がんと介護とうつの自習室           mana流楽しく学んでもっと楽に生きるコツ

59歳で咽頭がんになり、三大療法と代替療法で寛解です。その遠因は7年続いたレビー小体型認知症の母の在宅介護。そして、小児まひをした幼児期から始まった長い深いうつ病。全てを体験し、還暦を過ぎた今だからこそ見えてきた、より楽しく生きるコツをお伝えします。


テーマ:
あいさつ


笑いヨガ-1


笑いヨガ-2


貴さん-1


もうすぐ、2週間になってしまいます。
というよりも、すでに、遠い昔の出来事のようです。
とても楽しく充実した瞬間だったから、燃え尽きてしまったのかもしれません。

開催までは集客に四苦八苦でした。
なによりの誤算というか、悩みは、病院系がんサロンからの参加者がない事。
一番伝えたく、一番参加して欲しかった方々なのに、何がいけないのか…。
今までの病院系がんサロンとの関わり方も含めて、悩みが深まりました。

ただ、通院中の方々には、感染症が怖いから人ごみは嫌だという理由があり、
経過観察の方には、もう闘病中ではないから自分とは無関係という感覚があり、
さらには、自分ががん患者だと周囲に知られたくない、という方もいました。
病院での出会いならば、がんと特定されるわけではないので、ごまかせます。
「がん患者の集まり」のような場所には、参加したくないホンネが見えました。
もちろん、先約の用事があって参加できない方もいらっしゃいました。

どの病院も、好意的に参加を勧めてくれましたが、病院側の参加はゼロ。
こういう「患者側の世界」を知ってもらいたいと思っていたので残念です。
病院主導では見えてこない、患者達のエネルギッシュな世界があるのですから。
でも、個人的に興味を示してくれた病院関係者が、どこにもいたのが救いです。

あらゆる手立てを求めた結果、地元の新聞に取り上げられました。

新聞掲載



その前には、地元のFMラジオ番組のお昼の情報コーナーに出演できました。
「となりのおくさん」という10分間のコーナーですが、ありがたかったです。
集客できませんでしたが、誰かに「がんサロン」の話が届いたはずですから。
地元のユニークな名刺交換会にも参加してみました。
情報発信できる若いリーダー的な人たちにつながれば、いつかは広がります。

簡単に集客ができていたら、決してしなかったことです。
そのおかげで、当日は満員御礼の状態になりました。


                 にひひ


「ホ・オポノポノ浜松」らしく、笑いヨガからのスタートです。
リーダーのりおちゃんに合わせ、会場中に笑いの渦が広がりました。
会場は、広いテラスがあるカフェの「コキヤージュ」です。
カフェの外には、気持ちが良い緑の空間が広がっていました。

6np k

みんながリラックスできたところで、杉浦貴之さんの登場です。

口パク熱唱で大爆笑の後は、貴さんワールドへどんどん入っていきました。
笑いあり、涙あり、感動あり・・・

がん患者は明るく振る舞っても、気丈に頑張っていても、心は不安だらけです。
みなさんの「がんばりの壁」が、ポロポロと崩れていきます。
押さえ込んでいた不安が、がまんしていた苦しみが、涙になって流れます。

貴さん-2

もう頑張らなくていいよ・・・という歌詞に、涙があふれる人。
辛さはみんな同じ、わかっているよ・・・という言葉に、グッときてしまう人。
誰にでも素敵な未来はあるんだから!!・・・という「希望」に瞳を輝かす人。

静かに、それぞれの思いのままに、言葉が心にしみ込んでいくようでした。




佐野君

短いトイレ休憩をはさんで、後半は、盛り上がる歌が続きます。
でも、後半のスタートは、佐野信幸さんのピアノソロから。
アレコレの思いに揺れた心が、静かにリラックスしていくようでした。
その一呼吸のあとは、ドンドン盛り上がり、笑いヨガとジョイントして大騒ぎ。

腹芸


フィナーレは、みんなで歌って踊って、はしゃぎまくりました。
涙を流してすっきりした後は、命のパワーを吸い込むように、元気になります。

終演後に、杉浦さんのサイン会付きで書籍やCDなどの販売があったのですが、
杉浦さんがビックリするほどの売り上げになっていました。
みなさんにどのくらい喜んでいただけたのか、その数字でもわかりました。

私も、杉浦さんに、そして参加してくださった方に、感謝の気持ちで一杯です。
いろいろな事情で参加できないけど気持ちは参加!! の方のための百羽鶴です。

百羽鶴


ずっと、みなさんの気持ちとともに、会場に飾ってありました。
最後は、一番感動して、たくさんの涙を流した方にプレゼントしました。
これからの辛い治療を、笑って乗り越えていただけるように。



                 にひひ


浜松はがん特区だから、病院主導のがん治療になりがちだと感じていました。
だからこそ、民間の治療情報や仲間作りが大切だと思ったのが始まりです。

小さくささやかに、楽しく、でも息長く・・・と思ってスタートしたサロンです。
思いがけない事で、浜松市内だけではなく静岡県内に告知する事になりました。

掲載されたのは静岡新聞なので、当日も富士市からの参加者がいました。
杉浦さんの関係で名古屋や渥美半島からの参加もありました。
「ホ・オポノポノ浜松」なのに、藤枝の方から参加希望がありました。

私の思惑以上に、小さなグループが動き始めてしまいました。
それで良かったと、今は思います。

それでも、あせらず、あわてず、楽しんでサロンを充実させたいと願っています。
次回はもう来週!!
7月5日は「ラドンホルミシス健康教室」です。
難しい理論ではなく、体験し、楽しみ、そして、正しい基礎知識を学びたいです。
お時間がある方、参加できる方は、どうぞいらしてください。
「ホ・オポノポノ浜松」は、原則「がんサロン」ですが、病気で悩む方の場です。
今も、がん以外の難病体験者、がん以外の病気の介護者なども参加されています。

病気と折り合い、楽しく豊かな人生を過ごす方の「集いの場」になりたいです。

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読売新聞の「ヨミドクター」の6月5日配信の記事です。
タイトルは「寝たきり老人がいない欧米、日本とどこが違うか」です。
とても興味深い記事なので、シェアさせていただきます。
相変わらずリンクができないので、全文を後に掲載しました。


                  病院


私も自分の親の終末期介護・医療では、医師と少しもめました。
何もしないで自然な状態で看取る・・・
までは同じなのですが「何もしない」の内容に多少の相違がありました。

胃ろうや経管栄養などの延命措置は、もちろん拒否です。
そこは、医師も納得しました。
酸素吸入も点滴も何もしないでほしい・・・という私の要求に対して難色。
点滴くらいは必要、酸素吸入をしないと苦しむ・・・のような意見でした。

もちろん、自分の主張を貫きました。
母の状態が悪化した時に点滴をした若い医師をどなりつけたくらいです。

「点滴もしてくれなかった」と後で親族から苦情を言われることがあるので
点滴をした・・・というような言い訳でした。
また、直ぐに死ぬのではなさそうだから点滴で延命できると思った・・・
とも言って、正当性を主張しました。

それが余分なおせっかい!! 

と、私から厳しく苦情を言われた院長は、かなり憮然としていました。
その激怒のおかげで、母は二度と嫌な点滴をされることがなくなりました。
最末期には、穏やかな痛み止めを飲める範囲で飲む気休め医療でした。
本人が「治療している気分」になれる程度の効果です。
お陰さまで、とてもおだやかに、自然に、奇麗な顔で旅立ちました。

「自然死」を親にさせたいと思ったら、家族が闘う覚悟が必要そうです。

今の医療は薬漬けです。
私が激怒した医療機関は、訪問医療の専門病院で終末期医療のプロ集団を謳い、
自然な在宅死を請け負うようなPRをしている有名な病院です。
自然死への理解があるはずの医療機関でも、何もしない医療は難しいようです。
最後には、何もしないと利益にならないから・・・と、ホンネも出ていました。

医師の意識だけではなく、医療システムごと大変革をしないと、難しそうです。


                  病院


寝たきり老人がいない欧米、日本とどこが違うのか(1)
読売新聞(ヨミドクター) 6月5日(金)12時19分配信

 世界一の長寿を誇る日本は、医療技術が進歩したばかりに、高齢者が意識のない状態で何年間も寝たきりになる国でもある。読売新聞の医療サイト「ヨミドクター」でそんな状況に疑問を投げかけ、反響を呼んだブログ「今こそ考えよう 高齢者の終末期医療」。このブログに大幅加筆して、『欧米に寝たきり老人はいない―自分で決める人生最後の医療』(中央公論新社、税抜き1400円)を6月10日に出版する内科医、宮本顕二・礼子夫妻に話を聞いた。(ヨミドクター編集長・岩永直子)


「高齢者の延命問題を一緒に考えたい」と話す宮本夫妻(札幌市の自宅で)
 ――なぜこのテーマで書かれたのですか?

 夫妻「日本では高齢者が終末期に食べられなくなると、点滴や経管栄養(鼻チューブ、胃ろう)で水分と栄養が補給されます。本人は何もわからないだけでなく、とても苦しいたんの吸引をされ、床ずれもできます。栄養の管を抜かないように手が縛られることもあります。人生の終わりがこれでよいのだろうかとブログで発信すると、多くの読者から体験に基づいた切実な意見が寄せられました。これを本にして多くの人に紹介し、高齢者の延命問題を一緒に考えたいと思いました」


 ――ヨミドクターのブログ連載は、非常に反響が多かったです。なぜこれほど関心を集めたと思いますか。

 宮本礼子「多くの人にとって切実な問題となっているからだと思います。たとえば、私の認知症外来は、家族の方も一緒に診察室に入っていただきます。そして、お話しできる患者さんには、『将来、食べられなくなった時に、胃ろうや鼻チューブで栄養を補ってほしいですか』と聞きます。一部の患者さんは『わからない』と言いますが、多くの患者さんは『そんなことはされたくない。そうなったらもうおしまいだわ』と言います。その時、家族も必ず自分の希望を言います。『私も望まない』と言う人ばかりです。『尊厳死協会に入っています』と言う人もいて、皆さん関心が高いです。『自分の親は何年も胃ろうで生きていて切なかった』という人もいます。そういう人は、意思がより強固です」。

 「そして、マスコミの影響もあるのでしょう。何年も前から胃ろうの問題はあちこちで取りあげられるようになってきました。また、胃ろうや鼻チューブや点滴の高齢者があまりにも増え、必ず誰か知り合いに使っている人がいます。関心を持たずにはいられませんよね」

 宮本顕二「多くの人が80歳、90歳まで長生きするようになり、寝たきり老人も増えました。同時に、そういう姿を見ている人も増えているのでしょうね。そして、考えるのではないでしょうか、「自分の親にはどうするか、自分の場合はどうするか」と。


 ――終末期の高齢者に延命治療が普通に行われる背景に、どんな状態でも延命すべきと思い込んでいる医師が多数いると書かれています。先生方は問題意識を持つ前は、どのような対応をしていましたか。

 礼子「医学生時代は終末期医療の教育を受けませんでした。医療現場では終末期医療について、先輩や同僚と話をすることはありません。そのため、延命に対して問題意識を持つまでは、点滴や経管栄養を減らすとか、行わないとかは考えもしませんでした。むしろ、脱水状態や低栄養にしてはいけないと思っていました。終末期の高齢者だからといって、医療の内容を変えることはしませんでした」

 顕二「僕が研修医の時は患者が亡くなる時まで濃厚な医療をやっていました。たとえば、がん末期の患者が亡くなる時は心臓マッサージをして、同時に人工呼吸器を付けるのは当たり前でした。当然そうするものだと思ってやっていました」

 礼子「ただ、高齢者は体力が違いますから、大腸の内視鏡とか、胃カメラとか、検査に耐えうるかどうかは、考えて決めていました」


 ――患者の家族の方でも、延命医療を望む人はいるのではないですか?

 礼子「最近はいないですが、以前は、家族の中には、『他の家族が着くまでは生かしておいてほしい』と言う人がいて、心臓マッサージを家族が来るまで続けたことがありました。また、最近でも『生きているだけでいいから』とアルツハイマー病の終末期の患者に、経管栄養を希望する家族もいます」

 顕二「家族からの要望は、病気によっても違います。がんだと、結局亡くなるのだから延命処置は意味がないと、家族は思っています。問題はがん以外の病気です。がん以外の病気で亡くなることに納得できない家族が多く、延命処置を望む人は多いですね」


 ――2007年にスウェーデンに終末期医療の視察に行かれて、先生方の意識も変わられたのですね。何が一番印象的でしたか。

 礼子「スウェーデンが初めての海外視察だったのですが、食べなくなった高齢者に点滴も経管栄養もしないで、食べるだけ、飲めるだけで看取(みと)るということが衝撃的でしたね。脱水、低栄養になっても患者は苦しまない。かえって楽に死ねるとわかり、夫と私の常識はひっくり返ったのです。そして施設入所者は、住んでいるところで看取られるということも、日本の常識とは違うので驚きました。視察先の医師も、自分の父親が肺がんで亡くなった時に、亡くなる数日前まで普通に話をしていて、食べるだけ、飲めるだけで穏やかに逝ったと言っていました」

 顕二「日本では、高齢で飲み込む力が衰えた人は、口内の細菌や食べ物が肺に入って起きる『誤嚥ごえん性肺炎』を繰り返して亡くなることが多いです。誤嚥(ごえん)性肺炎の論文もほとんど日本人の研究者が書いているのです。当時も今も誤嚥性肺炎対策が高齢者医療の重要なテーマです。この誤嚥性肺炎について、スウェーデンで尋ねたら、『何それ?』ときょとんとされたのが衝撃でした。スウェーデンでは、誤嚥性肺炎を繰り返すような悪い状態になる前に亡くなっているので、あまり問題にならないのです。延命処置で病気を作って、かえって患者を苦しめている日本の現状を強く認識しました」


 ――日本の終末期医療とは全く違うと感じたのですね。

 礼子「180度違いました。日本は終末期の高齢者であっても、医療の内容を変えることはありません。一方スウェーデンでは、緩和医療に徹しています」

 顕二「肺炎でも点滴も注射もしない。それは日本とは全く違うので驚きでした。スウェーデンは、当初、認知症治療がどうなっているのかを見るのが目的だったのです。しかし、終末期医療の違いにびっくりして、次のオーストラリア視察は、終末期医療の視察に目的が変わりました」

 礼子「オーストラリアに行った理由は、緩和医療に熱心に取り組んでいる国と聞いたからです。しかし正直なところ、スウェーデンがあまりにも日本と違うことをしているので、スウェーデンだけが特殊な国ではないかと思い、他の国の実態を確かめに行ったのです。そうしたら、日本のほうが特殊な国だった。ただ、よく考えてみると、日本も昔はスウェーデンと同じで、食べられなくなった高齢者はリンゴの搾り汁を口に含む程度で、家で穏やかに亡くなっていました。昔の日本の終末期医療は、今のスウェーデンやオーストラリアと同じであったことに気がつきました」

 顕二「スウェーデンに行った時、研修医の時にお世話になった、ベテランの副院長のことを思い出しました。僕ら研修医はがんがん延命処置をするわけですが、副院長は当時の僕から見たらのらりくらりで何もしない。しかし、僕ら研修医が手を尽くした患者さんが亡くなった時、その患者さんの状況はというと悲惨なのです。血が飛び散って、点滴によるむくみもひどい。だから、看護師が家族をいったん外に出し、患者さんの体をきれいにしてから対面させたものです。一方、副院長が看取った患者さんは皆きれいで穏やかでした。当時の副院長の思いが、今になってわかりました」

 礼子「帰国後に、以前勤めていた病院で報告会をしたんです。その病院は、99歳でも胃ろうを作るし、終末期であっても人工呼吸器をつけたり血液透析をしたりする、スウェーデンとは正反対の病院でした。点滴や気管に入っている管を抜かないように、体がベッドに縛り付けられる患者さんの姿に、『年を取るのが恐ろしい』、『このようなことが許されるのか。医療が高齢者を食い物にしている』と怒っていた看護師もいました。そのためか、私の報告に対して、現場の看護師から称賛の声が上がりました。『私も年を取った時に、こういう亡くなり方をしたい』と。海外視察で、日本の高齢者の終末期の悲惨さは許されないことであることに気づき、この現状を変えるために何かしようと思い始めたのです」


 ――スウェーデン、オーストラリア、オーストリア、オランダ、スペイン、アメリカと6か国の終末期医療を視察し、その様子が本の中で詳しく紹介されています。無意味な延命治療をしないというプラス面も書かれていますが、必要な治療が受けられないなどの、マイナス面も書かれています。

 礼子「医療は過少でも過剰でもないことが理想ですが、その国の医療制度が反映されるので、その実現はなかなか難しいです。良いことばかりではないです。日本ならば助かる肺炎の患者さんも、この国では亡くなるだろうと思いました。そのため、諸外国のまねをするのではなく、日本の終末期医療のあり方を模索することが大事だと思います。

 顕二「海外の医療状況を紹介している本を読んでみても、いいことしか書かれていない。リハビリが素晴らしい、とか。でも日本のリハビリだって素晴らしいし、決して欧米にひけを取らない。そもそも根本から、終末期医療の考え方が違うということをこの本で伝えたかったんです」

 「延命処置をしないというと勘違いされるのですが、何もしないわけじゃない。延命処置はしなくても、緩和医療には手を尽くす。延命処置をする時間があったら、緩和医療に時間や人を割こうというのが、海外視察を通じて学んだことです」


 ――海外に比べ、日本は終末期の緩和医療はおろそかにされていますか?

 顕二「海外では、がん以外の患者にもモルヒネを使い、痛みや苦しさを緩和することを重視していますが、日本ではあまり使いません。また、日本では延命処置をしないことが緩和医療につながると理解している医療者は少ないです。点滴の針を刺したり、尿道にカテーテルを入れて、つらい思いをさせます。水分も過剰に投与するので、痰(たん)が多く、痰を吸引する苦しみを与えています。ストレスから消化管出血もよく起こします。誤嚥性肺炎を繰り返し、発熱や呼吸困難が起きます。問題は濃厚な延命処置を行って、患者を苦しめていることに気がついていない、あるいは気がついても目をつぶっていることと思います。その視点に立つと、日本では緩和医療がおろそかにされていると思います」

【略歴】
◆宮本顕二(みやもと・けんじ)
 北海道中央労災病院長、北海道大名誉教授。1976年、北海道大卒。日本呼吸ケア・リハビリテーション学会理事長。専門は、呼吸器内科、リハビリテーション科。「高齢者の終末期医療を考える会」事務局。

◆宮本礼子(みやもと・れいこ)
 桜台明日佳病院認知症総合支援センター長。1979年、旭川医大卒。2012年に「高齢者の終末期医療を考える会」を札幌で立ち上げ、代表として活動。

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がんサロンライブ


もう来週になってしまいました。

浜松で、杉浦貴之さんのLIVEを行います。
3月にスタートしたがんサロン「ホ・オポノポノ浜松」の設立記念イベントです。


                 あじさい


「ホ・オポノポノ」は、ハワイの幸せになる呪文です。
正式には「セルフアイデンティティ ホ・オポノポノ」といいます。
ハワイの女性に天啓があり、それを医師のヒューレン博士が普及したものです。
「ホ・オポノポノ」という言葉自体は、太古からハワイで使われていました。
幸せの呪文としての「ホ・オポノポノ」は、短い言葉に四つの意味があります。
「愛しています、ありがとう、ごめんなさい、許してください」という意味です。

それら全てが自分に向けて言う言葉・・・だということが、素晴らしいんです。

私は、私を愛しています。
私は、私にありがとう。
私は、私にごめんなさい。
私は、私(の中の神)に、許してください。

この意味を深く解説すれば、ヒューレン博士の1冊の本になります。
でも浅い意味でも、これだけの理解で、私は十分だと感じています。

がんになるようなときは、心身を酷使しているケースがほとんどです。
頑張り屋、完全主義者、優等生、気遣い屋、リーダー格・・・その他の状況で、
自分の能力以上のレベルで心身を酷使していても、気力でのりきろうとします。
そんな異常事態に身体がストップをかけたものが「がん」だとも言われます。
がんにならなかったら、そのまま、過労死に突入しているケースが多いとか。
そんな、自分を顧みなかった生き方の反省としての「ホ・オポノポノ」です。

自分の生き方を見直し、自分を癒し、自分を愛してがんを治そう・・・
だから、笑顔で、日々を大切に生きよう・・・

そうです。自分を愛する時には、笑顔がとても大切です。
笑顔は、それだけで治癒力を高めるとも言われています。

「ホ・オポノポノ浜松」では、笑いヨガをいつも行うことにしています。
笑えなくなってしまうのが、がん患者だからです。
作り笑いでも、笑うことを意識し始めると、がんに向かう気持ちが和らぎます。


                 あじさい


そんながんサロンだから、がんと明るく向き合う杉浦貴之さんのライブが最高!

杉浦貴之さんのライブを浜松で行いたかったのは、私の夢でもありました。
杉浦さんのライブへ参加して「生きる力」を得たがん友の夢でもありました。
そのがん友は、がんを克服したのに、治療の後遺症で卒業していきました。
いろいろな想いをこめて、今回の杉浦さんのライブの企画に至りました。

でも、現実は、厳しいです。
浜松のがん患者がシャイなのか、私の想いや言葉が重すぎるのか、はたまたケチか!!
浜松じゃチケット代が高すぎるて誘えない・・・飲み物付きで2500円ですけどぉ。
何人かから、そんな苦情や忠告が耳に届きます。
がん患者は人ごみに行きたくないから無理・・・という最もなご意見もあります。
感染が不安な時期に杉浦さんのライブへ駆けつけた私は「でもさぁ・・・」
杉浦さんのライブでは、マスク姿、車いす姿、帽子姿は当たり前なんですけど。

参加したくない人を、無理矢理に集めることはしたくない!!

そんな決意からスタートした集客ですが、現実の前に心が折れそうです。
でも、その苦境をFBで打ち明けたら、多くの方々がシェアしてくださいました。
思いがけない方々の、思いがけないほどのシェアでした。
疲れ切った心が温かくなりました。
実際に、参加申込をしてくださる方も現れました。

「がんのイベント」への根深い抵抗を感じていますが、明るい輝きも感じます。
二人に一人ががんになる時代です。
もっとざっくばらんにがんについて語り、励ましあい、元気になりたいものです。

あと一週間、がんを前向きにとらえる方々に情報が届くようにがんばります。
本当は、がんは辛い、怖い、嫌だと思っている方にそこそ、参加してほしいけど。
そんな方も参加できるように、みんなが楽しめる場を作っていきたいと思います。

がんサロン設立のライブは、「ホ・オポノポノ精神」で楽しみます。
成功を心配するのではなく、どんな形でもそれが「成功」だと信じたいです。
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テーマ:
黄色い花


昨日、新しいフェイスブックのグループを立ち上げました。
『がんサロン「ホ・オポノポノ浜松」』です。


                  てんとうむし


民間がんサロン「ホ・オポノポノ浜松」は、私が3月に立ち上げました。

病院系のがんサロンは、がんの拠点病院4箇所のうち3箇所にあります。
どのがんサロンも、通院に関係なく、がん患者やその家族ならば参加できます。
それぞれの病院が工夫し、さまざまな情報発信をしてくれています。
最近は、競争のように、より専門的ながん関連情報の発信をしています。
でも「病院」「西洋医療」という枠の中での話なので、限界もあります。

私が民間のがんサロンを立ち上げたのは、その限界をはずすためでした。
民間療法、代替療法、漢方療法、食事療法やその他のあやしげなものまで含めて、
がん患者の耳に届く「これで私は治ったよ!! 情報」は多岐にわたっています。
がん患者が知りたいのは、そんな「周辺情報」だと感じていました。
なぜならば、それらの療法こそ、自宅で実践できる毎日の治療法だからです。

そして、がんの経過観察になってからの長い時間を支える療法でもあるからです。

「暮らしを楽しもう」「笑おう」「自己治癒を楽しく」という言葉ではなく、
実際にそれを体験できる場が必要だと思ったからです。
みんなで笑わないと、みんなで楽しまないと、心から元気になれませんよね。
一人で鏡を見て笑っていると虚しくなるように、楽しみには仲間が必要です。

そんな思いでスタートしたのが民間がんサロン「ホ・オポノポノ浜松」でした。
その直後に母が亡くなって、波瀾万丈のスタートでしたが、やっと安定・・・
参加メンバーも少しずつ増えて、だんだん、活動したい内容が見えてきました。


                  てんとうむし


FBのグループ『がんサロン「ホ・オポノポノ浜松」』は、いわば後方支援部隊。
浜松市内にある、さまざまながん治療施設や、がん患者にやさしい施設や、
安心して食べられる食事処や、健康食品情報や、健康関連のイベント情報や、
おしゃれも、暮らしグッズも、音楽も、セラピーも、スポーツも・・・・・・・
なんでもかんでも、がん患者が楽しく暮らせる情報を発信したいんです。

一人では無理です。
口コミ情報に頼り、自分で体験して良かった事を投稿してもらう方法。
良くなかったと思う人の反論があっても、面白いですよね。
十人十色の意見が自由に飛び交えば、選択肢が広がります。

あるようでない情報だと感じています。
また多くのがん患者が喜べる情報は、他の病気の方にもお役にたつはずです。
そんな想いをこめて、誕生させました。

浜松で成功したら、みなさんの地域でもやってみてください。
楽しく暮らすには、愉快な仲間と、良質の情報が不可欠ですから ヾ(@°▽°@)ノ


例によって、FBとのリンクに失敗しています。
リンクしていませんのであしからず (_ _。)

https://www.facebook.com/groups/1445891889043587/?pnref=story


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藤


シュンラン27


シャクナゲ


ジャスミン


母が好きだった花々が、次々に咲いています。

クレマチス27


クレマチス-アカ


バラ-雨


黄色いあやめ


桜の中で満面の笑みを浮かべた母に、この花々が見えているのでしょうか。

「あらあ、キレイねぇ・・・≧(´▽`)≦」

空のどこかから、そんな、母の声が聞こえてきそうな感覚に囚われます。


                 黄色い花


20年以上の在宅介護を続け、数年前に長い介護生活を終えた友だちがいます。
最後の数年間は、半月の自宅、半月のショートステイだったようです。
ショートステイ中は、在宅介護の疲れが噴き出し、寝たきりみたいな生活よと、
会うたびに、いつもいつも、ぼやいていました。
友だちからいろいろと誘われ、魅力を感じても、何かする気力がわかないそうです。

私にも、体験があります。
在宅介護の最中は、もうすぐ帰ってくる親との生活が頭から離れず、それが全て。
留守中にいかに体力を回復し、温存するかが、一番の関心事になってしまいます。

だから、介護から解放されたら、あれをしたい、これもしようと、夢を語ります。
いつ終わるかわからない介護生活に疲れ切っているのに、
それが終わってしまうことへの本能的な恐怖感もあり、未来は複雑な気持ちです。

私も、そうでした。
母さえいなければ、介護さえなければ・・・という思いは、常にありました。
だから、介護地獄だと感じるし、介護うつになるし、現実的なストレスの嵐です。
この状態が終わったら!!
やりたい事が「山」のようにある・・・と、いつも思っていました。

その「山」の中身は、遠目に見ている山地のように、青く霞んでいましたけど。

友だちが語る夢も、やっぱり曖昧でした。
旅行へ行きたい、何か習いたい、老後の楽しみをみつけなきゃ・・・

介護生活から解放され数年たつのに、友だちは、今も同じ「夢」を語っています。

「だって、まだまだ疲れているんだもの・・・(-。-;)」


                 黄色い花


私も、今、同じ言葉をつぶやいています。
「だって、まだまだ疲れているんだもの・・・(-。-;)」

周りは、介護がなくなり、葬儀の後始末も終わったから、さっさと働けのビーム!!
家族や周りからの言葉ではなく、自分でそんなものを感じてしまいます。
表面的には、主だった手続きが終わっているものの、遺品整理などはまだです。
初盆もあるし、葬儀から続く「後始末」は、終わっていないと思いたい日々です。
何よりも、「物」以上に、心の中の遺品整理は、ごちゃごちゃのままです。

介護という「暮らしの大黒柱」が倒壊してしまったから、気持ちは崩壊状態。
生活のリズムが狂い、暮らしの基準が消え、多忙さが消えた今、ポッカリと穴!!

葬儀からの非日常的な多忙さが隠していた「現実」が、やっと見えてきます。
喪主としての裃をぬぎいてて、寂しさがじんわりとわくのも、今からかも・・・。

急がなくて良いと思っています。
日常生活を建て直すためには、新しい「生きる目標」が必要です。
日常の空白を埋めたくてジタバタするのではなく、じっくりと構えましょう。
新しい「大黒柱」を建てるのですから、しっかり探して、選ばないと。

この前、家屋のリフォームを紹介する番組で知りました。
築50年以上の、傾いた古屋のリフォームでした。
傾いた大黒柱を建て直すために、壁面まで解体しないといけないそうです。
土台を補修し、むき出しにした全ての柱をひっぱって起こす「屋起こし」。

心の「屋起こし」も、介護漬けだった今までの価値観や習慣を全て捨て去り、
自分の本来の柱だけにして、土台を固め、ゆっくり起こさないと。
そのためには、壊れてしまった心を見つめて、断捨離で整理する時間が必要です。

やっともどってき「自分の人生」なのだから、大切にしなきゃね(=⌒▽⌒=)


                 黄色い花


私は、友人に勧められて、母との介護記録を短くまとめてみました。
客観的に介護をふりかえることができ、心の整理に役立ったようです。
紙面に発表する・・・という緊張感があり、余分な感情に流されませんでした。
ブログやフェイスブックに、気持ちを少しずつ書いてみるのも良いかもしれません。

人の目を意識し、自分の体験を客観的に眺めると、違う視点に気づけるようです。
私は、大変な介護期間だったと思ったけれど、楽しみも多かったとわかりました。
あえて紙面には表現しなかった部分に、自分だけの思い出の宝物があります。

「特殊な介護体験記」という財産を与えてくれた「ヒメ」に感謝しています。


ベターケア
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