忘れていた幼少期の記憶

人格結成におおきく影響をおよぼしている

幼少の時に一人で遠くまで出かけ、遠くっても子供の感覚だから、

実際にはそれほど遠方に行ってわけじゃあないあし

ここちよいさわやかな風に吹かれ、花弁が飛び交い舞う

感情の高揚が高まって踊るような心の喜びを感じた

この時に何か筆舌に伝えられないとても大きな感覚を感じ何処までも広がって行った。

この時に深く感情に刻んだようです!!

たった一人で知らない場所に行く事は、まさに自分にとっては冒険

この出来事が、今後の自分の人格結成に大きく影響しているのは間違いない。

何気ない幼少頃の記憶だけど、これ以上の強烈な感覚を感じた事はありません。

まるで天国にいるようだったパー


『枯木再び花を生ず -禅語に学ぶ生き方-』(引用)

 (細川景一著・2000.11.禅文化研究所刊)より

爛漫と咲き乱れる万朶の桜でなくてもよい、草かげに人知れず咲く、一輪の草花で十分です。

そこに色彩豊かな立派な蝶でなくとも、薄汚れた、ちっぽけな蝶でこれまた十分です。

一輪の花に二、三匹の蝶が戯れる、どこでも見られる風景ですが、私たちは何気なく見落とします。

良寛さんは、ここをとらえて無心の出合いの真実を詠いあげます。

 花は蝶を招きたいとも思わないし、また、蝶も別に花を訪ねたいとも思わない。

しかし自然に出合う、即ちめぐりあうわけです。

私たちの人生もめぐりあいの連続です。

親にめぐりあい、兄弟姉妹にめぐりあい、友人にめぐりあい、夫にめぐりあい、妻にめぐりあい、子供にめぐりあい、

また、苦しい事、楽しい事、悲しい事、いろいろな事にめぐりあいます。

これはみな偶然でしょうか。偶然と言ってしまっては物足りません。

宿命でしょうか。宿命と言ってしまっては救われません。では、一体何でしょうか。すべて因縁の法によって成って行くのです。

最初、原因があり、そこに縁が働いて結果が出てきます。

結果がそのまま、結果で終わるのではなくて、また原因となって、ある縁が加わって結果が出ます。

因縁と果が循環するのです。これを仏教では因縁の法則といいます。

例えば一箇の豆の種子があります。これが因です。畑を耕し、種子をまき、水をやり、肥料を施す、これが縁です。

芽が出て実がつく、これが果です。縁の働き具合で果も大きく違ってきます。

悪い因でも良縁が加わればいい果が得られ、良い因でも悪縁が加われば悪果となるのです。これが仏教の因果律です。

決して宿命論的なものではありません。縁のままに花は咲き、蝶もまた、縁のままに舞う、因縁の出合いです。

私たちのめぐりあいも、因縁の法に従っての結果です。

その底に秘められているめぐりあいの糸のつながりは、私たちには見えないだけです。

法則に従って生きる、否、生かされている事を謙虚に自覚して、めぐりあいを生かす生き方をしたいものです。

 子を抱いているとゆく末のことが案じられる
よい人にめぐりあってくれと
おのずから涙がにじんでくる
(仏教詩人 坂村真民「めぐりあい」より)

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若い時にある新興宗教の信者さんに救○主が下生している時代だから光の○使として、

伝道するのが私達の使命だと言われた事があります。

またこの光の○使としての言葉に魅了されているみたいで、しかも死ぬ時が楽しみとも言っていました。

救○主の為に光の○使として一緒に共に頑張っていこうと言われた事がありましたね。

でも結局は自分は断ったのです。

ちょうどその日は七夕でしたね。

でもその日に無理やり合わされてしまいまして、自分が断った為に泣かれてしまいました。

もし救○主が生まれているとしても何故伝道しないといけないのか?

光の○使になりたい為やその覚悟も自分はどうでも良いのです。

何者にも囚われず、何者にも惑わされずに人間は人間らしく自論があります。

救○主の事に魅了され自分自身を見失ったり、光○天使になりたいが為に自分の気持ちを殺してまで伝道はしたくない、

心から感じる事こそが大切なのです。

なるべく正直に生きて行きたいと思っていました。

書物にしても間違っていたり、うそをついて語っているのもあるかもしれません。

何事もすべて鵜呑みにする事は危険なのです!!


また蛇のように知恵を持って、ハトのように機敏でありなさいと言う方もいますが

信じなさいと、我を信じよと言います。

こう言うのは自分から言うのではなくて、周り人から自然と言われる

わざわざ自分から言わなくても?光が自然に内から滲み出て漏れて光輝いているのではないでしょうか?

子供が我いさんで手を挙げているように思いました。

高橋信次師と言う師はこのように言っていますね。

疑って疑ってトコトン疑って、もう疑う余地が無くなったら、そのとき信じなさい。


それに自分は救○主が生まれて来ているとされていても、心から感じられないのなら伝道する必要はないと思っていました。

それと信者さんが言うのには、神理テキストを丸暗記して?もう学んでいるから真理を知っている

何千前の開祖や聖人と同等の霊性のような事を言うのです。

だから今の時代神理をしらないと言うのは悪みたいな事を言うのです!?

でも自分としては興味のない方は知りたくなくても、たった一冊の本も購入できない貧しい方も世界にはいるんだよと言いました。

何故そんな一生懸命お布施を集めたり伝道するのと聞いたんだけどね

伝道して会員を増やしてそのお布施で神殿を作り後世に伝える立派な神殿を作るような事をいいました。

それで神理を永遠に伝えうる為には、神殿がいるような事を言っていましたねガーン


自分はそうじゃあないと言いました。そんな為に神殿はどうでも良いと思いました。

何故ならある団体で生き神様だとされている方のエネルギーの波動を合わせた事があって、

魂が震える体験をした事がありました。

その団体の教義には、我が胸は社なりと言います。

外の神殿も大切だけど、まずうちの我が胸は社なりとしっかりと思いを持つことが大切なんです!!


自分は信者さんに言いました。

今困っている方、食べるのも困り果てている方もいます。

そんな神殿の為なら無いほうが良い。

世界では貧困で、子供達は学校にも行けないで家族や生活の為に働いている子供もいます。

雇い主によっては酷い扱いしている方もいるのです。

それでも泣きながらでも家族の為に働いている子供もいるのです。

そんな神殿よりも貧困で喘いでいる方が先決だと言いました。

この信者さんは、今度は米百俵の事を持ち出したのです。


米百俵(こめひゃっぴょう)ウィキぺディア(引用)

河井継之助が率いた北越戦争(戊辰戦争の一つ)で敗れた長岡藩は、7万4000石から2万4000石に減知され、

実収にして6割を失って財政が窮乏し、藩士たちはその日の食にも苦慮する状態であった。

このため窮状を見かねた長岡藩の支藩三根山藩から百俵の米が贈られることとなった。

国漢学校を描いた絵図。『懐旧雑誌』(小川當知、明治12(1879)年)より。

藩士たちは、これで生活が少しでも楽になると喜んだが、藩の大参事小林虎三郎は、贈られた米を藩士に分け与えず、

売却の上で学校設立の費用(学校設備の費用とも)とすることを決定する。

藩士たちはこの通達に驚き反発して虎三郎のもとへと押しかけ抗議するが、それに対し虎三郎は、

「百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、教育にあてれば明日の一万、百万俵となる」


ほんと鶏が先か、卵が先か?

まるで教団の神理を丸暗記して、受け売りしているようなもの?

それで己のを力量を試しているように感じました。

この時から神理を受け売りしている方がいると、受け売りは聞きたくない。

あなたの体験、あなたを知りたいと思うようになったのです。

神理の実践(ペーパ丸暗記)では、絵に描いた餅で、絵に描かれている餅が、いくら、おいしそうに見えても、

ただの絵であって、実際には、食べることができないのですパー

ほんと体験しないと、本当の意味では知った事にはならないと思います。

それと元々はある師の一冊の書物の出会いからでした。

この師は既存の宗教団体から逸脱していて、仏教ではないと賛否両論がありました。

自分はこの頃の時は、悟り(見性)体験をしていました。

その時に宗教と言うではなくて心の教えが大切だと思いました。

この一冊の本と巡り合い伝えたい衝動にかかられました。

バプテスマのヨハネは、水で洗礼を授けながら、「私より優れた方が後から来る。私は、その方の靴紐を解く値打ちもない。

その方は、聖霊によって火のバプテスマを授ける」と、”救い主の到来を預言していた”のですが、

ヨハネは私より優れた方が後から来る紐をとく値打ちもないと言われました。

自分なんかはねその前に存在する価値もないかもしれませんが、伝えたい!!

この神理を伝えたいパー

幸い自分にはクンダリニ―覚醒や悟り(見性)体験もあります。

それに明けの明星体験もあります。

でも、その当時はそんな体験を隠して、自分作りをして力を付けて行きたいと思っていました。

それと定年過ぎたぐらいから、伝えられたらと思っていました。

それから少し経ったその当時には危険な団体などありまして、

その教団の教義がクンダリニ―覚醒したら、聖者、大師だと公言していました。

自分はそうではない、それは覚者や聖者に至る体験だとしていました。

でも誰も言う方がいないのなら、自分だけでも言わなければならないと思いました

人をあやめなくても、覚醒はできる。クンダリニ―は覚醒体験できる。

それに体験はあくまで体験、広大無辺のちよっと中に足を踏み入れたようなもの

第一の関門、第二関門、第三関門と乗り越えて行きにくく立ちはだかる大きな壁がありますグッド!

でも誰も言う方がいないのです。一人ぐらい言ってもいいと思ってね。

ただ、自分と言うよりも家族に危害が及ばないようにと願っていました。

それでも自分の気持ちを止める事は出来なかった。

脅かしや強迫とかありましたけど、

ただ、会ってほしい会ってくれないと家を探して火をつけるような事を言う方まで現れてきました。

また精神を患っているいるかたもいましたが、さいわい自分や家族にさしたる被害はなかった。

やはり内心はドキドキ怖かったですねぇ~

それで危険な団体や公○警察からも目を付けられ、呼び出されたりしました。

自分の名前のリストが載ってあるとかで、いろいろ探られ家族や親戚には厄介者になりましたしょぼん

でもそれをひっくるめて幼少の頃から人生に疑問を感じ、悟れる環境を自ら設定して生まれて来たのでしょうねあし

それでも決して神理を求める気持ちを止める事はしませんでした。

神理を求める気持ちを止める事はしないと言うよりも出来なかった

あの一冊の出会いから良り強く胸にはかき消すことのできない炎の灯が灯りましたねパー

 

高橋信次正法の「絶対自力」実現ネットワーク(青空にありがとう) 引用

高橋信次正法は人を見ず法を観る

説かれた法は不変

既に高橋信次師についてですら、信じられないほど

勝手気ままに書いている高弟や傍にいた人達も沢山います。

お会いして対話したり、方々の書籍を読んだりしましたが、

皆さんが悟っていなかったので驚きましたが・・・・・。

本当に人とは、勝手気ままであてにも参考にもならなず、

いつの時代も苦悩と悲しみに満ちています。

さて、そこで崇拝化と偶像化と無知により理解できないから、

生きた真実が消され、虚偽と曖昧に満ちた教義や人生感が、

後世に伝えられ、更にまた虚栄が書き換えられていくのです。

信仰で人民の支配を目論む、時の権力者や宗教家によって

正しい教えは都合の良いように改ざん改ざんの歴史を辿らされるのです!!

しかし、高橋信次正法の決定的な違いはここです!!

それは、本人が語り書き記し、嫌いなカルト的現象を実演しながら、

大衆の前でありとあらゆる沢山の現象を見せました。

理証・文証・現証を自らが実証し、

自らの過去の間違いと、大悟してからの人生観を

「人間・高橋信次」として明確に説いて逝かれました。

それでも!私の教えも信じるな!疑問を持ちなさい!

そして実践して実践して疑う余地が無くなったら、信じなさい!!と説かれました。

誠のその通りで、私は人をあてにせず、実践による実体験で「法」を理解しました。

私の守護・指導霊の厳しい導きどうりでした。

だから!その結果は、神理の追及では、正法者は「人を見ず法を観なさい」と!

如何なる人も社会も欲望で変化し彷徨い、それを見ると自己も彷徨い苦悩するが、

大自然の『法』は変化しない!

中道→調和→発展→向上!という不変の法則があるだけなのです!

ところが過去も現在も信仰に限らず大抵の指導者達は、誠しやかに慈悲・慈愛・感謝・無欲・・・・・・・。

際限なく綺麗に飾られた教義や価値観をさらし、最後は私を信じなさい・信じる者は救われる・

・私に任せなさい・疑問を持つな!

・私を信任し布施をしてください!

・全託してお金を集めなさい!何かにつけて最後は金!金!金!集め!寄付集め!

そして、その寄付や布施の額の差や、集う人達の地位・名誉の差を利用し、

指導者としての立場を誇示する事に明け暮れます!

全ては屁の足しにもなりません(=⌒▽⌒=)

私も同感ですが高橋信次師の講演での言葉です。

物事の真相解明を止めたり放棄したりすると人間の魂と価値は大きく損なわれます!

疑問と追及は人類の成長の証なのです!

高橋信次師はこれをとても大切にされました。

ご自分の説いている内容についてでさえ、「疑問を持て!」と。

そして、自分自身に嘘のつけない善なる心に疑問がなくなったら「信じなさい!」と。

 

 

 

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最近不倫とかで騒動になっていますが、お遊びや本気までいろいろあるようですね。

お遊びは別にしてもね既婚者の方でも、強い縁の方と出会った時にはそりゃ~しんどい思いをしそうですね。

間違った出逢いとは言わないけど、出逢う順番が違っていた場合などははてなマーク

自分を見失いその方に翻弄されるような事になるかもしれません。

それでも不倫しても愛があるから良いと言う方も中にはいますが、

ほんとはそれを口実にしたり言い訳の材料にしたいだけの事なのかもしれませんね。

誰にも邪魔されない場所で、一人になって静かに自分に嘘をつけない心で深く見つめ、

真実を見極める事も大切なのです。

少なくても既婚者の方は裏切っているような気持ち後ろめたさがきっとあると思います。

そんな感情が少しでもあるなら考えなおした方が良いのです!!


高橋信次師はこのように言っておられますね。

心の指示によると想念体の位置は、各人の前世、過去世、あの世での修行、心の調和度にによって、決まってくる。

同じ心の問題の話を聴いても、これを理解できる人と、できない人があります。

これら想念体の位置が違う、心に近い場合はその理解度は早く逆の場合は遅いと言う事に成ります。

いずれにせよ、各人の教養、徳性、ものの見方、考え方、行動というものは、この想念体に影響されるところがすこぶる大きく、

それは、今世での知識、学問を超えたものです。


また人によっては不倫やお遊びはなんら悪い事もないし、罪の意識も感じないし当たり前と思っている方は結構いるようですが、

心の進化を計る上でもね

類は友を呼ぶ法則がありますから、同じ波動を持っているのでしょうね。

はやく言えば同じステージ、レベルだからだと思います。

あまり良くない相手とばかり知り合いになるなどは、真理を実践して改善して行くのが良いのです。

そうすればそれなりの相手と巡りあって行くのでしょうグッド!

でも、そんな事を言っても理解できる者はまた少ないのが現実なのです。

人は24時間テープレコーダーのように全て想念体に録音されて記憶されているのです。

この想念体に刻まれている思いや行いを持って、次の世界に行くのですからね。

またある方は不倫もカルマだから仕方がないと言っている方もいますが、

何でもかんでもカルマや因縁だからと言ってしまうのもどうかと思います、

またバーソロミューはカルマについてこなん事を言っていますね。

カルマなどと言うものはない。

ただあるのは過去の瞬間の記憶として人がこの瞬間に持ち込むものだけと言っていますね。

過去未來はなくて、今現実だけあるというものかもしれないけど、

確かにカルマと言うものはないのかもしれないけど、前世のなごりで惹かれたり、癖として現れたりするようです。

ある時期にくると油が芯に染み込んでくるように、

今ままでの生き方がひっくりかえったように急にひとが変わったとか?

癖として現れてくるのでしょうね。


既婚者の方などは新たに出逢った相手に惹かれて、自分を見失って感情を押さえる事ができない方もいるかもしれないけど!?

その時にどんな対処するかによって、その後が随分変わってきます。

ただ感情に流されていては、動物と同じようなもの

人は神の子と言われています。

神様と同じものを持っているのですパー

一回きりの人生ならそれで良いのかもしれないいけど、輪廻転生があるのなら真理を実践する事で迷いを断ち切り

心の弱さを克服するのには、真理の実践が良いのです!!

課題を克服しないと繰り返し堂々巡りになって進化成長が遅れてしまいそうです。


また真理と言ったら宗教や怪しいオカルト信仰とか思う方もいますが、自然法則に沿った生き方をすれば良いのですグッド!
調和と安らぎのある生活をして、心の安定を計る事が何よりですね。

そんな事を言っているあなたはどうなのよ?と言う方もいます。

自分は不倫経験はないのですが、やはりこの歳ぐらいになると誘われた事は何回かありました。

物凄く若い方からかなり歳を召されている方までいました。

体験と言う意味では、体験したほうがアドバイスはできるのかもしれないけどね!?


自分はカルマの巣と言うものを開けていますから、せっかく苦労して洗い直して行っているのに

一生懸命に擦って剃り落しているのに、その上にまたわざと落ちにくいペンキをもう一度上塗りしているような事はしたくはありません。

そんな事を解っているのにわざわざ悪いカルマを作る馬鹿はいません。

しかし今まで不倫もそうだけど、どんな魅力的な女性や綺麗どころの相手でも翻弄されなかったニコニコ

それは真理が根底にあるからだと思いますパー

それとは別にしても、出会いは縁があるかどうかをいつも見ているのです。

自分にしかないと言う縁が誰にもありますからね、


あなたはそんなどうにもならないような体験をした事がないから、何でも言えると言う方もいると思いますが、

そんな事はありませんよ~昔ソウルメイトだと思う相手と出会った時などは、

心臓の中心に矢が突き刺さったような衝撃を感じた事がありました。

でも、ソウルメイトだから結ばれるとは限りません。

ソウルメイトにもいろいろものがあるようですからね。

ほんとお互いがまだ若かったし、心の成長度合いが違っていたと言うのではないけど、

自分は悟り(見性)奇跡体験をしてから、全てが変わった。

生き方を変えるきっかけになったと言えばそうだけど目覚めたのです。

と言うよりも目が覚めたと言った方が良いのかもしれません。

何故なら目覚めたと言ったら、覚醒や悟ったと思われそうだからね?

目が覚めたと言う方が適切なのではと?思っているのです。

それからと言うものは真理を根底にして迷わず真理を取るようにしていましたから、

自分を見失わずにいました。

ほんと境界線を引いていないと、全てが崩れてしまいます!?

自分などは後から強迫観念にかかられますからね。

こんな事で尾を引く事はしたくない。

だから間違ってもしないようにしないとね。

人間はほんと弱い心だから、いつも心を見張っていないといけませんね。


それに自分などは既婚者の方にいきなり誘われ、フイを付かれて言われるとキョトンとして何も言葉が出来こなくてねしょぼん

この時にいつもこう考えてしまいます。

後からいつも冗談の切り替えしとかできないのかなぁ?、冗談の一言でも言えればたいしたものだけどね。

それと何んかどちらが男性か?女性なのかと心の中で苦笑いしていますニコニコ

ほんと出会いは偶然ではなくて必然なのかもしれないけど、ほんと試される時がくるのでしょ。

また既婚者の方が新たに出逢って、どうにもならないようなに自分を見失い、感情に支配されるような事になるかもしれないけどね。

それに縁のある相手との出逢う順番が違った場合もあると思います。

でもあえて言いますけど、出逢う順番の違ったのでも自分を見失っていては自分の課題をクりアできずに持ち越しになる

こんな事でがんじがらめの縺れた糸、その縺れた糸をより複雑に絡んでいく

でもそれが人間の弱さなのかもしれません。
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ある者にとっては、非常に厳しいものになるかもしれませんが、

原因結果の因果律これは宇宙の法則のようです。

すべての事象は、必ずある原因 によって起こり、原因なしには何ごとも起こらないという原理だそうです!!

本来無垢なままで生まれて来ましたパー

それが大きくなるにつれ、習慣、思想、癖、観念などいっぱいくっつけて来たのです!!

それをもう一度、ジャガイモをゴシゴシ綺麗にするように、

自分のチリやアカを取り除いたなら、本来の自分が現れると言いたいのです。

だから本来そのようであったのだから、何かになったと言うよりも何もならないと言うのです!?


深層意識にある重圧されている不純物や不浄なエネルギーを生起させて解放してあげれば、

現在医学で原因不明の難病とかに対して、かなり癒されるのではないかと思っています!!

心理学でも不健全な感情を取り組む事は、あらゆる病気自体から解放されるきっかけになると聞きます。

カルマが原因の病気の場合は現在医学の範疇にはないようですが、

これなどは本人のカルマの解消に設けられた試練であり、魂の向上に役立つものだから

根本的に解決するのにはそれなりに時間を要するように思います。

また想念体を開いて、負のエネルギーを解放して行く時には、

カルマが終了して行くためにプロセスが始まったと言うものかもしれません。

ほとんどの原因不明の難病病気は、想念体の中にある(カルマの巣)エネルギーだと思っています。

細胞やDNAにしたって、想念体の中にある(カルマの巣)エネルギーが作用して、

DNAが損傷して細胞が癌細胞に変異したりすると思っています。

感情を取り組む事は、生きて行く為に不可欠な事だと思います。



[245] 自分のまいた種は自分で刈り取る 光のかけ橋
Date:2013-01-02 (Wed)

前にこう言う事を書いた事がありました。

神仏は道標を用意されてくれているのかもしれませんが、神仏は自分を背負って歩いてはくれません。

神仏は二人で歩いてくれるかもしれませんが、その道を選択して自分自身の足で歩いていかないといけません。


聖書には、原因と結果の法則を自分のまいた種は自分で刈り取るという言葉で表現されていますね。

カルマは原因と結果の法則みたいです。

善の種をまけば自分で善を刈り取り、悪の種をまけば自分で悪を刈り取る。

自分のまいた種は自分で刈り取ると言う事になるのでしよう。


神様や創造主は自分で作ったカルマは自分で乗り越えろというものかもしれません。

他の方に変わって代わりに行うカルマの解消は無理なようです。

カルマは機械的に処理されているような感じがします。

何故なら自分が体験しているから言えるのです。

自分はスピ系で良く言われている受け売りはしません。

自分で体験をして伝えているのです。

自分の都合によって、はい、カルマは解消されたというものはありません。

何回も言いますが、個人の地球の規模のカルマや宇宙規模のカルマを解消できると言うセッションがありますが、

そんなものはあてになりません。

あてにはならないと言うよりは、そんなものはないと思っています。


スピリチャルな事を目指している方もカルマを紐解いたとか、乗り越えた方はあまり出会った事はありません。

それでいて、スピリチャルな事を目指している方やスピリチャルティチャーでもカルマの事について本当の意味で知っている方はあまりいません。

生まれて来る目的の一つにはカルマの解消(乗り越える)だと言われていますから、

だから自分のカルマを開けたのは、偉くもないし特別な存在でもないのです。

ここを間違って受け取られたらいけませんね。


だから自分が体験して、初めて人に伝えられるものかもしれません。

何にしても自分が体験して、それを乗り越えて行った者しか伝えられる事はできないと思います。

ではどうやったらカルマの紐を解くか?

乗り越えていけるのか?

その為にはいろいろなやり方もあると思います。


生まれて来て今までの思い行いが記憶として深層意識の中にあります。

その深層意識を浄化する事は大切だとスピリチャルな事をしていたり、

また心理学者などはそう~思っていると思いますが、想念体はカルマの巣のようなものです。

この想念体の中にある抑圧された記憶やエネルギーを解放する事が大切なんです。

これはチャネラーを目指している方についても言える事だと思います。、純粋な情報を取ろうと思ったら

想念体の中に抑圧された記憶やエネルギーの解放するのが早道かもしれません。

純粋なる情報と言う意味ではね。


コップの中にある水が濁っていれば、少しずつ真水をいれて行ったら、

コップの中にある濁った水は少しずつ綺麗になると思いますが、これでは随分時間がかかると思います。

水は沸騰したら水蒸気になって、上空にあがり、雨となって地上に降り注ぎます。

また水は冷えると氷にもなるのです。

その水がいくつも変化するのです。元は水なんですよ。

自分は良く思いは結果化けてくると言ったりしていますが、繰り返してくる連鎖を断ち切るのは、

カルマの巣と言われている想念体の中にある抑圧された記憶やエネルギーを解放して行くのが重要なんです。

その為には苦を滅する道があると言われているハ正道がありますね。

このハ正道を行っていくうちに、カルマの解消ができ、悟りに進んでいけるものだと思っています。


光のかけ橋 (日記)

深層意識の内部には日頃溜めつづけたネガティブなもの(恐怖、悲しみ、不安、怒り、)あまりお目に関りたくないドロドロしているものをいっぱい積め込んでいます。

このネガティブなものをいっぱい積め込んでる者は疲れやすいと言われています。

なんにもしなくても疲れやすいですし、または原因不明の病気とかあるいは自律神経に影響を及ぼし(心身の不調)誤魔化して生きていかないといけなくなると思います。

この深層意識の積め込んでいるネガティブなものを意識上に開放してあげて、ほったらかしにしておけば心の掃除にもなりますし心が澄んできます。

例えば炭酸の入った瓶の蓋を取ったらいっぱい泡が出てきて、出っ放しにしておけば泡もなくなり、

だんだん弱いあぶくのようになり、全て出尽くしてしまえば、

波のたたない湖面のように穏やかになります。

この想念体の紐をとき意識上にあげるのはなかなか難しいと思います。

自分の体験上、瞑想(他のワーク)とかしていて機が熟したなら

想念体に亀裂が入り(見性、悟り)とかいわれている事が起り深層意識から今まで生きて来て、

集めたものが意識上の表れてきます。

これは自分と向き合わないといけないから辛い体験だと思います。

瞑想、座禅とか(座り)修業していればおのずと表れ消えて行くものだと思いますから瞑想、座禅の本道目的にそって、行うようにしてください。
この前にクソヨモギの資料を持って行った方から連絡がありましたニコニコ

その方の知り合いの方で昔そごうで働いていた時に先輩だった方が、末期の癌になっているそうです。

その先輩の方に自分が持って行ったクソヨモギの資料を伝えたそうです。

それからその癌になっている方がヨモギを粉末した物を飲んでいるそうです。

それが癌マーカの数字の結果が、ここ何ケ月は良いと連絡があっそうです。

まぁ~何よりも良かった。

それを伝えたくて、自分に連絡したと言うのです。

できるなら、普通のヨモギではなく、クソニンジンを飲んでほしかったのだけどね。

それがいろいろお金がかかるから、予算が足りないと言う事でした。

それはさておき別の知っている方が、癌になって兵庫県に粒子線治療を受けて行っていました。

それが結果が良くて、癌が消えたと言っていました!!

広島は地方だから予算がないのかもしれないけど、わざわざ兵庫県に出掛けなくても

いつかは身近で受けられる事になれば良いんだけどねグッド!

経済的にも身体の負担も少なくて済むし、沢山の方がそれで命が助かればほんと良いんだけど、

誰か力のある方がいて、粒子線医療の誘致に賛同したりする方が増えれば地方でもほんと安心できるのです

実はクソヨモギの苗や種は兄頼んでいるんですよ。

手元には、クソヨモギの苗がある事はあるのですが、実りの秋ぐらいになって種がいっぱいになるまでは、大切に手元に残しておかないとね!?

兄が韓国に出張したり、また韓国の知り合いの方が居れば、クソヨモギがあれば譲ってほしいと頼んでいるのです。

こうなれば、今使っていない実家の畑をクソヨモギ一面にして、誰でも持って帰って貰う事にしたいと思っているのですパー


ジュラさんの画像を拝借

道端でも生えている宝?
2016-02-12 19:07:20

テーマ: 心の世界と繋がる癒しのエネルギーブログ
ヨモギでもクソヨモギと言うヨモギらしいですね。

葉っぱがニンジンの葉に似ているから、クソニンジンとも別名言われているみたいです。

そこらへんの道端でも生えているみたいだけどね、

自分はフットワークが軽いのかどうか解らないけど、早速畑に行きましたニコニコ

普通のヨモギはあるんだけどね。

クソヨモギと言う種類のヨモギはなかったから、仕方がないから普通のヨモギを自宅に持って帰って鉢に植えました。

それで知り合いの女性のところに、ヨモギ効用についてコピーして早速行きました。


逸る思いをして持って行ったんだけど、そうしたら子供が出てきました。

いきなりだったので、お姉ちゃんはいる?

あぁ~間違えたお母さんはいる?

今留守しているからと、実はこの娘は霊が見えて霊とお話ができる子みたいです。

この娘の母が古庵はスぴ系をしているような事を言った事がありますから、

古庵の眼をずっと見ていましたね。

自分はちゃんと見なかったんだけど、一瞬の眼差しはちょと暗いイメージを感じました。

眼は瞑想している眼ではなかった。

日本人形さんのような眼でしたね。

こういった方は素質を伸ばしていったら、拝み屋になれるでしょうねはてなマーク

それよりも波動を高くして、もっと高い次元を目指すようにしたら良いんだけどね。

話はそれましたが、クソヨモギや別名クソニンジンが生息している場所があるみたいだから、

そこらにある雑草や道端に生えてある草が、もしかしたらクソヨモギが自生しているかもしれません!?



よもぎが癌細胞を死滅


『Life Sciences, Cancer Letters and Anticancer Drugs』に発表された研究論文によれば、東洋医学(漢方)で古来から薬としてもちいられることもある、

ヨモギから抽出される、アルテミシニン(artemisinin)と呼ばれる成分が、健康的な細胞1つに対して、1万2,000個もの癌細胞を死滅させたと報告しています。

よもぎ

「アルテミシニンは、ただそれだけでも、健康的な細胞の約100倍もの癌細胞を選択的に死滅させることができるだけでなく、

抗がん剤よりも34,000倍も正確に癌細胞だけを死滅させることができます。」とワシントン大学の研究チームのリーダーであるヘンリー・ライ博士は言います。

ヘンリー・ライ博士のチームは、アルテミシニンの癌死滅能力を更に高めるために、癌細胞がもつ鉄分への食欲を利用して、アルテミシニンに鉄分(トランスフェリン)を結びつけた化合物を開発しました。

周りにくっつけたトランスフェリン自体はニュートラルな成分なので、癌細胞は疑いもなく化合物を受け取ります。

でも、中にはアルテミシニンが隠れているので、この化合物は、トロイの木馬のように、癌細胞の中に入り込み、癌細胞を破滅させるように効率的に働くのです。

この化合物は、既に特許を取得していますが、まだ人間への投与、つまり臨床試験には至っていません。

でも、ヨモギそのものは、非常に鉄分の多い野菜・ハーブです。野菜では2番目の多さです。

『鉄分の多い食品』 ヨモギから、わざわざアルテミシニンを抽出して、鉄分を戻すようなことをしなくても、

ヨモギそのものを結局食べたらいいんじゃないの?とホールフード(丸のままの食品)を食べることを勧めるホリスティック(代替医療)ヘルスコーチとしては、思わずにはいられません。

食品はちゃんとそれ自体で理に適った形で存在しているんです。

ひとつひとつ、ミクロ要素に分解して考える西洋医学と、全ての要素の融合体のシナジーで考える東洋医学・代替医療の違いなんでしょうね。

古代の人々が、アルテミシニンやトランスフェリンについて知っていたとは思いませんが、昔から薬として用いてきた草ですから、

生活の中で、ヨモギに健康維持の力、傷ついた遺伝子や遺伝子複製の誤り(=癌)を正す効果があることに、気がついていたってことですよね。

ヨモギの旬は4月下旬から5月上旬です
昔テレビでこんなのが放送されていました。

その当時一世風靡していた霊能者さんがいました。

その方が国際○○○○学道場で気のエネルギー装置を使って身体のエネルギーを調べて貰っていました。

そこに居た所長さんがこんな事を言いましたね。

マスコミに引っ張り回されていてはこのままでは短命になり寿命がなくなるよ

一つのチャクラを使いすぎていると、短命に終わるからねと言っていましたね。

それを聞いて居た霊能者さんは、恥ずかしそうにして居たのを記憶していましたニコニコ


そう自分の見解もいったん入り込んだ道は引き返せないと思っているのです。

いったん飛び放った矢は何処までも的をめがけて飛んでいかないといけない!!

途中で矢は失速しては、的には突き刺さらない。

自分もそれでは非常に危険だと思っています。

またこんな事を言っている方もいましたよ。

宇宙は進化するように人も進化成長をしないといけない

現状維持では留まるどころか後退のような事を言っていましたね。

どの道にも通じると思いますが、何事も精進していかないといけませんね。

せっかく今世に生まれて来て、もし心の進化に気が付いたなら

そのままにしては非常に勿体ないパー

そこに気づく気付かないとでは、天と地ほど差が出てきますね。

スピ系を目指している方の多くは霊能開花を目指しているみたいですが、

実は霊能力を目指すよりも心の進化を目指して言った方が良いと思っているのです!?


的は狙わないと的には当たりませんニコニコ

あまり狙い過ぎるとまた的は外れます。

成り行きに任せた方がいいのです。

ほんと自然体でいる事が結果は良い事になるのです。。

成り行きにに任せて行っていると、自然に身についていると言う方が結構いると思います。


がくしゃらに何でも人を救う為に、霊能開花と励んでみたところあまり良い結果は現れない。

有名なティチャーさんでも精神分裂してポンコツになっているとか?

憑依されて怪しいとか風の便りで聞きますからねしょぼん

心して、心の手綱をしっかり持っていないといけませんね。

本来神聖なるものを持っているから、そのままで素晴らしいと言っている方もいますが、

それはそれで良いと思いますが、人はサルのような心を持っているのです。

サルみたいに人間の心はいつもあちこち動いているのです。

いつも揺れています。

天台智顗の一念三千のように、心のあり方によって天にも地獄にも通じてしまうのです。

しっかり心の指示を天に合わしていかないといけませんねパー

そうでないとスピ系をしては無理だと思っているのです。

自分みたいなちやらんぽらんな者は、いつも天の心に叶っているのか?

自分に自問自答を繰り返して、問うているのです。、

世間には立派な霊能者さんがいますが、それは神仏の使命によってしているものと思っているのです。

それでも本物はまた少ないようですね。


話はだいぶんそれましたけど、チャクラの芽生えや開花したと言う方は、

ヨガやクンダリニーヨガなどしている方がそのように言っていますね。

見ているとスピ系の方でも大多数の方は活性化の事を言っているように見受けられますが、

ヨガやクンダリニーヨガなどはよく芽生え開花したと言っているのは、

これはクンダリニーが覚醒して、チャクラが芽生えた或いは開花したものと思っているのです。

同じよう気功して気を動かしているいる方も同様にクンダリニーが覚醒して、

チャクラの芽生えや開花したと聞きますね。


また誰であってもチャクラは開いていると言いますよね?

蕾みであったり、何らかのトラブルとかあれば閉じてしまうみたいです。

より多くのティチャーさんなどは多分活性化の事を言っているのだと思いますが?

実際は開花だけでは駄目というか?

それだけと言うよりも心の自由、意識が広がっていかないといけないと思っています。

例えるならガラス越しの蝶はいつまで経ってもガラス越しから出れないように、外側に出ていけないんです。

そこのガラス越しから、蝶は外に出ていかないといつまでも外には出ていけません。

制限している感情を解き放して、心の自由、意識の広がりを感じるようになる事はとても大切なんです!!


霊能者さんはまたこんな事を語っておられましたね。

私は例えるなら何階建てのビルの何階めにいます。

私はその階の景色しか見れない。

だから私の下の階の風景は見れるけど、自分の上にいる階の風景や景色は見れないと言っていました。

自分は思うのだけとね。

自分としては少なくともそれにはまず、枠を取り除き、想念体の浄化

そして心の自由、広がっていく意識が求められると思いますグッド!

今まで何回も自分は言っていますが、想念体はカルマの巣と思っているのです!!

また想念体の浄化はカルマの浄化とも言えると思います。

これはスピ系では受け売りしている方が結構いるようですが、自分は受け売りではなくて、

自分の実体験として、語っているのですドンッ

だから少しでも他の方の為になるのなら、これからも伝え続けて行くのです。

想念体の中に閉じ込められているエネルギーは解放していかないと、火山のようにいつか爆発して顔面に飛び出してきます。

いくらブロック解除していると思っていても、想念体の中に集められて処理されてないデータはあり続けてしまいます。、

詰まった水道菅のパイプには水は出てこないように、心の浄化・掃除は欠かせないのです。

知恵の湖に知恵の湧水はこんこんと湧き出てはこない。

その限界を作っている想念エネルギーを解放して、心の自由を取り戻さないといけません。

それによって意識が広がり、心の自由を感じる事がどんなに大切だと思っているのです。

自分としては想念体の浄化なくしては、心の進化は欠かせないと思っているのです。
大工の棟梁はえーちゃんはスピ系で詐欺しているみたいだけど、でもそのちやらんぽらんだからえーちゃんは良いんだよ?

ついでに若い大工さんには詐欺で儲けたお金があるんだから、お金を使えば良いと笑っていた。

自分は冗談で、解る者には解るんですよって言うと、解るかいと言いましたね笑

まさ土がダンプいっぱいが5000円だから二杯で1万だからと言うから、5000円ならと言ったらむちゃくちゃな事を言うな(笑)

家にある周りの小屋を解体するのに、だいたい50万かかると言う

結局小屋解体20万で、家の屋根ふき替えを兼てする事になった。

あまりにも小屋の解体安いから、えーちゃん手伝えと何べんも冗談を言うから冗談ではすまなかった(笑)

少しばかりお手伝いする事になったガーン


それと左官として来た親分は若い時に、今解体した部屋で二人が良くパツチンしました。

若い時に二人乗りでバイク乗って買い物?、警察に追いつけられ捕まった事もありましたが(笑)

それが腕の良い左官の棟梁になって、今は孫までいます。

それにくらべ自分は、今だにチヨンガー(笑)

それにしても左官の棟梁は筋が良くて素質があったんだろうなと思う。

自分だってやれば出来るかもしれないれど、多分仕上げの綺麗さが筋として出るのでしようね。

もし素質があっても努力しないと、才能は開花しないのだろうなぁ~

才能は努力あっての才能なのだからなグッド!


そう気のエネルギーを感じる方もいれば、感じない方もいますからね。

西洋医学だけがすべてだと思っている方が結構多いのです。

でも、霊の影響で病気の現象、感情の病気、カルマの影響もあるんですよ。

信じる者は救われると言うことわざがありますが、

もしかしたら信じられなくなっているのは、宗教での問題やカルマの影響かもしれませんね。

実は気質はカルマの影響があるのです。

そう性格に現れているのです。

いくらうわべを繕っていても、土壇場になると本性が現れるのです。

苦しい流れ作業などしていれば、一発で解ると思います。

子供のような純真無垢な心でなくては天には戻れないのでしょうね。

いつも言っている事なんですが、自己中を無くして動物習性をなくして

まあるい心を取り戻さなくてはなりません。

それには超作する事が良いのです。

損得感情を捨てて、行えばきっと財産宝物になるんですよ!!


マルコの福音書10章13節から16節まで(新改訳聖書)

さて、イエスにさわっていただこうとして、人々が子どもたちを、みもとに連れて来た。

ところが、弟子たちは彼らをしかった。イエスはそれをご覧になり、憤って、彼らに言われた。

「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。

まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません。」

そしてイエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。


それにしても多分、自分みたいな見た目の者は、スピ系していると言うと信じて貰えないのだろうねニコニコ

何処に行っても独身だとバレたら若い時に遊び過ぎ、選び過ぎたと信じて貰えない。

実は自分は遊びも選んでもいなかったのです?

まして不倫も二股などもしていないのです。

どちらかと言うと、お付き合いは相手から言われるのが多かったと言うよりも

友達からスタートするのが、自分には良いのです。

でも、相手を信用するまでは交際してとは絶対に言わないのです。

それで相手から交際してと言われる事が多かったのです。

それと霊能者や占い師さんなどは、やはり凄いなぁと思いますね。

あなたは受け身だと指摘された事がありましたねしょぼん

普通の方は解らないと思うけど、隠していても解るのですね。

そう結構受け身なところがあるのです。

基本的には二人三脚なのです。

同じ方向を進んで行くと進むんだけどね。

足取りが合わなかったりすると、前に進まない。

それでおじゃんになった事がいっぱいありましたね。

だけどもこれが良かったと思っているのです。

何事も自然でいないとね。

無理して摩擦があったりしても、うまくいかないですからねグッド!

こういうところが掴みどころない奴と思いわれているのかもしれませんね!?


でも小屋の解体と屋根ふき替えしたのだけど、この家は自分の家じゃあないのです。

実家の母の建物

田舎だから土地は広(200坪)?家も古いけど少し大きい。

その一角に4畳と廊下1畳に自分の寝床とがあります。

ほんと小さくて、不便ですが、

他の方なら、きっと広い部屋にしていたと思います。

自分は偶然、この良くもない部屋で!?

でも、この部屋でクンダリ二―覚醒、明けの明星体験をしました。

多分、広い部屋なら難しかった。

広ければ良いというもんじゃあない。

丁度良いと言うスペースがあります。

明かり過ぎても、暗く過ぎても

広すぎても、狭すぎても良くない。

禅のお坊さんなどは2畳あれば幸せだ聞いた事がありました。

なるほどと思いましたね。

外では自然の野鳥の声、犬の遠吠え

心地よいそよ風、その自然の中で座る

だからこの場所を選択して生まれてきたと思っているのです。

母屋とはなれに廊下を付て、スロープを自分で作った。

それを見た大工の棟梁が、おまえ大工になれるよと言っていた。

まぁ~冗談と思うけど我ながらうまくできた。

やはりぬすと根性みたいなもので、お金をかけたくないチョキ

大工ができて自分ができない事はない。

こんな気持ちが根底にあった。

話はちがうけど、悟り見性の事なんだけどね。

自分はこんな考えを持っていました。

お釈迦さまがたった一人で悟りを開いたのだから、自分だって出来る。

お釈迦さまも自分達と同じ人間、おそれおおいい事かもしれないけど、こんな自分の勘違いが、

悟り見性)を引き寄せる事になった。

幼少の頃に、自分は奇跡体験をしました。

だから、奇跡が起きるのは当たり前、そんな思いがいつも心の中にはありました。

ほんと勘違いは怖いですね(笑)

クンダリニー覚醒も数回で、その後短期間で明けの明星も

悟り(見性)はたった一回の接心で開く事ができました。

神道のお兄さんに昔、おまえは怪物かと冗談で言われましたけどね。

ほんとごくごく普通の者で、何も秀でているものはないのです。

ほんと冗談のような生き方をして来ました。

それは神仏が見せているだけなのですねパー

プロポーズも一回もした事がないし、それがもう人生の後半をとっくに過ぎましたよチョキ

このようにちゃらんぼらんな人間でも出来ると言う見本みたいなものです。

多分そのちやらんぽらんなところが良いのでしょうね。

他から見れば、あいつに出来て自分にできない事はないと思うかもしれないからね。

自分としてはそこを狙っているかもしれませんよニコニコ
若い時に筆舌に言い表せないような波動を感じた。

瞑想中に暗闇の湖の中に焼石を投げ込んだ時に散りばめられたような光が広がっていく

時がとまったように潮騒が引いては寄せる波

そんな神界の波動は琴をかなえるような音と共にやってきたグッド!

そんな祝福の中で魂が震え涙がしたたり落ちて、もう~自分の人生はいらない。

他の方の為に使ってください。

無意識状態の中で祈っていた!?


マタイによる福音書 7章7~11節

求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。

門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。


生きて行く価値を見出せない者に、もどかしさは常について回る

何をどう思っても心の渇きは癒せない。

クンダリニー覚醒も悟り(見性)も明けの明星もいくら奇跡体験しても心の空白を埋める事は出来ない。

残りの持ち時間にいったい何をどうすれば、心の空白を埋められるのだろうか?

生きているうちは無理なのかもしれない。

この世が終わった時に良かったと思えたらそれで良いのかもしれない。


アシュタールはあなたはアッと驚く事をするのですと言っていた。

それはエゴではない。

より大ければ大きいほどよいのです。

それによってあなたの周りの波動が高くなる。

それはあなたの為ではない、地球の為、宇宙の為になると言っていた。

今後とも地球をよろしくと言っていた。

こんな出来の悪い自分に期待されても、期待外れになるかもしれない。

自分の大元と言うか?

本体なら、まだしも自分には少し荷が重すぎる。

残り時間に何をどうすればよいのか?

自分に出来る事は奇跡体験は誰であっても体験できると言う事を伝える。

それとカルマを開けて、自分が奇跡体験して乗り越え見本を見せる事なのかもしれない。

どうしようもない底辺と言われている方の為になれる事を見本を持って示す。

でも、口ではなんとでも言えるしょぼん

誰もが無しえなかった事、尻込みする事を魂は設定して来たようだ。

だからそうたやすくはない。

それには健全な精神、健全な肉体を持ち合わせていないと無理。

この事はカルマを開けてから随分思い知らされたガーン

そうでないと今回の転生では無理かもしれない。

もし途中で命がなくなったら、続きは来世に持ち越しになるかもしれない。


自分は使命も役割もどうでも良い。ごく普通の誰もが通って行く体験はしたいのです。

何者にも縛られる事もなく、何者にも惑わされる事もなく

自分がしたい事をしていくだけ、そうは言っても胸には書き消しても書き消せない炎があるパー


伝道と言う目的だけがゆいつ慰め

その為に奇跡体験は自分にとっては比喩なのです。

ぼろ布で纏った乞食坊主が華やかな舞踏会パーティーの中に歩いて行くようなもの

みすぼらしいぼろ布を纏っている乞食坊主が華やかなパーティにいるのは似つわしくない。

そんな人生もあるのかもしれないけどね。

今度生まれて来る時があったなら、もっと知恵を持って心の教えを説く事をしたい。
進化の過程では、自分が失われて無意識の中の別の赤の他人が出現するような事を言っていた宗教家の方がいました。

実はそんな事はなかったのですが、そんな宗教家の方が言っておられたから

少しずつ殻が(想念体の亀裂)破れてくると自分の存在が失われてきて、

別の何者かになるようで少し怖かったショック!

自分を明け渡すのは、自分の存在自体が失われるようなもの

後に解った事なんだけどね、本質的なものは何も変わらなかったパー

そんな事があって、自分が体験して何でも鵜呑みにする事は非常に危険だと思いました。

たとえ何万人の信者さんがいる創立者や、また本山の老師であろうとも何でも鵜呑みにする事は危険だと思いました。

自分が体験して初めて、理解ができ知ると言う事に繋がってきますグッド!


ある宗教団体の信者さんなどは真理のペーパを暗示して、試験を合格したらそれで同等の霊格が付くと言っていました。

教団がそのような教えかどうかも解らないけど、これなどは絵に描いた餅

いくら食べたくても、絵に書いた餅は食べれない。

本物の餅を食べて体験して、初めてどんな味か解るのです!!

だからいくらペーパをまる暗記したところで、何も体験もしないで知ると言う事はないのです。


ほんと初めの頃は未知なる領域で、自分の前には道がないけど、

自分の後ろに道ができるという状態、自分で開拓して体験して知ると言う

何事も体験しないと本当意味で知ると言う事はできないけど、

なんだか自分自身の存在が失われていくようで、怖い思いをした事がありました。

今なら死んでも死なない命を生きろと言う意味も理解していますが、その当時ではほんと自分の存在が失われないか不安でした。


座蒲の上で死にきれと良く言ってたもんだと思います。

自分の存在が失われていくそれは死に通じるようなもの

死に対して、不安を持っている方はこのように自分の存在が失われていくのに対しての恐怖があるのでしよう。

生きているうちに死んでも死なない命を生きると言うこの大切さを理解する方もまた少ない。