まぐのアート

日々のこととかw


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 アイドル(AKBグループが最近では主に)なんかが使う「卒業」という表現、腹立たしくないか?

 こう思う人は多いと思う、「卒業って何だよ、ただ辞めるだけだろ」と。
 つまり、ネガティヴなことを強引にポジティヴな表現にしている感が気持ち悪い、と(※こうやって一言でまとめてしまうから自分は駄目だ。現実で起こっている物事は複雑怪奇だから、基本的には、冗長で、面倒くさくて、意味不明であるべきだ)。

 自分もそう思っていたが、最近、この「卒業」という表現のイメージが180度変わってきた。

 そのきっかけとして大きいのが、日本ハムの陽岱鋼がFAするとなって、フロントから「卒業おめでとう!」と言われたらしいことだ。この「卒業」の使い方はあまりに斬新すぎて、ビックリした笑

 たとえば、絢香ちゃんの飲み屋に通っていた時。
 彼女は、親を捨てて飲み屋で働いて、一人で生きてきた。愛をほしがっていて、彼氏から死ぬかと思うくらいのDVを受けたこともある。親を捨てた彼女がうらやましい。

 今まとめれば、この「一言」になってしまう。

 俺があの日、友美のいるキャバクラから出て、泥酔状態で、向かいの店でキャッチしている絢香ちゃんを見て、「ああ、こんなにきれいな人がいるんだ……」と感動したその感情の高ぶりなどを無視してしまえば、そう、「一言」になってしまう(友美は優しいからこのブログをたまに見ていてくれているみたいだし、あけおめLINEを送っても返信が来た。ところが絢香ちゃんは既読はついたが返信は来ない。こういうもんだと分かっているから別に問題はない。1月31日が絢香ちゃんの誕生日だからまたLINE送ってみようと思う。友美の誕生日は6月24日だったと思うが合っているだろうか……)。

 感動は消え失せる。
 彼女のスナックに通っている途中で思って、親友に言った言葉がある。
「彼女からは学び終えた」
 親友は「学び終えた!? そんな概念があるのか考えておく」と。
 実際、学び終えたんだ、彼女の人生と生き方を聞いて、そういう人生があるのかと感動して、それはそれでもう満足で、それ以上の何があるかといえば、何もない。生きている世界が違うから交際なんて絶対にあり得ないのだし。彼女が入れているタトゥー一つ取っても、俺と生きている世界が違う。会話で彼女が頭弱い発言して、それを「頭弱いんだなあ」と思っているところでも世界が違う。聴いている音楽なんかでも、彼女は「かっこいい音楽」「かっこわるい音楽」の二分割をしているように感じる。若いとこういう人は多いんだけど、これは「卒業」すべきだ。

 おっと、ちょうどよく「卒業」に戻ってきた。
「卒業」という言葉はすばらしい。
 俺は今まで、女性と連絡が途絶えることを「恥ずかしいこと」だと思ってきたし、実際、「ああ、こいつ、長く続かないんだな」と思われるかな、と引け目を感じてきた。
 俺が「男女の友情は存在する」、というのはその人に性欲がわこうがわかなかろうが、それは付加価値であって、友情というのは、もっと根本にあるものだと俺が考えているから。友情は恋愛よりも遙かに尊いものだ、その考えはずっと変わらない。

「卒業」という表現の何が良いかといえば、「しっかり学んだ」ということが現れているからだ。

 絢香ちゃんからは、前述したように、もう学び終えたんだ。
 あみちゃんに何度もプッツンして、それで何もなかったかのようにやり過ごすあみちゃんの態度にもプッツンして、「こいつは問題を解決しないで、やり過ごせば何とかなると思っているのか?」とビックリして、これは本当にビックリだ、彼女は驚くほどに、想定外の話が出てくると反応に困って流そうとする。で、俺も大抵は流せる、「ああ、反応に困っているから流そうとしているんだな」と。
 で、結局、その辺りが原因で関係が途絶えた(濁したまとめ方)。
 そこに何か恥ずかしいことがあるか?と考えた時に、「何もない」というのが俺の答えだ。

 だって、あみちゃんからはもう十分に学んだ。
 この子はとんでもないくらいに苦しい人生を送ってきて、それを引きずっていて、育ちも良くなくて、そういう育ちの良くなさが生活や会話や行動に出ていて(これは非難の意味ではなくて、単純にそのまま思ったことを書いている)、だからコミュ障で、でもそうした中で人生を楽しもうとしていて、それでおそらく何とかやれているんだろう。
 この「何とかやれているんだろう」感に驚く。通常、彼女くらいだと「何とかやれない」んじゃないかな?と感じるから(つまり、精神的に病んで、社会生活を送れないんじゃないかなという意味)。でも「何とかやれている」みたいだし、そこに感動した。

 そして何より、彼女ほど俺に似た人間はいない。
 彼女を見ていると、俺が嫌われる理由がよく分かる。
 俺が好かれる理由も。
 鏡だ。
 さっきの「何とかやれている」感を、俺は自分自身にも感じる。

 この鏡を割ってしまったわけだが、それはそういう時期が来たんだなと思う。
 彼女の遺産はたくさんある。知り合った時に彼女はかなり一方的に好きな音楽を教えてきた。その良さを当時は理解できなかったが、今、ハマっているものが多い。youtubeに高評価をしておいて、それを聴き直したら「ああ、これはあみちゃんから教えてもらった奴か、良い曲だな」と思っている。

 Awesome City Clubの『アウトサイダー』、ハマってるから、今日はこのバンドのCDをたくさん借りてきた。



 きのこ帝国の『クロノスタシス』。きのこ帝国もたくさん借りてきた。



 最近、売れてきているSuchmos。



 他にもあるんだけども、彼女、「シティポップ(都会を舞台にした感じの曲)が好き」と言っていて、当時はそんなジャンルを気にしていなかったけど、教えてくれた曲が本当にそういうのばっか。東京が舞台か!って感じの曲ばっかだったんだなと。あと、ツタヤにいたら、「あ~、彼女が好き言ってるバンドはほとんどこのジャンル(Jポップじゃなくて邦楽ロック)になるのね」と分かったり。

 元カノと連絡が途絶えるのが昔、すごく嫌だった。なぜかといえば、恋人以前に「人間関係」だからそういうのが途絶えるのは自分の人間性に問題があると思っていたから。
 でも人間関係が途切れるのは「卒業」だろう、その表現がより正しい。
 何故なら、その人からは「学び終えた」という時に大抵、人間関係は途切れるのだから。そして、賢い人間(俺)ほど、人から素早く学び終えるんだろうと感じるから。
 そこに、何か恥じる要素があるかといえば、何もないんだろう。恥じている自分こそが恥ずかしいんだと今では思うようになった。連絡を途絶えさせないのに必死な自分が惨めに思えてきた。

 恥じるべきは、人から何も学んでいないまま関係が途絶えることと、それを繰り返すことだろう。

 断捨離ブームがあったが、人と離れたら新しい人が入り込む隙ができる。これはあみちゃんとの関係が途絶えてはっきり分かった。だって、毎日あみちゃんとLINEしてて、バイトでもちょいちょいスマホ見て、休憩中に返信する、となったら、他の関係を作る機会が圧倒的に減るよね。

 なぜ、人間関係が途絶えることをネガティヴに捉えるのか?
 人間関係が途絶えた時、自分が「学び終えられた」と感じられたら、それはとても光栄なことではないのか?
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