J.Bのブログ

学習塾内での会話や教室長のつぶやきを徒然なるままに、綴っていこうと思っています。

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グリーンジャンボ宝くじが売り出され、多くの人が長蛇の列を作っている画像がテレビに映し出された。


5億か・・・大金だな・・僕なら何に使おう?


と色々、心を巡らせていると、Shall we dance?の周防氏のことを思い出した。



「宝くじを買おうか?」という監督に、妻の草刈民代が「運を、そんなものに使って欲しくない」と話したと言う。夫の才能を高く評価し「あなたなら、それぐらい簡単に稼げる。だから本業に力を入れなさい」といいたかったのだ。そんな彼女をカッコいいと思った。



グリーンジャンボの発売と時を同じくして、


ホイットニー・ヒューストンの突然死が報道された。ボディガードのサウンドトラックで4千万枚を売り、120億を手にしたそうだ。何が彼女に起こったか知らないが、全額使い果たし、最近では友人に金を無心しながら、生活していたという。


ヘビー級のチャンピオンだったマイク・タイソンは、400億を稼ぎ、そのすべてを失った。



また、巨額の富を所持していたはずのマイケル・ジャクソンも、ビートルズの著作権を担保に、銀行から金を借りて破産を免れた、という記事を読んだことがある。



金とは人生を狂わせる怖いものだ。



金つながりで、話をすれば、



勤めていたシドニーの英会話学校で、ロビーを不安そうにうろつく日本人男性に会った。英語を話せない彼の手助けをしているうちに、仲良くなり家に招待された。自宅はハーバーブリッジがすぐ側に見える高級マンションで、敷地内にある桟橋に停泊するクルーザーに乗り、シドニー湾で舟遊びができた。



彼はたった一代で財を成し、東京でホテルを3軒所有していると話した。その経営を30歳を過ぎた息子にまかせ、3番目の若い妻とオーストラリアで悠々自適な生活を送っていた。


その金持ちが言うには、年収が2千万を超えた頃から、付き合う人がかわり、食事をする店が変わり、住む世界が変わり始めたという。



財力が住む世界を変える・・当然といえば当然だが、その言葉が新鮮に聞こえた。



棺おけに片足を突っ込んでいる僕には、もうたどり着ける世界ではないが、どう感覚が変化するのか?覗いてみたいような気もする。


そうなると、やはり宝くじを購入し、可能性にかけるしかないのか・・という浅はかな考えから、


生まれて、2度目の宝くじを今週末に買うことにした。



生徒、諸君。万が一、5億円くじに当選したとしても、僕は今までどおり、一生懸命に教えるので、ご心配なく・・・



・・・と「空中楼閣を描く」僕であった。


追記:

HPのトップページが変わりました。ごらんになってください。

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京都ファミリーの中にある本屋まで、雨の中、出かけた。

途中、ケーキ屋のウインドウには、ピンクのリボンで飾られたチョコが並ぶ。


「そうか、今日はバレンタインデーだ」


つい数日前、講師や生徒たちに「14日は、4トントラックを準備しておかないと・・チョコを持って帰れない」と吹いていたのに・・忘れていた。



関目でいた当時、女子高生率は90%を超えていた。彼女たちは、僕を不憫に思ってか?「ハイ、先生、義理チョコあげる」「ちょっと大きいけど、本命じゃないで・・」と言って、次々に手渡してくれた。そこに、気を使った女性講師たちから、ちょっと高級そうな箱に入ったチョコが加わった。そして僕の机の上はチョコの山ができた。


ところ変わって、ここは京都


高校生の大半が男子・・・僕のフェロモンも加齢臭に変わってしまったようだ、と思っていたところ、ふとアイデアが浮かんだ。


「今年は僕が、生徒たちにチョコを渡そう」


それで、近くのスーパーで、チョコをまとめて購入した。


シャラララ素敵にキッス シャラララ素顔にキッス・・と国生さゆりも歌っているし、男子には投げキッスのひとつもしてやろう。奴らがどんな嫌な「しかっめ面」をするか、楽しみだ。


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準備万端・・・かれらがやってくる夜を待つことにする。







20時をまわって、やって来た生徒、全員にチョコを渡した。


「ゴトウ、ちょっと来い。これ、おまえだけにやるから・・」と小声で、チョコを握らせた。
アハハ・・と力なく笑うゴトウ


「これ本気チョコやからな・・・」と真顔で話す僕に「先生、ア・リ・ガ・ト」とにっこり笑って、ポケットにしまったコウキ


反応は人、それぞれだったが、僕は楽しかった。


ちなみに、今年の義理チョコは、チホからもらった1個だけだった。

チホちゃん、ありがとうね。


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週末に何をしたか?というと・・


「先生、デニムの尻、破けているで・・」

「気がついたのか?」


僕は気にしないが「そんなの、はいていたら、セクハラだ」ということで、土曜日、英会話クラブに参加した帰りにリーバイス・ストアに立ち寄った。残念だが、お尻の破けたパンツは廃棄処分にした。5年間、はき続け肌に馴染んだ生地が好きだったが仕方がない。



英語クラブでは、Japan Close-Upという英語雑誌の副編集長と知り合いになった。英語の堪能な彼と多く話した後、駅まで一緒に帰った。別れ際、彼は僕に名刺を差し出した。英語の辞書や教科書の編集を長く手がけてきたという。知識が豊富で言葉を生業にしている人だ。良い人と知り合いになれた。



こんな風に人と出会うために、気が向けば英語サークルに参加するつもりだが、やはり英語は孤独に、コツコツと勉強するしか方法はない。そこで、就寝前に骨のある英文を読んだり、リテンションに勤しむことにした。その成果は、TOEICなどの試験で確かめることにする。




日曜は、ジムで気合を入れて13キロを走った。Tシャツは汗でずっしりと重く、500mlの水のボトル3本が体内に消えた。身体の水分をすべて入れ替えたような爽快な気分になり、その後、身を沈めた大きな湯船は最高だった・・。熱いシャワーと共に、ストレスと汗が共に流れていくのを感じた。僕はダイエットをしたいから走るのではなく、気持ちよくなりたいから走る。



知人の医者は、通勤の5キロの道のりを走る。走り出すと、頭の中から雑念がすべて消えてゆき、無になれると言う。


「わかる、わかる、その気持ち」 同感だ。


以前にブログで紹介したが、美容室を5店舗ほど経営している知り合いがいる。年とともに立ち仕事が辛くなったそうだ。そのうえ店舗を飛び回り、一日の終わりには疲れ果てるという。そこで自宅にトレーニング・マシンとトレッドミルを設置し、夜な夜な走り、上半身をマシンで鍛えた。半年も経つと、身体が変化し始めて、1年を過ぎる頃には、出っぱた腹はゴツゴツした腹筋へと変わった。そして、気がつくと疲れないシャープな身体を手に入れたという。僕もそうなりたいと思っている。



さて、ここで書いたことが、どこまで達成できるか?Wait & See ということで、代わり映えのしない「週末の出来事」は終わり。同じような話で申し訳ない。



追記:



土曜日、四条川原町まで出た僕は、みんなが旨いという「一蘭」でラーメンを食べた。客で賑わい、人気店だと分かったが・・・


「う~ん、どうだろう?」


僕のテイストのラーメンではなかったような気がした。



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「バスケ部を引退するまでの高校2年間、ベンチを温める日々が続いた。我慢の毎日が終わったと思ったら、大学受験が始まった。必死で勉強しているのに、うまくゆかない。俺はついてない」とため息をつく生徒。


おそらく自分ひとりだけが、苦境に立たされている、と思っているのだろうが、そんな奴は山のようにいる。


父親の会社が倒産し、リサの生活は一変した。家族内にも不協和音が立ちはじめ、アルバイト先の素行のよくない連中が彼女の心のよりどころとなってしまった。夜遅くまで、彼らと遊んでいるうちに、苦労して入学した名門高校にも足が向かなくなった。後はお決まりのパターンだ。学校を退学し、「私、塾、辞めるわ」と投げやりに言ったときには、この子がどんな人生をたどるのか、容易に想像できた。



彼女の記憶も遠のき、授業を終えて京橋に降り立った23時過ぎの事だ。怪しげな客引きが多くいる雑踏の中を抜けて、家路を急いでいると、一人の女の子がふと目に留まった。すぐにリサだと気がついたが、はでな化粧に水商売風に頭を盛った姿に、違う人生を歩き始めたのだと、声もかけなかった。



1年が経った11月初旬、見覚えのある小悪魔アゲハが教室のドアをたたいた。


「先生、私のこと、覚えている?」


忘れるはずもない。



話を聞くと、単位制高校で勉強していて、年明けに大学を受験するという。色々あったが、最後の3ヶ月間を僕に教えて欲しいと話し、模試の結果を手渡した。


律儀にたたんだ全統の結果を開いて驚いた。


明治大学A判定 立教A判定・・・いわゆるMARCHと言われる大学にAの文字が並ぶ。


この2年間の間に、彼女に何があったか?は詮索しなかったが、運命に翻弄されず、よくここまで帰ってきた、と感心した。


何とかしてやりたい、という気持ちがムクムクと起こり、それから、ほぼ毎日、昼間の人がいない時間帯に教えた。それに応えて、彼女も粘り強く時間が許す限り猛勉強をした。


「もう二度と会うこともないと思っていた。よく大学へ行こうと思ったな・・」と話をむけると、「お父さんが授業料を出してくれるって言うから・・」と照れたように笑った。


黙々と机に向かう日々が過ぎ、花粉症の僕の鼻がむずむずし始める早春、輝く笑顔を残して彼女は上京していった。


さだめに棹差して、苦境を乗り切る奴がいる。渦中にいる受験生には分からないだろうが、自分だけが苦しいわけではない。誰しも通る道だし、人それぞれ悩みを抱え頑張っている。だから「耐えろ」「しのげ」と僕は生徒に、檄を飛ばす。



同時に、思うのが、



気の毒な環境に置かれた優秀な生徒達のことだ。金がない。家庭が荒れている。家が狭くて勉強部屋がない。それでも難関大学の切符を手にする者もいる。不遇の中でも、ごみ溜めの中でもダイヤモンドは輝くのだ。おそらく彼女は、僕が教えなくても、有名大学に合格していったはずだ。そう思うと塾屋の仕事とは微力なものだと、虚しさを覚えた。



追記:

それからまた、彼女からの連絡は途絶えた。おそらく東京の空のをスイスイと渡っていることだろう。それはそれでいい。また運命の糸が僕らを引き会わすなら、再会をお互いに喜ぼう、と思っている。










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「父さんには、友達がいいへんねん。だから、休みの日は、一日中、うちでゴロゴロしていて、けっこう目障りなんや」

「オヤジって、そういうもんやろ・・うちは商売してるから、基本、家でいて、休みの日に出かけるなんて稀なことや」



と話す高校生たち・・・



なるほど・・オヤジは、休日に手持ち無沙汰になるのかもしれない。



僕も先週末に英語カフェで2時間英語を話しただけで、後は部屋で膝を抱えて過ごした。友人がいないわけでもないが、みんな、中間管理職たちで、家庭に仕事に、超多忙で僕と遊んでくれるほど、暇じゃない。



カフェでは、僕より英語がうまい人たちに会った。



翻訳を生業にしている巨漢のオヤジが3人掛けのソファを占拠していた。おそらく家庭用の体重計では計れないだろう。寒いのにズルズルとアイスコーヒーをすすり、その額に汗がにじむ。アメリカで長く住んでいたらしく、英語は僕より達者で、その体型と同様にAmazingだった。


留学を斡旋する会社に勤務する20代の男がその隣に座っていた。やたらR音の強い北アメリカ英語が鼻についたが、流暢な英語を話した。


後は、フランス人。フランス語訛りの英語を話したが、英語とフランス語は共通のボキャブラリーを1万語ほど持つという。This is a pen.から始める日本人とは根本的に土壌が違う。器用に英語を操ったが、おまえが中心で座を仕切るな、と言う程度の英語だった。


ともかく、よどみなく流れる会話が心地よかった。特に翻訳家の英語は確かなもので、舌を巻いた。



日曜日は、楽器屋によってサイレント・ギターを物色した。なぜに無音のギターが必要かって?僕のアパートは隣の住人の咳が聞こえるほど、壁が薄いからだ・・・



ついでにギター教室を覗いた。あいにく無料体験が日曜日には設定されていないため、レッスンは受けられなかったが、ガラス越しに見た練習風景は・・・女子高生だろうか?「若いのに、ブルースか? うまい」


僕は、リズムの間に「もみ手」がはいるような演歌世代だが、今の子は生まれたときから、リズムの裏を取る洋楽を聞いて育っている。そんな子達の音楽センスはすばらしい・・。おまけにライブハウスや学祭と場数を踏む機会も多い。うまくなるはずだ。


夕方からトレッドミルのうえを8キロほど走ったが、隣を走る女性は14キロを軽々と走り、涼しい顔でランニングを終えた。心臓がバクバクと音を鳴らし、頭から汗を滝のように流す僕とは大違いだった。まだ本気で走れるうちに、フルマラソンに挑戦も有りかもしれない。


さて、これから土曜日が休みとなる。今まで、週2回も休んだことのない僕は「何をしようか?」と思案しながら、街を歩いた。週末を利用して、


通訳学校で英語をやり直すか?
「TOEIC満点を目指して勉強すればいいじゃないですか?」と同業のマスノさんは言う。


ギターを習うか?
講師のカメブチは「肉体改造に励んで、マッチョになり、長渕をギターで弾けばいいじゃないですか?」と笑った。


土日を利用しスキーを再開するか?
その昔、広瀬香美の曲が流れ出すと、そわそわしたものだ。今でも雪を見ると心が躍る。


マラソンに挑戦するか?
猫ひろしも頑張っているしね・・関係ないか・・・



実は何もせずに、部屋でジッとしていたい、という気もするのだが、それだけは止めよう。積極的に動いて、有意義な日々を送ろう。さて、週末が暇なおじさんから脱却だ。





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午後3時、玄関のガラスのドアが開いた。


「連絡が遅れてすいません」と12月に問い合わせがあった年配の感じの良い女性が頭を下げる。


昨年12月のことだった。


体験授業と面談を終え、生徒・保護者共に教室との相性が良いと直感的に判断し、後日、連絡を入れた。しかし、色よい返事はもらえなかった。「残念だが、仕方がない」と諦めただけに、玄関に立つ人に驚いた。


聞けば、体調の悪い親族の面倒を見ているのだが、最近では、物忘れが多くなり、同じ事を繰り返すため、手間が一段とかかると言う。


そのうえ、忙しい息子夫婦に代わり、昼間は孫2人の世話もしているせいで、年末・年始は身動きが取れなかったそうだ。


塾生となる孫の学校生活、日々の暮らし、性格、能力とたくさん、相談していただいた。また生徒の学習に関わることだけでなく、介護の日々についても話してくれた。


父は死期を迎えるまでの最後の5年間で、胃を全摘出、次に片肺を取り、最後は小腸の一部も切り取った。急激に年老いた彼は、物忘れがひどくなり、最後には、いつも世話をしている母を認識できないほどに痴呆が進んだ。それでも、年に4,5回、見舞いに帰省する僕のことは覚えていて、ベッドの上で「帰ってきたのか?」と弱々しく笑った。そんな父を見て母は「あなたのことは覚えていて、私のことは忘れてしまった。世話をしているのは私だ」と愚痴をこぼした。



学校長を退職した父は、県会議員に立候補した教え子の選挙参謀として、市民会館満杯の聴衆の前で、熱弁をふるったこともあった。そんなことを思うと、何度も同じことを尋ねる父に苛立ちを覚えた。同時に「最後はこんなになってしまうのか?」と寂しさを覚えた。



同様の経験を持つ僕と、「老いの悲しさ」と「介護の大変さ」について話をして、想いを共有した。



何分、話しをしただろうか?



目頭をそっと押さえ、涙を拭ったように見えた彼女は「よろしくお願いします」と席を立った。



ブログに書いてはいけない事なのかもしれないが、僕を信頼してくれて、生徒が置かれた家庭環境を話してくれる保護者の方がいる。そして、身が引き締まる思いで話を聞き、全力で生徒と向き合おうと思う僕がいる。


そして、そんな出会いを大切にし、生徒の痛みまでも共有できる塾屋でありたい、と強く思った。


なんか力が沸いてくる午後のひとときであった。



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京産大の入試試験の後、生徒たちが出来具合を報告にやってきた。英語の問題が難化していたそうで、「今まで解いた過去問よりも難しかった」とため息混じりに話した。



すでに1校に合格しているキムラは、「終わった、終わった」とさばさばした顔を見せ、ゴトウは「俺はまだこれからも勉強をしないといけない・・・あんなに頑張ったのに・・」と肩を落とした。



うちに来るまで、クラブ活動とアルバイトしかしていなかった連中だ。



「勉強の仕方がわかりません」なんて言っていたのに、勉強方法だけでなく、随分と耐えることを覚えた一年だった。苦痛で顔を曇らせる日も多かったが、精悍さを増し、ボケた顔がシャープになった。



1年間の総復習をすると言って、めくるルーズリーフはイエローページほどの厚さになっていた。お世辞にもきれいな字とは言えないが、僕が教えたすべてが書き写されている。手垢で汚れ膨れ上がった単語帳。ぼろぼろになった国語問題総演習。努力の結晶だ。



学習の意味は、知識を身につけること、生きてゆく知恵を習得すること、それにも増して、単調な作業に辛抱強く耐える精神を養うこと。一旦、職に就けば、同じような仕事を40年も続けることになる。だから受験は社会人としての下地を作る恰好の機会なのだ・・と偉い先生が話していた。


「耐えることを学ぶ」のが受験の目的のひとつとするならば、


万が一、今回の試験に失敗したとしても、後期試験までやらせよう。受かる可能性は十分ある。ここまで来て、心を折らせることはしたくない。



過去にも最後まで粘り、合格した生徒が何名いたことだろう。



オオマエに実力がついてきていたのは、肌で感じていた。だから「近畿大学で十分です」というのを引き止め、後期までやらせた。「もう1ヶ月も頑張れません」と顔をゆがめたが、説得した。



春の便りが聞こえてきそうな早春の午後、奴は合格通知を握り締め、教室に飛び込んできた。「立命館、合格しました」「苦しかったです」と薄い無精ひげをなでるその顔が最高に見えた瞬間だった。



今度、コウキやゴトウが教室にやって来たときには、オオマエの話をしようと思っている。勝負は下駄を履くまでわからない。


ちょっと思い起こしても、


名門女子高を辞めて荒れた生活を送っていたリサ。誰もが気の毒な人生を送ることになるのだろうと思っていた。そこから奇跡の躍進が始まった。ぼくは側で、その逆転劇を見ていた。そして、春には輝く笑顔を残して、東京の大学へと旅立っていった。


3月後半、関大に行くことを渋々決めて、準備の最中、追加合格で同志社に合格をしたサッチャン。



どうしても行きたかった大学を受験すること、5回?いや6回?後期までもつれて、もう無理かな?と諦めかけていたココロの起死回生の一発。



今まで、驚くようなドラマが幾つもあった。そのたび、保護者、生徒たちと喜びを分かち合ってきた。



そして、今年も感動の幕を引こうと僕は思っている。






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土曜日、関目で授業をしていると、母からの電話が鳴った。


「親戚のおばあさんが亡くなった」という。88歳であったし、天寿をまっとうしての旅立ちだ。それで急遽、四国へ帰えることになった。



父の葬儀以来、5年ぶりに会った叔母が「年を取って死ぬと、悲しみが深くなくていいわね」と静かに言った。




眠るように横たわっている顔は安らかだ。




その顔を見ながら、「あちこちが傷んできたけど、こんな風にして、えっちら、おっちら、年齢の階段を上ってきて、85歳になった。人生、なんとかなるもんじゃ」と数年前に話したのを思い出した。



戦後の激動の中、4人の子どもを育て、さぞかし大変だったろう、と思ったが、その笑顔は穏やかだった。




親戚一同に涙もなく、穏やかなお別れの会が営なまれている中、母一人が、メソメソ泣いていた。「私も後、十数年も生きると、こんなになるのかね?」とぽつりともらす母に「もうそれだけ生きたら、十分やろ・・」と思ったが、何も言わなかった。




大半の顔ぶれが、父の葬儀のときに会って以来だから、と思うと時の流れの速さに驚く。父は先生が尊敬を受ける時代に、中学の校長をしていた。田舎の小さな街で、何十年も先生をしていた父の人望は厚く、多くの人が参列してくれた。葬儀が行われる時間になると、300名が収容できる葬儀会場から人があふれ出し、ロビーと会場をしきる後部ドアをすべて開放した。




国会議員の代理でやって来た秘書、県会議員といった偉い人の顔もちらほら見えたが、大半が、近所の人、同僚、教え子、親交があったゴルフ仲間たちだった。私利私欲なく父と付き合ってくれた人々だ。参列者の多さは、生前、いかに父が愛されていたのか?の表れであり、最後に「人に死に方あり」と父に教えてもらったような気がした。




人は生まれ、いつか死ぬ。若くして不慮の事故で亡くなるといったことでなければ、葬式も悪いものじゃない。通夜の席では、十年も会っていなかった遠戚とも言葉を交わした。故人の話をしながら、親戚縁者が共に食事をする。死者から生ある者への最後の計らいなのかもしれない、と思いながら、ビールを口に運んだ。





寒さと疲れから、体調を崩したが、最後の別れができて良かった。義理が果たせて、ホッとした気持ちで帰洛した。






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最近のマイ・ブームは、ダイエット。「痩せるぞ」と決心してから2ヶ月が経ち、81キロだった体重が78キロまで落ちた。年明け初めて、関目で久しぶりに会った生徒に「痩せましたね」と言われて嬉しかったが・・・


だだ、ここ2週間の体重変動は、ほとんど無し。


朝と昼を兼ねた食事は、長い一日を乗り切るために、普通に摂取することにした。


例えば、大輝のラーメン

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例えば、近所の大力餅で、八宝菜定食(身体が温まるので、最近、よく食べている)


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夜は、炭水化物をできるだけ取らない腹6分目の食事を心がけている。「炭水化物が太る原因です。炭水化物を食事から排除すれば、普通に食べていても痩せますよ」と言う管理栄養士のミカの言葉を信じて、飯、麺・パスタ類を夕食から抜いた。ちなみに、イモ類は繊維質が多いのでOKだそうだ。





最近の夕食を紹介すると、野菜サラダ一皿とワイン

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肉ジャガとワイン

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牛スジのキャベツ炒め、それからワイン

牛スジは甘辛く煮て、キャベツと豆もやしにはブイヨンを使用し、味にコントラストをつけてみた。「僕は夜中に、なぜこんな事をしているだろう?」と少し思った。


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こんな風に自分で食事を作り続け、体調を気遣っているのに、体重はもう落ちることはなくなった。「もうやめようかな」と思うが、もう二度と、JOSEPH HOMMEやTHEORYに袖を通すことはできないのか?と思うと少し心残りで諦めきれない。


生徒たちに「頑張れ、努力が足りない。粘れ!限界の向こうに何があるのか、確かめてみろ!」と檄を飛ばすしているわりに、自分の諦めは早い。


・・・と反省して、もう1ヶ月だけ、一日2食で頑張ってみることにした。



追記:

断っておくが、これは僕のダイエットブログではない。いくつか教室内でいい話もあるのだが、プライバシーに触れずに、書くことは難しく、どう書こうか?と思案している。また、英文法や語法の話、ありきたりの教育論を大上段に振りかぶって、ここで書くのも恥ずかしい。それで、ときに話題に窮する。それが今の状況だ。



次こそは、まともな話を書くので、もう少し、お付合いを願いたい。






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土曜日の夜、大阪で授業を終えての帰り道、明日は誰にも会う予定も無く、何もすることがないと思うと、少し心が和んだ。



そして「これから何をしようか?」と思案する。



とりあえず、梅田のスポーツバーに立ち寄ろうと決めた。僕の知る海外のスポーツバーは広く、ビリヤード台が数台並び、壁をうめる巨大なスクリーンに、クリケット、ラグビー、バスケットと様々なスポーツが映し出された。僕はそこで、ビリヤードを覚えた。


さすがに梅田でそれほどのスペースを取れるはずもなく・・



訪れたバーはこじんまりとしていて、小さなテレビが壁に数台、埋め込まれていた。それでも、サッカーの代表戦があるときには、プロジェクターを使い、試合を壁に映し出すそうだ。止まり木に腰を下ろし、ビールを飲みながら、暇そうなマスターと話しをした。

彼はその昔、ブリスベンにある競馬学校で騎手を目指していたそうで、シドニーで暮らしたことのある僕と話しがはずんだ。





日曜の朝、習慣で勝手に目が覚めるが、「今日は日曜だ。もう一度、眠ろう」と思った瞬間の至福をわかっていただけるだろうか?


僕の日曜日は、そんな至福から始まり、ノロノロとベッドを這い出すのが、11時過ぎだ。そして、ジムへ向かうのだが、その前に腹ごしらえをする。


ブルーオニオンで、薫り高いコーヒーを飲みながらカツサンドを口に運んだ。以前にもブログで書いたが、厚さ2センチ超えるカツの食べ応えは満点でうまい。ただし値も張る。


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「今日は一日、ジムで過ごすぞ」とバッグにスイミングウェア、着替えとジョギングシューズを詰め込んで出かけたが、8キロもトレッドミルの上を走ると、泳ぐ気持ちも萎えて、シャワーを浴びて帰宅した。昔なら、10キロ走った後で1キロ泳ぎ、「ああ・・いい運動をした」と思ったものだが、己の体力の減退に落胆した。しかし、脱衣所の大きな鏡に映った自分の姿にはもっとガッカリした。




夜、冷蔵庫を開けると、卵、少し硬くなったベーコン、サラダを作った残りのキャベツとレタス、そして玉ねぎが数個転がっていた。外食をする気にもなれず、久しぶりに、ありあわせの食材でオムライスを作った。チキンの代わりにベーコンを、そして、卵は3個使用した。野菜を刻んだだけのサラダも添えたため、冷蔵庫の掃除ができた。その昔、よく料理をしたが、不規則な生活のため外食一辺倒になってしまった。たまにフライパンを振るのも楽しいかった。


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穏やかないい一日だった。振り返ると、僕は今日一日、「カツサンドとホットコーヒー」と注文の言葉を発した以外、誰とも口をきいていない。



おしゃべりな僕が・・・と思うと一人、笑ってしまった。そして、24時就寝。



追記:


最近、書くことがなくて、こんな話になってしまった。申し訳ない。






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