今から16年前(1995年1月17日)、ここ神戸を中心に震度7の激震が襲った。

6,434名の方が亡くなり、負傷者は43,792名にのぼる大地震。


今回、私は『1.17希望の灯り』ボランティア参加のために現地を訪れました。


SAFARI-阪神淡路大震災 1.17のつどい


慰霊と復興のモニュメントは、神戸市役所の南、東遊園地内に設置されています。

この中に灯されている火が、「阪神淡路大震災1.17のつどい」にて、参加された

皆さんの持つろうそくの火に順々に灯されていきます。


SAFARI-慰霊と復興のモニュメント

↑台座の碑文には、こう書かれていました。


1995年1月17日午前5時46分 阪神淡路大震災

震災が奪ったもの 命 仕事 団欒 街並み 思い出

・・・たった1秒先が予知できない人間の限界・・・

震災が残してくれたモノ やさしさ 思いやり 絆 仲間

この灯りは 奪われた すべてのいのちと

生き残った わたしたちの思いを むすびつなぐ


この灯りを全国各地の有志の自治体にも灯されているそうですが、

東京や目黒区にはまだのようです。


広い公園には、『1995 1.17』という文字を竹筒で並べ、

1月17日 午前5時46分 にモニュメントの火がこの竹筒のろうそくに灯されるのです。


SAFARI-竹筒

↑時折、強い風で倒れてしまうことがありましたが、市内外から集まったたくさんの

ボランティアの皆さんで、必死に守っていたのが印象的でした。


並べられた竹筒は、深夜もしっかり警備で守られ、明日の朝の灯火を待ちます。



私が所属している東京青年会議所(JC:http://www.tokyo-jc.or.jp/2011/index.html )の2011年の活動は、

「10代の挑戦」特別委員会としました。


今がんばっている10代の若者、エネルギーはたくさんあるけど夢がまだ見つからなくて、

何かに向かって思いっきりやってみたい。そう思える若者に何ができるか、そんなことを今年は考えていきます。


10代の頃、既に夢が見つかっている人はラッキーですよね。

自分の周りに刺激を受けたり、習い事を極めてみたいと思ったり、そう思える環境がある人もいれば、

日々の生活を普通に過ごしてきて、その中でやりたいことを見つけていく人もいます。


私も、高校時代は音楽活動で全国大会にも出場しました。

大学に進学して音楽活動は趣味レベルになりましたが、海外留学を終えた頃は世界で活躍できるビジネスマンに、そして独立した今は世界中の子供たちの笑顔を見たい一心でのボランティア活動、地域の活動をしたいと思い毎日を充実して過ごしています。


33歳の私はもう若くないのかもしれませんね。

未来を生きる若者や子供たちと一緒に、魅力ある日本と日本人の誇りを大事にしていきたいと思っています。


2011年の年始はカンボジアに行って参りました。

首都プノンペンは、日本人は若干600名ほどしか在住しておりませんが、

カンボジア人は、先のPKOでの日本の援助に大変感謝しており、親日友好国の一つでもあります。

日本食店も十数店舗ありますが、現地通貨価値を考えるとかなり高級店に位置づけられています。


プノンペンの通貨価値は、東京と比べるとお給料が10倍差以上あります。

プノンペン大学卒業後の初任給は、ひと月大体$200~250程度。警察官は$150程度です。

交通機関は、80%以上がバイク(日本で言う原付)で、2~4人乗りは当たり前。

荷物が多いときは自動車やトゥクトゥクを利用しています。

交通量が多くても信号はほとんど無く、整備が求められています。



伊賀やすお公式ブログ-トゥクトゥク
(トゥクトゥク)


それでも、街の人々は活気に溢れ、皆幸せな感じを受けました。

人間性を見ると温厚で親日で、何よりも心が純粋な国民が多いです。

東京生まれ東京育ちの私には、プノンペンに行く度に非常に刺激を受けます。


カンボジアの母国語はクメール語ですが、現地の子供たちは学習意欲がとても高く、

学校に通う子供たちは英語も話します。

日本でも、子供の英語教育に取り組み始めましたが、頭で考えるよりもコミュニケーション主体で

とにかく「話せるようになる」教育をすべきだと、改めて感じさせられました。


伊賀やすお公式ブログ-現地の親子と
(現地の親子と)


今の日本は、カンボジア人のように「幸福感」をどこまで感じているのでしょうか。

経済が発展し、物資にありふれた日本ですが、それと同時に忘れかけているものがあるように思います。

今後の私の活動の中でも、日々大切にしているコミュニケーションの中で皆さんと意見交換をさせていただき、

地域の政策で実現していきたいと思っています。