沖縄で何年かに一度現れる「神の手」という雲だそうです。
幸せになってほしい人に送ると、受け取った人は幸せになり、願いが叶うそうです。
友達が送ってくれましたニコニコ


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大工の棟梁はえーちゃんはスピ系で詐欺しているみたいだけど、でもそのちやらんぽらんだからえーちゃんは良いんだよ?

ついでに若い大工さんには詐欺で儲けたお金があるんだから、お金を使えば良いと笑っていた。

自分は冗談で、解る者には解るんですよって言うと、解るかいと言いましたね笑

まさ土がダンプいっぱいが5000円だから二杯で1万だからと言うから、5000円ならと言ったらむちゃくちゃな事を言うな(笑)

家にある周りの小屋を解体するのに、だいたい50万かかると言う

結局小屋解体20万で、家の屋根ふき替えを兼てする事になった。

あまりにも小屋の解体安いから、えーちゃん手伝えと何べんも冗談を言うから冗談ではすまなかった(笑)

少しばかりお手伝いする事になったガーン


それと左官として来た親分は若い時に、今解体した部屋で二人が良くパツチンしました。

若い時に二人乗りでバイク乗って買い物?、警察に追いつけられ捕まった事もありましたが(笑)

それが腕の良い左官の棟梁になって、今は孫までいます。

それにくらべ自分は、今だにチヨンガー(笑)

それにしても左官の棟梁は筋が良くて素質があったんだろうなと思う。

自分だってやれば出来るかもしれないれど、多分仕上げの綺麗さが筋として出るのでしようね。

もし素質があっても努力しないと、才能は開花しないのだろうなぁ~

才能は努力あっての才能なのだからなグッド!


そう気のエネルギーを感じる方もいれば、感じない方もいますからね。

西洋医学だけがすべてだと思っている方が結構多いのです。

でも、霊の影響で病気の現象、感情の病気、カルマの影響もあるんですよ。

信じる者は救われると言うことわざがありますが、

もしかしたら信じられなくなっているのは、宗教での問題やカルマの影響かもしれませんね。

実は気質はカルマの影響があるのです。

そう性格に現れているのです。

いくらうわべを繕っていても、土壇場になると本性が現れるのです。

苦しい流れ作業などしていれば、一発で解ると思います。

子供のような純真無垢な心でなくては天には戻れないのでしょうね。

いつも言っている事なんですが、自己中を無くして動物習性をなくして

まあるい心を取り戻さなくてはなりません。

それには超作する事が良いのです。

損得感情を捨てて、行えばきっと財産宝物になるんですよ!!


マルコの福音書10章13節から16節まで(新改訳聖書)

さて、イエスにさわっていただこうとして、人々が子どもたちを、みもとに連れて来た。

ところが、弟子たちは彼らをしかった。イエスはそれをご覧になり、憤って、彼らに言われた。

「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。

まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません。」

そしてイエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。


それにしても多分、自分みたいな見た目の者は、スピ系していると言うと信じて貰えないのだろうねニコニコ

何処に行っても独身だとバレたら若い時に遊び過ぎ、選び過ぎたと信じて貰えない。

実は自分は遊びも選んでもいなかったのです?

まして不倫も二股などもしていないのです。

どちらかと言うと、お付き合いは相手から言われるのが多かったと言うよりも

友達からスタートするのが、自分には良いのです。

でも、相手を信用するまでは交際してとは絶対に言わないのです。

それで相手から交際してと言われる事が多かったのです。

それと霊能者や占い師さんなどは、やはり凄いなぁと思いますね。

あなたは受け身だと指摘された事がありましたねしょぼん

普通の方は解らないと思うけど、隠していても解るのですね。

そう結構受け身なところがあるのです。

基本的には二人三脚なのです。

同じ方向を進んで行くと進むんだけどね。

足取りが合わなかったりすると、前に進まない。

それでおじゃんになった事がいっぱいありましたね。

だけどもこれが良かったと思っているのです。

何事も自然でいないとね。

無理して摩擦があったりしても、うまくいかないですからねグッド!

こういうところが掴みどころない奴と思いわれているのかもしれませんね!?


でも小屋の解体と屋根ふき替えしたのだけど、この家は自分の家じゃあないのです。

実家の母の建物

田舎だから土地は広(200坪)?家も古いけど少し大きい。

その一角に4畳と廊下1畳に自分の寝床とがあります。

ほんと小さくて、不便ですが、

他の方なら、きっと広い部屋にしていたと思います。

自分は偶然、この良くもない部屋で!?

でも、この部屋でクンダリ二―覚醒、明けの明星体験をしました。

多分、広い部屋なら難しかった。

広ければ良いというもんじゃあない。

丁度良いと言うスペースがあります。

明かり過ぎても、暗く過ぎても

広すぎても、狭すぎても良くない。

禅のお坊さんなどは2畳あれば幸せだ聞いた事がありました。

なるほどと思いましたね。

外では自然の野鳥の声、犬の遠吠え

心地よいそよ風、その自然の中で座る

だからこの場所を選択して生まれてきたと思っているのです。

母屋とはなれに廊下を付て、スロープを自分で作った。

それを見た大工の棟梁が、おまえ大工になれるよと言っていた。

まぁ~冗談と思うけど我ながらうまくできた。

やはりぬすと根性みたいなもので、お金をかけたくないチョキ

大工ができて自分ができない事はない。

こんな気持ちが根底にあった。

話はちがうけど、悟り見性の事なんだけどね。

自分はこんな考えを持っていました。

お釈迦さまがたった一人で悟りを開いたのだから、自分だって出来る。

お釈迦さまも自分達と同じ人間、おそれおおいい事かもしれないけど、こんな自分の勘違いが、

悟り見性)を引き寄せる事になった。

幼少の頃に、自分は奇跡体験をしました。

だから、奇跡が起きるのは当たり前、そんな思いがいつも心の中にはありました。

ほんと勘違いは怖いですね(笑)

クンダリニー覚醒も数回で、その後短期間で明けの明星も

悟り(見性)はたった一回の接心で開く事ができました。

神道のお兄さんに昔、おまえは怪物かと冗談で言われましたけどね。

ほんとごくごく普通の者で、何も秀でているものはないのです。

ほんと冗談のような生き方をして来ました。

それは神仏が見せているだけなのですねパー

プロポーズも一回もした事がないし、それがもう人生の後半をとっくに過ぎましたよチョキ

このようにちゃらんぼらんな人間でも出来ると言う見本みたいなものです。

多分そのちやらんぽらんなところが良いのでしょうね。

他から見れば、あいつに出来て自分にできない事はないと思うかもしれないからね。

自分としてはそこを狙っているかもしれませんよニコニコ
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若い時に筆舌に言い表せないような波動を感じた。

瞑想中に暗闇の湖の中に焼石を投げ込んだ時に散りばめられたような光が広がっていく

時がとまったように潮騒が引いては寄せる波

そんな神界の波動は琴をかなえるような音と共にやってきたグッド!

そんな祝福の中で魂が震え涙がしたたり落ちて、もう~自分の人生はいらない。

他の方の為に使ってください。

無意識状態の中で祈っていた!?


マタイによる福音書 7章7~11節

求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。

門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。


生きて行く価値を見出せない者に、もどかしさは常について回る

何をどう思っても心の渇きは癒せない。

クンダリニー覚醒も悟り(見性)も明けの明星もいくら奇跡体験しても心の空白を埋める事は出来ない。

残りの持ち時間にいったい何をどうすれば、心の空白を埋められるのだろうか?

生きているうちは無理なのかもしれない。

この世が終わった時に良かったと思えたらそれで良いのかもしれない。


アシュタールはあなたはアッと驚く事をするのですと言っていた。

それはエゴではない。

より大ければ大きいほどよいのです。

それによってあなたの周りの波動が高くなる。

それはあなたの為ではない、地球の為、宇宙の為になると言っていた。

今後とも地球をよろしくと言っていた。

こんな出来の悪い自分に期待されても、期待外れになるかもしれない。

自分の大元と言うか?

本体なら、まだしも自分には少し荷が重すぎる。

残り時間に何をどうすればよいのか?

自分に出来る事は奇跡体験は誰であっても体験できると言う事を伝える。

それとカルマを開けて、自分が奇跡体験して乗り越え見本を見せる事なのかもしれない。

どうしようもない底辺と言われている方の為になれる事を見本を持って示す。

でも、口ではなんとでも言えるしょぼん

誰もが無しえなかった事、尻込みする事を魂は設定して来たようだ。

だからそうたやすくはない。

それには健全な精神、健全な肉体を持ち合わせていないと無理。

この事はカルマを開けてから随分思い知らされたガーン

そうでないと今回の転生では無理かもしれない。

もし途中で命がなくなったら、続きは来世に持ち越しになるかもしれない。


自分は使命も役割もどうでも良い。ごく普通の誰もが通って行く体験はしたいのです。

何者にも縛られる事もなく、何者にも惑わされる事もなく

自分がしたい事をしていくだけ、そうは言っても胸には書き消しても書き消せない炎があるパー


伝道と言う目的だけがゆいつ慰め

その為に奇跡体験は自分にとっては比喩なのです。

ぼろ布で纏った乞食坊主が華やかな舞踏会パーティーの中に歩いて行くようなもの

みすぼらしいぼろ布を纏っている乞食坊主が華やかなパーティにいるのは似つわしくない。

そんな人生もあるのかもしれないけどね。

今度生まれて来る時があったなら、もっと知恵を持って心の教えを説く事をしたい。
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進化の過程では、自分が失われて無意識の中の別の赤の他人が出現するような事を言っていた宗教家の方がいました。

実はそんな事はなかったのですが、そんな宗教家の方が言っておられたから

少しずつ殻が(想念体の亀裂)破れてくると自分の存在が失われてきて、

別の何者かになるようで少し怖かったショック!

自分を明け渡すのは、自分の存在自体が失われるようなもの

後に解った事なんだけどね、本質的なものは何も変わらなかったパー

そんな事があって、自分が体験して何でも鵜呑みにする事は非常に危険だと思いました。

たとえ何万人の信者さんがいる創立者や、また本山の老師であろうとも何でも鵜呑みにする事は危険だと思いました。

自分が体験して初めて、理解ができ知ると言う事に繋がってきますグッド!


ある宗教団体の信者さんなどは真理のペーパを暗示して、試験を合格したらそれで同等の霊格が付くと言っていました。

教団がそのような教えかどうかも解らないけど、これなどは絵に描いた餅

いくら食べたくても、絵に書いた餅は食べれない。

本物の餅を食べて体験して、初めてどんな味か解るのです!!

だからいくらペーパをまる暗記したところで、何も体験もしないで知ると言う事はないのです。


ほんと初めの頃は未知なる領域で、自分の前には道がないけど、

自分の後ろに道ができるという状態、自分で開拓して体験して知ると言う

何事も体験しないと本当意味で知ると言う事はできないけど、

なんだか自分自身の存在が失われていくようで、怖い思いをした事がありました。

今なら死んでも死なない命を生きろと言う意味も理解していますが、その当時ではほんと自分の存在が失われないか不安でした。


座蒲の上で死にきれと良く言ってたもんだと思います。

自分の存在が失われていくそれは死に通じるようなもの

死に対して、不安を持っている方はこのように自分の存在が失われていくのに対しての恐怖があるのでしよう。

生きているうちに死んでも死なない命を生きると言うこの大切さを理解する方もまた少ない。
三体一体の言葉を使うのは適切かどうか解らないですけど、神仏、師、我 三つのものが一つになること

どれ一つ欠けても悟り(見性)成就はできないと思います。

やはり開ける方はあらゆる時代に修行して来たみたいですね。

だからと言って、今世が悟り(見性)成就ができないと言う事はないと思いますパー

誰であっても 求めるものは可能性はあるのです。


マタイによる福音書 7章7~11節

「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。

だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。

魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。

まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。


人間は神の子、すぺて平等に神性が備わっているのです。

それと悟り(見性)をしたからすべてが終わりではないのです。

その後が大切なのです!!

神仏のご加護、師の恩恵によってのみ開ける事になると言っても過言ではないと思っています。


自分は座禅道場でたった一回の接心で開かせて貰いました。

これは非常に稀な部類に入るのかもしれません。

後にも先にもたった一回で開いた者がいると聞いた事はないのです。

それが出家ではなく在家として、普通の生活をしながら接心に参加したのです。

これがどんなに稀に見る体験であるかどうか解ると思います。


時の始まりからから現在まで、いくどなく沢山の修行者がいました。

それでも正道を歩んで修行され、素質のある方が悟り(見性)体験をされたと聞きます。

それは伝説の中で言い伝えられているものですから、そんなに簡単に体験できるものではないのです。

自分の体験上、師が居ない方は開く事は難しいと思っています!!

神仏に導かれ、師の恩恵によって開かさせて貰ったのです。


あらゆる情報が飛び交い粗い波動社会の複雑な世界に居ては、到底無理のように感じがします。

だから出家して、社会と遮断して修行して行かないとなかなか開く事はできないと思いますが、

在家として、開く事はなお奇跡中の奇跡なのかもしれません。

だからこそこんな自分に体験させてくれた神仏や師には並みならぬ思いを持っているのです。

それに神仏や師には御恩を報いる為には、自分は何をしなくてはならないか?

神仏に貰ったものは神仏に返さなくてはなりません。

それが自分にとって神仏に報いる恩返しにもなると思っています。

自分が体験した事は非常に稀な部類に入るのかもしれません。

でも、こんな自分は素質はなく、エリートでもなくインテリ―でもない自分が体験できたと言う事は、

誰であってもそんな体験が出来るのですグッド!

それを見せているのが神仏なのです。

だから古庵が偉い存在ではないのです。

こんな古庵でも体験出来たのだから、他の方はもっとうまく出来るのです。

ただ、自分の体験した事を宗教と決めつけないでほしいのです。

一回きりの人生なら何も言いません。

もし輪廻転生があるのなら、心の進化成長は欠かせないのです。

自分はカルマの巣というものをを開けているから、心の成長がいかに大切なのか良く解っています。

だからあまり宗教とかスぴ系に囚われないで、調和と安らぎのある人生を歩んでほしいのです。

その為には真理を実践して行ってほしいと思っています。

心の手綱をしっかり持って、正道を歩んでください。

また真理と言う言葉を使えば、あまり良くないイメージを持たれてしまうかもしれませんが、

真理とは自然の法則にかなっていますから、幸せになりたいと思ったならまず真理を実践してください。

この世に生まれて富繁栄を築いても、そんなものは一時的なものです。

この世はあっと言う間に、過ぎ去ってしまうものです。

次の世界に持って帰れるものは、想念体に刻んだ記憶・思い行いしかないのです。

その為には自己中心的な我を捨て、動物習性を取り除いてデコボコした心をまあるい心にしていかないといけませんパー

本当の成功法則は、天の蔵に徳を積む事こそが本当の成功なのです!!


2014-06-28 10:00:23 光のかけ橋
テーマ:心の世界と繋がる癒しのエネルギーブログ

黄檗禅師は思念をやめ思慮なくせば、仏は自然現れると説いていますね。

精神集中に集中と言う言葉が妥当かどうか疑問ですが!?

精神集中と言えば、一生懸命に目の前にある壁を睨み付けている事が精神集中だと頑張っていた方がいました。

実際は精神集中している自分をも対象をポンと捨てないと開けてこないのです。

これは壁を睨み付けている頑張っている自分をも捨てないといけないと思います!!

禅的には正しい坐相をねらって筋肉と骨格で、思いを手放し

雑念にふりまわされず、祗管打坐して行く事が大事だと言う事になるのではと思います。

また、マントラを捉えている方は、雑念を捨てて、マントラに成り切る事だと思います。


精神集中に集中できている自分をも対象をポンと捨てないと開けてこない

集中できている自分もポンと捨てないと、悟りの手前までもう少しと言うところまで来ている状態なのに

元のもくやみになってしまいます。

それには神仏のご加護・師の恩恵なくして到底達成はできないと何回も自分は言っていますが、

体験すればきっと理解ができると思いますよ。

自分一人では到底達成できないと後からつくづく思い知らされますね。

これは宗教だからと拒否反応をしめす方もいると思いますが、そういうものだとしか言えません!

正しい坐相をねらって、思いを手放し雑念にふりまわされず、続けて行くと、

普通の意識状態を超え、意識の限界に達した時、意識の境界線を越えて、

最後に一瞬の飛躍があり、主体と客体の合一な体験をする事になるかもしれません。
バーソロミューの書物には、このように記載されていますね。

聖フランチェスコは病床で、心の境界線が少しずつ崩れ、高熱にうなされる状態のなかで、

聖フランチェスコは愛したいけど、どうして愛したらいいのか解らないというジレンマ・・・・。

全身が疑問のかたまりのようになって、何日も苦しみが続き、不安が増し、

イライラと絶望がつのり、もうすぐ夜が明ける頃、外窓の向こうで、一羽の鳥が鳴いたそうです......。

その鳴き声をフランチェスコは今までとは全く違うように聴こえました。

その鳥の歌声のパワーによって、ついに・・・・悟ったと言うのです。


自分の見解としては、フランチェスコはその鳥の鳴き声が今までとは全く違うように聴こえたとありますが?

※我をわすれて、そのものそれになりきった時、何らかの感覚の縁にふれて、

それまでに聞いていた鳥の声とは全く違った声として聞いたのです。

これは解るように説明すると、まぁ~宗教家でもない自分がこんな事を言うのはどうかなぁと思いますが、

誰も言う方はいないし、自分みたいなちゃらんぽらんな者だから言えるのでしょうニコニコ


自分の体験上、意識と無意識にある壁?

境界線が崩れた時にそのように感じると思います。

そのような状態になった時に現在聞いていた声や見ていた光景がまったく違がって見えたり聞こえたりするかもしれませんね。

本来は誰もが無垢な状態で生まれて来たのだけど、長年浸み付いて付着したものが、

少しずつ取り除かれて行った時に、ずっと今まで見ていた光景や聞いていた音がまったく違って見えたり聞こえたりします。

それは本来の自分を取り戻して行く時にそのように感じるかもしれません。

だから想念体かに亀裂が入らなくても、そのように感じてしまう事もあると思います!?


本来仏性を持ち合わせているのが人間ですパー

本来仏なのです。

死んで仏になるのではないのです。

だからそれを古庵は知っているけど、他はそれを知らない

あなたは知らないけど、私は知っている

その違いはあるかもしれません。

でも、それを知っている古庵だとしても偉くもないし、そんな事を体験しているから特別な存在でもないのですグッド!

ここを勘違いしたらいけません!!

無理なく真理が実践できた時に菩薩行が整ってくると高橋信次師は言っておられましたからね。

何もやりもしないで如来、菩薩ではないのです。

自称天使また如来、菩薩だとしている方は、それなら光り輝かなければならないと思いますよ。

そういった方は自分の幸せの為だけに生まれて来たのではないのです。

そのような方は教師として心の教えを解いたり、それに真理を実践して行かないと何もならないのです。

宗教団体の主催者や会長さんなど見ていると、おかれている環境に惑わされ、

愛人を作ったり財をなす事ばかりしているようで、マスコミに取りざたされていたりしてします。

ほんとうに残念でならないしょぼん

一部の偽り者の為に真理が穢され歪められ、手垢のついたものとしてスぴ系全体が妖しいと思われてしまうのです。

そういった方はほんとうに目覚めているのか?

悟った者か疑問ですグッド!

他人はどうであれ、自分自身の環境を受け入れ、その環境の中でどう行動するか?

試されているのでしようね。

自分を見失わず、神と共にいる。神と一つと言うように実践して行く事がなによりだと思います。

それには自分の心の手綱をしっかり持っていかないといけませんねグッド!


話はそれましたが、フランチェスコは偉大な聖者です。

でも、たとえそうであっても、我々と同じ人間です!!

誰もがフランチェスコの足跡を辿って行くならば、きっと同じような体験ができると思います。

準備が整った時に誰もが体験する事になるかもしれません。

それが今世になるか?

来世、来来世になるかは神のみぞ知るところだと思います。


精神集中が深まってくると次第に普通の意識状態を超えて、そういう心理状態が限界を超えて、境界線が崩れ

最後に一瞬の飛躍があって、その鳥の歌声のパワーによって、ついに・・・・聖フランチェスコは悟ったのです!?

またこうも言えるかもしれませんねパー

そのように一種の忘我状態になった時に想念体に亀裂が入って、エクスタシ―状態になり?

意識的な自分を超えるなにものかがあり合理的な考えだけがすべてではない。

そのものになりきって、(ものになる)ところに本来の自己が現れるものだと思います!

このように聖フランチェスコは苦痛の中から悟って行ったのです。

もがき苦しみその異常な環境がなかったら聖人にはならなかったと思われます。

たった一人で悩みもがき苦しみ全身が疑問のかたまりのようになって、悟りを開いたみたいです。

それをたった一人で、悟りを開いたとされる聖フランチェスコはやはり偉大なる聖者だったと思います!!
今からおよそ2500年前にお釈迦様が悟りを開かれて、

お釈迦様の悟りが修行僧の心から心にと伝わったと言われがあります。

実際は言葉や文字では、究極のところは伝わりませんパー

釈尊の教えの真髄は、文字や言葉では伝えることができないと思います。

お釈迦様が霊鷲山の集まりで、何も言わずに、蓮の花をすっとお示しになりました。

しかし、その意味は誰にもわかりませんニコニコ

その時に、それを見て摩詞迦葉尊者お一人がにっこり微笑まれました!?

この摩詞迦葉尊者ただ一人だけが微笑まれたと言うものでした!!

このお釈迦様が一輪の蓮の花をお示しになり、見てにっこりされたと言う事は、

お釈迦様の悟りが摩詞迦葉尊者の心に伝わっていったものだと思います。


心から心へと、直接体験によってのみ伝えられるとするのが、教外別伝の意味するところと言われています。

したがって、教外別伝とは教のほかに別に伝があるのではなく、

師から弟子へ、心から心へ直接の体験として伝えることみたいです。

また師から弟子へと伝承するというのは、弟子の目覚め(悟り)にほかならない とするのが教外別伝の内容と理解していいと思います。


弁道話の中に道元禅師はこう言っています。

インドや中国のような文化の優れた所に住んでいる人間は、悟る事ができるでしょうが、

国土も素質も劣った人でも悟る事ができるでしょうかと言う問いに、道元禅師はこう言いました。

人は素質の劣っている人も優れた方でも、区別なく等しく悟る事が間違いなく出来ると言うのですパー

仏法伝授する事は本当に悟った人を師匠にとせねばならない。

文字のせんさくに明けくれる学者は、師匠とするには不足である。

それでは盲が大勢の盲を導くものようなものです。


自分は後の為に残しておこうとか?

そんな烏滸がましい考えは持っていませんけど、神人合一体験は不立文字です。

自分が体験して、初めて理解ができると思います。

一種の三昧になって、神の力との合一がおこる

※対象になりきった自分をも対象をもポンと捨てられるかどうかに、悟りが開けるかどうかに掛っているのです!!
ヨモギでもクソヨモギと言うヨモギらしいですね。

葉っぱがニンジンの葉に似ているから、クソニンジンとも別名言われているみたいです。

そこらへんの道端でも生えているみたいだけどね、

自分はフットワークが軽いのかどうか解らないけど、早速畑に行きましたニコニコ

普通のヨモギはあるんだけどね。

クソヨモギと言う種類のヨモギはなかったから、仕方がないから普通のヨモギを自宅に持って帰って鉢に植えました。

それで知り合いの女性のところに、ヨモギ効用についてコピーして早速行きました。


逸る思いをして持って行ったんだけど、そうしたら子供が出てきました。

いきなりだったので、お姉ちゃんはいる?

あぁ~間違えたお母さんはいる?

今留守しているからと、実はこの娘は霊が見えて霊とお話ができる子みたいです。

この娘の母が古庵はスぴ系をしているような事を言った事がありますから、

古庵の眼をずっと見ていましたね。

自分はちゃんと見なかったんだけど、一瞬の眼差しはちょと暗いイメージを感じました。

眼は瞑想している眼ではなかった。

日本人形さんのような眼でしたね。

こういった方は素質を伸ばしていったら、拝み屋になれるでしょうねはてなマーク

それよりも波動を高くして、もっと高い次元を目指すようにしたら良いんだけどね。

話はそれましたが、クソヨモギや別名クソニンジンが生息している場所があるみたいだから、

そこらにある雑草や道端に生えてある草が、もしかしたらクソヨモギが自生しているかもしれません!?


ジュラさんの画像を拝借



よもぎが癌細胞を死滅


『Life Sciences, Cancer Letters and Anticancer Drugs』に発表された研究論文によれば、東洋医学(漢方)で古来から薬としてもちいられることもある、

ヨモギから抽出される、アルテミシニン(artemisinin)と呼ばれる成分が、健康的な細胞1つに対して、1万2,000個もの癌細胞を死滅させたと報告しています。

よもぎ

「アルテミシニンは、ただそれだけでも、健康的な細胞の約100倍もの癌細胞を選択的に死滅させることができるだけでなく、

抗がん剤よりも34,000倍も正確に癌細胞だけを死滅させることができます。」とワシントン大学の研究チームのリーダーであるヘンリー・ライ博士は言います。

ヘンリー・ライ博士のチームは、アルテミシニンの癌死滅能力を更に高めるために、癌細胞がもつ鉄分への食欲を利用して、アルテミシニンに鉄分(トランスフェリン)を結びつけた化合物を開発しました。

周りにくっつけたトランスフェリン自体はニュートラルな成分なので、癌細胞は疑いもなく化合物を受け取ります。

でも、中にはアルテミシニンが隠れているので、この化合物は、トロイの木馬のように、癌細胞の中に入り込み、癌細胞を破滅させるように効率的に働くのです。

この化合物は、既に特許を取得していますが、まだ人間への投与、つまり臨床試験には至っていません。

でも、ヨモギそのものは、非常に鉄分の多い野菜・ハーブです。野菜では2番目の多さです。

『鉄分の多い食品』 ヨモギから、わざわざアルテミシニンを抽出して、鉄分を戻すようなことをしなくても、

ヨモギそのものを結局食べたらいいんじゃないの?とホールフード(丸のままの食品)を食べることを勧めるホリスティック(代替医療)ヘルスコーチとしては、思わずにはいられません。

食品はちゃんとそれ自体で理に適った形で存在しているんです。

ひとつひとつ、ミクロ要素に分解して考える西洋医学と、全ての要素の融合体のシナジーで考える東洋医学・代替医療の違いなんでしょうね。

古代の人々が、アルテミシニンやトランスフェリンについて知っていたとは思いませんが、昔から薬として用いてきた草ですから、

生活の中で、ヨモギに健康維持の力、傷ついた遺伝子や遺伝子複製の誤り(=癌)を正す効果があることに、気がついていたってことですよね。

ヨモギの旬は4月下旬から5月上旬です
昔からブロック解除のメソッドは結構あるようですが、
もう少しブロック解除の事を知りたいと思われたなら、きっと役立つのではと思いますグッド!




ワンネスを生きる 単行本(ソフトカバー) ? 2016/1/19
アモラ・クァン・イン (著), 穴口恵子 (監修), 鈴木純子 (翻訳)
結構、アマゾンなんかで新しく本が出てきたら、面白そうな興味をそそる本は必ずといって見ています。

最近面白い素敵な本を見ましたから、このことに付いて自分の見解を話したいと思いましたニコニコ

その本を出されているテイチャーさんが言うのにはチャネリングとかは妄想と空想の延長線上にあるもので、

人の脳裏に写る映像がすべて確実なものだと気が付いている方がいるみたいな事をおっしゃつています。

それはそれで良いと思いますが、実はそれがすべて確実だと言いきれない思っています。

何故なら妄想や空想の延長線上にある事は解ります。

これは一部の方や優れている方などは、うまく対処できるかと思いますが、

でもその手法を使って試して見て、納得できる方はまた少ないと思いますグッド!

多分、ここで引っかかって前には進みにくいと思います。

何故ならチャクラの浄化についてあまり語っていないことです!?

そのティチャーさんが言われるのには、今まで何千人を超えて会って見て、チャクラの色を視える方は一人もいなかったと言われますが、

でも、それでもちゃんとチャクラの色を受けいられていると言うものです。

このテイチャーさんは優れているから、チャクラの浄化についてあまり語らなくても、

そのような現象を見る事が出来ると思います。


でもせっかく希望の光を持って、実践をして行った結果納得できない方がいるかもしれませんはてなマーク

その方には、自分はそれならチャクラの浄化について言いたいと思いました。

チャクラの浄化についてほとんど言っていない事ですからね。

今まで何千人を超えて会って見て、チャクラの色を視える方は一人もいなかったと言われますが、

またチャクラの事については、次の時にお話をしますねニコニコ


じゃあ~もしこの古庵がチャクラの色を見たと言うのなら、何千人の中の頂点の人間なのですか?

そんな事はありませんよ。

ただ勘違いだけはしないでくださいねパー

このティチャーさんが言うのには、チャクラは見えないでも、

それでもちゃんとチャクラの色を受けいられていると言うものですが

これは見えると視える違いがあるかもしれませんね!?

一部の霊能者さんや他の占い師さんなどは、それらを肉眼で見ていると言うよりも

脳裏に写る映像を視ているとおつしゃつている方が結構いるのです。


自分は実際どちらでも良いと思ってます。

どちらが優れているとか?

こっちのほうが偉いとか思いません。

オラーにしたって、沢山の方は脳裏に写る映像を視ると言うのが殆どだと思っているようですが、

たとえば花を見ていて、その周りを見て行くとオラーが肉眼で見えてくると思います。

これは沢山の方は肉眼でも見えると思います。

またろうそくに火を灯した時に、その周りの見たらきっと良く理解ができると思います。

それとあの有名な○原さんが言っていましたが、

暗い所で手を翳して手の指を見つめたりすると、その手の周りにオラーが見えるとおっしゃつていますね。

すくなくとも脳裏に写る映像が視えると言うよりもこれは肉眼で見えると思います。

でもね、肉眼で見ている方は結構いるのですグッド!


実はこんな事を言うのはあまり好きではないから、あえて言わないようにしています。

何年か前に縁日のお祭りがあった時に、ある風景を金色みたいなカラーのオラーを見ました。

この時に見たオラーは視ると言われているものではなくて、もう一つの肉眼で見ると言うものでした。

まあ、どちらにしたってどちらでもよいですがね。

それと自分は肉眼でチャクラを見た事があります。

瞑想中とかに丹田付近から水蒸気が立ちこめたり、そしてその下にあるチャクラ付近から真っ赤に燃えるような光

今でも沸騰して、爆発しそうなものを見て、そのチャクラ付近からジューと音と共に萎んで行くのを肉眼まで見ました。

それと明けの明星の瞬きの時にも、カスミ色?紫のような光が眉間に入り込み生きているアメバーのように変化したりしていました。

それからはもう二度と消える事のない眼になりましたね。

渦を巻いたような中心より少し外側には泡がいくつもあるような?

注入して来たと言うのが適切なのか?

どう表現していいのか?筆舌には表しにくくてね。

これが曼荼羅絵と同じようなんですね。

さすが遥か大昔に誰が描いたか定かではないようですが、

そのような体験をされて、曼荼羅絵を残されているのですね。

時空を超えて、自分の眉間の中に入ってきたのでしよう。

それと寝起きとか、瞑想中とかで、頭上がパッと明るくなったりした時には伝説話しを思い出しましたね。

これは秀吉を生んだお母さんが、秀吉が生まれた時は夜道でも歩く時には明るかったと伝説話が残されていますが、

なるほどと思いましたね。

外から輝いているように見える事も、実は内から外にほとばしっているように輝いていると思ったりしました。

あまりアニメのよう思われ事は心外なのですが、時にはそのような近い感じがする事もあります。


自分の身体が物凄いビームみたいに輝く時もあります。

太陽が一遍で千も輝いているような事を例えとおつしゃつている巨匠もいました。

この輝きは一体なんなのかと、人間とは何なのかとつくづく思わせる出来事もあるのです。

それともう二度と消える事のない第三の眼やいくつかの消えない音も持ち合わせています。

それでどおって事はありませんよ。

ごく普通に生きていますよ。

多分医者に言わせれば、難聴や精神異常と言われると思います。

またこんな体験を語れば、特別な存在だと思われたりしますが、勘違いだけはしないでくださいね。

面白い事に世間では負け犬だと見られている部類に入っているのですしょぼん
いつまでもシングルで所帯を持っていないと、信用もないのでしょうね。

まぁ~それが自分の役割りならそれで良いのです。

でも、いつまでもそこにいる事はできません。

アシュタールはそれを狙ってあなたは設定して生まれて来たという事ですから

この先は歓喜に溢れ飛び立つ鳥のようになりたいものです。

いつも言っていますが、体験はあくまで体験であって、高い霊性が身についていると言うのではないのです。

高橋信次師はこんな事を言っていますね。

八正道は己の心を中道という調和に引き戻す神の模範、心が自然についていける自分自身になった時に初めて菩薩の行が整ってくると言われています。

八正道も知らず、心の調和も為し得ない者には菩薩行は為し得ないと、高橋信次先生や園頭広周師がおっしゃる理由がまさにここにありますパー