今回は、売豆紀神社の前にある売豆紀坂の紹介です![]()
売豆紀坂は、売豆紀神社前から美月に登る坂道で、中世の時代から広瀬から松江に抜ける広瀬街道の重要な出入り口でした。
広瀬街道は、広瀬往還とも言われ、明治の中ごろまでは本街道として熊野・岩坂・大庭・古志原方面の人々が盛んに利用したと言われています。
◆明治のころには、広瀬街道は、「大庭道」・「檜山道」ともいった。
売豆紀坂には、堀尾家お家騒動にも登場します。
【堀尾家お家騒動 千鳥城取立古説より】
堀尾吉晴は築城の途中、亡くなった息子忠氏の子である三之助(後の忠晴、当時6歳)を忠氏の姉、勝山の婿、野々村河内守に預けて広瀬に住まわせました。
河内守は実子勘解由(かげゆ)(15歳)を吉晴の養子として堀尾家を継がせようとしましたが、吉晴は聞き入れませんでした。
河内守は三之助を亡き者にしようと企み、病気と言い触らして幽閉しました。三之助の身の危険を察した乳母らは暴風の夜、わずかな侍たちと部屋から救い出し、夜通し広瀬往還をひた走り、売豆紀坂で夜が明けました。
急飛脚の知らせを受けた堀尾家の重臣らが売豆紀坂に急行し、三之助を迎えたというお話です。
道幅は約2M.。ゆるやかなのぼりが続きます。
坂を上りきると美月団地にでます。
ここから檜山トンネルの上の方を通り、古志原の緑山公園へ。そこから鍛冶屋坂を下り松江工業高校前へ。大庭山代、有、神納、日吉、岩坂別所、駒返り峠を越して広瀬へ抜けます。
桧山配水場跡地の先にある「松江開府の径之碑」。
松江開府400年祭にあわせて、松江開府のルーツとなった道を「松江開府の径」と命名。これを記念して雑賀地区のみなさんが建立されました。
◆参考文献・・・『雑賀の今昔』(雑賀郷土史編纂実行委員会 1991年)
『親子で学ぶ松江城と城下町』(宍道正年 2012年)
『津田・古志原郷土誌』(津田・古志原郷土誌執筆専門委員会 1982年)
■ ■ ■ おまけ ■ ■ ■
売豆紀坂から広瀬まで歩くとこんな感じです![]()

桧山配水場跡付近。
吉晴桜を観ながら鍛冶屋坂へ。こちらもつづら折りの急な坂道。
坂の途中には、六十六部回国塔があります。
鍛冶屋坂を下りると県立松江工業高校前の交差点にでます。
以前は、歩兵第63連隊がありました。
古志原から大庭へ。鶏塚古墳です。
国道432号線を八雲方面へ。風土記の丘近く。
八雲。
駒返峠へ。
駒返り峠頂上から見た広瀬の町。
広瀬の町に向けて下っていきます。
下りきると広瀬の町の中心部へ到着です。
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