち大評判になりました。

2ndアルバム 
みんな去ってしまった  も前作を上回る出来で

 

この2枚は陽水の初期の3枚と並ぶ名作アルバムだといえるでしょう。

そのほか

 

NSP の 7th シャツのほころび涙のかけら

 
大塚博堂の1st ダスティンホフマンになれなかったよ

 

など 拓郎や陽水がいいアルバムを作れなくなってきていただけに新旧交代を感じさせた

 

(大塚博堂はこのとき32歳でデビューしたわけですが、

7枚のアルバムを世に出し、3年後に脳出血で死亡します)

 

もう1つ きくち寛 の1st 遠まわり も隠れた名作でしょう


 

ホンキートンクピアノ 日陰の花 三下り半 遠まわりといった名曲がいっぱい。

 

逆に 期待はずれだったのが  井上陽水 の 招待状のないショウ

 

陽水はポリドール時代に多賀プロデューサーと組んで4枚のアルバムを出したが

自分でレコード会社をつくりセルフプロデュースをすると わがままが通ってしまうので

いい作品は生まれなくなるような気がします。

吉田拓郎にも同じことが言えますが
こちらは曲作りに関しては幅が広い。

 

かわって脚光を浴びてきたのが 東大卒の第1勧銀社員 小椋佳 で

布施明 にかいた シクラメンのかほり がレコード大賞となり

 

 夢追い人  道草  などの名作を出します

 

河島英五 の2nd 運命 は前作を 越えていませんが
いい曲はたくさんあります

 

2011-06-25 14:55:01

J~POP30年史 (再連載7)

テーマ:ノンジャンル
J-POP勃興期

 

1974年当時のアルバムは2800円、まだラーメンが100円前後、

200円あれば学食でステーキが食えたことを考えるととやっぱり高い。

レンタルなんてない時代ですから頼りはFMのエアチェックということになりますね。

オープンリールのテープに録音していましたが

この頃からカセットテープも普及してきました。

ただし当時のカセットはまだ音質が悪く使えなかったですね。

 

1974年のオリコンチャートを見ると 演歌・歌謡曲が強いように見えますが、

上にも書いたように高校生や大学生が気楽にレコードを買える時代には

まだなっていなかったんですね。

深夜放送やFM放送では四畳半フォークや抒情派フォークが大人気だった時代です。

 

赤ちょうちん かぐや姫 1月10日発売 年間32位

 

かぐや姫 は 南こうせつ 伊勢正三 山田パンダ の男性三人組

4thアルバム 三階建の詩 には

 22歳の別れ  なごり雪 も含まれていました

 

 

精霊流し グレープ 4月25日発売 年間13位

 

グレープは さだまさし と 吉田正美 の男性二人組

このあとの 追伸 や ほおずき も名曲でした

 

 

 

岬めぐり 山本コータローとウィークエンド 6月1日発売 年間17位

もかなり売れたし チャートでは目立ちませんが NSP も人気がありました

 

 

 

1975年になると フォーク という範疇におさまらない 

いわゆる ニューミュージック と呼ばれるものが登場します。

 

港のヨーコヨコハマヨコスカ 

ダウンタウンブギウギバンド 

4月20日発売 年間5位


 

歌謡曲とフォーク中心のヒットチャートに突然異色の音楽が登場した。

これ以後 宇崎竜童は70年代後半の主役になっていきます。

 

フォークで人気のあった かぐや姫 は解散し メンバーの1人伊勢正三が

猫 の大久保と組んだユニットで かぐや姫の 22歳の別れ を

セルフカバーでしてデビューしたところいきなり大ヒット 年間7位

 

小椋佳の シクラメンのかほり を歌った 布施明 がレコード大賞 年間2位

 

全体にジャンルや畑の境界がなくなってきたのがこのころからだったように思います

 

演歌では さくらと一郎 の 昭和枯れすすき 年間1位

 

フォークでは 小坂恭子 の 想い出まくら 年間3位
(FORKSONG3で2002年に中澤裕子がカバーしライブでも歌った)

 

男性アイドルでは 沢田研二 の時の過ぎゆくままに 年間4位

 

女性アイドルでは 岩崎宏美 の ロマンス 年間6位

 

個性的なヒット曲が多い年だった。あとアーティスト名だけ紹介すると

 

かまやつひろし、イルカ、バンバン、クラフト、しまざき由理、増沢末夫、坂上二郎

など個性派がとにかく目立つ。

 

アルバムでは


 河島英五とホモサピエンス 

1stアルバム  人類

 

がすごい。このなかの 


てんびんばかり 


は8分以上の大作で

吉田拓郎のイメージの詩 をおもわせる 説得力のある そして 重い名曲

シングルでもでたんですが B面の 酒と泪と男と女 のほうが有名になってしまいました。

B面ラストの さよなら もすごいが この曲は 

あのねのねビューティフルオンステージ に収録されたライブのほうが迫力があります。

 

2011-06-23 07:25:38

J-POP30年史(再連載6)

テーマ:ノンジャンル

1973年には フォークはヒットチャートの常連になりました。
FM放送では、つければフォークが流れてくるようになり

洋楽と和製フォークの比率は完全に逆転した気がします。

 

学生街の喫茶店 (ガロ) 

72年6月20日 年間3位

 

神田川(南こうせつとかぐや姫) 

73年9月20日 年間6位

 

心の旅(チューリップ) 

73年4月20日 年間7位

 

これらの曲は今もカラオケでよく歌われているらしい。

 

そして 


井上陽水の 3rdアルバム   


”氷の世界” 


なんとミリオンセラーを記録するのですが

 

ラーメンが50円の時代のアルバム2000円というのは 

かなり高価なものですから

このミリオンは500万枚以上の意味があると思います。

2011-06-22 06:49:33

J-POP30年史 (再連載5)

テーマ:ノンジャンル

1972年は 日中国交回復 沖縄返還 など


日本の歴史の上でもいろいろあったんですが


巷に流れる音楽の大きく変化してきました。


和製フォーク と呼ばれるものがチャートに入るようになり


TVにもこうした人たちがしばしば出演するようになりました。


もちろん頑なに出演を拒む人も多かったのですが


いよいよ 歌謡曲とJ-POPが肩を並べるところまで来たわけです。




ヒットチャートではエレックからCBSソニーに移籍した よしだたくろう が大活躍




結婚しようよ (よしだたくろう) 年間14位


旅の宿 (よしだたくろう)  年間4位


 


コミカルなものやアングラなものでない 


この曲によって歌謡曲とフォークの間の垣根は除かれ


はじめてフォークが社会的に認知されたといえるでしょう。


 


そして 井上陽水はCBSソニーからポリドールに移籍して


多賀英典プロデューサーと出会い 


数多くのアルバムを世に出すことになるわけですが


この年に





J-POP史上 最高のアルバムといってもよい


 


井上陽水の1stアルバム 





”断絶” が発売されるんです。


 


セールス的にはそれほど目立たなかったんですが


口コミやFM放送、音楽雑誌などを通じて広まって行きました。





このアルバムのラストに収録されていた





傘がない  は結構話題になりました。


 


2011-06-21 20:00:26

J-POP30年史 (再掲載4)

テーマ:ノンジャンル

朝更新しようとしたらメンテナンス中だったので・・・


1971年はいろんな意味で忘れられない年なんですが それはさておき


1971年は洋楽の強かった年でした。

 オリコンチャートのベスト3を洋楽が独占したこともあるくらいですから

 

いわゆる”歌謡曲”も 相変わらず強いのだが、ド演歌やムード歌謡は少なくなって

POPな曲想のものが多くなってくる。(いわゆるポップス演歌と呼ばれるもの)

 

フォークはチャートにこそ現れませんでしたが、

深夜放送やFM放送では人気があって、いろんな曲がよくかかっていました。

 

あの素晴らしい愛をもう1度

(加藤和彦と北山修) 


が年間46位

2002年に、FORKSONGS3 というアルバムで 

中澤・後藤・藤本がカバーしていましたね


よしだたくろう や 泉谷しげる もラジオではよくかかってたんですが

エレックというマイナーレーベルのせいかオリコンではまだ目立ちません

 

2011-06-20 19:15:41

J-pop30年史 (再連載3)

テーマ:ノンジャンル
1970年は大阪万博の都市
そして日本という国家が大きくUターンをしていくんですね
いろんなことが反対方向に動き出したというか・・・


でもJ-POPはこのころから表舞台に出てくるんです。




J-POPの黎明



1970年には 相変わらず演歌や洋楽が好調だったんですが 単発で


 


走れコウタロー (ソルティ・シュガー) がヒット 年間26位


 


sのつかないGSとして英語の授業のネタになりましたね(物質名詞ですから)


 


山本コウタロー はその後大学教授になったらしい。


 


そういえば 水虫の唄 を歌っていた人は ニッポン放送の社長になりましたね・


 


この年 よしだたくろう  





イメージの詩 





















で エレックレコード よりデビューしますが


マイナーレーベルのためか オリコンのデータには残っていません


だが 深夜放送やライブでは絶大な人気がありました


 


もう1人 URCレコードの 岡林信康 もアングラフォークとして


深夜放送ではよくかかってい、ました。


 


だから 表のオリコンチャート と 深夜放送のチャート とは


ベスト10全部が違う曲 なんてこともあったんです。


 


そして JーPOP の時代への幕を開いたのは 


このころから次々と開局したFM放送じゃないでしょうか。


サービスエリアは狭いものの オーディオブームとの相乗効果でリスナーが増え


音楽文化の発信源となっていったように思えます。 


 


 

2011-06-20 07:03:00

J-POP 30年史 (再連載2)

テーマ:ノンジャンル
1969年はアポロ11号が月へ行った年  
ポルノグラフティのメンバーが生まれるずっとずっと前 です。
いわゆる高度成長の時期
TVはようやくカラーが普及したころ
全国の国道はまだ舗装されてないところがたくさんありました。




1969年

 


この年はGSブームも下火になって 演歌・歌謡曲勢の巻き返しが目立ってきて


 


風 (はしだのりひことシューベルツ) が年間12位

 


昭和ブルース(ザブルーベルシンガーズ)  

 


グッドナイトベイビー(キングトーズ) 



のようにムード歌謡に近いものが多くなってきました。


 


洋楽が案外好調で j-POPは一休み といった年だったかもしれません。


 


この年 後の 井上陽水 が アンドレカンドレ という名で 




カンドレマンドレ という曲を CBSソニー から出しますが 売れませんでしたた。


 


ほかにも 60年代末期には チャートにこそ登場しませんが




岡林信康 高石ともや 高田渡 加川良   





など アングラフォークとよばれる人たちがJ-POPの源流をつくっていましたし  


ラジオの深夜放送が若者の音楽文化を支えていました。


 


そんな中で 




五つの赤い風船  とか  




赤い鳥  などは





一般層にも浸透し やがて70年代前半のフォークブームへつながっていきます。 



2011-06-19 10:48:04

J-POP 30年史 (再連載1)

テーマ:ノンジャンル

12年前に書いたものの再連載です。





。。。ローリングなっち。。。


♪♪ J-POP 30年史 ♪♪


 


J-POPって何だ。その答えは人それぞれで違うだろう。

ただ1つこれだけは言えるだろう。僕らはJ-POPと共に生きてきた。








J-POPの源流

 



1960年代には、邦楽は洋楽に比べて音楽的に劣る という認識が一般的でした。


その原因として、当時の専属作曲家制度というものがあるんです。


すなわちこの時代にレコードを出すためには


レコード会社の専属作曲家にならなければならず


自由にく曲を作って発売するといった


今日では当然の自由が認められていなかったのみたいです。


自由競争のない世界では必然的にレベルは低下しますから、


質の高い音楽を求めるものは洋楽へと流れていくことになり、


自称 音楽ファン の多くは 歌謡曲というものをバカにしてました。


しかし洋楽は歌詞が英語ですから多くの人は歌詞がわからない。


そこでTVでは洋楽のカバーを日本語の歌詞で日本人に歌わせていました。


これが ザ ヒットパレード という番組で、このテーマ曲はどう聞いても


ヒッパレ ヒッパレ としか聞こえません。


(10数年前に日テレでやっていた 夜もヒッパレ という番組ははこれをパロっていたわけです。)


 


こうした状況に風穴をあけたのが GS すなわち グループサウンズ でした。


もちろんブームに便乗しただけのものもありましたが、


今聞いても音楽的な古さを感じさせないものがたくさんありますから


当時としては革命的な音楽だったに違いありません。


というより 現在のJ-POPの源流が作られたといってもいいと思います。


 


タイガースの沢田研二やスパイダースの堺正章などが

その後長く芸能界で活躍したことや


なんらかの形でGSにかかわってきたひとたちが


70年代、80年代のJ-POPの主役であったことを考えると、


日本の音楽文化の土台が築かれていった時代であったともいえるでしょう。


(タイガースの 花の首飾り の作曲者はドラクエでおなじみの すぎやまこういち )


 


GSと並んで60年代後半の大きな流れとして、


西と東でおきたフォークブームも無視できません


東では歌謡曲に近いサウンドで多くの人にアピールしたカレッジフォークがあり


西では政治的な主張を盛り込んだアングラフォークがありました。


カレッジフォークは電波に乗りメジャーなレコード会社から発売されたのに対し


アングラフォークはアングラレーベルと呼ばれるマイナーなところから発売されました


(今のインディーズに似ているがもっと認知度は低かったと思います。)


ところが このアングラレコードから日本初のミリオンセラーが誕生するのです。


 


 1968年

 


 帰ってきたヨッパライ (ザ フォーク・クルセダース
) 67年12月25日発売

 


オリコンチャートにおけるミリオンセラー第1号で68年の年間売上第2位。


メンバーは 加藤和彦、北山修、はしだのりひこ の男性3人


♪ おらは死んじまっただ  
 というフレーズは多くの人が知っていると思います。

 


 


 


花の首飾り (ザ タイガース) 68年3月25日







 


すぎやまこういち の作曲で GSの代表的ヒット曲、68年の年間第6位



井上陽水もカバーしてるほどの曲です。




今聞いても このころのGSの曲は当時 歌謡曲 といわれていたものにくらべて時代を先取りしていました


もちろんつまらない曲も山ほどありましたが 現在まで歌い継がれている曲は多く 


ぜひとも今の若いアーティストにカバーして欲しいところです。


 GSのヒット曲としては、他に


 


小さなスナック (パープルシャドウズ) 68年3月25日 年間14位

 


エメラルドの伝説 (テンプターズ) 68年6月15日 年間16位

 


をはじめ10曲が50位以内にあります。50位以内にはありませんが


 


亜麻色の髪の乙女(ヴィレッジ・シンガーズ)



は12年前に THE GARAGE によるカバーが出たことがあります。


 


 


 


歌謡曲よりのPOPSとしては


 


恋の季節 (ピンキーとキラーズ) 68年7月20日

がミリオンセラーで年間第3位


 


じゃこの年の年間第1位は?なんと66年3月24日発売の・・・・・・星影のワルツ(千昌夫)


 


このころは1年以上もかかってチャートを上がっていくことも珍しくなかったんです。


 


チャートを上がって行く楽しみを味わったことのあるものにとっては


 


初登場が最高位で、あとは落ちて行くだけ っていう最近のチャートの動きは淋しいものがあります。





1969年以降はまた次回に


 


 


 







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