ここのところいろいろな日本茶を飲んだりしていくうちに、改めて中国緑茶のすごさを思い知らされる。
例えば、【碧螺春】という中国緑茶は、1kgにおよそ15万個の芽が使われているという。
とても小さい芽を摘むことでさえ大変な人員と労力がかかるのに、さらに、摘み取った茶葉を持ち帰って、1つ1つ丁寧に手作業で余分な大きな葉を取り除いていく。
均一に揃った茶葉を全て手作業で鉄鍋を使用して殺青し、揉捻し、成形し、乾燥していく。
1鍋に出来るお茶はせいぜい300gほどだろうか・・・
こんな手間もかかり、生産性の悪いお茶はおそらく日本では作られることはまずないだろう。
以前、この【碧螺春】というお茶を日本茶関係の人に飲んでもらったことがある。
が、日本茶を生業としているプライドからか、それとも茶=日本茶の蒸し煎茶が基準となってしまっているのか、
【碧螺春】に関しては、芽だけでお茶を作ったって美味しいわけがない。
と一蹴されたことがある。
何が基準となって、お茶を美味しいと思うかは、十人十色である。
食に関する文化的な嗜好の違いはあるのかもしれないが、ではなぜこんなめんどうくさく、手間のかかるお茶が中国で絶大な人気があるのだろう?
正直この感想を聞いた時は、技術大国である日本のお茶が、技術的にも未発達なな中国に美味しいお茶がつくれるのか?
といわれたような気がして、その方に対してがっかりしたおぼえがあった。
日本茶だけ飲んでいて、日本茶の評価ばかりしているとおいしいお茶の基準が麻痺していくように思う。
ちなみに、私は日本茶でおいしいなぁ~と思うのは、よい原料で作る手揉みのお茶が1番好きです。
大型機械を使って、茶葉に温風をバンバンあてながら大量に生産されて作られる茶葉には、強い香りがないというか、飛んでしまっている気がする。
手作りには大量生産では決して出来ない、強い香味と味わいがある。
お茶に関しては、どんなに技術が進歩しようにも、それは生産効率であったり品質の向上だったりするのだろうが、同じ原料でお茶を作れば、熟練した職人が手作りで作るお茶にはとうてい及ばないと思っている。
中国茶に関してもそれはあてはまります。
最近ではだいぶ機械化が進んできてたり、新品種を導入して色・形の整った見た目では美しい茶葉も市場にどんどん進出してきている。
そんな中で、茶園の管理はもちろんのこと、茶摘・製造にものすごい手間隙をかけて丁寧に作られている愛里さんの訪れる【碧螺春】の生産家で作られている中国緑茶 は、いってみれば幻の超高級緑茶なのである。