高野山にある女人堂です。


古都の礎-高野山 女人堂
 

高野山は、厳しい密教の修行道場であり、創建以来、明治に入るまで、女人禁制でした。

しかし、高野詣でが活発になり、庶民に至るまで信仰されるようになると、女性たちも山を登り、高野山の入り口である高野七口まで参拝に訪れるようになりました。

かつて、こうした女性たちのために籠り堂として高野七口それぞれに一つずつ設けられていたのが女人堂です。女性たちはこれらの女人堂に籠って夜を明かし、読経などをして信仰を深めていました。

かつて七つあったそれぞれの女人堂を結ぶ女人道も残されています。女人道は伽藍を取り囲む高野山の標高1000メートル級の山々を巡る山道で、合間から見える伽藍を少しでも拝もうと、巡礼したといいます。

こちらは高野七口のうち、不動坂口に建てられていた女人堂。不動坂口は、高野山に入る7つの街道である高野七口街道のうち、高野街道京大坂道を通って高野山に入る入口に当たります。高野街道京大坂道は、安土桃山時代に豊臣秀吉の帰依を受けて高野山を復興した木食応其によって開かれた道で、堺から不動坂口女人堂までは一里ごとに目印として一里石が置かれ、江戸時代には参拝者のための旅館が建ち並んで大変賑わったといいます。不動坂口の名は、高野街道京大坂道途上、この女人堂がある場所まで2500メートルにわたって続く急な坂・不動坂からきています。

明治5年、太政官布告によって女人禁制が解かれます。しかし、旧体制はしばらく残り、高野山内に女性が居住することが認められたのは明治39年でした。これをもって女人堂は役目を終えました。7つあった女人堂も今でも残るのはここのみです。


古都の礎-高野山 女人堂

古都の礎-高野山 女人堂

 

現在の女人堂は大正4年の建造物。

大正4年以前には場所は同じですが約3.3メートル高い坂の上にありました。大正4年に道の高さに合わせて土が削られた際、建て替えられたもの。

内部には大日如来像が祀られています。

 

 

 

高野山 女人堂;和歌山伊都郡高野町高野山

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