僕はもう何年も涙を流していない。
ドラマも映画も、日常あった出来事も、母ちゃんが脳出血で倒れた時でさえ涙がでない。
うちの嫁さんはよく涙する。
ドラマでも映画でも。日常あった出来事でも。
うちの子供たちもよく涙する。
3歳と1歳なら当たり前か・・・
涙は心の汗、と陳腐な表現があるけれど、やっぱり泣きたいときには泣いた方が体にいい。
僕は医者という職業柄、どこか冷めた目線で物事をとらえるようになってしまった。
だからといってロボットなわけではないので、ある程度は感情もある。
感情を押し殺すことに慣れたのかもしれない。慣れてはいても起伏はある。
96歳女性。転倒し受傷。
大腿骨頚部骨折で、寝たきりにならないためには手術が必要なのだけれど、心臓がもともと悪すぎて手術できない。
内科と麻酔科の先生から「手術なんかすると本当に死んじゃうよ。それでもいいの?」とかなりプレッシャーをかけられた。
受傷後3日目。真夜中に携帯電話がなる。
ナース「○○さんが息をしてません。今蘇生してますが・・・」
僕「す、すぐ行きます、家族を呼んでください」
おそらく肺塞栓症を合併したのだろう、と車を運転しながら考える。
一応家族には病院に受診したときから肺塞栓症のことは伝えていた。
病棟へ走ってあがると彼女の心臓と肺は止まったままだった。ナースが心マッサージを必死にやっている。隣では当直の先生がいろいろ指示を出しながらアンビュバックを握っている。僕はナースに代わり心マッサージをしながら経過を聞く。
それから30分後。
96歳という高齢もあってか、心拍は再開しなかった。僕は汗だくになったまま駆けつけてきた家族に逐一説明する。
家族も手術ができないぐらい心臓が悪い、全身状態が悪いことを知っていたからそんなに驚きはしなかった。
だけどやっぱり故人と対面した時は家族は泣き伏した。僕はどうにもすることができない。やはり涙さえでない。出るのは汗ばかりだ。
出棺の時、家族に「お世話になりました、本当にありがとうございました」といわれた。
僕は医者として彼女に何ができたのだろう?と自問する。
無力を感じて医者は成長するのだろうか。
それが果たして正しいことなんだろうか。
馬鹿だからわかんない。
ひとりひとり患者を診ていくしか僕にできることはない。