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2011年04月26日

マラソンの話題にもどろう

テーマ:マラソン
このところ、ブログの記事更新はなかなかできなかった。
書くことは震災や原発のことばかりになってしまっていたし、何よりも走ることも大会は中止されるし、気力も失せるしで。
でも、ふと気づけばもう、隠岐の島ウルトラまで55日。2ヶ月をきってしまった。
ということは実質一ヶ月ちょっとしか鍛錬ができない。
いくら完走経験はあるもウルトラは天候やコンディションで大きく完走率もかわる競技だし、ピークをあわせないと本当につらい。(昨年は風邪病み上がりだったし、初めてのときはお腹不調で10回もトイレ行ったし)

ということで、約1ヶ月のウルトラ鍛錬をしっかりやりたいと思う。
が、
シューズがどうも具合悪い。というか、ほとんどがアウトソールが磨耗し買い替えタイミングが集中したということに尽きるのだが。

ウルトラの練習のために、厚底タイプのシューズで練習することが多かったが、最近は、比較的薄めでも走りやすい感覚ができていた。ナイキのシューズにしてからクッションの感覚が比較的自分にマッチしているのかもしれない。そしてたまに厚底を(たとえば、ナイキのルナグライド+2でも)はくと、どうも足がボタボタもたついて気持ちよくない。
それに、後半に足を引きずりだしてよけいアウトソールの磨耗が激しくなる。
で、早々にルナグライドのアウトソールの黒いゴムはへたっちゃったので、レース用のルナスパイダーをはいていたら調子はいいが、これも結局この前のロング走でアウトソールがはがれ出してしまった。

隠岐の島まで2ヶ月ないので、今新しいシューズにしても本当はギリギリでリスクが高いが仕方ないので、早々に新しいシューズを用意して履きこまないとまずい。

昨年、隠岐の島は天候がよくなく、どしゃぶりに近い雨も瞬間的にあった。そのためにシューズも雨の事態も予想して準備しないといけないし、一方、暑いと足もムレるから通気性のいいものを選びたくなる。
これがなかなか難しい。

あと、ウエア。
肌寒い、まだ朝日の出ない早朝から走り始め、日中の暑さを乗り越え、時に雨がふればカラダの冷えもしのいで約12時間動き続けなければならない。
ウエアやボトルポーチなど、カラダに身に着けるものはとにかく「擦れ」が一番気になる。走っている間は気づかないことも多いが、走り終わった後に、シャワーの水も痛むようなことさえある。
そのためには、十分着慣れたものや、擦れがあるようなものは事前にテープなどで予防しておかないと厳しい。

それから、携帯補給食などの準備。
これも、本番だけでは効果なく、事前に準備し、口にあうものや、同じ味で飽きないようさまざまなものを準備したり、ここぞというところでエネルギーパワーの強いものをいれたりと作戦も必要になる。

これらは、やはり数回のロング走をやって経験をしていかないといけない。

そしてなんといっても暑さ。
この暑さは、走って慣れないといけない。特に、冬から夏にかけてのこの時期はからだの水分調節機能がまだ冬仕様なので、熱さに対処していないのだ。だから徐々に慣れさせないと、熱中症や脱水にもなる。今年は、その絶好の練習としての「かすみがうらマラソン」が中止になったので、まだからだは冬のままの濃い汗が出る状態。早く、サラサラの汗にしなくちゃならない。


さて、今週末から本格的にロング走をやって準備するしかない!

と、盛り上がってきたところだったのだが、「大阪マラソン」は、落選。
なんだって本当に情けないくらい、こういう抽選に弱いなあ。これで東京マラソンから6連続落選。

ヘコむな~。
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2011年04月19日

原子力発電について考える

テーマ:20110311東日本大震災
「東京原発」という映画からのいちシーンである。
東京に原発を作ろうという話であるが、都庁で検討する場で専門家が原子力発電について語る場面である。



この映画は、非常にタイムリーだが今、認識をしっかりするためにも観ておくべき映画であると思う。

自分も知らなかったのだが、なんと日本の原子力発電の歴史は、なんと広島に原爆を落とされたあと10年も経っていないときに、スタートした。これは衝撃的な事実だ。

<以下、Wikipediaからの抜粋>
1945年8月、第二次世界大戦敗戦後、日本では連合国から原子力に関する研究が全面的に禁止された。しかし1952年4月にサンフランシスコ講和条約が発効したため、原子力研究は解禁されることとなった[1]。
日本における原子力発電は、1954年3月に当時改進党に所属していた中曽根康弘、稲葉修、齋藤憲三、川崎秀二により原子力研究開発予算が国会に提出されたことがその起点とされている。この時の予算2億3500万円は、ウラン235にちなんだものであった[2]。
1955年12月19日に原子力基本法が成立し、原子力利用の大綱が定められた。この時に定められた方針が「民主・自主・公開」の「原子力三原則」であった[3]。そして基本法成立を受けて1956年1月1日に原子力委員会が設置された[4]。初代の委員長は読売新聞社社主でもあった正力松太郎である[5]。正力は翌1957年4月29日に原子力平和利用懇談会を立ち上げ、さらに同年5月19日に発足した科学技術庁の初代長官となり、原子力の日本への導入に大きな影響力を発揮した。このことから正力は、日本の「原子力の父」とも呼ばれている。

このたびの震災で福島第一原発の事故が長引き、日本だけでなく世界的に影響を与えている。
もはや、国レベルの問題ではなく世界的、地球的な規模になっている。

原子力のしくみはある意味非常にシンプルで発電のタービンを回すためのエネルギー燃料として、水力や火力を使っていたが、その燃費効率のよさといったん燃え出すと延々と高熱で燃え続く(臨界)というちからを使っているが、所詮は水蒸気を起こしてタービンを回すので構造的には大きな違いは無いといえる。
しかし、その効率のよい原子力の「制御」が非常に難しく、また、使用済み廃棄物が、石油や石炭とは比べ物にならないほどの危険なものであるということだ。

そんなものを発明してしまった人間は、原子力を何度かの事故や危険をおかしながらコントロールしてきたつもりであったが、しかし自然の力にその制御能力を奪われてしまった。

この結果、相当国内的にも世界的にも原発への拒否反応が今後高まると思われる。

しかし、問題はこの原発と原発の残した廃棄物は延々と人間が管理継続していかないといけないものであるということだ。
要は、渡ってはいけない橋を渡ってしまった。もう後戻りができない事態に今きているということだ。

単純に、国内で原発を廃炉にして廃止することは不可能ではない。ドイツなどは大陸続きであることからフランスから電力を購入することで原発を廃止している。しかし、結局は、世界のどこかに原発がある以上、その脅威におびえ続けなければならない。

日本が原発を廃止することとして、しかしながらお隣の韓国でも台湾でも、中国でも原発はあるわけだし、日本でも廃炉にしたとしても延々と残る廃棄物や核施設の管理をし続けなければならないのだ。

そんな危険で、とほうもないものをスタートさせた当時の「中曽根康弘、稲葉修、齋藤憲三、川崎秀二」そして、それを推進した「正力松太郎」の責任は非常に重い。
さらに、そういうことを「政治的無関心」のまま放置してきた私を含めた国民の罪は大きい。

「東京原発」では、都知事が「約1億人の無関心な国民の責任」ということ叫ぶ。

資源の少ない日本において、多分に石油に依存して戦争になったことも反省し、わずかなウランで大きなエネルギーを生み出す原子力へ踏み込んだのだと思う。その結果、戦後の飛躍的な奇跡的な復活があったのだと思う。高度成長時代を築いたのは、実はこの原子力だったのだと思う。
しかし、その結果、今回の震災で初めてこの「悪魔の原子力の怖さ」を知った。
プルサーマルという仕組みは、非常に可能性の高い効率のよい仕組みのようだが、しかし、延々と本来地球上に存在しえないプルトニウムを作り続ける。それを、知っていたのか?
石油火力を使わないということで、クリーンネルギーのように思わされていたが、大量の温水を海に放出していたことを、知っていたのか?
この地球上の石油もこの40~50年で無くなるということと、原子力発電のウランも同じように枯渇することを、知っていたのか?
廃棄物として作り出されるプルトニウムがなかなか減らずさらに海外から輸入され続けるということを、知っていたのか?

全く、無知であること、無関心であることが この国や地球の問題を見えなくしてしまっていたのだ。いや見なかったのだ。

今、地球温暖化の問題以上に、この原子力発電の問題は大きな問題である。

もはや、無関心ではいられない。

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2011年04月11日

これからが大変なんだよ

テーマ:20110311東日本大震災
あの忌まわしい地震から一ヶ月後。
未だ痕跡が生々しい。

被害は大きくはなかったものの、住まいに地震の被害が現われてしまった土浦の両親、兄夫婦の住む家に見舞いに行った。

常磐高速道路は比較的空いており、道路の表面は多少修理場所はあったものの非常に滑らかにスムーズに運転し、約1時間半ほどで到着した。

しかし、両親・兄夫婦宅の屋根は問題ないものの、10件に1件くらいは、屋根のかわらが落ちていた。
$走りながら、食べて、聞いて、考えて!

外の壁にはヒビが入っていた。
$走りながら、食べて、聞いて、考えて!

そして、内側の塗り壁も、そのまま崩れていた。
$走りながら、食べて、聞いて、考えて!

そうは言っても、電気も水道もガスも問題なく電話もネットも完全に復旧しており生活に支障はない。
でも、毎日続く余震に年齢を重ねた両親はさすが疲れた様子であった。

こんな状況を知らぬ間に死んでしまえばよかった・・・
というようなコトバが出たが、まったくそういう思いでいる人が、今の日本に相当数いるのではと感じる。

これからが大変なんだ。
またゼロから、いやマイナスからスタートしないといけない。

いくら、がんばろう!とは、まけるなと言っても、やるほうは大変だよ。

やはり、東京などから、「励ましの言葉」なんて意味ないと感じたし、そもそも、現場は大混乱しているのに未だヘッドオフィスを東京から動かさない今の政治家にはあきれた。

しかし、
時は春。


$走りながら、食べて、聞いて、考えて!

こんな普通の生活があったんだよ。誰にでも。



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2011年04月08日

再掲

テーマ:20110311東日本大震災
がんばれ!斉藤和義!

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2011年04月07日

ずっとクソだったんだぜ

テーマ:20110311東日本大震災
2011年04月07日

ありがとう というコトバしか浮かばない。本当に、ありがとう。

テーマ:20110311東日本大震災
2011年04月05日

今日は入学式

テーマ:20110311東日本大震災
職場のあるところでは、入学式に向かう親子連れがたくさんいた。
どうか、どうか、この子達にも、素晴らしい明るい未来が待っているように・・・

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2011年04月05日

「I love you & I need you ふくしま」猪苗代湖ズ

テーマ:20110311東日本大震災


西田さんは、母校の先輩です。
阿武隈川が懐かしい。
夕日が懐かしい。

安積疎水の水がのみたい。

おいしい水なんです。

西田さんの最後の表情がたまらない・・・
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2011年04月04日

初のハセツネ30kは・・・

テーマ:トレイル
トレランはマラソンの練習のため・・・と思いつつも、とうとうレースに参加することにしたハセツネ30k。それも大会エントリーは締め切りも早いと聞いていたので、タイミングを見計らって最優先でエントリーしたにも関わらず・・・大会は中止。

ということで、大会はないけど、走りたい人は走ろうよ!というMr.ハセツネこと奥宮さんの呼びかけで、震災のチャリティーもこめて参加することにした。

前日は立川駅のホテルに宿泊。というのも、大会の際は前泊をしてそこから会場まで電車で行こうと思っていたので立川駅が便利だろうということで予約していたのだ。
しかし、結局、荷物も多いしまkegさんの計らいで会場付近の駐車場も核緒できるとわかったので、車で行くことにしたら、立川はけっこう遠かった。八王子のほうが楽だったみたい。

で、ホテルには駐車場はあるものの小さい箱で、朝7時でないと出庫できないということで付近の駐車場を捜したが、比較的安全そうな地下駐車場を発見しそこにとめた。
前日の夕飯はその駐車場のあるスーパーで購入しその駐車場料金も割引できたのでラッキー。

朝5時には目が覚め、買って置いたパン2つとバナナを食べて出発。でもこれでは足りなかったかも。
6時30分にチェックアウトして車に乗ってkegさんに教えてもらった集会所に行く。
7時20分ころについたが、ほどなくkegさんが着て、集会場の畳の部屋を使える。
また、続々kegさん中心に仲間が集まる。

そして、8時半ころには会場に向け出発。
大会は中止しているからそんな物好きは・・・けっこう、これがいて、300人くらいはいたかな?

会場では以前、奥宮さんの練習会に参加してた人も多かった。

9時ころに奥宮さんがスタート宣言。

でも普段のレースとは違ってわきあいあいの雰囲気。
ほどなく山に入る道に出て上っていくがけっこうはじめからばらつく。
山に入る手前で渋滞になるというので、あまりペースを落とさず踏ん張るも、渋滞になるような人数ではなかったし、そもそもみんなどんどん山道を進むので、渋滞にならないんだね。


まず自分にとっては第一の試練
「刈寄山」までののぼり。走れることはほとんどなく、しがみつきながら上る。
なんとか頂上までいけたがほんと、最初のこの山がキツい。
そして頂上からは急な坂が待ち構えているが、そこを走って降りれるほどのテクニックも勇気もなくなんとか降りる。

そしてあとはしばらく下り。
あっという間に入山峠に出る。復路でここを通るときに自分はどんな状態になっているかと思いながらも、ここで脚をつかったら持たないと思い、ほとんどキロ5分30秒レベルでゆっくりいく。
そして今度はのぼりが約4kmくらい続く。
前の下りでけっこう抜かされたが、逆にここでは自分が抜いていく。
のぼりは比較的大丈夫。隠岐の島で鍛えたせいかもしれないが、長いのぼりでも走り続ける気力はある。
ただ、これは決して最善の策ではなかったようで、再び林道にはいったとたんに脚が動かなくなる。
それからおねづたいに行くが、降りてはのぼりのぼっては降りるというキツイ繰り返しが何度も続く。

途中道に迷いそうなところもあり、以前練習でも間違えたのだが、今回は山岳会の人が案内板を立てていてくれたので助かった。一度も間違わずに走れた。
市道山の分岐を回り、このアップダウンを繰り返す。
相当バテる。

前後のいたランナーがどんどん減っていく。
それに女性ランナーにいともカンタンに抜かれる。
女性は強い。本当に強い。

前後にランナーがいるとなんとか自分も踏ん張れるが一人旅になると、ついつい歩いてしまう。
これが情けない。

トッキリ場の手前で、たまらず必殺 レッドブル!
万一へこたれそうになったら、と思い1本ザックに入れときました。これが効果あり!
ここからは再度、入山峠にもどり、その後今熊山に向かいますが、後半の元気回復に即効役立ちました。

何度か歩きますがでもまだ走れる、そんな感じでようやく今熊神社。
神社まできれば、もう大丈夫。
そこからはほとんど下り。
あっという間に変電所まで降りました。
途中、スタッフもいてくれたので安心して走れました。

そしてゴール手前で公衆トイレに立ちよりゴール。

奥宮さんやkegさん仲間が待っていてくれて楽しく、笑顔でゴールできました。

ありがとうございました。


走る終わると反省点がたくさんありますが、今の自分の実力はこの程度。
4時間24分(トイレ休憩抜きで22分くらいかな?)

次回、参加することがあったら、もう少しは更新できそうな気はしてます。
まあ、それだけ、けっこう気を抜いてしまったのかと。

この前後にどれだけのランナーがいたのか?かなりまばらだったので、きっと、自分が最後のほうだろうと思いましたが、でも、今回は、スタッフがちゃんと準備いただいていたので、本当に助かりました。

山岳会の皆さん。Kegさん、みなさんありがとうございました!

本戦・・・考えて見ます。



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2011年04月02日

谷川俊太郎 生きる

テーマ:20110311東日本大震災
谷川俊太郎

生きる   
                                     

生きているということ

いま生きているということ

それはのどがかわくということ

木漏れ日がまぶしいということ

ふっと或るメロディを思い出すということ

くしゃみをすること


あなたと手をつなぐこと



生きているということ

いま生きているということ

それはミニスカート

それはプラネタリウム

それはヨハン・シュトラウス

それはピカソ

それはアルプス

すべての美しいものに出会うということ

そして
かくされた悪を注意深くこばむこと



生きているということ

いま生きているということ

泣けるということ

笑えるということ

怒れるということ

自由ということ



生きているということ

いま生きているということ


いま遠くで犬が吠えるということ

いま地球が廻っているということ

いまどこかで産声があがるということ

いまどこかで兵士が傷つくということ

いまぶらんこがゆれているということ


いまいまがすぎてゆくこと



生きているということ

いま生きてるということ

鳥ははばたくということ

海はとどろくということ

かたつむりははうということ



人は愛するということ


あなたの手のぬくみ

いのちということ
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