(→その2からの続き)
本日最後の避難所、高田第一中学校避難所。

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多くの学校施設が避難所として使用されているため、生徒の部活動に大きな影響が出る。
この中学校の野球部は雨のせいで校庭がぬかるんだ日は、普段は体育館で練習する。しかし体育館は避難所となっているために使えない。
地面がコンクリートだったり砂利が敷かれていたりして、ぐちゃぐちゃになっていない場所は校舎に囲まれた所にあって、普通にボールを使って練習したのでは窓ガラスを割ってしまう事になる。
ということでこの学校の野球部はなんとバドミントンの羽根を使って練習していた。
実際の野球ボールとは動きも重さも全く異なるわけで、これはもう野球の練習ではないのではないか?と思わせるちょっと異様な練習風景だった。
気仙沼高校野球部の「校内の廊下を使ったランニング」を見た時も同じ事を感じたが、こうやってできる範囲で、やり方を工夫して懸命に練習する姿は本当に健気で、そして逞しい。この子達が復興の中心となっていくのだろう。グッときちゃうなあ。


ここではステージの上でのライブ。
他の避難所では広場的な場所があって、そこに集まってテレビを見たり世間話をしたりする所が多かったが、ここは避難されている方の数が多く、それぞれの方に割り当てられた生活の場が体育館の端から端までをびっしりと埋めている。そのため、みなさんそれぞれ自分が普段生活しているその場所から歌を聴いてくれた。
特にここは避難されている方の数が多く、ステージ上でも10組ほどの方が生活をされている。そんな皆さんにはには申し訳ないがお尻を向けてのライブである。

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体育館でマイクなしライブは大変だ、と思うかも知れないが、体育館は吸音するものがほとんどないため意外に声は届く。もちろんこちらはフルボリュームで歌うわけだが。

終演後、サインしつつお話を聴いた。

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そのお母さんは「うちに入って」と言った。
段ボールで区切られた4畳半ほどのその場所を、彼女は「うち」と呼んでいるのだ。

何人か集まってくれた中で、もう1人のお母さんが話してくれた。
「早く仮設住宅に入りたい。仮設住宅でも一応自分の家だから。家ができて、ようやくスタートが切れるのよ」
彼女はその区切られた避難所の自分の生活の場を「家」とは呼ばなかった。


震災から3ヶ月がたち、それぞれの避難所で独自のコミュニティが作られていった。
700ヶ所の避難所は、そのまま700個の小さな町だ。その町ごとの独特のルールがあり空気があり風景もある。
それらを尊重し、ある種「引き継ぎながら」復興を進める事が重要だと思う。
様々な事を考えさせられた陸前高田での1日だった。

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