まぐのアート

特になし。


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 というのはあまりない、心の広い俺。
 許せない人が許せない、これならば、かなりある。
 これを「それは許せない人と同じ」と言う人間がいて、話を合わせたり、自虐で「そうだよね(笑)」というわけだが、これは全然違うと思っている。
 メタ次元のものとそうでないものを一緒にするのは無理がある。
 メタとは「上位の」という意味だが、メタ認知といえば「認知についての認知」、メタ小説といえば「小説についての小説」、という程度。別に難しいことではない。
 もっと単純なのは、「一個」をメタレベルにすると、数字の「1」。小学生が数字の1を理解するのに、「リンゴが一個ありました。みかんが二個ありました。足したらどうなるでしょう?」と説明するのと「1+2=」とは全く同じではない。
 これと同様に、「許せない」のと「許せない人を許せない」は全く違う。
 次元が違う。「次元が違う」という言葉は上から目線のように聞こえるが、フラットな意味で次元が違う。文章と文章をつなぐ接続詞もメタ次元のものだ。「俺はまぐで男。あなたはあみちゃんで女。背クロスした」は単なる文章。「俺はまぐで男。あなたはあみちゃんで女。だから背クロスした」の「だから」は次元が上。別に何も高級品と安物の違いのようなレベルの高低があるわけではない。接続詞が多すぎて訳が分からなくなる場合もあるのだし。

 喧嘩して「許せない!」と怒る人間。「許せない自分がいる」と気づく人間、これは全く違う。これは例として正しいのだろうか?

 許すことが美徳だと思っている。『ドッグヴィル』という映画が「許せるかどうか」を問うている映画だから昔観て良いと思った(何度か書いてるはず)。映画館で寝たのに、最後の場面だけで「これは素晴らしいシーンだ!」と思った。こういう経験はなかなかない。
 許すことの傲慢さ(許す、が上から目線だというだけでなく)、が問われるわけだが、それを観て自分の中で答えが出るわけではない。答えがないけど考えさせられる、いや、正直に言うと考えはしない、ただ問いが出来てその問いに共感できるだけで十分なのだ。そういうのが良いわけで、何か世の中にあるエンターテイメントな物語は、答えや解決を求めすぎるように思う。



 この映画、今トレイラーを観て、ある意味、「村が主人公」の映画だと気づいた。
 キューブリックの『シャイニング』、スティーヴン・キングの小説の『シャイニング』のほうが顕著らしいが、「ホテル」が主人公らしい。映画を観てても気づかなかったところで、これは面白いな、と思う。



 許せないこと。
 あやちゃんという子がいて(昨年の夏に会った子)、この子が本当に余計なことを言う。
 この子がワイン屋に行って、そこの店員の甲状腺の病気の人とチーズ食べたら「私も喉の辺り痛くなって病気移ったのかと思ったあ~」と言う。調べたらしい。もちろん移らない。この感覚が、別に許せなくないのだが、相当に無神経だと思う。他の人にも言うから「それは口に出したらダメだ」と言おうか迷ったが、言わなかった。言うべきだった。
 あと、自宅の何かの補修に来た人を無音カメラで撮影して「ハゲが来た」とLINEしてくる。これも嫌だ。
 愛があるいじりだとかからかいなら何も良いんだけど、ここにはただの馬鹿にしている感情しかないように感じる。
 この子、ハローワークに行って、脚が悪い職員のことけなしていて、何でけなしてるのかと思ったら随分と態度の悪くて馬鹿にしてくる職員だったらしい。どっかの服屋かに行ったら「変な人がいた」と言って、何かと思って聞いたら、「一方的に喋って空気読めない」店員だったらしい。
 悪口言うならもうちょっと言うべきポイントを選んだり、愛があったり、笑いがあったり、そういうのがほしい。

 左翼・右翼という分け方は高校の時に学んだと思っていたのだが、ネットで「右翼はキリスト教の原理を守る立場。左翼は解放する立場」という分け方をしている人がいて、これはなるほど、分かりやすいと思った。
「主義・主張を守る」というのは「解放する」よりも弱い。「怒る」のは「許す」よりも弱い、とほぼ同義で言っている。歴史的な流れとして、解放に向かってきている事柄が多いのだから、それはまあよく考えたら弱い。しかし、守るのは勇気がいることのようにも思える。
「天皇制を守る」「女性を差別から解放する」「子供に、人前でうるさくしてはいけません、と怒る」「成人した子供を家のルールから解放する」「未成年の飲酒喫煙を怒る」「喫煙場所を守る」「恋人を束縛から解放する」「時間を守る」「国営化する」「民営化する」「戦争から日本を守る」「集団的自衛権を行使して日本を守る」……どちらがどちらか分からなくなってきた。

 最近、焦る。昔から焦っている。バイト先の人が「一日が長い」と言っていたが、俺にとっては「一日は短すぎる」。小学・中学の時からそうで、一日が短すぎるから寝たくなくて夜更かしして、睡眠不足になって、精神も病むのだ。
 だが、答えを出すことには焦っていない。答えを出す勇気がない優柔不断とそれはどう違うのだろう。


P.S.感情的になって思いっきり書きたくなった前回の記事書いて思い出したけども、ブログ書くのは楽しいなあ~。あみちゃんは別に何も今までと変わってないし、むしろ満足していたっぽいことを送ってくるから嬉しくなったよおじさんは。いやまあ気を遣ってるんだろうけど。
 文章を書く人間は文章を読む、というのを最近目にするんだけど、俺はネットの記事ならいくらでも読んでいられるけど、読書に気持ちがなかなか向かないんよなあ~、ネットの短い記事読むのはどうなんだろう。よく「活字離れは嘘。ネットで文章を読む量は増えている」と言うが、それの意味ってどこまであるんだろう?個人的にはあまりないように思えるが。

追記:女性差別、を「逆差別」だとか怒ってる奴も許せなくてそれメインに書こうと思ったんだけど忘れてた。なぜ俺は女性差別を許せないのか?日本じゃ女性も男女平等なんてあまり求めていなくて、「女性の幸せ」を求めている女性もまだまだ多いのに。

 そういや、好きなAimee Mannが二年前に一曲出していたとさっき知ったので貼っておく。パッと聞いて良い曲!『I'm Cured』!これ「私は治った」みたいな意味だと思うけどこのタイトルだけでAimeeっぽいww

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