倉垣ノ記

舞台芸術創造機関SAIの代表、倉垣吉宏(くらがきよしひろ)の日記。


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諸用で、小一時間程電車に乗り蒲田へ行った。


眠らないままの移動であったものだから行きは随分眠り転けた。


だが帰りの電車はそうも行かず。


蒲田から東京ぐらいまで随分人がいた。
到底席も空きそうになく、30分立ちっぱなし。
漸く秋葉原で座れるという次第で、この間にふと、昔好きだった人のことを考えた。



好きだったという言葉は、思うより感傷的な響きで迫ってくる。


過ごした時間、場所、空気、交わした会話…そのときの色彩や湿度というか、感覚に働きかけるあらゆるものが、身体の隅々に残っているような気がする。
記憶は脳にあるというが、私は記憶は身体の中、もっと言うと、神経が走る隅々に至る、その全てにあると思う。


心とか魂とか、そういったものと容れ物としての身体があって(私はそういうものを信じているタチだ。)記憶は、繋がりが切れやすい心と身体を繋ぐ大切なもの。
同時に人と人を繋ぐものでもある。

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(先日吹き飛んだ自転車のライトだ。)




目に見えないものだから、人はオブジェを残し、記憶を形にしていく。
手紙、肖像画、プレゼント…
日記もそうだろう
形にすると、圧倒的な説得力が生まれる。
ただ、形にしないことで、反芻したり共に味わったりすることも、
記憶…思い出の醍醐味であると思う。
形を変え都合良く甘言されていたとしても。



私がかつて好きだった、と記したその人は、
自分が生きていく上で、道が違えたり、どうしても譲ることが出来なかったりして、
2人の過ごしてきた「思い出」を過去という「形」にすることではじめて語ることが出来る
私がそうするようにどこかでその人もそうしているだろう。そうでなければ過去形事実にならない。


「好きだった」と語ることで、本来は未来視のために在るはずの記憶や思い出が、当事者とは共有出来ずに死んでしまったもの、呼吸していないものとしてただただ残る。


人によっては「忘れてしまいたい」と考えるようなそういうアレだ。
忘れるということは、ココロとカラダの接続を切ることだ。


離れる/別れる/いなくなる。
呼び方は何でもそれらは等しく、ある特別な関係のその関係性の「死」を表すもの。


そして「死」を受け入れて…受け入れる手段も一様ではないとして…はじめてそれは過去として完成する。
言葉にして示すこともそのひとつだろう。


過去は過去形として完成しない限り、永遠に現在を示す形だ。
後悔は私の中では現在形の思い出に対して感じることであり、過去形事実に対しては生まれない。悔いる瞬間はチャンスを待つ時なのだ。
過去形になったものには何かしらの感傷…甘さや苦さを伴うソレがあるのみ。
切り離す、手放す、それはあきらめるという言葉でもいいのかもしれない。



私はかつて「好きだった」その人を、私の都合で「切り捨てた」のだなと今更ながらに思い漸く過去形にするに至った。
「切り捨てた」ことで過去形となった思い出は私の後ろに静かに積まれている。


なるほど。


経験や体験は積み重ねると喩えるが、過去というのはつまりはそういうわけだ。


過去形事実を積み重ね、それを整理したり崩したりすること、そしてその行為の連続の中で生まれた感傷は、
当事者たち…その過去を共有していたかつての恋人にしか出来ないこと。
もっとも当事者によって感傷の色味は別物になる。
第三者に至っては、ただただ想像する以外他にはない。(手紙や戯曲を読むことは、この感覚に近い。野次馬的想像性が必要だ。私たちが世間話や噂に興じる時のあの下卑た偉大な感性のことだ。)



5/30に上演する「夢十夜」の稽古をしている中で、劇中の人物と彼らの行為から私はそんなことを考えるに至った。



映像という具象的な存在が何を提示しているのか。
観客の想像に全てを委ねれば良いのではないか。
そんな疑問すら抱く仕上がりになっていて大変興味深い。


「過去をどう取り扱っていくのか」


たったそれだけのことを繰り返す物語が、豊穣であると感じられるのは恵まれている。
人によっては不快感を見出すかもしれない。
例えばそれがビルであったものの崩れた姿や
もっと大きな文明が朽ち果てた形かもしれない…





そんなことを考えていたら電車は目的地に帰ってきた。
これが先日の大遅延の時であったら、もっと有効な時間になったのになぁ


そう思えるうちは健全だろう。


どんな時間も出来事も、その瞬間が全てであり、繋がっていく。
少々のことで、見えないくらい小さなことで流れが変わったりすることもあるが、ブレないで歩くということは同時に幾つかの可能性を捨て、また別の可能性を選んでいくことなのだ。
そこに悔いがないように、人は生きた方がいいと思う。


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