大津の中2自殺の報道を見て。。。
思わず息子に聞いてしまった。
身近にそんな問題はないのか
知らず知らずのうちに誰かを傷つけていない
「うちの子に限って」
自分の子供だけはそんなことしないだろう。。。
どこの親でもそう思っているはずだ
「先生も教育委員会も警察も動かないなんて。。。
どうしたらいいんだよ。。。なぁ?」
夫がニュースを見ながら私に意見を求めるのも
珍しいことだった。
私はいじめっ子だった。
学級委員を務める一面を持ちながら。。。
男の子までいじめてしまうという
お山の大将でボス猿みたいな存在。
小学校5年生で私に転機が
養護学校出身の若い先生がやってきたのだ
当時26歳くらいだったと記憶している。
義理人情に厚い難波の熱血先生だった。
小さな問題を見逃さず、「朝の会」「帰りの会」で
クラスの問題を取りあげ徹底的に話し合う。
私はよく問題になって学級会で取りあげられた。
みんなの前で立たされて。。。
「蓮井さんなぜそんな意地の悪いことするんや
いじめはやってはいけないことなんだよ~
可愛そうやないかぁ~先生は悲しいよ・・・
みんなはどう思うのか言ってくれよ」
本当に泣いてしまう先生だった。
今さらながら本当にごめんなさい当時の私。全く罪の意識はなかったのです
8人兄弟の長女で裕福だった少女時代。
なんでも不自由なく手に入ったけれど。。。
いつも赤ん坊がいて。。。
「お姉ちゃんなんだから」
長女の重圧が苦しかった。
先生が子供たちに勧めた「日記」
やっぱり「日記」は私のルーツのようですね
いつしか私は先生からの返信が楽しみに
いじめっ子だった私が。。。6年生の日記では
クラスのいじめを先生に相談するまでに
思春期に8人兄弟という事実が受け入れられず
こんなやりとりもあった
理科の実験で使うエナメルをぐちゃぐちゃにされ
悔しくて「みちこ」をぶん殴ってやりたかったと記述
アメリカの五女みっちゃん苦笑してるだろうな
「なんでこんなにチビばっかりいるのよ
うちは兄弟が多いからいけないんだ」
母に言ったひと言を悔いている6年生の私。
何年も経って見えてくることがあります。
原因があって結果がある。と
私はさみしかったんだよね。。。
両親の名誉のために付け加えると
愛されずに育った訳でなくて。。。
私は愛情を独り占めしたかったんだと思う。
当時母は、私だけをこっそり呼び出して
今でいう「カフェ」に連れていってくれた。
二人だけでケーキを食べる時間が嬉しかった。
今は穏やかな父も。。。
昔は短気ですぐに手を挙げる事も度々で。。。
父を避けるように暮らしていた。
「なんでも話してごらん・・・。」
朝まで私の話を聴く時間を作ってくれたよね。
もう、30年も前の出来事なのに。。
書いてたら涙が出てきちゃった
問題行動の裏側に潜む心の闇。
誰かが気づいて手を差しのべてくれたなら。。。
30年前に私を救ってくれた「西中和夫先生」
お元気でしょうか
いじめっ子だった私が人を癒す仕事をしています
中学生の時に会いに行ったきり。。。
連絡が途絶えてしまいました。。。
もう一度・・・お会いできたなら
あの時の感謝の気持ちを伝えたいです
あなたの輝きが私の宝物
ミラクルミラクルる~るるる