こころの動き | おもさんの雑感

こころの動き

おもさんです^^

先日、職場の後輩から業務後に「触る」なり「身体操作」の練習会を行いたいとの申し出があった。
こういった事は素直に嬉しい。
「何を目的に?」と思うかも知れないが、実際のところ自分が考えられる目的は何かを始める上ではどうでもいいことが多い。というより、目的を言語化する以前に自分自身が行動しているという状態があって、その後に理由付けとして目的を設けていることがほとんどであるのだから、大切なのは言葉として整理された目的ではなく、自分自身のこころが動いたその事なのである。

目的志向型アプローチとかいうものが出回ってきた時に、妙な息苦しさを感じたのを覚えている。
言葉としての目標や目的といったものが、自分自身と関係している気がしなかった。
というより、自分自身をベースに物を考えた時に必ずしも前進する事だけが目的でもなければ、具体的な目標などない。ある人もいるかと思うが、それは他者の話であって、自分とは何の関係もない。
そういった中で、利用者の全体像を捉え、HOPEを踏まえて、目標を設定していく。
言葉で整理すれば実に簡単なことであるが、果たしてこんな簡単なものなのか?

目的志向型アプローチの背景には一つの凝り固まった価値観がある。
それは「目標をたてて、何かを成し遂げる事が良い」というものである。
私としても、その事を良い事であるとは思うが絶対ではない。
善し悪しというよりは、「そうしたいのであれば、そうすればいい」程度の話である。
「そうしたいと思ったことが、そうなった」のであれば、自分として嬉しいではないか。
それ以上に何があるのだろうか。
そこに変に意味や価値を見いだそうとするから、息苦しい感じがするのではないか。

未来にどうなるかは、今現在の取り組みが決める。
そういった意味では、目標や目的をもって今に取り組むことは大切である。
ただそれが社会的にどうであるとか、他者にどう思われたいかというのは、根本的には関係ない。
「自分が決めた事は自分の力で出来るようになればいい」だけであるし、そこに意味があると思うのであれば、意味があるようにすればいいだけである。

関わる人のこころの動きを大切にしたい。