フリーハグで学んだ事!!

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ようやく梅雨らしい季節になりましたね。

洗濯当番の私としては、雨は朝から干す場所が室内なので、嫌いですが、植物の気持ちになると嬉しくなりますね。

 

 

さて、いきなりですが

「フリーハグする?」といわれたらみなさん、どうしますか?

 

何も言わずに、

「うん、やる!!」と答えるでしょうか?

 

おそらくは、

え?何するの??

面倒なことは、したくないなぁ腰を引きたくなのではないでしょうか?

 

 

私も、普通ならばそのような反応をしていたかもしれません。

 

でも、そのときはそのような反応ができないような状況でした。

「う、うん。やります!!」と答えた私。

 

 

 

 

フリーハグ。

 

そう、見ず知らずの人といきなり、ハグ そう抱き合うという

西洋人式の挨拶をするのです。

 

駅前の人通りの多いところに、フリーハグのプレートを持って立ち、みず知らずの人とハグをするのです。

 

 

 

怖い、嫌だ、変な人って思われる。

だれがこんなことするんだよ。

 

 

顔はなんでもないようにしていながら、心は逃げる理由を探しています。

 

もちろん、実際に立っても、緊張しています。

だれもハグしてくれません。

無視、変な人の視線を浴びながら、

 

(あー、なんで俺はこんな事をしているんだ、早く終わらないかなぁ)

 

 

 

 

 

ところがである、仲間が実際に見ず知らずの人をハグをするのである!!!

スマイル!!  相手もスマイル!! 思わず私もスマイル!!

 

しかも、ハグしてくれた彼は、一緒にプレートを持って立ってくれたのである。

 

 

え?! なに? こんな人もいるの?

 

私は嬉しくなりました。それと同時に、私の中で何かのスイッチが入ったような気がします。

私もだれかとハグをしたい!!

 

そうやって、目が本当にハグしてくださいビームをだしていると

あることに気付くようになります。

 

100人に10人くらいは、友好的な反応をみせてくれます。

そのうち、3人ぐらいが実際にハグをしてくれます。

 

残りの4人くらいは、迷っています。

だから、こちらか歩み寄れば、ハグしてくれます。

 

あとの3人くらいは、やってみたいけど、恥ずかしいのか

最後の一歩を踏み出せずに去っていきます。

それか、友達がやった後とか、流れによってはやってくれます。

 

 

で、反対に90人ぐらいの人は、無視です。もしくは、わざと距離をとって離れていきます。中には、アホちゃうか!!みたいなオーラも放ってきます。

 

 

そのような事を見ていると、だんだんとハグできそうな人が見えてきます。

そうです、心にゆとりのある人の表情が分かってくるのです。

「フリーハグ」のプレートを目にした瞬間の反応を見ているとなんとなくわかってくるのです。

 

 

反対に、無視するひとは多くの人が、心が動きません。もしくは、眉間にしわを寄せています。

 

 

 

 

市民運動というか、自分が信じて行うこともこれと同じなんだなあと思いました。100人中10人くらいが友好的な対応をしてくれて、

共に行動してくれる人が、必ずいるということです。

 

 

怖いと思ったことはやってみる。

 

それを信じさせてくれる、実践の学びでした。

 

 

 

そうそう、最後に忘れていけないのは、仲間の存在でしょう。

今回も、人では決してできなかったでしょう。

共に行動する仲間がいてこそできた、今回の学び。

 

実際に行動することの重要性

仲間の大切さ

 

言葉にすれば当り前のことですが、

それを体験、体感を通して学ばせていただきました。

 

感謝、感謝です。

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身体ってなんだろう

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身体に注目するのが、私の仕事である。

 

合気道を教えたり、体操教室で身体の整え方、鍛え方を伝えたり、脳幹活性のBSセラピーを施術したり、セミナーで身体の凄さを伝えたりしている。

 

なぜ、こんなにも身体と関係の深い人生になったのだろうか?

 

子どもの時から、運動神経はよくて、小学校に入る前から連続逆上がりが何回も出来て、誉められてそれが自慢で、よくやっていたもんだ。

 

父が教師だと分かると、いつも体育の先生ですか?といわれた。父は、数学の教師である・・・。何も父から身体のことで習ったことはない、プロレスの相手をしてもらったぐらいかなぁ。

 

 

人生40年を前に、考える。

孔子曰く、40歳になると迷わなくなるならしい。

不惑の年である。

 

私はこの身体に関係のある人生を自分で選んで作り上げたのか?

それとも、ある程度決められたストーリの上を歩んできたのか?

 

 

 

身体とは、最初に認識する自分ではなかろうか?

 

自分とは、この身体だと思っている。

でも、どんどん研究していくと、そうではないことが分かってくる。

 

観察している自分と、

観察されている存在(自分と思ってたけど、自分ではないと気付く存在)

 

 

観察している自分が、私なのではないだろうかと思う。

 

その私に対しての、身体は道具なのである。

かけがえのない道具なのである。

 

丁寧に使おう。

理解と敬意を持って使おう。

機能を最大限使おう。

 

きっと、仕事を通じて伝えたいのはこんなことなんだろうなぁ・・・。

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みなさま、毎日いかがお過ごしですか?

毎日、毎日やることがいっぱいですよね。

自分が子どものころどんな風に生きていたなんか、考える暇なんてありませんよね。

 

 

昨日まで、実家に帰省しておりました。一年半ぶりです。なかなか、帰れない。帰るのにも1日がかりなので、たいへんです。

 

 

久しぶりに戻った実家を、ブラブラと歩く。

自分の通った幼稚園、小学校、中学校、高校と。

その通学路も。

 

途中、高校生の男子が4人で歩いてきました。今の私は、当り前のように黙って通りすぎようとしたら、

「こんにちは!」

みんなが、それぞれ挨拶をしてくれます。

 

あわてて、私も挨拶を返す。

 

あーー!そうだったよな。

私も見知らぬひとでも、道であえば挨拶をしていたよなぁ・・・。

 

それが、今では人通りの少ない道で、1対1で通りすぎても挨拶もしなくなっていた・・・。

 

いつのまにか、人間として当り前の感覚を失っていたようだ。

 

 

道をあるけば、いたるところに湧き水があり、だれでも飲めるようにヒシャクがおいてある。

 

そうだたった。こんなに豊富な水がいつでも飲めるから、水筒なんていらなかったよね。喉が渇けは、あそこに水のみ場があるから、あそこまで我慢しようというような感じだった。

 

 

半島なので、半島の中央には普賢岳、周りは有明海。

右を見れば山、左を見れば海。

 

遊び場は、両方とも手軽にいける場所にあるのだ。

 

夜になれば、畑が広がるところなので、広い空。

綺麗な星空。

 

あー、こんなにも豊かなところで私は育っていたのか。

 

 

いままでは、経済的には遅れている土地、都会がいいなぁと思っていた。帰省しても、何にもないところだなぁとしか思えなかったのに・・・。

 

 

確かに、経済的には栄えてないところであるが、精神的には豊かな場所ではないだろうか?

 

そうそう、島原はなぜか、猿田彦の道祖神が多いところなんです。

町のいたるところに猿田彦が祭られています。

手塚治の火の鳥に出てくる、キーマンの一人ですよね。

 

その理由は、古本屋さんをしている郷土史研究家の方に話をきくと、なるほどとおもう話があるのですが、

ここでは話がながくなるのでおいておきます。

 

 

とにかく、こんなに豊かな土地で育ったことを思い出せてよかったと思いました。

 

きっと、みなさんの育った土地も素敵なところなんでしょうね。

自分の育った場所は特別ですよね。

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