天使のはらわた・赤い眩暈(1988) | 日本映画ブログー日本映画と時代の大切な記憶のために

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天使のはらわた・赤い眩暈

1988年 にっかつ(製作:NSP)

監督:石井隆 主演:桂木麻也子、竹中直人


ロマンポルノのフィナーレを飾った石井隆監督作品。にっかつの劇場でこの映画を見たとき、最後の桂木麻也子のセリフ「まぁ、いいか・・・」というのが、にっかつの捨て台詞に聞こえた。


看護婦の名美(桂木)は疲れていた。恋人と同棲し、仕事もがんばっていた。そんなある日、ナースコールで呼ばれ、患者に犯されてしまう。傷心の名美は家に帰る。すると、恋人が別の女と寝ていた。乱心で飛び出す名美。そこに、車が追突してくる。運転していたのは、会社の金をつかいこみ、借金の電話に追われる村木(竹中)だった。倒れた名美を死んだと思い車に乗せる村木。しかし、気絶していただけだった。体を触る村木に抵抗する名美。しかし、しつこくする村木は、名美を廃屋につれこむ。そこで、話す内に、いろいろな物を失くしたふたりは妙な感情で結ばれる。体が洗いたいという名美をホテルに連れていく村木。そこで、ふたりは愛し合う。その帰り、車のガソリンがなくなり、ひとり買いにいく村木。しかし、そこで突然の死を迎える。廃屋で待つ彼女は、朝になって歩きだす。


さまざまな人のもつれから、いろいろなものを失くした男と女が出会い、結びつく。石井隆の「天使のはらわた」はそういう話だ。男たちはそれぞれの名美を妄想している。だから、女優によって、「それは違う」「これは近い」と勝手なことを言う。名美を演じた女優「水原ゆうき」「鹿沼えり」「泉じゅん」「川上麻衣子」「夏川結衣」など、・・・・。皆、個性がある、しかし私的には石井隆の絵とは違うわけで、納得はしなかった。そして、ここでの桂木麻也子も、少しカワイラシすぎる。もっと、乾いたものがほしいのだ。まあ、声のカワイサはそれでいい。肉体の貧しさもそれでいい。しかし、強さが足りない・・・。まあ、私の意見です。ほっておいてください。(もちろん、桂木に求められれば抱きますが)


話はたわいない話である。重要なのは、絡み合う内に心が通じてくる名美と村木の心象風景を映像に焼き付けることである。原作者でもある石井隆は、自分の絵と同様にそれを切り取ろうとしている。いつも通りに赤と青の照明を基調に、雨を使いながら、そこをえぐろうとはしている。しかし、映画としての完成度は今一である。ロマンポルノの時間の制約もあるだろうが、心が通じ合う部分の説得力がとぼしい。


竹中は、今一つ桂木に遠慮ぎみの感があるし、桂木も激しいまでに至っていない。結果が、映像に刻まれているということである。


だが、ラストシーンは大好きである。帰ってこない竹中を待っている桂木。元の生活に戻るしかないかと思う。壊れたカセットプレーヤーをいじると、そこから「テネシー・ワルツ」が流れてくる。スカートを翻し、それに合わせて踊る桂木。ストップモーションになって、最初に書いたセリフがかぶさる。ロマンポルノ、最後の名シーンである。


石井監督にじかに聞いた話だが、最後の「テネシーワルツ」はパティ・ペ-ジのものを使いたかったとの事。しかし、お金の問題でNGになったという。映画の中で楽曲のオリジナルを使うのは相当大変らしい。洋楽ともなれば考えられない値段がつくというのを聞いたことがある。ロマンポルノで使われる楽曲がだれかがカバーしたバージョンを使うことが多いのは、それが理由である。


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