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2011年03月31日

2011年3月を終えて

テーマ:いけん・ひとりごと
3月31日今月は激動の一ヶ月だった。
短いような長いような。でも、かなり辛い一ヶ月であったことは間違いなし。
11日に地震がありそれから刻々と災害が拡大し多くの犠牲者が出てしまった。
その後、ピタっと走る気力が失せた。
11日の金曜日の二日前にラン仲間とハセツネの試走に出かけたばかりであった。
まだ雪が積もって気持ちのよいコース、そして試走で満足した一日だった。
しかしながら・・・ちょうど48時間後にあの地震が日本を襲った。
信じられない状況だった。
ただ、電車の中にいたので、実際の地面のゆれを自分は感じていない。
きっと、すごい状況だったと思う。

それから、なんとか走らなくちゃと思い、走りだしたが結局、今月は走った距離は230km。そして自転車で職場まで62kmの往復。少ない時間でなんとかここまでは走れた。
ただ、その間にエントリーしていた大会が、次から次と中止になった。
板橋City、ハセツネ30k、かすみがうら。そして、とうとう仙台もだめになった。
気力的にももたない状態だから仕方ないと思うし、ましてや、被災地でやることはできないのは十分わかっている。

今後、まだいくつかの大会開催が予定されているが、マラソン大会を多くのボランティアや企業がサポートして開催され続けるようになるのか?正直不安である。

ただ、山道を自分の脚で自己責任で走るという、トレイルなどは今回の震災においてかなり役立つこともわかった。ギアも含め、ウエアやシューズや食料も。

明日から4月。

なんとか、楽しい笑顔であふれるそういう日が毎日続くことを願ってやまない。
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2011年03月25日

2031年の日記

テーマ:いけん・ひとりごと
2031年3月11日。
20年前の今日、私の住む日本で大きな地震と大きな津波、そして福島県の原子力発電所が壊れ大きな被害がでました。
当時、私は生まれたばかりで、お母さんは私を抱いて長い間避難所で暮らしたそうです。
そのあと、復興活動はめまぐるしくほぼ1年程度でほぼ8割がた復旧し普通の生活に戻ったと聞いています。
ただ、問題は電気と水、そしてさまざまな食物が手に入りにくくなったことです。

大きな問題は、原発の事故でした。
たくさんの放射性物質が漏れ出して、結局、原発のあった場所から周囲30kmの住民は住み慣れた土地を手放し、新しい場所で生活をしなくてはならなくなりました。
そして、その半径30kmの場所は鉄格子で仕切られ、あと10年は人間は立ち入り禁止とされています。
もう廃墟かジャングルのようになっているようです。

私のお母さんは住み慣れたその土地を捨てて、結局関東の西側の山に住むことになりました。
お母さんは、以前住んでいたところでも山仕事や農業なども少し手伝っていたので、山の中で生活するのには慣れていたようです。

福島から逃げてきたときに、東京や横浜などに住むところも用意されていたようです。国も私たちを放っておくことはできなかったみたいで。
でも、当時も、今もなお、1日の電気消費量は決められていて、特に電車や電気で動くものが多い都会では不便が多くて、だったら山の中で暮らしたほうがいいかもしれない と思って山に移り住んだそうです。

山ですから明かりもあまりなく不便なことも多かったのですが、少しでの電気でインターネットなどでいろいろ情報は入手できたので意外に快適だったように思います。

水は、しばらく関東や東北地方の水道水は飲めない状態でした。ですから、水を求めて西に西に移動した人たちも多かったようです。
それに食べ物も、野菜や魚もしばらく生ものは食べれませんでした。

そこで、この山の中で緑の森に囲まれたところに少しの田畑を作り自分たちの食料にしました。

ここまで生きてこれて自分は幸せです。本当に危機的な状況だったのに、お母さんは私を育てながら必死に生きてきました。ただ、お母さんはときどき「福島に帰りたい」といいます。
私は、あの鉄格子しか見たことがないので、どんな土地だったのか知りません。
お母さんは、「水もおいしくて、たくさん野菜や果物がとれて、それに鮭が川を上ってくることもあったんだよ」と教えてくれました。
そういいながら、いつも最後に、ふとさびそうにします。

お母さんには「ふるさと」がなくなっちゃったんですね。
自分も、「ふるさと」はどんなんだろうって思うことがあります。

ところで、この前、政府からこんな手紙が来ました。
この国には、プロトニウムという核廃棄物があるそうです。それがもう100トンほど。それをどう処理していいかわからず苦労しているらしく、せっかくあと10年で「ふるさと」に戻れるかと思ったのですが、あの鉄格子の中の土の中のずっと奥に埋め込むしかないということで、そのお知らせでした。
たいへんなお金がかるそうで、そのために税金も増えるということです。
もともとは、ウランを使って原子力発電をしたときに核廃棄物としてプルトニウムなどが残るそうなんです。それは昔はすばらしい物質で、高速???とかいうものができれば半永久的にプルトニウムを再生させることができて、まさに二酸化炭素も増やさず、クリーンなエネルギーなんだということで積極的にすすめていたということです。
ただ、なかなか実用化できず、結局、プロトニウムだけが残ってしまったようなのです。
これがとにかく扱いが難しく、一部MOX燃料で処理はしていきましたが、あの原発の事故で結局原発を廃炉にすることになり残った残骸が、このプルトニウムだけだったのです。

過去の政治家や研究者はその夢のような物質に期待し多額のお金を投じて作ったようですが、結局、その後処理は残された私たちになってしまいました。
そんな夢のような物質があるわけないんです。悪魔の物質です。

今日3月11日2時46分。
お母さんと福島のあるほうを向いてお祈りしました。
お父さんが亡くなって20年もたってしまったんですね。

(これはフィクションです。絶対そうであってほしいと思います)
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2011年03月24日

鎌倉天園プチトレイル

テーマ:トレイル
今日も元気に生きています。
昨日は鎌倉天園コースをノンストップで往復しました。
なんか無償に走りたかったんです。特に、常に足の置き場とか地面などの変化に対応するために頭を使う、集中力の必要なトレイルがしたかったんです。
(せっかく試走を2回も行い、準備してきた「ハセツネ30k」は、やはり中止になりました。残念なのは残念なのですが、でも、この状況下ではもし大会開催されてもどうもスッキリしないのでこれでよかったのだ と思っています。)
もし電車が通常どおりに動くのであれば、ハセツネコースに行きたかったのですが、近場の鎌倉天園コースで我慢することにしました。
港南台から建長寺の上までの往復はほぼ18km。
昨日もけっこう風も冷たかったので着替えなどももっていけばよかったのですが、電車で30分ほどだし、大丈夫だろうと思いそのまま走れる格好で出かけました。
港南台について、早速軽くストレッチをしてスタート。
アスファルトの道は脚が重い。
トレイルにはいると走れるかんじ。まあ、トレイルと言ってもこのコースの場合はあまりアップダウンがないのでほぼクロスカントリー。
ぬかるみも心配ないほど、結果往復17km(最後1kmは歩いて駅までいったので)をほぼ1時間50分というちょっと遅めのJogペースで走りました。
時折日差しがさして、また、大きなリスもいたり、鳥の鳴き声も・・・なんかとっても平和です。こういうところを走らせてもらっていることに感謝。
途中、けっこうハイカーとはすれ違いました。
また、ランナーも3,4人と。
それに、このコースも道を迷わないように整備されていたり、道もでこぼこを整地したりよくできていました。
帰りの電車は、暖房がきいておらず寒くてけっこうまいりました。
当分、こういう今までと違う環境でがまんしないといけないんですね。

思えば、あまりにも便利になっていたのかもしれません。
電気も無限にあるように錯覚していたのかもしれません。
もはや、原始力発電が無いと環境問題もエネルギー問題も解決できないところにまで世界的に追い込まれてしまっているように思います。

自分は良いとして、後々の世代がどうやってこの難局を乗り越えていくのか・・・本当に気になります。

われわれが、確かに経済成長をメインに考えいろんな問題を先送りや目や耳をふさいでしまっていたのかもしれません。
後悔先に立たず。

これから、何十年か、日本の歴史をあともどりして再スタートしないとだめかもしれませんね。

不便に慣れなくちゃ。
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2011年03月17日

悲惨な体験を日本人は二度経験しなくてはならないのか?

テーマ:いけん・ひとりごと
今日は夕方になって、電力不足が伝えられ慌てて帰宅した。
会合が東京の霞ヶ関であり、その会議の途中でビルの管理事務所から緊急放送があった。
早く帰宅しないとまた「帰宅困難者、難民」になると思い慌てた。
いったん、地下鉄に乗ろうとしたが、電車は来ない。
仕方なく改札を出て新橋まで歩くことに。
そ、そこにタイミングよくバス。
バスに飛び乗り新橋に向かった。

新橋で、京浜東北線にのり帰宅。
思ったよりも電車の数が多く、結果電車が渋滞することでなかなか進まず。
エアコンは切られるは、まいった。

電車に揺られながら、ふと思い返せば、自分の人生の中で大きな地震は二度あった。
直接体験はしていないが、阪神淡路大震災。そして今回の東日本大震災。
なんだって、二度もこんな悲惨なことが起きるのだろう。

今回は我が故郷が被災。それも、関東に電力を供給する原子力発電所の災害。
なんだか、やるせない。

ツイッターをしてたら、「今までメリットあったんだから文句いうな」的なコメントあり、憤慨した。
確かに、誘致というか、福島の土地に建設することを認めたし誘致しただろう。
しかし、原子力発電所は安全性も高いとか、そういう説明があって誘致したわけだし、さまざまな補助金的なものもあったと思う。だからといって、それがメリットなんだから、今更文句いうのはどうなの?っていうのは、どうなの?
今生活している人たちを危機にさらしていいとは思えない。

話はそれたが、
私の親の時代も、結局、第二次世界大戦もあり、空襲もあり、原爆もあり、地震もあり、ずっとそういう悲惨なことが生きている間になんどか起きるもんなのだね。
でも、強いよね。そのたびに、ボロボロになって、それでも立ち上がってそして高い成長をして。

ある地質学者は、そもそも戦後日本はたまたま地震が落ち着いた時期に合致したために、安定成長ができたと話をしていた。これから地震が活発化しますます危険が多いと。

なかそういう話をされても、今生まれて生きている自分たちは、結局受け入れないといけないのか。

外国に移りすむこともできないし。

日本はいい国だし。

やっぱり、この苦しみや悲しさを乗り越えていかねばならないんだね。

でも、人間は、思ったよりも強いし、でも、思ったよりも弱いもんなんだよ。

だからみんなで協力しあわねば生きていけないことだけはわかったような気がする。
それが人間の知恵なのかもしれない。
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2011年03月15日

「絶対に」は、「絶対にない」ことがわかった日本人

テーマ:いけん・ひとりごと
福島原発事故のこと
小学校のとき、担任の先生が原子力発電所の話をこうしてくれました。
「福島の浜通り地方に作っている原子力発電所は、東京電力がつくっています。ですから、あそこで作られる電力は、この福島県に供給されることはないんです。福島は東北電力ですからね。
「で、東京電力や政府は、原子力発電所は安全だ といいます。そういって福島につくったのです。
「おかしいと思いませんか?もし安全だったら、わざわざ福島の土地で発電所をつくる必要はないはずです。そもそも電気を送電線でおくるなんてことは距離が長くなればなるほど電気も逃げてしまいますからね。
「だから、何も福島ではなくて、東京や千葉、神奈川につくればいいんですよ。本当は。だって安全って言っているんだから。でも、わざわざ、福島に作ったんですね。」

この時から、小学生ながらも私はずっと原子力発電所については不信感をもっていました。
でも、その反面、東京で生活をしていて、ずっとそこでつくられる電気をつかって生活してきました。

原子力発電所は「安全」だ。「クリーン」エネルギーだ、と言ってましたね。
この「安全」「クリーン」とはいったいどういう意味なんでしょうか?
「絶対に」安全とは言ってないし、「100%」クリーンとも言ってないので、いいじゃないかという考えもありますが、「安全」は100%安全を言うのでしょ?
クリーンは100%クリーンを言うんでしょ?
「安全」で「クリーン」だったら、一番電力の消費の大きい自分たちが使う場所にその発電所を作ればいいじゃないか?

まったくそのとおりです。
実際に、枝野幹事長がまだ新人議員のときにはそのように意見していたようです。
まさか、このような事態になり自分が反対していたことについて釈明、説明するような立場になろうとは皮肉な話です。

脱線しましたが、
「安心」「クリーン」な「原子力発電所」を、東京や、神奈川につくればいいじゃないか?という理屈はまさにそうです。
でも、そうだったら、正直、自分も東京や神奈川で仕事をして生活をするのは嫌です。
それに、現実的に今回のようなことになったら、やはり東京や神奈川ではもはや収拾のつかないことになって何よりもパニックで「秩序正しい日本人」なんて評判もあっという間に崩壊したでしょう。

とにかく、早くこの発電所をなんとかしなくちゃ何もスタートできません。
復興もできません。
せっかく支援にきてくれた諸外国の人たちも帰ってしまいますよ。当然です。

今回、「絶対に」ということは「絶対にない」ということを、私たち日本人は本当にわかったのではないでしょうか?

それにしても、このあとどうしたらよいのでしょうか?
私は、昨日までは、「ああ、『チェルノブイリ』や『HIROSHIMA』と同じように正解に『FUKUSHIMA』という地名が記憶されてしまうのか」と悲しくなりましたが、それどころじゃない状況です。

「人体に影響のある」ことがわかってしまいました。
どんなことがあっても、東電の社員だけでなく、この自己を食い止めてください。
お願いです。

もうそれしかない
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2011年03月14日

Pray for JAPAN ~ 日本人は絶対に負けない

テーマ:いけん・ひとりごと
2011年03月13日

祈り

テーマ:マラソン
さすがこの2日間はよく眠れない。
これは多分に自分が東北福島県出身ということもあるのだと思う。
思った以上にこの震災については他人事ではなく感じるのだ。
さらに、福島の原子力発電所のこと。
小学校のときに先生から、この原発は福島の人たちのためではなく、東京の人たちのために作り、東京の人たちのために電力を供給し、そしてもし万が一あったら、福島の人たちが犠牲になってもいいのか?という問題なのだという話を痛烈に覚えていて、なんとも気持ちに整理がつかないでいるのだ。
頭ではわかっている。
東京で原発事故があったら被害の大きさは全然違うのもわかっている。
でも、じゃあ、じゃあさ、福島の人が100人程度だったらいいわけ?
経済的にもいろいろ面倒見るから、福島の人は死んでもガマンしてね!ってそういうわけ?
でも、実際には自分もその福島の電力をここで受けているんだよ。
だったらそんなこというなってわけ?
正直、相当混乱している。
そんなこんなで、なんだか冷静になれっていっても冷静になれず、そのまま今日になり、そして仕事に行った。
とりあえず大きな問題なく今日も始まったので、午後に帰宅する。
そして、昨日、保土ヶ谷バイパスで落下物がフロントガラスに直撃し日々のはいった車をディーラーに持っていかねば。
またクリーニングも溜まっているし。
など、いろいろあって、結果17時15分ころに走りに出た。
(車は結局、保険で3分の2を負担してもらい取替え。まだ購入して半年なんですけどね~。この程度でよかったと思わねば)
走りに出たら、横浜みなとみらい地区では普段の日曜日とそう変わりはないカップルがたくさにて、夕焼けを眺めていました。
いいじゃない。もしかするといつどうなっちゃうかわからないんだよ現実は。
だから、いっしょにいられるのであればいっしょにいていいんじゃないか?
そんなことも思って走った。
大桟橋で東北地方に向け両手を握りお祈りをした。
絶対頑張ろう!がんばれ岩手、がんばれ宮城、がんばれ福島、がんばれ日本!
必ずボクたちはまた立ち上がる!

$走りながら、食べて、聞いて、考えて!
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2011年03月12日

16km革靴走行

テーマ:いけん・ひとりごと
トレーニングではありませんが、普段のトレーニング成果を試すものです。
京王線若葉台駅を過ぎたところで電車は大きくゆれ、とまりました。
地震発生。
そのとき電車内は思いのほか冷静でした。
ほぼ全員がシートに腰をかけられていたこともあったのだとは思います。
何度も車内アナウンスで「地震のために停止しており安全確認をして再開するのは4時ころ」ということで、約1時間閉じ込められました。
その間、若い学生風の男子だけが、なぜか携帯電話で恋人と話しをしているらしく、まわりがつながらないのでイライラしているのにも関わらず、「一度きるとつながらない」とかいいながら話を続けていたのは、非常に不快でした。
しかし、そのほかのかたがたはとても親切で、1時間後に車内アナウンスで車輌からでて駅に非難する誘導があったときに、乳母車や赤ちゃんをだいたわかいお母さんを手助けしておりていく姿がありました。私も荷物をもってあげたのですが、もう一人のスーツ姿の男性はこれから就職の面接であったと言っておりました。
その若者に、「大丈夫、オレなら君を採用にするよ。」と慰めともならないようなことをいいました。
駅について、赤ちゃんとお母さんに別れをいい、若者ともわかれ、そして自分は早速歩いて帰社することにしました。
なんとか、鶴川まで行けば と思い歩きだしました。
革靴であったのでさすが長い距離は厳しいと思いましたが、しかし、現実はそう甘くなく、だんだん雲行きも怪しくなり、また、暗くなってきました。
歩きだした際には、コンビニはまだ混雑しておらず、水とスミッカーズを購入したのですが、その後、暗くなることを考え、懐中電灯を購入しようといくつかのコンビニによってみましたが、真っ暗。そしてレジ待ちのお客様で混雑。
待ってはいられないので、鶴川方面にガシガシ歩いていきました。
なんとか鶴川について、会社の別の事業所のショップがあったのでそこで景品につかった懐中電灯をいただき再び歩きました。
鶴川に誰か迎えにきてほしいとメールしましたが、まったく通じず仕方なく長いアスファルトの道を革靴で歩くしかありませんでした。
外気の寒さとは異なりコートの中は暑さで汗もびっしょりです。
インナーシャツだけでなく、ワイシャツ、ネクタイ。そして帰社してみたらウールのジャケットまで汗でびっしょりでした。
途中、町田付近は停電で真っ暗。
信号もついておらず、おそろおそる車が動いているところ、大きな交差点では一般の方まで交通整理をしていました。涙があふれるような光景でした。
だんだん暗くなるなか、会社のある町が見えてきたときに、灯りが見えました。
停電にはなっていなかったのです。
灯りというものがこんなにうれしく、元気付けられるものとは・・・。
なんとか、会社にたどりつき従業員全員の安否を確認し、最後は、会社の車を利用して自宅まで帰ることができました。
約16km。革靴の痛みもひどかったのですが、足の裏の痛み、ふくらはぎがこんなに痛むとは。
まだまだ、鍛錬が足りないようです。
でも、何よりも、生きていてよかった。
家族も全員無事でした。
20階建ての自宅マンションもほとんど問題なく、エレベータも動いていました。
生きていることに感謝。

Pray for Japan
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2011年03月10日

トレランの魅力

テーマ:トレイル
マラソンを始めて、少しでも長く走る気持ちよさを体験し、またレースに出て完走したりするとますますハマっていく。特にマラソンの場合は、こんな自分でもそうだが、ある一定のところまでは確実に記録が伸びていくことを実感できるのがいい。
たいていマラソンの話をすれば
「自分なんか1kmも走れませんよ」という声が返ってくる。
そして、たいていそういう人たちは1kmを走ろうともしないので、結果いつまでも1kmは走れないことになる。
しかし、
「へえ、自分はどれくらい走れるかな?」と興味を持った人は、実際に行動を起こせば、いともカンタンに1kmどころか、3km、5km、8km、10kmと距離が伸びていくのがわかる。
で、10km程度のレースにでも参加し、完走してしまうと、ますます調子よくなる人たちが多い。
マラソンは、走れば伸びる。伸びれば走るの繰り返しで、ある程度まではいけるのだと思う。

(この「ある程度」は個人によって違うので、コメントできないが、自分の場合は、ハーフで1時間30分フルで200分、ウルトラできっと11時間程度ではないかと思う。それ以上となると、かなり厳しい練習も必要になり、期限よく練習に励めるかは自信がない)

で、マラソンをもっと楽しむために、ということでトレランが最近人気である。
山道など不整地を走るのだ。
より厳しく激しい競技だと、「アドベンチャーレース」というらしいし、アスファルトではない土や芝生などに多少アップダウンのある起伏のあるところを走るのは「クロスカントリー」というらしい。「トレイルラン」はその総称なのだろうか、一言で「トレラン」といってもけっこうピンからキリまでありそうに思う。

自分がトレランを始めたのは、京都の西山が最初だったが、その後京都の東山(比叡山など)、神戸の六甲などだった。どれも決して楽とはいえないが、それでも走れるコースだった。
関東では、鎌倉付近のハイキングコース、北軽井沢、丹沢大山、そしてハセツネコースをいくつか走っているが、その中でもハセツネコースはやはりキツい。
多分に、鎌倉付近の天園コースはこれはクロスカントリーの部類、北軽井沢も。
しかし、大山やハセツネコースは完全に山のぼりだ。それなりの装備なしには危険で山に入れない。
思い返せば、京都の西山も東山も一部そういう場所もあったように記憶しているが、しかしハセツネコースはすごいコースだと思う。

トレランは、このように一言でくくれない(まあ、自然の道なき道を行くのだから当然なのだが)ところに面白さを感じる。
場所によって面白さも違うし、同じコースでも毎回違う面白さがある。
木々や土や岩場や、川なども毎回違う表情を表す。
そのたびに、アタマを使い、そこを攻略することを考え突破する。これはかなり知的な大人のゲームだと思う。全く同じことは無いわけだから。

昨日、先月経験したハセツネ30kmのコースに友人と行ってみたが、雪をかぶったコースは全然違ってみえた。だから以前の経験だけで攻略できるわけではない。
それが、たまらなく愉快だ。

しかし、一方、経験をすることでプラス効果もあり、最初に攻略したときはすごくタイヘンだったコースでも二回目にはそうタイヘンでなくなることもある。
いわば経験を記憶しておくことで、その先というか目標が明確になりコントロールしやすくなるのだ。
試走はだから欠かせないと思った。

4月3日にハセツネ30kmのレースが開催されるが、多分、その本番でも昨日とは大きくことなる状況になるだろう。
なんてったって参加人数が違うので、シングルトレイルでの渋滞は必至。自分の思うとおりの走行は困難になる。
さらに、多くの人が足を踏み入れることでの、草木や岩場などの状況が大きく変わること。
そういった、そのときに対処できる能力を身に着けるために、試走はあるのかもしれない。

またまた、愉快なゲームを経験してしまったものだ と思う。
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2011年03月09日

ハセツネ30k 試走 第二回

テーマ:トレイル
なんとしてもハセツネ30kを完走したい!
そういう思いで、トレランの先輩たちに声をかけ、ハセツネコースをいっしょに走ってもらう企画。
今回は、奥武蔵なども走るモトチカさん。

9時に武蔵五日市駅で待ち合わせ。
自分はたまたま一本はやい電車で着いたのでトイレ、コンビニを済ませ、着替え準備をしているところにモトチカさん登場。
さらに、同じような格好をした3名のグループがいて、気軽に声をかけてくれた。
同じくハセツネコースを試走とのこと。
それと東京山岳会の人たちらしい。
これは、よかった、コースに不安あったし。

ということで、早速スタートし最初に左側に入るところですでに間違いをおかし、助けてもらえる。
その後、ほぼ同じペースでトレイルにはいる。

しかし今回は一昨日の雪がしっかりのこっていてくるぶしどころか膝下20cm程度までは埋まる状態。
ただし、ゲイターをはいていたので効果バツグン。
また、不思議と、2回目になると前回つらかった山道もあまり苦しまず上れる。

なんどか、道にまよったが、そのたびに山岳会の方に聞いてなんとか走れた。
約5kmのアップのロードもけっこう走った。というよりも絶対に短かったと思う。(途中から山にはいったので)

結果約6時間の走行(あるいたってことかも)
また、雪は足はとられて走りにくいものの、こういうアイシングにはいいね!


$走りながら、食べて、聞いて、考えて!


来週は、裏山の獣人さんに指導いただき、なんとか本番までにはひとりで完走できるようになれると思う。

トレランは、面白い。何と言っても、こりゃ最高の大人の遊びだよ。雪遊びや泥遊びもできるんだからね!

モトチカさんありがとうございました。
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