だれも書かない★ニューヨーク1%未満★

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みなさま、こんにちは。


今日はたくさんの方に興味をもって読んでいただいているこちらのテーマからちょっと脱線します^^

会員になっているニューヨーク・ソサエティ・ライブラリーの持ち出し禁止本から浮き彫りになった、明治皇后、一条美子(はるこ)さまについてです。

その本によると美子さまは現代の世界基準で考えても惚れぼれするほどカッコいい女性でした。
こんなにすばらしい人がなぜ、日本史の中では大変に影が薄い存在だったのか。

以下、過去記事の中に埋もれていた記事にさらに調査を重ね手を加えてもう一度ご紹介します。






ニューヨーク・ソサエティ・ライブラリーはアッパーイーストの知る人ぞ知る会員制の図書館です。

アメリカがまだイギリスの植民地だった1754年にイギリス国王によって建てられ現在に至ります。

その図書館には持ち出し禁止の古書がたくさんあります。
中にはよほど注意深く開かないとバラバラとくずおれてしまいそうな本もあります。
それが「Japanese Girls & Women」です。
1902年にアリス・ベーコンが上梓した本です。
アリスは山川捨松がお世話になったホストファミリーの14人兄弟の一番下のお嬢さんです。

日本にも渡り津田梅子らを助け、日本の英語教育に多大な尽力をした女性です。

そのアリスが書いた本の中に明治皇后についての記述があります。
これがね、わたしたちが教科書で習った内容とははなはだしく違うんです。

一条美子さまこと後の明治皇后は、日本史の教科書の中では体が弱くお子をなすことができなかったと書かれています。
というか、それ以上の記述はほとんどありません。


ところがその本の著者アリス・ベーコンはまったく違う印象の明治皇后を生き生きと描写しています。



以下ご紹介させてください!



文明開化を急いでいた明治時代、赤坂に日本初の東京慈善病院が建てられました。

ニューヨークのお隣ニュージャージー州から日本に渡ったホィットニー氏が尽力をして建てた病院です。

(話しはそれますがこのホィットニー氏は勝海舟一家ととても仲良しで、娘の一人が3歳年下の勝家の息子と結婚しています^^。最後は離婚し、ホィットニーのお嬢さんは子供たちを連れてアメリカに帰るんですけれどね)


さてその慈善病院には、貧しくて本来なら治療を受けられない子供たちも入院していました。

そこに明治皇后はわざわざ足を運ばれるのです!

しかも出向くときは必ず自分の自由になるお金で、子供たちのためにおもちゃなどをたくさん購入していらっしゃるのです。

病院では一人一人に話しかけ、自らそのプレゼントを渡される皇后。

アリスは本の中で

「つい20年前までは雲の上の人で直接お目もじができるような方ではなかったのに」
と、美子さまのこの行動力に驚きを隠せない文章を綴っています。

京の都では五摂家の名門一条家に生を受け、箱入りでお育ちになった美子さまです。

他の公卿のひめたち同様に、青白い肌をして生気がなく、お人形のようにおとなしい人でいらしても不思議ではないその人は、どんな病気をもっているか想像もつかない子供たちに直接語りかけ、手を触れ、プレゼントを渡していくのです!


その姿を、エイズ患者の手を握りしめ暖かい面差しで見舞ったダイアナ妃にイメージを重ねてしまいました。


皇后は、捨松などが尽力し発足させた
日本赤十字にも、ご自身の自由になるお金の中から、今の貨幣価値に換算すれば何千万という金額をご寄付されました。

その勇気ある気っ風のいい行動は健全な体が土台となっているからこそできるものだと思うのですがいかがでしょうか。

もちろん、宮中でフランス語通訳として仕えていた大山捨松の姉、操子や、アメリカで赤十字について学んで帰国した捨松本人の影響も大きかったことでしょう。

捨松の山川家といえば天皇家にとっては朝敵となった会津松平の家老でした。
そんな身分で姉は宮中で活躍しているんですよね。

これほど勇敢に新しいことを恐れることなく取り入れる強さはどうでしょう。
とても京の都からやってきたお人形同然の女性にできることではありませんよね。

また女子学習院にも頻繁に通われました。
しかもただ表向きの参観というのではなく、大正天皇となられる皇太子の妃を自分で見つける名目もかねて、1つの教室に30分以上もの間いらっしゃり、注意深く授業を参観されました。

目を惹く少女については
「あの方はどなた?」
というようにいちいちお聞きになっていたということです。


こうして皇后は皇太子妃選びに積極的に参加されました。

当時、明治天皇は何人のお子にめぐまれても、流産、もしくは幼少のうちに亡くなる尋常ではない事態が相次いでいました。

そんな中、やっと一人だけ生き残ったお世継ぎの皇太子(母親は柳原愛子)は大変に病弱な方でした。
その夫になる人を支えるお妃選びに並々ならない意欲をお持ちだったのも納得です。

そして美子さまは皇太子妃にあっと驚く人を選ばれました。
本人はもちろんその両親にとってもびっくり! 想定外の常識を覆す選択だったのです。


九条家の三女でいらした節子さまは幼少時代は貧しい公卿の常で口減らしのため農家に養女に出されました。
農家ではとてもかわいがられ、裸足で鶏を追いかけて伸び伸びと育ち色黒のおひめさまでした。

長女と次女を皇室に嫁がせる夢を果たせなかった九条家、三女の節子さまに至っては何の希望もなかったのです。

しかしその彼女を美子さまは妃に選んだのです。
その理由というのが、今考えても大変に的を射たものでした。

以下の記述を読むととても生気のないお人形のようなお飾りの女性に出来る決断ではありません。

節子さまは運動が得意で体が丈夫でいらっしゃる
自分を犠牲にしても他者に尽くせる奉仕精神が見られ人望があつかった

もし皇后が体が弱く時代の運命に弄ばれるだけの女性だったとしら。。。。

京から全くの新天地、江戸にあわただしく嫁ぎ、右も左もわからない中、これほど積極的に出歩いて多くを成し遂げられるものでしょうか。

行動的な皇后は40歳をさかいに、とうとう脱ぎ着が楽な洋装に変えてしまわれたほどです。




photo/wikipedia より
きりりとしたお顔つきの凛とした皇后はとても体が弱い人の表情には見えません。



天皇より3歳年上
当時の常識から考えるとかなりの晩婚といっていい18歳で、生まれ育った京の都を後にし、都落ちもいいところ、東の果ての江戸まで天皇について来た一条美子(はるこ)さま。

それが後の明治皇后なのです。


アリスいわく、宮中でも皇后さまと天皇はお互いの寝所も離れたところにあったとのこと。
あくまで友だちのような関係を続けて来られたということでしょうか。

もしわたしがその本に出会うことがなければ、明治皇后は、体が弱くて子供が生めなかったという説明をそのまま史実としてうけとめたでしょう。

皇后のその人となりや、幕末から維新にかけての矛盾だらけの歴史的記述のほころびにこれほど興味をもつこともなかったでしょう。


この続きはまたいつか時間をみつけて、ということになりますが、日本史とアメリカ人女性の描く明治皇后はどうしてこうも違ったのか。
史実が曲げられて伝えられているとしたらそれはなぜなのかをみなさんといっしょに考えてみたいです。




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