一乗寺にある曼殊院です。
古都の礎-曼殊院
古都の礎-曼殊院
 

天台宗の寺。
平安時代初期、天台宗開祖・最澄が、比叡山山中に比叡山延暦寺の僧坊として設けたの始まりとされます。平安時代中期、天台宗の僧是算が延暦寺西塔北谷に移して東尾坊と名を改め、是算を持って曼殊院初代としています。是算は菅原道真の末裔であり、北野天満宮が創建されるとその初代別当を兼ね、以後、慶応4年(1868年)の神仏分離令まで曼殊院門主が北野天満宮別当を兼ねていました。

平安時代末期、曼殊院8世・忠尋が住職を勤めた時に、北野天満宮に近い北山に里坊が設けられ、曼殊院と改称したといいます。比叡山にあった本坊と里坊はしばらく並立していましたが、次第に里坊が本拠地となります。

室町時代に入ると、室町幕府3代将軍足利義満の北山殿(後の鹿苑寺(金閣寺))建設により曼殊院は相国寺南に移転しました。

明応2年(1495年)、慈運法親王(伏見宮貞常親王の子・曼殊院26世)の入寺により、幕末まで皇族や摂家子弟が住職を勤める門跡寺院となり、竹内門跡と呼ばれました。青蓮院三千院妙法院毘沙門堂とともに天台宗五箇室門跡の一つ。

江戸時代初期の明暦2年(1656年)、曼殊院29世・良尚法親王(八条宮智仁親王の子)により曼殊院は現在地に移され、現在の堂宇が整備されました。良尚法親王の父智仁親王(後陽成天皇同母弟)が築いた桂離宮と似た手法が取り入れられているそうです。

神仏霊場巡礼の旅108番(京都28番)。近畿三十六不動尊霊場17番。

 

古都の礎-曼殊院

 

大書院。

明暦2年の建造物で、重要文化財。

曼殊院の本堂で、本尊阿弥陀如来像を安置。


古都の礎-曼殊院

 

小書院。
大書院の東北にあり、大書院と同じ明暦2年の建造物。

重要文化財。

古都の礎-曼殊院

 

庭園。

名勝指定庭園。

大書院と小書院に面した枯山水庭園。

白砂で表現された水面に、鶴島と亀島が浮かんでいます。

画像中央が亀島。


古都の礎-曼殊院

 

こちらは鶴島。

鶴島には樹齢約四百年の五葉松があります。


古都の礎-曼殊院

 

五葉松の根元近くにあるキリシタン燈籠。

キリシタン燈籠はクリス燈籠とも呼ばれ、また、燈籠の竿の部分に刻印するのは古田織部が考案したと伝わることから織部燈籠とも呼ばれます。

こちらは曼殊院にあるため曼殊院燈籠とも。


古都の礎-曼殊院

 

小書院の前にある梟の手水鉢。

 

古都の礎-曼殊院

 

八窓軒茶室。

小書院の東北に付随しており、明暦2年の建造物。

 

 

 

曼殊院;京都市左京区一乗寺竹ノ内町42