安藤るみ子アーユルヴェーダ・ブログ

アーユルヴェーダ医師安藤るみ子がお伝えする

メディカル・アーユルヴェーダ、アーユルヴェーダ生薬、アーユルヴェーダ哲学、ヨーガとアーユルヴェーダ、鍼灸とアーユルヴェーダ、アーユルヴェーダな一日、アーユルヴェーダ若返り術、アーユルヴェーダ錬金術


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最近は、『最後の、、、』という言葉を良く聞くようになりました。

先日、鍼灸実技室の大掃除でした。
『みんなは、これが最後の大掃除になりました。今後掃除は下級生がやってくれます。では白衣で全員写真を撮ろう!』と先生。

一般の患者さんを治療する臨床実習も最後のターム、最後の、、、がふえてって、私達のベクトルは受験と卒業に向かっています。

そして、国試の願書書きの日がきました。クラスで指導のもと、一つと一つ記入。
3つ国家試験を受けるので、3枚申請します。(コート着たまま髪もはねてる写真だけど、泣!)




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とは言っても、まだまだ卒業試験中で、最後の、実技試験やペーパー試験もこれからです。授業はいつもどおり月〜土曜日まで毎日あり、明日は午前と午後に分けて試験。夜は普通に授業があるから、朝9時半から夜9時まで学校?なが〜い。


そうなんですが、、

ここで、私の夢の一部を書いてみます。笑。

1994年にアーユルヴェーダに出会ってから、やっとここまで来たんだなあと、嬉しいんです。
鍼灸との出会いが、確実に私の夢を加速させました。

私が鍼灸を目指した時は、周りからはあまり理解されず、疑問に思われてました。せっかくアーユルヴェーダをやってきたのになんで鍼灸に?勿体ない、何処に向かっているの、、?と。でもインドにアーユルヴェーダ勉強しに行った時はもっと疑問に思われてたから、平気、大丈夫!笑。

私の中では、医療は強烈なスペクトラムで存在しているんです。

そう、インドのアーユルヴェーダ大学時代に、『御膳でアーユルヴェーダ』ちゅう、笑、
わけわかんないイメージを持ってから、これだ!って思って、ずっとそれを追いかけてきました。

笑っちゃうでしょ。

でも、今でもそこからずっとブレていないんですよ。

『御膳でアーユルヴェーダ』には、キーワードがいくつも入っています。御膳からイメージ出来るものも、アーユルヴェーダが意味するものも、沢山その中に含まれています。

アーユルヴェーダが意味するものとして、私が落としこみたいキーワードは、


『スペクトラム』です。



ある日この言葉が落ちてきて、ここに落ち着いています。昔から発達障害を学んできてよく使っていたスペクトラムという言葉ですが、言葉の意味だけ取ると、連続体・分布範囲のことをさします。このフレームが私にはぴったりきています。


生命はスペクトラムに繋がっていて、途切れていないんです。細胞はほとんどが1年で死んでしまいますが、私たちは連続体として生きています、引き継ぎ引き継がれ。

アーユルヴェーダのアーユスは、生命という意味ですが、さらなるアーユスの語源を探ると、繋がりや連続性が語源となってる事がわかります。引き継がれるものです。まさにピンポイントです。

生命は連続性に繋がっています。それはその人個人でも、子孫や集団でも、生物全体としても、地球としても、区切る事なく繋がる生命。

その命の健康も、その特徴である連続体として、日々の暮らしからスペクトラムに繋がる道程の一つに、医療や医療施設があるのだと思います。

日常から切り離さないでいて、離れ過ぎないで、いろいろ段階の医療があるとしても、私がやりたいのは、その途切れた二つをスペクトラムに繋ぐ事です。

その、生命スペクトラムのサポートを提供できるのが、アーユルヴェーダの生命の科学であると、そういうフレームで捉えてみて、話しを進めてみます。

アーユルヴェーダは、ダルマ(人間の守るべき本分、宇宙の法)、アルタ(富)、カーマ(願望)、モークシャ(解脱)が、互いに矛盾することなく、その人の中に存在する事を解いています。

その4つの範囲の連続体として生命を捉えて、受精時から死までを扱いながらも、その寿命だけでなく、そのQOLは有益で幸福な人生を導きます。そう、この4つも実はスペクトラムなんですよね。


あっ、哲学ではなく、日常を伝えたいので、日常に戻します。
今日一日が、明日に繋がり、明日が季節の移り変わりに繋がり、、、

その調和が乱れると、宇宙の流れについてけない人になってしまいます。笑。
季節の変わり目に風邪を引いたなら、宇宙の流れについてけなかった私、なんですよね、笑。大袈裟にいうと。朝や昼や夜の過ごし方は、太陽や月に関係しているので、天を味方にすると楽に生きられます。大袈裟にいうと。笑。

だから、日常の生活法で、その人にあったテーラーメイドの、1日の生活法というのが、太古から途切れる事なく伝えられています。その日を楽に生きるために。

その日常の生活法との連続性が、健康を作っていて、それが、幸せに繋がる一日を作るので、日常と医療は区切るのではなく、もっと一体であり、日常から病院までを連続性にして、隙間を埋めたいなあ、と思います。

生活の延長線上のスペクトラムのなかで、その人だけの理想的なテーラーメイドなケアが受けられて、一部自宅に持ち帰り継続していく、モデルのような医療施設。医療連携が日常と医療の間にある、病院らしからぬ病院。

そんな場所を作ろうとチャレンジしては、何度も失敗に終わっていますが、笑、大丈夫、想定内です。(やるか絶対にやるかしか選択を持ってないから楽しいです。)

チャレンジしながら、アーユルヴェーダに限界を感じたわけではないですが、日本で行える医療行為としてのアーユルヴェーダの限界は沢山体験してきました。それは、法律の場合もありますし、時間とか時代、ニーズや提供出来る施設や人材、根ざす文化や歴史など、いろいろあります。

法律などを変えるには時間がかかるかも知れませんが、自分の視点が変わっていく事は可能です。

医療としてのアーユルヴェーダを目指す理由は、アーユルヴェーダが医学であるかぎり、医療としてしか出来ない治療が多いからです。  
 
しかし、それら医療行為は、日常のケアのさらなる先というだけで、自分で管理出来ない部分や、予防の部分、メンテナンスや、自己管理の修正、病気の治療の場となる事が可能です。

また、アーユルヴェーダを学んだ方をバックアップする事が出来ます。


次に御膳ですが、

日本漢方と日本鍼灸は、実は、御膳でアーユルヴェーダの御膳の部分に関係しています。御膳は日本らしさや、日本人だからこその文化と伝統が詰まっています。

私の実家では、母のお葬式も、兄の結婚式も、法事や祭り、父の選挙も、全部自宅で行ってきました。100人以上いても、御膳なら大丈夫。そんな時はいつも御膳です。

御膳が活躍する日本文化や日本の気質は、日本漢方や日本鍼灸が気になり出してから、やはり鍼灸だ、これ以外にないと思いました。

日本人の手にかかれば、その良きものが、更に生かされて調和して美しいだけでなく、使いやすさや、おもてなしの心が宿ります。鍼灸には壮大な日本人の突き詰める研究と技術と知恵が満載で、頭が下がるばかりです。

アーユルヴェーダと御膳が、なぜに、手に手を取り合って、相乗効果が見込めるのでしょうか。










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