JJ 読者モデルだったあの女(ひと)は今 | だれも書かない★ニューヨーク1%未満★

だれも書かない★ニューヨーク1%未満★

日本からは見えにくい、知られざるニューヨークやニューヨーカーのこと、たまにプライベートなことを書いています。

こんにちは。


今週末のNYは、これ以上は望めないほど気持ちのいいお天気でした。


やっと、わたしのエンジンもかかってまいりました~。



今日も、ちょっと脱線しちゃうんですが、

個人的にしみじみうれしいことがあったので、ご報告をしてもよろしいでしょうか。






みなさんは、ひょんなことで、ご縁が途絶えてしまった友人を思い出し、

今頃どうしているのかしら、と気になることはありませんか?




今ならEメールもあり、世界中どこにいても気軽に連絡がとれますが、

かつては住所が変わっちゃうとそのまま関係が途絶えてしまうことがよくありましたよね。



ご実家の連絡先が分かればそちらに問い合わせることもできるでしょうが、

それすら分からなくなってしまった友人で、

今どうしているのかしらと時々思い出す友人が、わたしも何人かいます。





先週、ひょんなことから、

20年ぶりに、

JJをしていたころに親しくしていただいていた女性と、

なんとブログのご縁で再び巡り合うことができました^^



うれしかったです~。

感激でした。


それは、

白洲次郎ファンクラブの会長をなさっていたころお近づきになった美女、

白河未來 さんのブログにお邪魔したことがきっかけ。



なんだか、珍しいお名前の女性が紹介されていて、ふと目にとまりました。



「めみちゃん」



待てよ・・・



もう20年以上前、

親しくしていたJJの読者モデルの女の子のお名前が、

芽実ちゃんだったわよね。




もしかあの、めみちゃんかしらと気になり、

リンクを飛んでみました。



クリップ☆おしゃれを楽しむブログ☆



やっぱり・・・・・



掲載されているお顔写真は、まさに20年以上前と同じ。



あの芽実ちゃんに間違いありません。



すぐにメールを書きました。



そうしたら、すぐにお返事をくださり、

そしてこんな 記事まで書いてくださって。




こちらは、別に偉くなったわけでもないのに、

昔のお知り合いというだけで声をかけて迷惑になってはいけないと遠慮していたとおっしゃるめみちゃん。

この奥ゆかしさは、昔のまま。




めみちゃんからお返事が来たら、

いきなり20代のあの頃にフラッシュバックしてしまいました。



なつかすぃ~~~!



わたしの時代は、

黒田知永子さん、(旧姓しかわからないわ)高橋亮子ちゃん、

賀来千賀子ちゃんなどが大人気だったころです。





乃木坂のカプッチョや、

狸穴や西麻布のキャンティで真夜中にお茶をし、

仕事後の疲れを癒したり、

キサナドゥの前に行列を作る高校生が、

あまりにきれいで大人っぽいことに驚き、呆れ、

ネオジャパネスクや、ちょっと後だとトゥーリアとか、

なんかそんなところに来る女の子たちがとってもきれいで目の保養になり、

それだけで遊んだ気分に十分なれたような。





めみちゃんにあったころ、彼女も、

そして実は内緒だったんだけど、わたしも大学4年生でした。



精一杯背伸びして、大人っぽくふるまっても、

あの頃から大人のめみちゃんには、きっと見破られていたことでしょう。



JJの記者というかライターとして、

当時神戸・芦屋辺りに取材でよく行っていました。



バブルの走りで、

今じゃ信じられないことですが、

小娘が一人で取材に行っても、

ロイヤルなどの一流ホテルが「JJ」というだけで、

ツケで泊まれる時代でした。


出版社の近所のレストランもツケで食べられた時代、ってちょっと信じられないでしょ。



そんなころ、めみちゃんやめみちゃんのお友達とお知り合いになり、

JJの読者モデルとして、何度か誌面に登場していただいたのです。




めみちゃんは、

たくさんお目にかかった読者モデルの女の子たちの中で、

ひと際「大人」、

他の女の子たちにできない気配りや心遣いのできる人でした。



だから、忘れるわけがありません。

いろいろと助けていただいた気がします。




だれも書かない★ニューヨーク1%未満★
25ansの編集をしていたころ。
めちゃくちゃみなさんにご迷惑をおかけしていたに違いない時代。
右の写真は、大好きな岡田美里 さんの叔父様、岡田真澄さんと一緒に撮っていただいたお写真。
お隣のフランス人のマダムが終始ぽ~っとなっていたのが懐かしい。
当時の数少ない写真の1枚です。



そんなわけで、25ansに移ってからも、仲良くしていただき、

そうそう、彼女の親友のMちゃんには、

彼女が就職して東京ベースになった後、

神戸で取材のたびにお手伝いをしてくれたYくんというイケメンくんを紹介したんでした。



Yくんは、ウィンドウサーフィンが趣味の、本当にいい感じのボンボンだったな~。



そのボンも東京で就職したため、Mちゃんに紹介し

ついでに、

わたしが贔屓にしていた、というと思いっきり語弊があり、

オーナーに可愛がっていただいた関係で出入りさせていただき、

時に、「今晩は3千円しかないんですけれど、何か食べさせてください」なんて、

小娘の超図々しいお願いも聞いてくださった「とく山」に連れて行ったの。



ふぐ料理専門の「とく山」は、

西麻布にあって、本来なら敷居はかなり高く、

当時は、芸能人、有名な建築家、作家、

スター的ラグビー選手などが贔屓にするお店でした。




そんな中に、MちゃんとYくんを連れていったわたしもわたしだけど、

すんなり面白がって受け入れてくださったオーナーの時村さんにも感謝。



それから、わたしは25ansの仕事がめちゃくちゃ忙しくなり、

とく山にもそう頻繁には行けなくなり、

そうこうしているうちに、ニューヨークに来ちゃったのです。




めみちゃんとも、M&Yコンビともそれでご縁が途切れてしまったんだけど、

彼女たちのことは、全員、フルネームで覚えていたほど、

忘れるなんて、ありえないほど楽しい思い出もいっぱいある人たちです。




だから、あんまりに懐かしくて、めみちゃんにいろいろとみんなの近況などを聞いてしまいました。



めみちゃんご自身はご家族と東京に引っ越されたご様子。



そして、MちゃんとYくんは・・・


なんと、いろいろあって、でもご縁があったのでしょうね。

結婚したらしい。



おめでとう!!!!

縁結びの神様になったんですね、わたし。

すっごくうれしいです。




それも、とく山の常連だった、あの俳優で司会者だった(故)山城新伍さんがお仲人をなさったらしい^^




めみちゃんは今、

持ち前のセンスのよさを生かして、

ニューヨークでいう、パーソナルショッパーをしてらっしゃるらしいの。



で、ブログを拝見するのが、本当に楽しみになってしまったほど、

昔のまんま、すごくセンスがいい。



ドレスコードや空気感を読むことにかけては、気配りのめみちゃん、

もちろんぴか一。


その辺りにブレがなく、

ファッションに社会性という土台をしっかり固めてらっしゃる所がさすが。



でも、それを踏まえても、

単なるコンサバにまとめるばかりでなく、

時には、かなり流行を取り入れた「遊び心」いっぱいのコーディネートも得意、

そして、楽なワンピースばっかりに偏るのではなく、

単品をいろいろな表情に組み合わせるのが上手。



彼女の気配りに感心したのは、

たとえば、コーディネートの写真は、すべてご自身のお顔を隠してらっしゃること。



つまり、それを見たわたしたちが、自分が着た場合を想像しやすい気配りをしてらっしゃるのね。



過去記事を拝見すると、

さらっと流してらしたけれど、

ご両親を亡くしてらっしゃるらしいめみちゃん。



どんなに悲しい思いをなさったことでしょう。

きっとお辛いこともたくさんあったはず。


(w_-;



そう思うとこの20年は、わたしたちにいろいろなことを経験させ、

チャレンジさせた時間とも言えそうですね。



でも、20代のときと変わらぬ、

というか、もしかしたら、ますます輝いているめみちゃん、

きっと内面からにじみ出るものなのでしょうね。




だれも書かない★ニューヨーク1%未満★




めみちゃんのお写真は、笑う毎日ご褒美クィーン@みん さんのブログからお借りしました。

本当に彼女のお人柄がにじみ出るいいお写真^^



あの華やかな時代をしなやかに、そして着実に歩んできて女性たちは、

今も、あのときと同じように、

いえ、あの時にはなかった、「やさしさ」や「懐の深さ」を携えて輝いている・・・・

そんなことを実感できて、ホントうれしかったです。



ブログのご縁って本当にあなどれません(笑)。

特に海外に住んでいるとありがたいです。




と、ほっこりすごくうれしかった出来事でした。




長々とおつきあいくださった方、ありがとうございます!

どうぞ今日もよい1日を!