周期的に「幸せ」について考える癖がある。
20代の頃はショウペンハウエルの「幸福論」に傾倒し、何度も何度も読んだ。去年あたりは、禅に興味を持ち、わかりやすくその教えを解説してくれる本を何冊か読んだ。
その時は、「なるほど」とわかった気になるが、すぐに忘れる。年のせいで何もかも忘れることが多いが、若い頃あんなに繰り返し読んだショウペンハウエルの内容もほとんど思い出せない。しいて言えば、ショウペンハウエルの言葉ではなく、彼が引用したセネカの「一日を一生と思って生きよ」という言葉は覚えている。
難解な説明は心に残らない。シンプルで、それでいて核心をついているような言葉は人の心に残る。
例えば、
しあわせは
いつもじぶんの
こころが
きめる
有名な相田みつを氏のこの言葉は、誰もがすぐ理解し、納得する。
名言だと思う。しかし、「きめる」には何か基準と根拠が必要で、それが何なのかを考えてみると自分が決めていると信じていることが、実は自分でないものに影響されて決めている可能性があることに、ダニエルネトルの「Happiness」を読んで気がついた。
ネトルの本が面白そうだと思い、アマゾンで注文しようとして愕然とした。
翻訳本のタイトルは「目からウロコの幸福学」というのだが、その値段はプレミアムがついて、
56,887円もした。
医学書でもなく、普通の古書が5万円を軽く超えているのは、余程希少価値があるのだろう。
とても買えないので、諦めようとしたら、下の方にその原書の広告があった。
原書は2,155円のところ36%オフでなんと1,372円だった。すぐにオーダーした。
こういう本は、何か定義をして、それをもとに自説を展開していくが、ネトルは幸せを3つのレベルに分類した。
レベル1は、瞬間的な喜びや楽しみの感情
レベル2は、良い事と悪い事を平均してバランスを取った安寧。ベンサムの功利主義
レベル3は、自分の潜在能力を発揮、好きな事を目標としてやりとげた達成感
ネトルは、たくさんの哲学者や心理学者の説を引用、また統計や資料をもとに各レベルを説明していく。出てくる人物を検索してその主な自説を理解しようとしたが、疲れてしまった。
英単語も物語なら前後関係からわからなくてもだいたい推測がつくので、ほとんど辞書を使わないで読むことができるが、論文はそうはいかない。何度も辞書を引いた。
途中で挫折しそうになった。しかし別に無理して全部読む必要はない、興味がある部分と最後の方のまとめと結論を読めば、論文形式のものは、ほぼ大丈夫だと思い直し、毎晩すこしずつ興味のある部分を読んだ。
新鮮だと思ったのは、進化と幸福の関係。「幸せ」の正体は、種の保存という遺伝子に深くかかわっているというあたりの説はとても納得できた。フィッシャー氏の「愛はなぜ終わるのか」を読んだ時、自分の恋感情の基が、すべて太古の昔から生き残るためにDNAに組み込まれていると理解して救われたが、それと同じ感想だ。
わかったからと言って、本能として湧き出る感情はどうしようもない。しかし、それが単純に自分の意思ではないと客観視できる視点を持つことは、大変な慰めになる。
他には、幸せになる方法でネガチブの感情を減らしポジチブの感情を増やす具体的な案はすぐにも役立つと思う。Want(欲しいもの)とLike(好きなもの)の神経回路が違う話も興味深かった。ネトルは人はWantが幸福につながると思い、そのために一生懸命働くが、それは次の虹を捜すようなもので、際限がない。もっとLikeをを楽しむように説いている。
この本の最後は、緋文字の小説で有名なナサニエル・ホーソンの言葉で終わっている。
幸せとは、蝶のようなもので、追いかければ、いつも手の届かないところに行ってしまう。しかし可能ならば静かに座っていなさい。幸福があなたのところに舞い降りるかもしれません。
今日の風景は、この看板。都内にはワイナリーが3つあると言われている。その内の一つが家の近所にあり、イタリアンレストランが併設されている。先週の土曜日に家族で行ってきた。
次回は、そのワイナリーの写真を紹介したい。