下町(清澄白河周辺)での日々

下町情緒豊かな深川の暮らしが気に入っています。周辺情報、日々の暮らし、英語にまつわる自分の人生(スッチーや駐在妻など)を書いていきたいです。
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いろいろ事情があり、しばらくネットを見る気になれません。高校生の皆さまのリクエストに個別に対応してきましたが、それも難しいので、期間限定で和訳を公開します。またお叱りのメッセージが来るかもしれませんが、取りあえず期間限定の公開です。元気になったら削除しますので、また個別にリクエストして下さい。



Lesson 10 The Information Divide





前書き

サカイ先生は、先週末に出席した会議についてクラスの人達に話しをしているところです。

彼は講演者の福島教授に深く感動しました。サカイ氏は彼と彼のスピーチを紹介するつもりです。



Part 1: Who is Satoshi Fukushima?



福島智は、身体的な障害を負った教授です。彼は、視聴覚障害者なのです。

彼は9歳の時に視力を失い、18歳で耳が聞こえなくなりました。



これから述べるのは彼がそれをどのように覚えているかです。「目が見えないことから、完全に視聴覚障害者への移行は、私にとって非常に大変の衝撃でした。



それは、あたかも「現実の世界」が、私からまったく消えてしまったように感じました。

私は、まるで地球の夜側の宇宙空間に投げ込まれたかのように感じたのでした。つまり太陽の光が届かない暗く、空虚で無重力な宇宙に。



それは何もない、暗い場所に完全に一人でいる経験でした。視聴覚障害者であることの最も苦痛な部分は、他者とのコミュニケーションの喪失でした。



その時まで、私はそのような重要性を持っているものとしてコミュニケーションを考えた事が一度もありませんでした。



しかし人はコミュニケーションを奪われて本当に生きていけるのだろうか?



言うまでもなく、彼は本当に自暴自棄でした。しかしながら、彼は生きるための意思と勇気を取り戻しました。



Part 2 What are information and communication?



これが福島教授の講演内容です。



私達は、今21世紀を生きていて、私達の生活は近年ますます複雑になっています。

今日の社会において、そしてそれは「IT社会」と呼ぶ人もいるが、情報技術は人々のあいだに格差を生み出しています。



情報にアクセスできる人々がいて、アクセスできない人々がいます。

これはまた「情報格差」と呼ばれます。



なぜ他の人が手にとても入手しやすい情報にアクセスできない人々がいるのでしょうか?

まず第一に、私達は読んだり、書いたりする必要があります。



それからコンピューターやテレビ、携帯電話などにアクセスする必要があります。

加えて、私達は情報を得るためにこれらの装置を使うのに必要な技術をもつ必要があります。



このような方法で、私達は他者とコミュニケーションするのに情報を使うことができます。

どんな情報やコミュニケーションがあるか詳しくみてみましょう。



簡単に情報は知識であり、コミュニケーションはその知識の移動だと言えます。



これは、情報が静的である一方コミュニケーションは動的であることを意味しています。



例えば、本は情報を提供することができるし、情報を含んでいます。



しかしながら、それ自体は私達がその本を読むまで、私達にとって何の意味もありません。

本を読むことは、だからコミュニケーションになります。



ゆえにコミュニケーションがあってはじめて、情報自体が意味をもつのです。



だから、情報自体は、コミュニケーションなしに意味があるはずがありません。



Part 3 How can information be used?



今日のIT社会の最も重要な特徴の一つは、私達が異なる情報源を通じて大量の情報を手に入れる事ができるという事です。



これらの情報源は、少しだけ名前をあげたとしてもインターネット、デジタルテレビ、携帯電話のようなさまざまなメディアを含みます。

しかしながら、これは又、「情報格差」の問題源でもあります。



「情報格差」とは何でしょうか?例えば、もし役に立つ情報を含む本があったとしても、それはまだ私達にとって役にたたないかもしれない。



なぜですか?



多分、その本は私達が理解できない言語で書かれているかもしれない、あるいは私達が読むことができないかもしれません。



これらの理由のいずれかで、私達がその情報を手に入れる事が不可能かもしれません。



同様に、IT社会において私達が情報を手に入れる事ができないというのもありえます。



私達はコンピューターかテレビ受像機、あるいは携帯電話を買う余裕がないかもしれません。これらを使えないかもしれないか説明書を読むことができないかもしれません。



「たとえ私達が必要な科学技術を買う余裕があり、それを使い、その言語を理解する事ができたとしても、まだそのメッセージ自体の重要性を理解しないかもしれない。



私達はそのメッセージの重要性を認識しないかもしれない。あるいは新しい情報と私達がもう既にもっている知識との必要な関連性を作れないかもしれない。



言い換えると、最も進んだITでさえ、もしそれを通して伝達される情報を理解しないならば、意味がないのです。



Part 4 What should we do for communication?



サカイ先生は彼が呼ぶところの「暗闇と沈黙の牢獄」から、この勇気ある人物が自由になるのを助けたかもしれないものは、何だと思うかクラスの皆にたずねました。



最初の物は、彼のお母さんの「プライユ指点字法」と呼ばれる新しい方法の発見です。

このおかげで彼が再び他の人達とコミュニケーションをとる事ができたのです。



彼は、他の人達とコミュニケーションできるようになった時に生きたいという願望と生きる勇気を取り戻したのを覚えています。

又、もう一つの極めて重要な要因は周囲にプライユ指揮指点字法を使ってコミュニケーションをとろうとする人々がいた事です。



他の人々、社会からのこのサポートは、彼だけでなく皆にとって重要な事です。



これが情報格差とどう関係しているのでしょうか?



第一に、止まって考えましょう:私達の生活において最も大事な事は何でしょうか?



幸せになること、あるいは幸せになろうとすること。自分達の幸せを追求するために、私達はお互いのサポートが必要です。そして、情報とコミュニケーションが必要です。



幸福は私達の目標です。そして情報は私達がそこに辿りつくのを助けます。もし私達がコミュニケーションが不可能と感じるならば、それは情報を得るのに対する心理的な障壁になるでしょう。



彼のお母さんが、プライユ式指点字法を生み出すまで、それが福島教授の情報格差でした。



福島智氏は、次にように彼のスピーチを終えました。「私達、人間は、特別なニーズをもつ私達のような人々を含めて、自分達が使うことのできる以上の情報、または情報処理において更なる高速やもっと良い効率性を願ってはいません。



私達が願っている事は、他の人達と精神的に豊かな生活を過ごす事です。この理由で、私達の最も大事な仕事は私達全員が潜在意識から築き上げる傾向がある心理的な障壁を排除する事です。



簡単にいうと私達は、人の理解を勝ち得るために「情報格差」を取り壊す必要があります。


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Lesson 9 Medicine from the Wild

Part 1 Gifts from the rainforest

雨林はいわば、私達人類の宝物です。それらは、美しく、穏やかで非常に古いものです。

これらの素晴らしい点に加えて、雨林は私達にとって重要な役割を果たします。

一つの役割は私達に多様な種類の薬を与えていることです。雨林と薬には強い結びつきがあります。

実は、私達はまだ多くの病気の治療するためにとても植物に依存しています。発展途上国の沢山の人々は自分達の主要な健康管理を伝統的な薬に頼っています。それらの薬は彼らの身近にある植物から作られています。米国では、薬の約25%が植物からの主成分で出来ています。

現在世界中で売られた約120の処方箋薬は、ちょうど90種類の植物に由来しています。そのような数字は植物が現代医学において大変重要性を持っているのを明確にしています。

最近、世界の雨林の植物は、さらに注目を集めています。

米国国立がん研究所は3000以上の植物がガンに有効であると報告しています。それらはまた、これらの植物の70%が雨林でのみ発見されていると伝えています。

今日のガン治療薬の主要な成分の25%以上は雨林に由来していると言われています。雨林は本当に貴重な医療の供給源なのです。

Part 2 Precious medicines

ニチニチソウは、貴重な雨林植物の良い例です。その植物から二つの薬が白血病に効果があるらしいです。その二つの薬は白血病にかかった子供達の生存率を20%~80%に高めました。

野生のニチニチソウは、マドガスカル雨林の大部分の損失によりほとんど絶滅しています。

それについて考えて見なさい。 この雨林の植物のおかげで、白血病で10人の内8人が死ぬより10人のうち8人の子どたちが今は生き残るのです。

もし私達が、絶滅前にこの大切な植物を発見できていなかったなら、これらの貴重な命を救えていなかったでしょう。

何千もの雨林植物の種類がまだ研究されていません。その中にさらに何千もの未知の植物化学物質があると信じられています。これらの化学物質の多くは、植物が病気から自分自身を守るために進化したものです。これらの植物化学は、私達の病気との絶え間ない戦いにおいて、私達を助けてくれるかもしれません。

AIDSのような多くの深刻な病気は、絶えず進化しています。たくさんの未知な植物化学物質は、これらの病気と闘うために使える可能性があるかもしれません。

こんにち、専門家たちは、もし癌のための治療薬があるならば、それらは、おそらく雨林で発見されるだろうと信じています。

私達が残っている雨林を失くすなら、役立つ植物もまた失われるでしょう。それらが提供する病気に(有効な)可能性のある治療薬も失われるでしょう。

私達は、この深刻な状況を慎重に考慮し、行動をおこさねばなりません。

Part 3 Rainforests in danger

それでは、下記の興味深い事実を見てみましょう。

・ヨーロッパの川の全てより、ブラジルの一つの池に、より多種類の魚が生息することができる。

・ボルネオにある小さな村の大きさくらいのある雨林には、おそらく700種以上の樹木があります。その数は、北アメリカの全部の樹木の種類に匹敵します。

・ペルーにあるただ一つの雨林はアメリカ全体で発見されるよりもっと多くの種類の鳥の生息地です。

今日、雨林は地表のたった2%、あるいは陸地面積の6%のみを占めています。

そんな小さな数字にもかかわらず、これらの雨林は、野生植物の半分以上そして世界の野生動物の約50%を支えています。

けれども、科学者によって研究されているのは、それらの何万という種類の1%以下だけで、他方の99%は未知のまま残されています。

雨林は地球の最後の未開拓の領域です。

その1%がなかったならば、私達は生き延びられなかったでしょう。

しかしながら、過剰な開発のために、何百、何千というこれらの植物や動物が絶滅しています。それらは決して確認されていません。ましてや分類されたり、入念に研究されたりすることはなかったです。科学者たちは森林伐採のために毎日137種以上の植物や動物が失われていると推定しています。

ニチニチソウのような事例が他になければいいのだが!

Part4 The future of rainforests

科学者たちは現在、アマゾンの雨林の人々と連携して働いています。彼らは、地元の人々から植物についての豊富な知識を学んでいます。

地元の人々の深い知識はアマゾンの新しいゴールドであると考えられています。そのような協力は、地元の人々の経済的な問題を解決するのもまた役立つことができます。

多くの機関が、新しい考えを提案し、試しています。もし薬草が継続的な方法で使われるのなら、雨林の土地はもっと多くの経済的な価値を持ちます。

雨林は永久的な収入をもたらします。それは、樹木が単に伐採されたり、焼き払われるよりもっと利益をあげます。地元の人々が継続可能な雨林資源をうまく使うために雇われねばなりません。この事は今日だけでなく来る何世代にも渡って収入を提供するでしょう。

もしそれが適切にされるならば、相反するように見える経済的と保護の目標の両方が達成できるでしょう。地域の共同体と雨林の人々が使うのが重要です。

雨林を守るための本当の解決策を見つけるために、私達は継続可能な雨林の商品のための消費者の需要と市場をつくりださねばなりません。

私達が再生可能な雨林の商品を買って継続可能な資源の使用を要求する時、私達は解決の一端を担えることがきます。

私達全員は雨林を破壊することなしに、利益を得れるようにあらゆる努力をせねばなりません。


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Lesson 8 What happened to a Local Village


Part 1 Death arrived

1665年ある9月の日、仕立屋の店にロンドンから小包が届いた。仕立屋の助手ジョージは小包を開けて中に布の反物を見つけた。


突然、彼は小包から酷い臭いがするのに気がついた。それで彼はその中に新鮮な空気を入れようと布を広げた。


ジョージはその布はロンドンから来る途中に湿ったのだと想像した。そしてそれは、当時ほぼ1週間かかった。(到着するまでにという意味です)


彼は火をつけて胸が悪くなるような臭いを取り除くために台所周辺に布を掛けた。


彼は、死の小包を開けたとは全くわかっていなかった。

まもなくジョージは高熱を発した。そして彼が身体に赤い斑点をつけてしんだのは、ほんの数日後でした。


村の誰もなぜ彼が死んだのか想像もつかなかった。しかし殺人者はもうすでに彼らの中にいた。


実際、村人たちはその年、ロンドンで多くの人々が死んだと聞いていたかもしれない。

それは発疹と熱で始まり、それはまもなく、くしゃみへと続いた。


それから黒く痛みのあるコブが腕の下や足の上に現れ、これらのコブは最後には潰れた。

犠牲者は普通、数日内に死んだ。それはまさしくペストでした。


2. People stated dying


実は、ネズミを食べた伝染病を媒介するノミがイームの町に向かう布の中にいて移動したのです。そしてジョージが小包を開けたその瞬間に村にその伝染病が広がったのです。


事態は次の数週間過ぎにはもっと悪くなりました。ジョージの後すぐに仕立屋の息子が亡くなり、続いて6人もの死人がでました。


恐怖に怯えた金持ちの家族はイームの村を捨て始めました。(*出て行ったという意味)

でも貧しい人々はできませんでした。なぜなら彼らは自分達が持っているどんな仕事でも、どんな家でも、必要としていたからです。


その上、誰もペスト(罹患者が出た)家族の世話をしたくはなかったです。ロンドンからの旅行者は、寒い天候がそれを止めるかもしれないと示唆しつつ、そのペストは暑い天候において人々を死なせると言いました。


それで、冬が到来した時、村人たちはペストがまもなく消えるだろうと祈っていました。しかし不幸にも、ペストを媒介するノミはまだ、はびこっていました。


それらのノミはロンドンからの長い旅を生き抜いてきて、村で生き続けるためにたくさんの黒いネズミを見つけたのです。


ネズミとノミの数は増え続け、人々は死に続けました。16664月までに73人の人達が死にました。でも5月には、ほとんど死者はいませんでした。


皆が、これが悪夢の終わりだと期待しました。しかし死者の数は、6月にふたたび急激に増え、村人たちを絶望の中へと押し戻しました。


Part 3 One man stood


その時のイームの教区牧師は28歳のウイリアム・モッパーサンでした。そして彼の側には彼の妻のキャサリンがいました。


彼女は繰り返し、家族をイームから連れ出すように懇願しました。しかしウイリアムは留まると言い張りました。


彼はついに子供達を友達のところに送り出す事に同意しました。しかしキャサリンはたとえそれがどんなに大変であっても村人たちをたすけるためにとどまろうと決意しました。


その絶望的な状況において、ウイリアムは大胆な計画を思いつきそれを村の前教区牧師と討議しました。


それから彼らは、皆に教会ではなく、原っぱでの会議に呼び寄せました。


「友よ」ウイリアムは宣言しました。

「我々は貴方がたと共有する(共に実行したい)計画があります。

第一に私達は誰も出入りしないように村を隔離せねばなりません。私達はこのペストが広がるのを防がねばなりません。イームの外の友達が食糧を残せる場所に印をつけ代金を井戸や川に置きましょう。水はコインから伝染病を洗い流すでしょう。他の場所ではペストを取り除くために酢でお金をカバーしましょう。これに加えて、これから教会の礼拝は戸外でおこなわれます。なぜなら教会内で密着して共に座るより安全だからです。またそれぞれの家族が身うちの死者を埋葬するようにお願いします」村人たちから承認を得ながら彼は話しを締めくくった。


Part 4 The nightmare ended


1666年の夏は、酷かった。20人を超える人々が6月に死亡し、7月に78人、8月に78人が死亡した。毎日新しい墓が掘られ、ウイリアムと彼の妻は毎日病気の人達を訪問したり、村の人々を慰めるのに、これまでより忙しかった。


ある晩、彼らが畑を横切って歩いて家に帰っていた時、キャサリンは突然「空気がなんて甘い香りがするのでしょう」と言いました。


震えが教区牧師の身体に走りました。なぜならペストにかかった人々はよく何か甘い臭いがすると述べたのを知っていたからです。


「私は、献身的な妻を失ってしまうのだろうか?神よ、どうぞそれをおこさないで下さい」彼は、うめき声をあげた。しかし彼の最悪の恐れが現実のものとなった。キャサリンはペストにかかり、彼女が死んだのは、わずか数日後だった。


1666年になって初めて、ペストがついに静まった。子供達は通りに戻り、家畜はあらためて世話をされました。ついに生活は通常に戻りはじめました。


伝染病の発生はまだイームの村で記憶されています。8月の最後の日曜日は「Plague Sunday」とよばれ、その日、花々がキャサリンの墓に献花されます。それは350年前の祖先に助けの手をさしのべついに彼女自身の命をささげてくれた彼女に感謝の意をあらわす村人たちの手段なのです。







































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