随分若い時に知り合いからこんな相談された事がありました。

既婚者のお金持ちの男性が居て、その既婚者の男性に離婚させて一緒になったと言うものです。

それがこの相談者は年齢を誤魔化していて、このお金持ちの男性と結婚したそうです。

結婚が決まった時に、本当の年齢を打ち明けたそうです。

自分はなんの為にそんなに嘘つくのと言いましたが?

そうしたら、この相談者はそれでも結婚する事になって、

本当の年齢を言ったらそれでも良いというのだからそれで良いんですよと言うのです。

それが今度は、その旦那さんがもとの家族の元に帰りたいと言うみたいなんだけどね。

それを相談者は許さないようで離婚は応じないと言いましたショック!


そんな相談者さんに旦那さんから愛されてもないのに、それでも一緒に居たいの?

自分なら嫌だなぁと言いました。

突き詰めて行くと、良い暮らしをしたいが為に結婚したんだろうと思いますけど、

それが果たして良いのだろうか?

こう言った方は結構いるみたいで、少々容姿が悪くてもお金持っていたら良いんだよ。

一緒になっても外で遊んだら良いと言っていた坊主を思い出しますね。

相談者さんもお金目当てで結婚したのでしょうけど、良い物を着て良いものを食べて

良い暮らしをしたいが為に相手に別れさせて一緒になって、人生を謳歌しているのでしょうね。

結構こんなので結びついている方はいるようですグッド!


自分は最後の時を迎える時に、あぁ~良い人生だったと思えますか?

きっとそんな事をしていると後悔するよと言いましたら、これがしゃくに触ったのか?

それを聞いた本人はカンカンに怒って、今度は反撃、うちはそれで幸せになったんよ。

幸せは自分で掴むものなのよ。

それであなたはどうなのよ?

そんなんだからあなたは駄目なのよと言いましたね!?


また知り合いに年上の綺麗な女性がいました。

若い時はその美貌で、沢山の男性から恋い焦がれて口説かれたと言っていましたね。

この女性も同じようにこんな事を言って居ましたね。

若い時はアッシー君と本命が居て、結局そのアッシー君と一緒になった。

でも、結婚して何年が経った時にその旦那さんが亡くなったと言っていました。

それで本命の男性と結婚していたら、私は幸せになったのにと言いました。

その当時はそんな時代だったようだけどね。

それで自分はこの年上の女性にそんな事をするから良くない事が起きるんだよ?

初めから本命が居たのなら、アッシー君とか付き合わずに本命と結婚すれば良かったと言うと、

前度おなじみの、だからあなたは駄目なのよ。

そんな事だからいつまで経ってもシングルなのよとまた言われましたね。

それを言われると、何も言わさない印籠見せられるようなものですねニコニコ

自分は自分の事良く言うつもりはまったくないんだけどね。

どうも生き方と言うか?

そんな他人を利用しょうという考えは起きないし、自分さえ良ければ良いとは思えない。

でも誰であったとしてもそんな試される時が訪れるかもしれないけどね。

そんな時には自分の真価が問われるといつも心の中で思っているのです。

周りではいろいろ見せてくれますが、そのような事に誤魔化されずに人は人自分は自分で良いのですパー


自分は人を貶めてまで、自分を幸せになりたいとは思わないと言いました。

人生最後の時を迎える時に、あぁ~良い人生だったと思えたらそれで良いのですと言いましたねグッド!

ほんとこちらの感覚可笑しくなりそうですけどね。

こういった利己的な方とうまくお付き合いをして行くのには、あまり深く考えずに受け流して付き合いをしないと、

いちいち反応しても、自分が受け取る事になるからね。

自分が受け取らなければ、出した本人に還っていくのだからね。

でも自分みたいな変わり者は、自分が世間から逆向しているのか?

世間が逆向しているのか?ほんと解らなくなりそうだけどねはてなマーク


この相談者は時々生き霊や憑き物が憑いたりして、霊能者さんの所に言ったりして、水籠りしたりしていたと言っていましたね。

それとその相談者さんの友達が居て、二人気に入っている男性がいるからと言う事でまた霊能者さんに聞きに行ったそうです。

それがその一人がなんと古庵も入っているそうですニコニコ

もう一人と古庵の事を霊能者に相談したと言っていたそうです。

それがこの霊能者さんが言うのには、古庵は何を考えているのか解らなようだから難しい。

古庵は深いと言われたそうです!?

もう一人の男性はお遊びだから、やめたほうが良い言われたようです。

それでガッカリして落ち込んだと聞きましたね。

ほんともう一人の男性を愛していたのに、ついでに古庵の事を聞いたのでしようねグッド!

自分とはあまり面識がなかったのだけど、ただ自分が独身で知り合いの方の友達と言う事だっただけなんだけどね

でもね、よくよく考えても自己中で、人の事はお構いなし

世の中こんな方もいるのです。

ほんと観たくないものや聞きたくない事を見せられた事もありましたけどね。

ほんと信用もあったものではありません。

こんなの結構今まで見て来たから、信用するまでは心を許す事はできなかった。

でも決して綺麗でなかったけど、心根のやさしい方と接して、自分の考えを改めれる事ができましたね。


そんな自己中の方は霊に憑依されたり生き霊に憑かれたりするのでしょうね。

でもあえて言いたいことは生き霊や憑き物が憑いたりしているのは、他ならぬ自分が寄せ付けているのです。

それを生き霊が付いた憑依されたと言っては、霊能者さんの所に行っては憑き物を落として貰う

このような方は他の方の事を聞く耳はなかなか持ち合わせていなくてね

とても我が強くて、我を取らないと無理と思いますが、

何しろ自己中で聞く耳も持ち合わせていないんだからね。

こういった方はどこに居ようと問題なるようですねグッド!

ほんと噂が周り回って自分まで届いてくる事が結構あります。

こういう時に素直さえあれば、苦から抜け出せるのだけどね。

そうできない気質になっているのが、カルマなのでしょうね。

実際はカルマと言うよりも癖として顕れているのでしようけど、

この癖を取る為に、生まれて来たのに気が付かないのは非常に勿体ない!!

誰にも言われる事ですが、自覚をもってしっかり超作して、動物習性を削ぎ落とし、

まあるい心を取り戻して行く事こそが永遠の幸せにつながって行くのです。

宗教やスピ系、輪廻転生と言う言葉に惑わされずに、今自覚を持って偏りのない反省と中道の実践して行くのが良いのです。

スピ系は怪しい、宗教、オカルト信仰一緒ぐたに思われているようですからね。

スピ系全体手垢の付いたものとして、妖しいと眼をそむいて心の実践をしないで。やりたい放題して反省もしないで

この世を過ごしていると、何のために生まれて来たのかはてなマーク

もしかしたら次の世ではしまったと思う事にも成りかねませんパー


別に宗教やスピ系でなくても、自然に沿った生き方をしていけばよいのです。

それにはまず、超作する事ですパー

超作して行くとがんじがらめになったカルマの糸が解けて行くと思います!!

それとスピ系で師のいない方は、自己流で行ったりしていると思いますが、

お寺などでの修行では我を取る事から始まるのです。

お寺修行は宗教だからいけないあれは駄目とは思わず、まず正道を実践しているお寺での修行の体験は良いのです。

体験もしないで。これは駄目だあれは良いと思ってもそれでは絵に描いた餅なのです。

何事も体験して、初めて理解できる事もあるのです。

だからいつも自分は言っていますが、神仏のご加護、師の恩恵によって悟りが開けると言って居るのです。

ほんと師のいない方は、悟れる事はできないと思っているのですパー

 

 

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イエス様も言っておられますね。(聖書・Ⅰコリント13:1~3)

「たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。

また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、

また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。

また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。」


だから奇跡体験もいくらしても、神理を実践し無理なく出来なくては何もならないのですパー

神理を実践し無理なく出来るようになって、高橋信次師は初めて菩薩行が整って行くと言っておられるのです!!

ここを押さえておかないと、神理の実践が伝道にすり替わり、あたかも神理を実践しているが如く錯覚する

まず、伝道うんぬんよりも自分作りをしていかないとねグッド!

長い年月をかけて、研ぎっている心の角を削ぎ落とし、たゆまない努力によって少しずつ、まあるい心を取り戻していけるのです。

自分は少しでも、高い霊性を持ちたい、持ち続ける事が高い霊性に繋がって行くと思っているのです。

そして過ちは二度と繰り返さない事が大切なのです。

しっかり今までの事を反省をして、軌道修正して調和とやすらぎのある人生でありたいものです。

それには神理を実践して行く以外はないのです!!


高橋信次師はこう言っておられます。

八正道とは己の心を中道という調和にひきもどす神の模範であり、

その模範に無理がなく、心が自然についてゆける自分自身になった時に、ひとは初めて菩薩行をなしえるのであると言っています。


[200] 八正道の正しい基準は何か?  Date:2012-03-05 (Mon) 光のかけ橋

お釈迦様は長い苦行の結果、八正道を日々行ずる事によって、悟りへの道が開けてくると教えています。

八正道とは正しい見る事、正しく思う事、正しく語る事、正しく仕事をなす事、正しく生活をする事、正しく道に精進する事、正しく念じる事、正しく定に入る事、の八つです。

お釈迦様がいろんな経験を通して、中道のへの道は、八正道以外にないと悟ったと言われています。

八正道の正しい基準は何か?

高橋信次先生の言う正しさとは、自分の立場を離れて、常に第三者の立場で、ものを見る、聞く、語る事が大切で、心の安らぎと全体との調和と言うことみたいです。

その調和は、より高い次元の調和を尺度とする事だと言われています。

 

 

 

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罪深い事をしたと言う彼が悟ったのです?

バーソロミューの書物に書かれている内容を見て、理解ができるのなら悟り(見性)体験をしている者でもあると同時に

どんなに罪深い行いしても悟れると言う希望や光を見出せるのです。

だから自分としては聖フランチェスコを出さない訳にはいきません。

聖フランチェスコは我々と同じように、世俗の中で多くの罪深い行いをしたようです。

そんな罪深い行いをしたと言われる彼が悟りを開かれた事が重大なのです。

聖なる者が悟りを開くのなら解りますが、罪深い事をした彼が悟ったのです?

これは我々も同じように汚れた心でも悟れる事を見せているようなものですグッド!


バーソロミューの書物に書かれていますね。

聖フランチェスコは愛したいけど、どうして愛したらいいのか解らないというジレンマ・・・・。

全身が疑問のかたまりのようになって、何日も苦しみが続き、不安が増し、

イライラと絶望がつのり、もうすぐ夜が明ける頃、外窓の向こうで、一羽の鳥が鳴いたそうです......。

その鳥の歌声のパワーによって、ついに・・・・悟ったのです!!


まず、聖フランチェスコは病床で、心の境界線が少しずつ崩れ、高熱にうなされる状態のなかでと言う事みたいですが、

これはクンダリ二ー覚醒やシャーマンが水籠りとかしていて高熱を発したものとは違うようです。

良くシャーマンなどは、水籠りをして高熱を発したりするようです。

聖フランチェスコはそれらとは違い病魔に侵されて高熱を発してのことだからです。

良くクンダリニ―覚醒をして高熱を発する事は聞きますが、覚醒と悟り(見性)は区別しないといけません!!

 

高熱の時は意識がとんとんとして、 心の境界線が少しずつ崩れてしまいそうですが、

でも聖フランチェスコは狙っての事ではないのですが、偶然起こしたものだったと言うよりも?

愛したいけど、どうして愛したらいいのか解らないというジレンマ・・・・。

全身が疑問のかたまりのようになって、何日も苦しみが続き、不安が増し、悩み続けた結果光明を得たのです。

その鳥の歌声のパワーによって、ついに・・・・悟ったのです!!

悩み続けた結果、悩みと一つになり、それによって自分と隔てているものが無くなり

鳥の歌声のパワーによってついに・・・・悟ったのです!!

そんな事を言っても意味が解らないかもしれませんけど!?

鳥が自分で、自分が鳥のように一体になった時に、鳥の生命力あふれる歌声のパワーによって悟りを開いたのです。

確かに歌声のパワーによってと言うものですが、心の境界線が崩れる時にそのように生命力あふれる歌声に聞こえていたのです。

今までに聞いた事のないような歌声、まるで鳥が鳥の歌声ではないような声だったと思います。

そのような不思議な歌声として聞こえていたのです。

それが悟り(見性)体験だったと思います。


それと聖フランチェスコは病床で、心の境界線が少しずつ崩れ、高熱にうなされる状態のなかで、

聖フランチェスコは愛したいけど、どうして愛したらいいのか解らないというジレンマ・・・・と言う事なのですが、

自分としては心の境界線が少しずつ崩れ、高熱にうなされる状態の中での良い影響だったと思います。

そんな高熱にうなされる状態の中でも聖フランチェスコは病床で、全身が疑問のかたまりのようになってと言う事なのですがはてなマーク


ここがポイントと言ったら語弊がありそうですが、

こんなに悩み全身が疑問になるほど悩み苦しんだ事はありますかはてなマーク

大抵は気のせい、気を強く持ちなさいと言います。

でもある者は悩み苦しみ死を選択する方もいます。

また別の方は、逃げずに自分と向き合い覚醒する方も居るのです。

言える事はフランチェスコが中途半端に悩んでいたら、きっと悟れなかったと思います。

とことん悩んだあげく、悟りを引き寄せたのです!!


でも間違った方向に向いたなら、鬱のあげく精神分裂をきたす事にもなり兼ねない。

だからこんな事を思うと奇跡なのだと言える事でしょうねグッド!

自分はいつも不運、挫折これ以上ない苦痛は宝物がなりうると言っています。

そのように奇跡体験した方は、人生に疑問を持ち悟れる環境を自ら設定して来たのですね。

お釈迦様はたった一人で悟りを開いたのですが、そのぐらいの高い霊性を持っていないと、

一人での悟りは無理だと思います。

神仏、師、自然、徳が重なり合ってのことだからねパー


いつも言って居る事なんだけど、神仏のご加護、師の恩恵なくしては悟り(見性)体験する事は出来ない!!

ただ、悟り(見性)体験を言うと首をとったとように自画自賛している思われそうだけどね。

謙虚に思われたいから言っているのではなくて、実際クンダリニー覚醒も明けの明星、

悟り(見性)も広大無辺の悟りの中のほんの少し足を入れたぐらいと思っているのです。

だから勘違いしないでほしいのです。

その道は開祖や一部の修行者が通っていった道なのです。

誰もが希望や光を見続ける限り、罪深い事をしたと言われるフランチェスコのようになれるのですグッド!

 

 

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もう随分昔になりましたけど、知っている信者さんなどは自分の信じていた師が亡くなって、

その師が復活して天から指導して、現在救○主だとされている方の団体から霊〇集として出ているようですが!?

その影響で知り合いもその救〇主とされている団体の信者さんになりました。

その知り合いの信者さんが自分にこんな事を言っていました。

その信者さんの仲間が、自分に光の〇使として、私達と伝道して行きましょう?

あまりにもしつこくて、実際自分はまいっていました。

それを見かねて、自分の知り合いの信者さんは、その同じ仲間の信者さんにこう言ったそうです。

妄信は妄信になっている事が解らないから、自分は妄信ではない

だからしつこく団体に誘う事はしてはいけないと言ったみたいでしたねはてなマーク


知り合いの信者さんは、自分はこの団体に入って運命の伴侶に巡りあって幸せになった。

だから救〇主のお創りになっている真の団体だから、自分は信者になって光の〇使として伝道していくのですと言うのです。

それとあなたははどうなのよと言うのですシラー

あなたはシングルだし運命の伴侶に巡りあってないし幸せと言う点では幸せではないと言いましたね?

自分にグーの根もだせないように言うのだからねニコニコ

実際は団体の信者にならなくても、普通の方は伴侶と巡りあって幸せになれるのですグッド!

でもね、その団体に入った御蔭で、伴侶と巡り会い幸せになったと言うのだから

それはそれで良いのでしょう

ただ自分みたいな者は、それだけ他にする事があったとは言えませんけど!?

だから言い訳も何も言わなかった。


昔アシュタールに、こんな事を言われた事がありましたねパー

インスピレーションを感じたらあなたは会いに行くのです。

またこうも言っていましたね。

あなたは私に聞こうとしている相手は違うのです。

あなたははっきりと解るのです。

私に聞かなくてもあなたははっきりとこの方と解るのです。

アシュタールはあなたのパートナーは切り出しましたね。

だから私に聞こうとしている相手は違うのですと言っていました。

自分が聞く前にそんな事をいきなり言われるんだからね

自分にはアシュタールはウンもスンも言わさなかったね。

自分が聞く前に一方的に言われましたけど、でも自分は詳しくは聞かなかったのだけど、

多分一番可能性のある方の事を言っていたのだと思います。

ただソウルメイトや運命の相手の定義と言うか?

まだその当時はあいまいで、漠然として理解が出来ていなかった。


それと江原氏はこんな事をおっしゃつていますね。

友達にしろ恋人にしろ伴侶にしろ、その人との出会いは用意されていたものだけれど

その人をそのポジションに据えたのは、他ならない自分自身がしたことですよ、ってこと。

人との出会いは、海にたくさんいる魚から自分で選んだ魚を釣り上げることに似ていて

 どの魚を選ぶか、その魚をどう料理するかは、自分自身に委ねられているのだそうです。


それとある方などは第一候補、第二候補、第三候補があるとおっしゃつていましたね!?

でもねその時の波動のレベルや波長とか違っていると、やはり結ばれるのは難しいと思います!!

それとたとえ運命であると言っても自分で動かないと運命は流れてしまうようです。


ソウルメイトやツインソウルの事を言う方がいますが、それと前世で結ばれていたと言っても、

今は今世なのですからね

前世の夢物語りで縛られるのはどうかと思いますグッド!

霊能者さんや占い師さんなどが、運命の人と言ったとしてもすべて鵜呑みに信じないようにね。

結構見ていると、運命の相手だと言われたからと結ばれるのが当たり前

この方しかいないと決めつけていた方もいましたシラー

それに決まりきったものではないですからね。

客観的に物事を見るようにしないと、後が辛くなるかもしれませんよ。

それと自分の運命の舵は自分で行う。

霊能者さんや占い師さんに力を預けないようにしてほしい。

それと冷静な判断を持ち合わせていないといけませんね。

結局は縁あるうちの数人の中からの選択になるのでしようけど、何を持っての選択なのか?

ほかならぬ自分の感じた事が一番大切なんだと言いたいのですけどねパー

 

一部の方や信者さんなどから救○主が生まれている時代だと信じられているようですが、

だけども宗教に興味がない方はまばつゆものだし、一部の熱狂的な狂信者としか思っていないようですしょぼん

 

今ままでオカルト信仰や新興宗教の犯罪や目にしてきて、世間ではまったく信じる事ができないような状態になっているのも事実グッド!

宗教全体がひと括りみな同じだと思っている方もおられるようですが、でも昔ながら正道を教えている宗教もあるのです。

自分としては何にしても嘘や本物もあると思っています。

奇術師がテ―ブルの下で行われているものを見極めないといけません!?

もし見破る事ができないのなら、一度教団から離れて客観的に見ないと難しい

自分の知り合いの信者さんは、自分で妄信になっていないと本人は言っていましたが、

きちがいは自分できちがいだと解らないように、妄信は妄信になっていないと思っているだけかもしれませんパー

 

新興宗教などは愛人問題やいろいろなゴタゴタになったりすると外に目をそらす行動に出るようです。

教団を維持するために仕方がないのかもしれないけど、そんなものに縛られるぐらいなら

宗教法人や教団は無くて良いと思います。

あくまで神理伝道が目的なのに目的意識が変わって行ったのか?

修行者と言うものは、心の自由、心の進化成長を目指して行っているのに疑いたくもなります。

 

それにゴタゴタ騒動にかったりするとだいたいが〇ダを持ち出すのです。

もし仮に悪魔に魅入られている方がもし周りにいれば、何とかしてあげるのが信者さんなのではないでしようか!?

今度はつじつまあわせて、寄ってたかって皆が攻撃?

自分なんかでも一度は縁があった方には幸せなってほしいと思いますから見捨てたりしませんグッド!

それだけの力であるならば、もしその方が正気でないのなら何とかしてあげたくなるのでは思います。

 

それでも無理なら祈ってあげる事もできるはずなんだけどね。

団体の方などはいつも愛や祈りと言っていますが、都合によっては祈らないのですかね?

自分の考えがもし間違っているのなら、批判されても仕方がない事だけどねパー

聞く耳がもしあればの事だけど、自分の知り合いの信者さんに是非問うてみたいですね。

光の〇使とは愛は与えぱなしと言いますが、都合が悪くなったら、はいおしまいで縁を切る

これが光の〇使というものですか?

菩薩、如来は心を説くと言いますが、その微塵も欠片も感じる事はできないのは自分だけなのでしょうか?


マタイによる福音書 題5章39節

イエス様はしかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。

  だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。」

  マタイによる福音書 題5章39節

 

山に行ったら、もう~空気が少し肌寒い。

秋が深まりつつあるのだろうか?

若い時はたまに風の音、枯れ葉がゆらゆら今にも落ちそうなものを見に行っていた事もありました。

でも紅葉を見に行く方はいっぱいいますが、風の音、枯れ葉の舞い散る音をわざわざ聞きに行く方はいませんでしたね。。

盤珪が言うように(われは聞こうと思う念を生じていた故に聞いた)

これは新たな境地が現れると言うよりも自分が仏であると気付いて行く旅路なのでしようね。


また秋月先生はこのようにおっしゃつていますね。

自己を忘れて、万法の方から逆に自己修証される時に(悟り)の世界が開けます。

自己が世界を対象として見ている時は、自己と世界とが二つになる。

逆に万法の方から進んで自己を修証するという時には、自己が無になって、自己は万法に一如して働くわけですから、

二つが消えて一そのものが動き出してくるのです。

要するに、一つのものを二つ見ているのが迷いで、二つのものを一つ見るのが悟りなのです。


仏性は不生にして霊明なもの

盤珪はいう。

後ろで啼くすずめの声を鳥の声とも聞きたがわず、鐘の声を太鼓の声とも聞きたがわず、

男の声を女の声とも、大人の声を子供の声とも聞きたがわず、

そけぞれの声を一つも聞きたがわず、明らかに通じて分れて、

聞きそこなわず聞き知るは、霊明の徳用(功徳のある働き)と申す。ものでござるわす。

これがすなわち仏心は不生にして霊明なものといいます。

霊明の証拠でござるわい。


只今この座にござる人に、(われは聞こうと思う念を生じていた故に聞いた)という人は、
この場に一人もござるまい。

皆こちらに向いて、身どもがいうことを耳に傾けてよく聞こうとこそしてござれ、

後ろでそれぞれの声のするを聞こうと思うてござる人は、一人もありゃしませぬわい。

したにそよっと不時にそれぞれの声がすれば、通じて分れて聞きたがわずに聞こえますは、

(不生の仏心で聞く)というものでござるわい。

(前方からそれぞれの声がせば、)聞こうと思う念を生じていた故に聞いたという人は一人もこの座にはござらぬ。

それならば(不生の仏心で聞くというものでござるわい)

「説法前編」

 

 

 

 

 


 

忘れていた幼少期の記憶

人格結成におおきく影響をおよぼしている

幼少の時に一人で遠くまで出かけ、遠くっても子供の感覚だから、

実際にはそれほど遠方に行ってわけじゃあないあし

ここちよいさわやかな風に吹かれ、花弁が飛び交い舞う

感情の高揚が高まって踊るような心の喜びを感じた

この時に何か筆舌に伝えられないとても大きな感覚を感じ何処までも広がって行った。

この時に深く感情に刻んだようです!!

たった一人で知らない場所に行く事は、まさに自分にとっては冒険

この出来事が、今後の自分の人格結成に大きく影響しているのは間違いない。

何気ない幼少頃の記憶だけど、これ以上の強烈な感覚を感じた事はありません。

まるで天国にいるようだったパー


『枯木再び花を生ず -禅語に学ぶ生き方-』(引用)

 (細川景一著・2000.11.禅文化研究所刊)より

爛漫と咲き乱れる万朶の桜でなくてもよい、草かげに人知れず咲く、一輪の草花で十分です。

そこに色彩豊かな立派な蝶でなくとも、薄汚れた、ちっぽけな蝶でこれまた十分です。

一輪の花に二、三匹の蝶が戯れる、どこでも見られる風景ですが、私たちは何気なく見落とします。

良寛さんは、ここをとらえて無心の出合いの真実を詠いあげます。

 花は蝶を招きたいとも思わないし、また、蝶も別に花を訪ねたいとも思わない。

しかし自然に出合う、即ちめぐりあうわけです。

私たちの人生もめぐりあいの連続です。

親にめぐりあい、兄弟姉妹にめぐりあい、友人にめぐりあい、夫にめぐりあい、妻にめぐりあい、子供にめぐりあい、

また、苦しい事、楽しい事、悲しい事、いろいろな事にめぐりあいます。

これはみな偶然でしょうか。偶然と言ってしまっては物足りません。

宿命でしょうか。宿命と言ってしまっては救われません。では、一体何でしょうか。すべて因縁の法によって成って行くのです。

最初、原因があり、そこに縁が働いて結果が出てきます。

結果がそのまま、結果で終わるのではなくて、また原因となって、ある縁が加わって結果が出ます。

因縁と果が循環するのです。これを仏教では因縁の法則といいます。

例えば一箇の豆の種子があります。これが因です。畑を耕し、種子をまき、水をやり、肥料を施す、これが縁です。

芽が出て実がつく、これが果です。縁の働き具合で果も大きく違ってきます。

悪い因でも良縁が加わればいい果が得られ、良い因でも悪縁が加われば悪果となるのです。これが仏教の因果律です。

決して宿命論的なものではありません。縁のままに花は咲き、蝶もまた、縁のままに舞う、因縁の出合いです。

私たちのめぐりあいも、因縁の法に従っての結果です。

その底に秘められているめぐりあいの糸のつながりは、私たちには見えないだけです。

法則に従って生きる、否、生かされている事を謙虚に自覚して、めぐりあいを生かす生き方をしたいものです。

 子を抱いているとゆく末のことが案じられる
よい人にめぐりあってくれと
おのずから涙がにじんでくる
(仏教詩人 坂村真民「めぐりあい」より)

若い時にある新興宗教の信者さんに救○主が下生している時代だから光の○使として、

伝道するのが私達の使命だと言われた事があります。

またこの光の○使としての言葉に魅了されているみたいで、しかも死ぬ時が楽しみとも言っていました。

救○主の為に光の○使として一緒に共に頑張っていこうと言われた事がありましたね。

でも結局は自分は断ったのです。

ちょうどその日は七夕でしたね。

でもその日に無理やり合わされてしまいまして、自分が断った為に泣かれてしまいました。

もし救○主が生まれているとしても何故伝道しないといけないのか?

光の○使になりたい為やその覚悟も自分はどうでも良いのです。

何者にも囚われず、何者にも惑わされずに人間は人間らしく自論があります。

救○主の事に魅了され自分自身を見失ったり、光○天使になりたいが為に自分の気持ちを殺してまで伝道はしたくない、

心から感じる事こそが大切なのです。

なるべく正直に生きて行きたいと思っていました。

書物にしても間違っていたり、うそをついて語っているのもあるかもしれません。

何事もすべて鵜呑みにする事は危険なのです!!


また蛇のように知恵を持って、ハトのように機敏でありなさいと言う方もいますが

信じなさいと、我を信じよと言います。

こう言うのは自分から言うのではなくて、周り人から自然と言われる

わざわざ自分から言わなくても?光が自然に内から滲み出て漏れて光輝いているのではないでしょうか?

子供が我いさんで手を挙げているように思いました。

高橋信次師と言う師はこのように言っていますね。

疑って疑ってトコトン疑って、もう疑う余地が無くなったら、そのとき信じなさい。


それに自分は救○主が生まれて来ているとされていても、心から感じられないのなら伝道する必要はないと思っていました。

それと信者さんが言うのには、神理テキストを丸暗記して?もう学んでいるから真理を知っている

何千前の開祖や聖人と同等の霊性のような事を言うのです。

だから今の時代神理をしらないと言うのは悪みたいな事を言うのです!?

でも自分としては興味のない方は知りたくなくても、たった一冊の本も購入できない貧しい方も世界にはいるんだよと言いました。

何故そんな一生懸命お布施を集めたり伝道するのと聞いたんだけどね

伝道して会員を増やしてそのお布施で神殿を作り後世に伝える立派な神殿を作るような事をいいました。

それで神理を永遠に伝えうる為には、神殿がいるような事を言っていましたねガーン


自分はそうじゃあないと言いました。そんな為に神殿はどうでも良いと思いました。

何故ならある団体で生き神様だとされている方のエネルギーの波動を合わせた事があって、

魂が震える体験をした事がありました。

その団体の教義には、我が胸は社なりと言います。

外の神殿も大切だけど、まずうちの我が胸は社なりとしっかりと思いを持つことが大切なんです!!


自分は信者さんに言いました。

今困っている方、食べるのも困り果てている方もいます。

そんな神殿の為なら無いほうが良い。

世界では貧困で、子供達は学校にも行けないで家族や生活の為に働いている子供もいます。

雇い主によっては酷い扱いしている方もいるのです。

それでも泣きながらでも家族の為に働いている子供もいるのです。

そんな神殿よりも貧困で喘いでいる方が先決だと言いました。

この信者さんは、今度は米百俵の事を持ち出したのです。


米百俵(こめひゃっぴょう)ウィキぺディア(引用)

河井継之助が率いた北越戦争(戊辰戦争の一つ)で敗れた長岡藩は、7万4000石から2万4000石に減知され、

実収にして6割を失って財政が窮乏し、藩士たちはその日の食にも苦慮する状態であった。

このため窮状を見かねた長岡藩の支藩三根山藩から百俵の米が贈られることとなった。

国漢学校を描いた絵図。『懐旧雑誌』(小川當知、明治12(1879)年)より。

藩士たちは、これで生活が少しでも楽になると喜んだが、藩の大参事小林虎三郎は、贈られた米を藩士に分け与えず、

売却の上で学校設立の費用(学校設備の費用とも)とすることを決定する。

藩士たちはこの通達に驚き反発して虎三郎のもとへと押しかけ抗議するが、それに対し虎三郎は、

「百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、教育にあてれば明日の一万、百万俵となる」


ほんと鶏が先か、卵が先か?

まるで教団の神理を丸暗記して、受け売りしているようなもの?

それで己のを力量を試しているように感じました。

この時から神理を受け売りしている方がいると、受け売りは聞きたくない。

あなたの体験、あなたを知りたいと思うようになったのです。

神理の実践(ペーパ丸暗記)では、絵に描いた餅で、絵に描かれている餅が、いくら、おいしそうに見えても、

ただの絵であって、実際には、食べることができないのですパー

ほんと体験しないと、本当の意味では知った事にはならないと思います。

それと元々はある師の一冊の書物の出会いからでした。

この師は既存の宗教団体から逸脱していて、仏教ではないと賛否両論がありました。

自分はこの頃の時は、悟り(見性)体験をしていました。

その時に宗教と言うではなくて心の教えが大切だと思いました。

この一冊の本と巡り合い伝えたい衝動にかかられました。

バプテスマのヨハネは、水で洗礼を授けながら、「私より優れた方が後から来る。私は、その方の靴紐を解く値打ちもない。

その方は、聖霊によって火のバプテスマを授ける」と、”救い主の到来を預言していた”のですが、

ヨハネは私より優れた方が後から来る紐をとく値打ちもないと言われました。

自分なんかはねその前に存在する価値もないかもしれませんが、伝えたい!!

この神理を伝えたいパー

幸い自分にはクンダリニ―覚醒や悟り(見性)体験もあります。

それに明けの明星体験もあります。

でも、その当時はそんな体験を隠して、自分作りをして力を付けて行きたいと思っていました。

それと定年過ぎたぐらいから、伝えられたらと思っていました。

それから少し経ったその当時には危険な団体などありまして、

その教団の教義がクンダリニ―覚醒したら、聖者、大師だと公言していました。

自分はそうではない、それは覚者や聖者に至る体験だとしていました。

でも誰も言う方がいないのなら、自分だけでも言わなければならないと思いました

人をあやめなくても、覚醒はできる。クンダリニ―は覚醒体験できる。

それに体験はあくまで体験、広大無辺のちよっと中に足を踏み入れたようなもの

第一の関門、第二関門、第三関門と乗り越えて行きにくく立ちはだかる大きな壁がありますグッド!

でも誰も言う方がいないのです。一人ぐらい言ってもいいと思ってね。

ただ、自分と言うよりも家族に危害が及ばないようにと願っていました。

それでも自分の気持ちを止める事は出来なかった。

脅かしや強迫とかありましたけど、

ただ、会ってほしい会ってくれないと家を探して火をつけるような事を言う方まで現れてきました。

また精神を患っているいるかたもいましたが、さいわい自分や家族にさしたる被害はなかった。

やはり内心はドキドキ怖かったですねぇ~

それで危険な団体や公○警察からも目を付けられ、呼び出されたりしました。

自分の名前のリストが載ってあるとかで、いろいろ探られ家族や親戚には厄介者になりましたしょぼん

でもそれをひっくるめて幼少の頃から人生に疑問を感じ、悟れる環境を自ら設定して生まれて来たのでしょうねあし

それでも決して神理を求める気持ちを止める事はしませんでした。

神理を求める気持ちを止める事はしないと言うよりも出来なかった

あの一冊の出会いから良り強く胸にはかき消すことのできない炎の灯が灯りましたねパー

 

高橋信次正法の「絶対自力」実現ネットワーク(青空にありがとう) 引用

高橋信次正法は人を見ず法を観る

説かれた法は不変

既に高橋信次師についてですら、信じられないほど

勝手気ままに書いている高弟や傍にいた人達も沢山います。

お会いして対話したり、方々の書籍を読んだりしましたが、

皆さんが悟っていなかったので驚きましたが・・・・・。

本当に人とは、勝手気ままであてにも参考にもならなず、

いつの時代も苦悩と悲しみに満ちています。

さて、そこで崇拝化と偶像化と無知により理解できないから、

生きた真実が消され、虚偽と曖昧に満ちた教義や人生感が、

後世に伝えられ、更にまた虚栄が書き換えられていくのです。

信仰で人民の支配を目論む、時の権力者や宗教家によって

正しい教えは都合の良いように改ざん改ざんの歴史を辿らされるのです!!

しかし、高橋信次正法の決定的な違いはここです!!

それは、本人が語り書き記し、嫌いなカルト的現象を実演しながら、

大衆の前でありとあらゆる沢山の現象を見せました。

理証・文証・現証を自らが実証し、

自らの過去の間違いと、大悟してからの人生観を

「人間・高橋信次」として明確に説いて逝かれました。

それでも!私の教えも信じるな!疑問を持ちなさい!

そして実践して実践して疑う余地が無くなったら、信じなさい!!と説かれました。

誠のその通りで、私は人をあてにせず、実践による実体験で「法」を理解しました。

私の守護・指導霊の厳しい導きどうりでした。

だから!その結果は、神理の追及では、正法者は「人を見ず法を観なさい」と!

如何なる人も社会も欲望で変化し彷徨い、それを見ると自己も彷徨い苦悩するが、

大自然の『法』は変化しない!

中道→調和→発展→向上!という不変の法則があるだけなのです!

ところが過去も現在も信仰に限らず大抵の指導者達は、誠しやかに慈悲・慈愛・感謝・無欲・・・・・・・。

際限なく綺麗に飾られた教義や価値観をさらし、最後は私を信じなさい・信じる者は救われる・

・私に任せなさい・疑問を持つな!

・私を信任し布施をしてください!

・全託してお金を集めなさい!何かにつけて最後は金!金!金!集め!寄付集め!

そして、その寄付や布施の額の差や、集う人達の地位・名誉の差を利用し、

指導者としての立場を誇示する事に明け暮れます!

全ては屁の足しにもなりません(=⌒▽⌒=)

私も同感ですが高橋信次師の講演での言葉です。

物事の真相解明を止めたり放棄したりすると人間の魂と価値は大きく損なわれます!

疑問と追及は人類の成長の証なのです!

高橋信次師はこれをとても大切にされました。

ご自分の説いている内容についてでさえ、「疑問を持て!」と。

そして、自分自身に嘘のつけない善なる心に疑問がなくなったら「信じなさい!」と。

 

 

 

最近不倫とかで騒動になっていますが、お遊びや本気までいろいろあるようですね。

お遊びは別にしてもね既婚者の方でも、強い縁の方と出会った時にはそりゃ~しんどい思いをしそうですね。

間違った出逢いとは言わないけど、出逢う順番が違っていた場合などははてなマーク

自分を見失いその方に翻弄されるような事になるかもしれません。

それでも不倫しても愛があるから良いと言う方も中にはいますが、

ほんとはそれを口実にしたり言い訳の材料にしたいだけの事なのかもしれませんね。

誰にも邪魔されない場所で、一人になって静かに自分に嘘をつけない心で深く見つめ、

真実を見極める事も大切なのです。

少なくても既婚者の方は裏切っているような気持ち後ろめたさがきっとあると思います。

そんな感情が少しでもあるなら考えなおした方が良いのです!!


高橋信次師はこのように言っておられますね。

心の指示によると想念体の位置は、各人の前世、過去世、あの世での修行、心の調和度にによって、決まってくる。

同じ心の問題の話を聴いても、これを理解できる人と、できない人があります。

これら想念体の位置が違う、心に近い場合はその理解度は早く逆の場合は遅いと言う事に成ります。

いずれにせよ、各人の教養、徳性、ものの見方、考え方、行動というものは、この想念体に影響されるところがすこぶる大きく、

それは、今世での知識、学問を超えたものです。


また人によっては不倫やお遊びはなんら悪い事もないし、罪の意識も感じないし当たり前と思っている方は結構いるようですが、

心の進化を計る上でもね

類は友を呼ぶ法則がありますから、同じ波動を持っているのでしょうね。

はやく言えば同じステージ、レベルだからだと思います。

あまり良くない相手とばかり知り合いになるなどは、真理を実践して改善して行くのが良いのです。

そうすればそれなりの相手と巡りあって行くのでしょうグッド!

でも、そんな事を言っても理解できる者はまた少ないのが現実なのです。

人は24時間テープレコーダーのように全て想念体に録音されて記憶されているのです。

この想念体に刻まれている思いや行いを持って、次の世界に行くのですからね。

またある方は不倫もカルマだから仕方がないと言っている方もいますが、

何でもかんでもカルマや因縁だからと言ってしまうのもどうかと思います、

またバーソロミューはカルマについてこなん事を言っていますね。

カルマなどと言うものはない。

ただあるのは過去の瞬間の記憶として人がこの瞬間に持ち込むものだけと言っていますね。

過去未來はなくて、今現実だけあるというものかもしれないけど、

確かにカルマと言うものはないのかもしれないけど、前世のなごりで惹かれたり、癖として現れたりするようです。

ある時期にくると油が芯に染み込んでくるように、

今ままでの生き方がひっくりかえったように急にひとが変わったとか?

癖として現れてくるのでしょうね。


既婚者の方などは新たに出逢った相手に惹かれて、自分を見失って感情を押さえる事ができない方もいるかもしれないけど!?

その時にどんな対処するかによって、その後が随分変わってきます。

ただ感情に流されていては、動物と同じようなもの

人は神の子と言われています。

神様と同じものを持っているのですパー

一回きりの人生ならそれで良いのかもしれないいけど、輪廻転生があるのなら真理を実践する事で迷いを断ち切り

心の弱さを克服するのには、真理の実践が良いのです!!

課題を克服しないと繰り返し堂々巡りになって進化成長が遅れてしまいそうです。


また真理と言ったら宗教や怪しいオカルト信仰とか思う方もいますが、自然法則に沿った生き方をすれば良いのですグッド!
調和と安らぎのある生活をして、心の安定を計る事が何よりですね。

そんな事を言っているあなたはどうなのよ?と言う方もいます。

自分は不倫経験はないのですが、やはりこの歳ぐらいになると誘われた事は何回かありました。

物凄く若い方からかなり歳を召されている方までいました。

体験と言う意味では、体験したほうがアドバイスはできるのかもしれないけどね!?


自分はカルマの巣と言うものを開けていますから、せっかく苦労して洗い直して行っているのに

一生懸命に擦って剃り落しているのに、その上にまたわざと落ちにくいペンキをもう一度上塗りしているような事はしたくはありません。

そんな事を解っているのにわざわざ悪いカルマを作る馬鹿はいません。

しかし今まで不倫もそうだけど、どんな魅力的な女性や綺麗どころの相手でも翻弄されなかったニコニコ

それは真理が根底にあるからだと思いますパー

それとは別にしても、出会いは縁があるかどうかをいつも見ているのです。

自分にしかないと言う縁が誰にもありますからね、


あなたはそんなどうにもならないような体験をした事がないから、何でも言えると言う方もいると思いますが、

そんな事はありませんよ~昔ソウルメイトだと思う相手と出会った時などは、

心臓の中心に矢が突き刺さったような衝撃を感じた事がありました。

でも、ソウルメイトだから結ばれるとは限りません。

ソウルメイトにもいろいろものがあるようですからね。

ほんとお互いがまだ若かったし、心の成長度合いが違っていたと言うのではないけど、

自分は悟り(見性)奇跡体験をしてから、全てが変わった。

生き方を変えるきっかけになったと言えばそうだけど目覚めたのです。

と言うよりも目が覚めたと言った方が良いのかもしれません。

何故なら目覚めたと言ったら、覚醒や悟ったと思われそうだからね?

目が覚めたと言う方が適切なのではと?思っているのです。

それからと言うものは真理を根底にして迷わず真理を取るようにしていましたから、

自分を見失わずにいました。

ほんと境界線を引いていないと、全てが崩れてしまいます!?

自分などは後から強迫観念にかかられますからね。

こんな事で尾を引く事はしたくない。

だから間違ってもしないようにしないとね。

人間はほんと弱い心だから、いつも心を見張っていないといけませんね。


それに自分などは既婚者の方にいきなり誘われ、フイを付かれて言われるとキョトンとして何も言葉が出来こなくてねしょぼん

この時にいつもこう考えてしまいます。

後からいつも冗談の切り替えしとかできないのかなぁ?、冗談の一言でも言えればたいしたものだけどね。

それと何んかどちらが男性か?女性なのかと心の中で苦笑いしていますニコニコ

ほんと出会いは偶然ではなくて必然なのかもしれないけど、ほんと試される時がくるのでしょ。

また既婚者の方が新たに出逢って、どうにもならないようなに自分を見失い、感情に支配されるような事になるかもしれないけどね。

それに縁のある相手との出逢う順番が違った場合もあると思います。

でもあえて言いますけど、出逢う順番の違ったのでも自分を見失っていては自分の課題をクりアできずに持ち越しになる

こんな事でがんじがらめの縺れた糸、その縺れた糸をより複雑に絡んでいく

でもそれが人間の弱さなのかもしれません。
ある者にとっては、非常に厳しいものになるかもしれませんが、

原因結果の因果律これは宇宙の法則のようです。

すべての事象は、必ずある原因 によって起こり、原因なしには何ごとも起こらないという原理だそうです!!

本来無垢なままで生まれて来ましたパー

それが大きくなるにつれ、習慣、思想、癖、観念などいっぱいくっつけて来たのです!!

それをもう一度、ジャガイモをゴシゴシ綺麗にするように、

自分のチリやアカを取り除いたなら、本来の自分が現れると言いたいのです。

だから本来そのようであったのだから、何かになったと言うよりも何もならないと言うのです!?


深層意識にある重圧されている不純物や不浄なエネルギーを生起させて解放してあげれば、

現在医学で原因不明の難病とかに対して、かなり癒されるのではないかと思っています!!

心理学でも不健全な感情を取り組む事は、あらゆる病気自体から解放されるきっかけになると聞きます。

カルマが原因の病気の場合は現在医学の範疇にはないようですが、

これなどは本人のカルマの解消に設けられた試練であり、魂の向上に役立つものだから

根本的に解決するのにはそれなりに時間を要するように思います。

また想念体を開いて、負のエネルギーを解放して行く時には、

カルマが終了して行くためにプロセスが始まったと言うものかもしれません。

ほとんどの原因不明の難病病気は、想念体の中にある(カルマの巣)エネルギーだと思っています。

細胞やDNAにしたって、想念体の中にある(カルマの巣)エネルギーが作用して、

DNAが損傷して細胞が癌細胞に変異したりすると思っています。

感情を取り組む事は、生きて行く為に不可欠な事だと思います。



[245] 自分のまいた種は自分で刈り取る 光のかけ橋
Date:2013-01-02 (Wed)

前にこう言う事を書いた事がありました。

神仏は道標を用意されてくれているのかもしれませんが、神仏は自分を背負って歩いてはくれません。

神仏は二人で歩いてくれるかもしれませんが、その道を選択して自分自身の足で歩いていかないといけません。


聖書には、原因と結果の法則を自分のまいた種は自分で刈り取るという言葉で表現されていますね。

カルマは原因と結果の法則みたいです。

善の種をまけば自分で善を刈り取り、悪の種をまけば自分で悪を刈り取る。

自分のまいた種は自分で刈り取ると言う事になるのでしよう。


神様や創造主は自分で作ったカルマは自分で乗り越えろというものかもしれません。

他の方に変わって代わりに行うカルマの解消は無理なようです。

カルマは機械的に処理されているような感じがします。

何故なら自分が体験しているから言えるのです。

自分はスピ系で良く言われている受け売りはしません。

自分で体験をして伝えているのです。

自分の都合によって、はい、カルマは解消されたというものはありません。

何回も言いますが、個人の地球の規模のカルマや宇宙規模のカルマを解消できると言うセッションがありますが、

そんなものはあてになりません。

あてにはならないと言うよりは、そんなものはないと思っています。


スピリチャルな事を目指している方もカルマを紐解いたとか、乗り越えた方はあまり出会った事はありません。

それでいて、スピリチャルな事を目指している方やスピリチャルティチャーでもカルマの事について本当の意味で知っている方はあまりいません。

生まれて来る目的の一つにはカルマの解消(乗り越える)だと言われていますから、

だから自分のカルマを開けたのは、偉くもないし特別な存在でもないのです。

ここを間違って受け取られたらいけませんね。


だから自分が体験して、初めて人に伝えられるものかもしれません。

何にしても自分が体験して、それを乗り越えて行った者しか伝えられる事はできないと思います。

ではどうやったらカルマの紐を解くか?

乗り越えていけるのか?

その為にはいろいろなやり方もあると思います。


生まれて来て今までの思い行いが記憶として深層意識の中にあります。

その深層意識を浄化する事は大切だとスピリチャルな事をしていたり、

また心理学者などはそう~思っていると思いますが、想念体はカルマの巣のようなものです。

この想念体の中にある抑圧された記憶やエネルギーを解放する事が大切なんです。

これはチャネラーを目指している方についても言える事だと思います。、純粋な情報を取ろうと思ったら

想念体の中に抑圧された記憶やエネルギーの解放するのが早道かもしれません。

純粋なる情報と言う意味ではね。


コップの中にある水が濁っていれば、少しずつ真水をいれて行ったら、

コップの中にある濁った水は少しずつ綺麗になると思いますが、これでは随分時間がかかると思います。

水は沸騰したら水蒸気になって、上空にあがり、雨となって地上に降り注ぎます。

また水は冷えると氷にもなるのです。

その水がいくつも変化するのです。元は水なんですよ。

自分は良く思いは結果化けてくると言ったりしていますが、繰り返してくる連鎖を断ち切るのは、

カルマの巣と言われている想念体の中にある抑圧された記憶やエネルギーを解放して行くのが重要なんです。

その為には苦を滅する道があると言われているハ正道がありますね。

このハ正道を行っていくうちに、カルマの解消ができ、悟りに進んでいけるものだと思っています。


光のかけ橋 (日記)

深層意識の内部には日頃溜めつづけたネガティブなもの(恐怖、悲しみ、不安、怒り、)あまりお目に関りたくないドロドロしているものをいっぱい積め込んでいます。

このネガティブなものをいっぱい積め込んでる者は疲れやすいと言われています。

なんにもしなくても疲れやすいですし、または原因不明の病気とかあるいは自律神経に影響を及ぼし(心身の不調)誤魔化して生きていかないといけなくなると思います。

この深層意識の積め込んでいるネガティブなものを意識上に開放してあげて、ほったらかしにしておけば心の掃除にもなりますし心が澄んできます。

例えば炭酸の入った瓶の蓋を取ったらいっぱい泡が出てきて、出っ放しにしておけば泡もなくなり、

だんだん弱いあぶくのようになり、全て出尽くしてしまえば、

波のたたない湖面のように穏やかになります。

この想念体の紐をとき意識上にあげるのはなかなか難しいと思います。

自分の体験上、瞑想(他のワーク)とかしていて機が熟したなら

想念体に亀裂が入り(見性、悟り)とかいわれている事が起り深層意識から今まで生きて来て、

集めたものが意識上の表れてきます。

これは自分と向き合わないといけないから辛い体験だと思います。

瞑想、座禅とか(座り)修業していればおのずと表れ消えて行くものだと思いますから瞑想、座禅の本道目的にそって、行うようにしてください。