SNS、不特定多数の人と繋がれる、いい意味でも悪い意味でも現代には欠かせないツ―ル。
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これは、高校生の時の話。
実は部活が苦手だった。
最初は帰宅部だったんだけど、途中からなんだか部活がやりたくなって、中学の時、吹奏楽部だったし、まあ音は出せるしまあいいか~的な軽い感じで吹奏楽部に所属することになった。
基本的には、勉強もあんまできないし、英語の成績なんかしっかりと底辺支えていたし(国際科にはいったのが間違いだった・笑)、得意なものは、器械体操とマット運動と、家庭科しかなかった(水泳は大嫌いで、ずるして休んでいた)。
音楽も超絶得意というわけではなくて、ピアノは3歳からやってたんだけど、全然ひけなくて、親に泣いてやめさせてくださいってお願いして小学校卒業と同時に卒業させてもらった。
唯一大好きで自分からやりたいといったのは、クラシックバレエ。
3歳からモダンバレエを習わせてくれて、小学校の低学年でクラシックバレエに移行した。
まあでも特段上手いというわけでもなく、普通、そう、いたって普通、どっちかってと、下手。
という、ようは、普通のごく普通の女子高生だったわけ。
ちなみに、中学は、愛知県卒業なので、高校から東京に戻って来たの。
なので、高校の吹奏楽部に入ったのと、クラシックバレエのお教室にはいったのと、初めてのバイト(マックね)を一気にはじめてしまって、超忙しい高校生だった。
で、もうおわかりのように、吹奏楽部でも、まあ別に楽器が上手ってわけでもないので、同じパート(楽器)の人に私なりに負い目を感じたりもしていたわけね。
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ちょっと話がずれるんだけど、うちの高校は、姉妹校がオーストラリアのキラウィー(kirrawee)って都市にあって、毎年20人くらいずつ交換留学生を派遣していたんだよね。
で、私と同じ楽器をしていた同じ国際科の先輩が、その留学生に選ばれて、行ったんだ。
でも、その交換留学に行くと、吹奏楽部の夏のコンクールに出場することができなくて、だから、その先輩は、コンクールの曲は練習していなかった。
で、ここで、下手くそだった私は思っちゃったわけ。
コンクール<交換留学生
だと。
確かに、交換留学生になることは、国際科にいる人、たぶんほとんどの人の憧れだった。
もちろん私だって行きたくて、国際科にはいったんだけど、成績悪すぎて無理だって諦めてた。
でも私は、コンクールで足を引っ張るのが嫌で、それが重荷に感じて・・・・・・・
で、翌年、英語の底辺を支えていた私だったんだけど、コンクールで迷惑かけたくない一心で、身振り手振りのなんちゃって英語で留学生の試験を突破して、オーストラリアにいった。
ある意味、もう今だから言えるけど、逃げた。
留学とはいえ、親には負担をかけたくなかったから、マックで夜まで必至にバイトして30万貯めた。
授業→部活→マックorバレエ
という生活で、毎日があっという間に過ぎていった。
長くなったから、オーストラリアの話は、次で。