今月の東京東銀座の歌舞伎座
は、僕も大の贔屓にしている二代目中村吉右衛門
丈を施主に、
吉右衛門丈の養父(母方の祖父)である初代中村吉右衛門
の生誕120年を記念して、
初代の俳名である「秀山(しゅうざん)」を冠した、「秀山祭九月大歌舞伎
」が興行されています。
初代吉右衛門ゆかりの狂言(演目)を中心に狂言建てされた今月のこの興行は、
播磨屋の芝居、播磨屋系の芝居の大好きな僕、、、
そして私事ながら、いまから10年程前、
この初代吉右衛門についてを大学の卒業論文で採り上げた僕にとっては、
すこしはやいクリスマス・プレゼントを頂いたような、すべてが愉しい興行なのです。
(ですから今回は大変な長篇になりますよ・・・)
また、今月の記念興行をするにあたり、
吉右衛門丈が実兄の九代目松本幸四郎
丈と久々に競演するのも話題になっておりますが、
競演が久しい理由については製作発表記者会見
で語られましたように、、、
兄弟であるために身体や声やら条件が似ており、役柄も似てしまうことから、
どうしてもおなじ舞台を踏む機会が減ってしまうとのこと。
たとえば「俊寛」というお芝居が出て競演となったら、やはり兄に主役の俊寛を譲って、
自分は別の役となるのでしょうけど・・・僕も俊寛を演じたいですもの。
というようなことを仰って、記者会見場の笑いを誘っておられました。
きっとご当人たちにとっては、容貌も芸風も役柄も似通った者同士の芝居など面白いはずがない、
と思われているのかもしれませんが、ファン心理というのはまた別のものなのでしょうね。。。
観劇日(20日)の歌舞伎座の風景
とくに意味はないのですが、僕にとって大切にしたい日でしたので、
おもわず動画なんぞを撮ってしまいました。
昼の部の開場時刻午前10時半を過ぎて、劇場前のお客様方が場内に入り、
すこし落ち着きを見せたころの風景です。
歌舞伎座の写真(動画)を撮るならココ!
というのが僕にはありまして、歌舞伎座前を走る晴海通を挟んで向かい側、
すこし築地寄りのところにポストがあるのですが、その上にミニ脚立を置いて撮影すると、
こんな感じで歌舞伎座の全容を写すことができます。

動画ですと解かり難そうなので画像にて。
今月はこのように「秀山祭九月大歌舞伎」の垂幕がかけられています。
たとえば5月なら團菊祭五月大歌舞伎、8月なら納涼八月大歌舞伎となるのです。
画像下に見える提灯も同様に変わるのですが、
こうした特定の歌舞伎俳優の追善興行などは特別ですから、
見慣れた歌舞伎座の景色も、いつもとは違った景色に見えるのです。

初代中村吉右衛門
屋号 播磨屋 定紋 揚羽蝶 替紋 村上片喰(むらかみ・かたばみ)
明治19年(1886年)3月24日~昭和29年(1954年)9月5日
こちらが吉右衛門丈の養父で母方の祖父に当たる初代です。
生前に文化勲章
を受章した最初の歌舞伎俳優で、
この写真は受賞当日の写真として伝えられています。
明治末から昭和にかけて活躍して、
六代目尾上菊五郎
とともに「菊吉時代」と呼ばれる時代を築いた名優です。
今回、後継者の二代目とその実兄幸四郎丈という、
現代の歌舞伎界を代表する俳優となられたふたりの孫が手を組んで、
このような追善興行のようなものを催され、泉下の初代は喜ばれているのでしょうね。。。
さてさて、今回の歌舞伎座をご一緒したのは、大学院時代の後輩メイサさん
。
5月の新橋演舞場
もお付き合い頂いた、歌舞音曲に詳しい彼女ですし、
舞踊家としても活躍されている彼女ですので、
こうした歌舞伎の観劇などでは非常に心強い方なのです。
僕たちが観たのは午前11時開演の昼の部の公演。
一、菅原伝授手習鑑 車引(すがわらでんじゅてならいかがみ・くるまびき)
二、双蝶々曲輪日記 引窓(ふたつちょうちょうくるわにっき・ひきまど)
三、六歌仙容彩 業平小町/文屋(ろっかせんすがたのいろどり・なりひらこまち/ぶんや)
四、菅原伝授手習鑑 寺子屋(すがわらでんじゅてならいかがみ・てらこや)の狂言(演目)4本。
それではいつもどおり、専門知識なんてクソくらえっ!
な解説をば。。。

一、菅原伝授手習鑑 車引(すがわらでんじゅてならいかがみ・くるまびき)
舎人梅王丸=八代目松本幸四郎(白鸚) 舎人松王丸=初代中村吉右衛門
藤原時平=七代目松本幸四郎
歌舞伎三大名作のひとつ「菅原伝授手習鑑
」の中の物語なのですが、
一般的に歌舞伎をご覧になったことのない方が想像する、
顔に隈取を引いて、ポーズを作って、様式的にセリフを喋るという、、、
まさにあの世界観と思って頂いて好いでしょう。そういうものを「荒事(あらごと)」といいます。
歌舞伎愛好家の方には、そんなんじゃない!といわれるかもしれませんが、
歌舞伎の観かたなんて自由ですし、歌舞伎を観るきっかけって大事ではないですか。
きっと愛好家の皆様も、最初に面白いのに出会ったからこそ観劇が続いているはずでしょう?
歌舞伎を観たことのない方に、まずはイメージを思い浮かべて頂いて、
あっ、そんなら観てみようと思って頂けるような、歌舞伎への栞なブログとしたいのですよ。。。
松王丸、梅王丸、桜丸という三つ子がおりまして、
運命の悪戯か、松王丸は左大臣の藤原時平の舎人、
梅王丸と桜丸は右大臣の菅原道真に皇弟の舎人という敵味方に別れてしまいました。
時平の陰謀で主人を失った梅王丸と桜丸は、吉田神社に参詣した時平の行列を襲うのですが、
松王丸に遮られ、牛車から現れた時平に睨まれて身体がすくんでしまうという物語です。
時平は公卿荒れという隈、松王丸は一本隈、梅王丸は二本隈、桜丸は剥身(むきみ)という隈。
とくに梅王丸の二本隈は筋隈という「荒事」を象徴する隈ですし、
桜丸の剥身隈は柔らか味のある役柄がする、「荒事」に対する「和事(わごと)」となります。
元祖歌舞伎といいますか、隈取だけで役柄か解かる、デフォルメの世界をお愉しみください。

二、双蝶々曲輪日記 引窓(ふたつちょうちょうくるわにっき・ひきまど)
南与兵衛女房お早=三代目中村時蔵
とにかく好いお芝居なんです。これは機会があれば是非に観て頂きたいです。
京近郊の八幡の里。明日は石清水八幡宮
で放生会(ほうじょうえ)
が行われる十五夜の前夜が舞台です。
八幡の里とは現在の京都府八幡市
になります。
木津川を挟んで京都市南部(伏見区)と隣接する街で、石清水八幡宮の門前町として栄えました。
このあたりの風景をご存知の方にはお判りになるとおり、木津川に沿って長い土手がつづき、
その土手を越えると街並みが拡がるという、川沿いの街の風景があります。
そうした街に多いのが屋根に作った明り取り用の窓である引窓
。
この引窓が効果的に使われるお芝居です。

これは京阪電車
の本線の路線図。京都の街中を越えて大阪方面に走っていくと、
淀、これは悪名高き豊臣秀吉の側室であった淀君の淀城のあった場所にある駅なのですが、
きっと多くの方は淀の競馬場と呼ばれる、JRA京都競馬場
のある場所と認識されるのでしょう。
この淀駅を越えて木津川の鉄橋を渡り、八幡市駅に向かっていく間の車窓からの景色は美しく、
とくに木津川の京都市側の土手につづく桜並木は夢のようで、
いろいろな映像で撮影に使われている場所でもあります。
嗚呼、想い出すだけでも感動して泪が。。。

南与兵衛 後に 南方十次兵衛=初代中村吉右衛門 濡髪長五郎=初代市川猿翁
南与兵衛女房お早=三代目中村時蔵
八幡の里の南与兵衛は亡父南方十次兵衛の名を襲いで役人に取り立てられるというので、
与兵衛の家では女房のお早と姑のお幸がお月見の仕度をしながら落ち着かない様子でおりました。
そこへ不意に関取の濡髪長五郎が訪れます。
じつは姑のお幸は与兵衛の父の後妻で、与兵衛の義母であるお幸は長五郎の実母だったのです。
挨拶もそこそこに立ち去ろうとする長五郎を引き止めたお幸は、とりあえず2階の座敷へ通します。
そこへ与兵衛が帰り、役人に取り立てられ、名も南方十次兵衛と改めたことを伝え、
その初手柄にと、大阪で殺人を犯して逃走中の人物の人相書を取り出すと、お幸は驚きます。
なんとその逃走中の犯人こそ長五郎だったのです。
庭先の手水鉢を使う与兵衛は、2階座敷から様子を窺う長五郎の姿が水面に映るのを見て驚くと、
お早が急いで引窓を閉めるのですが、お役目の夜になれば召し捕ると意気込む与兵衛に、
今度は引窓を開けて、まだ日が高いといって取り繕います。
お幸が与兵衛の人相書をすべて買い取りたいと申し出て、
与兵衛は以前義母のお幸から聞いた実子こそが長五郎と悟ります。
母者人、なぜ物をお隠しなされます。。。
義理の母とはいいながら孝行を尽くしてきた与兵衛は情けなくなるのですが、
刀を投げ出して、いまは町人の与兵衛であると話して人相書を義母に渡し、
長五郎へ聞こえるように、それとなく抜け道を伝え、一旦その家から離れます。
お幸は長五郎の前髪を剃り落とし、与兵衛の情けや、親への孝行のために逃げよと告げるのですが、
実父譲りの高頬の黒子だけどうにもならないでいると、家の外から黒子へ路銀を投げる与兵衛。
路銀が当たって黒子の取れた長五郎は、重ねての与兵衛の温情に心を打たれ、
自ら進んで召し捕られることをお幸に懇願し、引窓の縄で縛って貰うのですが、
その縄を断ち切る与兵衛。引窓は開き、仲秋の月光が部屋に射し込みます。
放生会にことよせて長五郎を逃すことを告げ、
また、夜を告げる九つの鐘を、夜明けの六つの鐘になぞらえ、長五郎を逃がすのでした。。。

名作散歩 歌舞伎と京都
この本は文楽で三味線をしているKくん
から学生の頃に頂いた本なのですが、
やはり歌舞伎は大阪で始まった人形浄瑠璃の文楽
を、
人間が演じる歌舞伎に移行したものが多いので、関西が舞台の作品が多く、
物語の舞台になったところと、その物語を紹介している素晴らしい本です。
文中で使われている舞台写真も、一世代の前の方のものばかりなので、
もう古書店
でしか手に入らないのかもしれません。

三の一、六歌仙容彩 業平小町(ろっかせんすがたのいろどり・なりひらこまち)
在原業平=初代中村吉右衛門 小野小町=六代目中村歌右衛門
この作品は歌舞伎舞踊になりまして、六歌仙・・・といいますから、
古今集に登場する平安初期の優れた6人の歌人である、、、
僧正遍昭
(そうじょうへんじょう)、文屋康秀
(ふんやのやすひで)、在原業平
(ありわらのなりひら)、
喜撰法師
(きせんほうし)、大友黒主
(おおとものくろぬし)、小野小町
(おののこまち)
を登場させ、美女と伝わる小野小町を慕う男5人の全5段の歌舞伎舞踊として作品化したものです。
全5段のこの歌舞伎舞踊は、上記の順番どおりに上演されるはずなのですが、
今回はなぜか「文屋」と「業平」がテレコ
になっておりました。
内容は何のことはない、宮中の御殿で美男と誉れの高い在原業平が、
踊りながら小野小町を口説くものの失敗に終わるというもの。。。

三の二、六歌仙容彩 文屋(ろっかせんすがたのいろどり・ぶんや)
後見=八代目松本幸四郎(白鸚) 文屋康秀=初代中村吉右衛門 官女萩の局(右)=初代中村吉之丞
またもやおなじく宮中の御殿。今日は歌合せの催しがあり、小町も御簾の内にいるというので、
色好みとして知られる歌の名人の文屋康秀がやって来ます。
ところが官女たちに阻まれたり、問答を仕掛けられたりしながら、
小町への想いを踊りぬき、小町のもとへ駆け出してゆくという踊り。。。

四、菅原伝授手習鑑 寺子屋(すがわらでんじゅてならいかがみ・てらこや)
武部源蔵=初代中村吉衛門 舎人松王丸=六代目尾上菊五郎
今月の歌舞伎座の昼の部って、菅原伝授手習鑑から2つもお話が採り上げられているのですね。
物語的にはすこし飛んでしまうのですが、序幕の「車引」のつづきと考えてください。
この作品は名作中の名作なのですが、先に記した「菊吉時代」の大人気狂言で、
逆の配役もあったのですが、初代吉右衛門が源蔵
、六代目菊五郎が松王丸
という配役は、
空前絶後の配役といわれております。
そんな人気狂言であることにプラスして、今回は兄弟競演の演目(狂言)として話題です。

初代中村吉右衛門の武部源蔵
と舎人松王丸
源蔵の衣装は誰が演じても変わらないのですが、松王丸の衣装は吉右衛門系だと黒の衣装、
菊五郎系だと銀鼠(ぎんねず)
といって白い衣装になります。
もちろん今回の松王丸を演じる幸四郎丈は吉右衛門系の黒になります。
他にも吉右衛門丈、七代目市川染五郎
丈、十二代目市川團十郎
丈は黒で、
当代の七代目尾上菊五郎
丈、十八代目中村勘三郎
丈は白になりますが、
贔屓目ぬきでも僕は黒の衣装のほうが好みです。。。
ここは京郊外の芹生の里(現在の京都府京北町)。
かつて菅原道真に仕えた武部源蔵は妻の戸浪とともに、この里で寺子屋を開き、
道真の嫡子である菅秀才を我が子と偽って匿っていました。
そんなある日、庄屋の饗応に招かれた源蔵でしたが、それは真っ赤な嘘で、
源蔵が菅秀才を匿っていることが訴人され、その詮議の場に呼び出されていたのです。
菅秀才の首を差し出すように。。。
途方に暮れながら帰宅した源蔵は、身代わりになる子を探すことにして、
源蔵の留守中に寺入りした小太郎を身替わりにすることにしました。
ただし贋首だと露見すれば検分の使者を斬り、また小太郎の母も斬らねばならないと覚悟して。。。
そこへ検分の使者として、藤原時平の家臣・春藤玄蕃(しゅんどう・げんば)と松王丸が現れます。
菅秀才の首を出せと迫るふたりに、源蔵は奥の間で小太郎の首を打って差し出し、
早速、松王丸の首実検が始まったのですが、なぜか松王丸はその贋首を菅秀才の首だと判断します。
使者は去り安堵した源蔵夫婦でしたが、小太郎の母である千代が、我が子を迎えにやってきます。
源蔵は隙をついて千代に斬りかかりますが、小太郎は菅秀才の身替わりになれたかと問い、
そこへ松王丸も現れて、刀を放り投げ、敵意のないことを源蔵夫婦に見せます。
親兄弟ともに菅原道真に恩を受けながら、
心ならずも、敵対する時平に仕える身になってしまった我が身の因果を嘆き、
時平に身を退くことを申し出たところ、この首実検を最後の役目として命じられたこと、
そして小太郎に身替わりになるよういい含めていたことを告白します。
これを聞いてすべてを納得した源蔵は、潔かった小太郎の最期を松王丸夫妻に語ります。
そして松王丸が匿っていた菅秀才の母である園生の前を案内し、親子の対面をさせ、
一同で亡くなった小太郎を弔うのでした。。。

松王丸一子小太郎=初代中村錦之助 武部源蔵=初代中村吉右衛門
こちらの写真。小太郎を演じる子役は初代吉右衛門の甥に当たる初代中村錦之助丈。
もうピンとこられている方もいらっしゃるでしょうが、のちの萬屋錦之介さんのことです。
なんと来年4月には萬屋錦之介さんの甥に当たる初代中村信二郎
丈が、
二代目として中村錦之助を襲名されることが決まったそうですね。

歌舞伎座は特別な興行が行われる際には、2階で展示が行われます。
今月は「秀山祭 初代中村吉右衛門ゆかり展
」です。

会場の入口には吉右衛門丈への楽屋見舞いの花々が飾られています。
さてさて、それでは展示内容です。。。

これは初代吉右衛門の書き抜きです。
書き抜きとは台本から自分のセリフだけを書き抜いたもので主役級の方に渡される台本です。
いつも思うのですが、自分のセリフだけ書き抜かれたものって使いやすいのでしょうか。
僕には使い難そうに思ってしまうのですが。。。

これは昼の部で2つも物語が上演されている「菅原伝授手習鑑」の中にある、
「筆法伝授
」という物語からのもので、菅原道真から武部源蔵が筆法を伝授される場面で、
実際に源蔵役の初代吉右衛門が舞台上で記したものだそうです。
鑽沙草只三分許(いさごをきるくさ たださんぶばかり)
跨樹霞纔半段餘(きにまたがるかすみ わづかにはんだんあまり)
と、読むのだそうで、菅家文草
からの漢詩だそうですよ。達筆すぎて読めませんでした。

初代吉右衛門といえば俳句でも有名な俳優で、高浜虚子
のホトトギス
の門人でもありました。
句集も出ておりまして、僕も手許にあるのですが、やはり一番有名なこの句が大好きです。
破蓮(やれはす)の動くを見てもせりふかな
歌舞伎俳優らしい雰囲気のある直筆の句ですよね。とても真摯な印象も受ける句です。

これは「時今也桔梗旗揚(ときはいま・ききょうの・はたあげ)」という、
明智光秀が織田信長を討つまでを描いた作品の劇中で、光秀が愛宕山で詠む歌です。
時は今天の下知る皐月かな(ときはいま・あめのしたしる・さつきかな)
これも舞台上で実際に初代吉右衛門が記したものです。
史実でも有名なこの歌は、さまざまな解釈がなされていて、「時は今」を「土岐は今」と解釈し、
土岐氏(ときし・美濃の守護職)の血の流れを汲む明智氏が、
今こそ天下を取るときなのだという意味をこめたともいわれております。

実際に使った鏡台やら衣装やらが見られるのも嬉しいですね。
鏡台の鑑の部分にあんな木製の蓋がついているとは驚きました。

初代吉右衛門といえば、「熊谷陣屋
」(左)と「一條大蔵譚」(右)が当たり役でしたが、
その実際に使用した衣装も間近で見られます。
現在も初代の孫に当たる吉右衛門兄弟の共通の当たり役とえいば「熊谷陣屋」ですし、
吉右衛門丈も当たり役にしている「一條大蔵譚」は、初代の弟である十七代目中村勘三郎丈にも伝わり、
さらにそのご子息の十八代目に伝わり、襲名披露狂言
にも選ばれました。

これが初代吉右衛門の鏡台です。
定紋の揚羽蝶に替紋の村上片喰が散らされています。
歌舞伎俳優にとって鏡台とは、絶対に必要な個人の持ち物中の持ち物ですから、
いわば武家の刀のようなもの。見ているこちらも思わず襟を正してしまいました。
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テーマ:演劇の目
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