倉垣ノ記

舞台芸術創造機関SAIの代表、倉垣吉宏(くらがきよしひろ)の日記。


テーマ:
{0189716F-1A63-4039-AE42-22CD2DDD87C1}


たとえば人を好きになった時、会いたい、その単純な理由だけで動くことがあると思う。
いちいち理屈を持ち出す必要がないくらいシンプルで、力強いエネルギー。
引力。
この力はとても大切で、好きだからこそ続けられたり、他人から見たら馬鹿馬鹿しい事でも真剣に取り組むことが出来たりする。
趣味の世界も同じ力学だ。
片想いのエネルギーは、何か報いを求めるのではなくただひたすらに想うこと、その直線的な自己満足がないと継続することは出来ない。
片想いというのはアスリート的思考でもある。
恋愛なんて第三者から見れば等しく馬鹿馬鹿しいものだ。当事者間が如何に燃え上がる力を持ち得るのか、究極の自己満足だろう。
100m何秒の記録を求め続けるランナー、打率を求めバットを振り続けるバッター、記録や成績を見て我々は分かった気がしているが、当人の想いの強さなど実のところまったく理解することは出来ない。恋愛における当事者性はどこまでいってもグローバリズムを獲得出来ない、極々個人的マクロ中のマクロな世界の出来事だ。
恋愛をひとつの事象とし、片想いを引力とした場合、当事者間それぞれに想いがあり、お互いの夢や希望や欲望が渦巻く磁場が形成される。
可視化されようがされまいが特殊な関係性を持つ空間なのだから、異常が正常なのだ。
2人だけの祖国なのだ。法律なのだ。倫理なのだ。常識なのだ。
一般的なものが無粋になる程イカれた関係性を私は常に期待している。

{B432ADC4-DF8E-4EE5-85AA-2B6F71B505D5}


僕は飽き性な性格であまり一つの物事が長く続かない。
流行、波がある。
好きなものに波があるのだ。
ただ嫌いになることは余程の限りなく、飽きてもまた一定の周期で還って来る。
演劇ぐらいだろうか。何事もなく続けられているのは。
しかしその演劇だって作風を見れば僕のそういった性格はよく反映されているから、前回と今回でまた違う!!とかしょっちゅうだ。
お客さんにはやさしくない。
でもそういうところを分かって観てくれていると思ってるので(勝手)これからもやはりそうなると思う。
ちなみに昨年の10周年記念アンケートでは、また観たいSAIの舞台一位はロマグロだった。
二位は贋作マッチ売りの少女。
三位がイト。
妥当な結果だなと思うし、どれも大切な作品だからまたやりたいと思ってる。
私が何を想って、どうやったって、演劇や芸術とか創作というのは、何か明確な答えを与えてくれるわけではない。
その時その時の自分が信じた気持ちと作品は残るけれども、恋愛的マクロコスモス内では一向に到達を得られず、また追いかけていくことになる。
その過程で生まれたものを誰かが愛でてくれていること、想ってくれていることは、幸せなことだなと心底思う。

{41FD8BC8-D535-40A7-A04F-527E256E2F16}



毎年夏はSAIの公演があるので、一年で一番慌ただしく過ごしている。
今年は5月頃から稽古があって、終わったのが先日の9/4。
しかし僕はその後、大島おねえの主宰するりくろあれの公演に出演することになっていたので、余韻もへったくれも無くそのまま強行軍で栃木へ行った。
これは結果的に良かった。
旅だったからだ。
生来の根無し草、風来坊、私の中のマレビトの遺伝子が刺激され浮標する。
おそらくこの辺りの感覚は理解されにくいだろう。
私はどうしてか旅から旅への流転する人生に憧れを持つ。
これは性分だろう。
ある程度、自分が為すべき事を成した後、そこから離れたくなるのだ。
今のように幾つかの場所をかまえていることは、その自分の本質からは外れている。TARUHOやアトリエというのは、自分のアンビバレントが露骨に出ているなと思うのだ。
私は住む家すらいらないとさえ思うので、この性格はもともとのものらしい。
それを自覚するからこそ場所を護り築きたいとおもっている。
小林機械に言わせると「蟹座らしくない」となるのだろうか。

{1518EBA3-89BF-49F0-9980-6F9E1382633B}


さて栃木に関しては前回の日誌で思いの丈は綴った。なのでここでは省略する。
深い余韻を貰える舞台になったが一息つく間もなく次の舞台が始まり、頭ではわかっているが心の方ではどうなのか。
まだ少し、終わったばかりの舞台世界に片足残ってる感じがする。
先週の今頃はちょうどゲネをやるところだった。


このスパンで出演が続くことはよくよく考えたらなくて、いやしかしまあー詰め込んだなと反省もする。
3本。
しかしどれも随分前から立ち上がった企画ばっかりで、どれも大事な想いがあったからこそやらねば!!!と初期衝動或いは情熱を燃やして走ってきた。
そして今も走っている。
なんだこりゃ走ってばかりではないか。
ランナーか、俺は衝動で加速し続ける情動のランナーだったのか。とどまることを知らぬ。
やはりこの過程でも自分が何を想えるのかということが大切なので、アスリート的直線的感情を抱くことは大切なことだ。


反面として、最近は地球の重力に導かれて弛んで来た俺の身体が絶望的鈍痛を与えてくれる。
怠惰は死。諦めには自刃で応えよ。
鈍くなっていくことを悟った時、俺は豚の身体に搭乗していることを理解した。
人間の身体、たんぱく質の塊、肉、即ち豚。千と千尋の神隠しはダイレクトだったなと。
人も所詮は動物なのだ。
その事実を、ヘルスメーターという人間が作り出したあの奴によっておもいしらされるのだ。
筋トレという名の自傷行為に励むこととする。

{AC0BFFF4-A5B8-426E-8C0D-4A8FF4AD652B}

{ECBA2917-20F8-4370-954A-B2C98D16422B}

{31C16287-BC90-49ED-B1B7-F6750482CF93}
{866D76BB-8B54-45A2-BE0E-F8B69EAFE634}


けっこー色々食べてる。
そりゃお察し…である。




雑記はあくまで雑記。
とりとめなく書き散らす、備忘録的なものだと認識している。


バクチクの新譜が来週出る。
飽き性な自分の性格にフィットする音楽のひとつ。
いつでも自分の半身の魂を引き摺り出してくれる音像。
今回も楽しみにしている。
楽しみにしているのだ。


海が見たい。

夜の海、導かれて消えいりたくなってしまいそうな夜の海。
真っ暗な夜の帳。


私たちの生きる世界には常に隣に死の世界がおかれている。
だけど、あまりに強く、広大な自然の力、地球の胎動の前では、自分の命の大きさは、地球の一粒でしかないことを感じさせられるのだ。
蟻やミジンコとどう違うのか。
何も違わない。
命の価値はすべからく等価値なものだ。
生活の中、
食物連鎖、弱肉強食、適者生存、命を巡った様々な価値観が右往左往していく。
私たちは時折、倫理や環境という言葉や概念で自分たちを縛り自制しなければいけない。
ただの動物ただの一粒の命であるという、生物界における真理を理解した上で、だ。
心が澱みそうになった時、またエゴイズムが過剰に立ち上がった時、いつでも自分の命の軽さを感じるために私は海が見たいと思うのであった。

くれぐれも、線路や高所に憧れを抱いてはならない。
死そのものに憧れるのではなく、圧倒的存在の前に自分の小さな命を理解し、打ち負かされたいのだ。


今日も長い雨が降る。

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

AD

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス

      ランキング

      • 総合
      • 新登場
      • 急上昇
      • トレンド

      ブログをはじめる

      たくさんの芸能人・有名人が
      書いているAmebaブログを
      無料で簡単にはじめることができます。

      公式トップブロガーへ応募

      多くの方にご紹介したいブログを
      執筆する方を「公式トップブロガー」
      として認定しております。

      芸能人・有名人ブログを開設

      Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
      ご希望される著名人の方/事務所様を
      随時募集しております。