反貧困フェスタ2009 分科会 | 労働組合ってなにするところ?

労働組合ってなにするところ?

2008年3月から2011年3月まで、労働組合専従として活動しました。
現在は現場に戻って医療労働者の端くれとして働きつつ、労働組合の活動も行なっています。

あまり知られていない労働組合の真の姿(!?)を伝えていきたいと思います。

まず、今後行なわれる「派遣村」的な相談会の情報です。

浜松 「トドムンド浜松派遣村」  3月29日(日)~30日(月)

  東ふれあい公園で開催。主催は生活保護支援ネットワーク静岡など。

  各種相談会、炊き出しほか。

  30日には市役所までのデモや生活保護の集団申請も行なう。

  (「トドムンド」とはポルトガル語で「みんな」の意)



埼玉 川口版派遣村 こまりごと相談所  4月19日(日)10時~14時

  川口駅西口前、川口西公園で開催。主催は川口市社会保障推進協議会など。

  労働、くらし、法律、生活保護、医療、子育て、介護、納税、多重債務の相談。

  フリーマーケットも開催。炊き出しも有り。


元BP@闘争中様からの情報提供で、次のような相談会もあります。



http://www.373news.com/modules/pickup/index.php?storyid=15912

鹿児島派遣村実行委員会 29日から4月4日、同市ボランティアセンターで集中相談会、炊き出し無し



http://www.kajocentral.com/event/event.htm

山形29日 派遣切りやめろ!雇用を守れ!大相談会 炊き出し有り



さて。今日は「反貧困フェスタ2009」に行ってきました。

午前10時開会のギリギリに会場に着いて、資料を買ってすぐ分科会が行なわれる2階へと向かいました。分科会は4つ行なわれていましたが、私は「週刊金曜日」主催のNPOもやいの湯浅誠さんと北海道大学公共政策大学院准教授中島岳志さんの対談「日本社会の『壁』を崩す」に参加しました。


外では開会式が行なわれていて、湯浅さんがそこで挨拶をすることになっているということで、待っている間にまずはコーディネーターの北村肇氏(「週刊金曜日」編集長)が挨拶し、そしてたまたま映画「遭難フリーター」の監督兼主演の岩淵さんがいらしていたので、「遭難フリーター」が渋谷ユーロスペースで上映されるということと、同タイトルの書籍が出版されたことを報告してくださいました。

そこでまだ湯浅さんが到着していなかったので、中島さんが少し話し始めたところで湯浅さんが登場し、対談が始まりました。

がんばってメモは取りましたが、会話として再現することはさすがに無理そうなので、大まかにまとめる形で報告させていただきます。



対談 「日本社会の『壁』を崩す」


中島氏  保守論壇への不満がある。「保守」が単なる「反左翼」になっている。左翼も同様。単なる「反左翼」、「反右翼」ではなく、左と右がどこで共同できるかを考えたい。たとえば「反貧困」ではどうか。

 派遣村の問題は政治的な正当性の問題。一部の自民党議員を動かした一方で、反左翼グループからの反発を受けている。


湯浅氏  派遣村は1月2日の厚生労働省の講堂を開放し、象徴的な存在となった。しかし、その後も雇用状勢の悪化は続いている。

 派遣村で初めて与党とのパイプができ、勉強会に呼ばれるなどしているが、結果がどう出るかはまだ未知数。戸惑いはあるが、何を言っても取り上げられない時代が長かったので、取り上げられる今、言うべきだと考えている。

 巻き返しはあるが、派遣の10割近くが切られる状況の中で、派遣切りに対する「自己責任論」は通用しにくくなってきている。前倒しして「派遣を選んだのが悪い」という職業選択の時点まで遡る論や、セーフティネットは「甘え」だというモラルハザード論、仕事はあるのに仕事に就かないというミスマッチ論などが出てきている。

 こちらとしては、出せる実態を出し続けていく。


中島氏  バックラッシュの典型として、「東京都安全・安心まちづくり条例」の改正がある。これは「迷惑なパフォーマンス」を慎むことを徹底させるという、権力による言論の規制。

 派遣労働の問題が認められてきた反動として、「治安」というものを理由として、「権力と世論の結託」が起こっている。

 例えば、普通選挙法と治安維持法が同時に成立した時のような状況。 


湯浅氏  統合と排除がセットで起こるということは、今までも繰り返されてきたこと。一部が社会的に認められる一方で、一部が角に追いやられる。

 一つの運動体としてどうそれに関わるかは、分断されないよう、したたかにやっていく。運動体として力量が問われている。一つの分断で切られるような単層的な運動はしないことだ。


中島氏  排除された一部から、不謹慎であることにアイデンティティを見出すというプロセスが出てくることが危険。それは暴力を加速する。

 規制を強化するとテロが起きる。規制が強まるのは権力が強くなっているからではなく、弱くなっているから。それを防ぐためには保守層を動かさなければならない。


湯浅氏  我々は微弱だったので、権力に抵抗するということはなかった。

 反貧困ネットワークに参加している人たちは、皆それぞれが現場を持っていて、そこでは個別対応が必要となるので、イデオロギー的にはならない。例えば、昨年の生活保護の通信移送費廃止問題のように、今日明日にでも対応しなければならないというものに対しては、イデオロギーを問題にしている時間はない。

 現場が少しずつ広がっていくようなやり方を取っていきたい。


中島氏  背景には世論の問題がある。

 極端な支持率の低下は、極端な支持率の上昇につながる。例えば、2006年8月15日、小泉首相(当時)が靖国参拝をした際、参拝前には反対が多かった世論が、参拝後には賛成が多数になった。これは、小泉首相が「参拝反対は抵抗勢力」と言ったことがきっかけ。

 こうして世論が極端から極端に傾いてしまうのは、議論が成り立たない状況であるということ。世論の流動化はとても危なっかしい状況。世論が「パブリックオピニヨン」になっていない。

 今も、新自由主義への批判がある一方で、大阪では橋本府知事が圧倒的な支持を集めている。

 

湯浅氏  危なっかしいとまでは感じていないが、「パブリックオピニヨン」とは市民の責任だと思う。

 「生きづらさ、貧困は自己責任」という考えに対して、「自己責任ではない」と言っているが、自分達に全く責任がないという訳ではない。自分達なりの責任はある。それは、会社に労基法を守らせることだったり、国を監視することだったりする。それが市民の責任。運動はその問題を提起してこなかった。

 市民はとても忙しくなっていて、忙しくなると市民の責任についてじっくり考える時間がなくなってしまう。断片的なメディアの情報のみを受け取るようになってしまう。そのツケを今払わされている。


中島氏  今回の対談のタイトルの「壁」とは何か。例えば、「労労対立」。自分がつらい状況なので身近に攻撃対象を見出そうとし、「既得権益批判」を行なう。

 それを乗り越えた連帯が必要。


湯浅氏  今回のフェスタのチラシには地球儀がデザインされている。これは、「労働と貧困は地球的な問題」であり、労労対立などの狭い問題に限定されるべきではないというデザイナーさんの考えから。

 例えば、バブル期は公務員は全く人気のない地味な職業だったが、それが今は特権階級のように言われている。しかし、公務員の労働状況はむしろ悪化している。官製ワーキングプアといった問題も起こっている。

 余裕がなくなり、自分が追い詰められてくると「自己責任論」が出てくる。「自分の責任」と言ってしまえば、そこで話が終わるから。考える余裕がなくなっている。

 それを考え直すべき時期に来ている。


中島氏  大学でも業績ベースで、短期で業績を出して予算を取らなければ事務職の雇用が維持できない。5年間の期限つき雇用が増えている。大学でも正規、非正規の問題が起こってくる。

 バッシング社会を背景とした構造の問題が、身近な対立の問題に置き換えられている。

 本来、保守は「構造改革」を批判すべき。

 「右」の人たちにも余裕がなくなっている。雨宮処凛さんとの対談でネット右翼を批判した際、彼らにも余裕がないのだからそれくらいは許してあげてと言われた。「右」にも「溜め」がなくなっている。


湯浅氏  「のんびりしているのは悪」という社会になってしまっている。

 「残業をするのは無能力だから」という論に対抗して、残業代はきちんと請求する、残業しないで帰るといった行動が必要。順法闘争のように。

 「オレの血税 返してくれよ」といったメールが来たことがある。会社のドメインのままで送信してきていた。その人はたぶん、会社で追い詰められているのだろう。

 それをどう切り替えしていくか。

 労働組合や組織的な力の、古典的な運動に戻る必要がある。

 ただでさえ忙しい中で運動をやったらもっと大変になるというのが一般的な感覚だろうが、しかし、何もしなければ大変な状況は続いていく。どうせ大変ならば、少しでも状況を変えられる方の大変さを選びませんか?と呼びかけていく。


中島氏  「自己責任論」を唱えるおじさん達には、がんばってきたことを否定されたくないという実存の問題がある。

 歴史に学ぶべき。戦前の日本の状況では、テロは生存問題と実存の問題が関わっているものだった。今、1921年に財閥トップを暗殺した”あさひ へいご”という人物のことを調べている。彼は「認められたい」というプレッシャーがあり、それが叶えられない疎外感から、天皇の下に平等であるはずなのに自分が不幸なのはなぜかを考え、既得権益を独占している財閥批判へと向かい、テロを実行した。背景に、1919年から20年の不況から労働運動や不戦運動が盛り上がり、反動として右翼が台頭したことがある。

 「国家」とは合法的に暴力を行使できる唯一の存在。非合法の暴力が出てくると、暴力は加速していく。テロは賢い手段ではない。

 生存と実存の問題は結びついている。


湯浅氏  生存と実存はセットであるということを前提として、運動をしていく必要がある。労働と生存は切り離せない。


中島氏  生存と実存のためには「居場所」が必要。それも、複数存在することが重要。

 北海道では、商店街が衰退してきた際に中型デパートの誘致を行なったが、大型店が進出してきて商店街は消滅してしまった。しかし、購買力が低くなると大型店は撤退してしまし、その地域では買い物できる場所がなくなってしまう。それを乗り越えるには地域の結びつきが必要。

 オリックスの宮内氏は「北海道は人口が多すぎて非効率。北海道の人口は200万人でいい」と発言した。

 地域の連帯で乗り越えていかなければならない。


湯浅氏  地縁、血縁などのつながりが切れたところでは、新しいつながりをつくっていかなければならない。労働組合も最初は「居場所」だった。

 100人にとって居心地のいい「居場所」というものはありえない。「居場所」の適正規模は20人くらい。

 しかし、他に「居場所」がないと、そこにしがみつくしかなく、それでストレスが蓄積する。他の「居場所」、リセットできる空間が必要。運動も多様化が必要。

 効率一辺倒の社会の防波堤として。


中島氏  国と個人の間にある中間団体としての「居場所」が必要。

 派遣労働の問題は、秋葉原事件の加藤容疑者の行動で見えてきたことがある。彼は犯行前、わざわざ4万円くらいの交通費をかけて福井にダガーナイフを買いに行った。事前にその店についてネットで調べていたようだった。親切な女性店員がいるという情報があり、その店員と会話し、一度店を出てからもう一度戻って話し、更にもう一度戻って話している。その日の書き込みには「人間と話すのっていい」と書いてあった。派遣労働者として転々とし、人との関係性が切られていった彼は、そこまでいかなければ人とコミュニケーションをとることができなかった。

 保守も労働の問題を考えるべき。


湯浅氏  運動をしていると、今日、明日のことを考えるだけになってしまい、展望を持ちにくい。

 だが、「壁」、「日本の岩盤」をどう崩すかを考えていきたい。

 「日本の岩盤」とは、労働とアイデンティティの強固な結びつきや、男性と生計主体者の結びつき、セーフティネットお荷物論などを作り出しているもの。

 様々な角度から掘っていっても、必ずそこへぶつかる。どんな「岩盤」にも割れやすい「目」があるはずで、それを見つけるにはあちこちから叩いていくしかない。

 チョムスキーは「魔法のボタンは存在しない」と言った。一つ一つ積み上げていくしかない。


中島氏  保守は、一気に理想的な社会をつくれるということは有り得ないと考える。一つ一つ改革していくしかない。


湯浅氏  「岩盤」をつくる意識は常に再生産される。教育の問題、家庭の問題もあるが、それだけではない。一つ一つの問題が「岩盤」をつくっている。自分のできるところから手をつけていく。


 

……あまりきれいな流れにはなっていませんが、私のメモではこのような内容になっています。

メインのシンポジウムについては、また改めて報告します。