カートの絶望

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朗真堂メンバーのにっし~です。
 

かつてアメリカにニルヴァーナ(Nirvana)という有名なバンドが存在していたことは、洋楽ファンならずとも知っているひとも多いかと思います。 
その中心人物がカート・コバーン(Kurt Cobain)という若者でした。 
彼はアルバム『ネヴァーマインド(Nevermind)』制作中に、当時はやりだった音楽の薄っぺらさを茶化す意味でポップな曲を一曲入れてみようぜ、と考えました。 
それがこのアルバム第1曲目の「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット(Smells Like Teen Spirit)」でした。 
この曲は大ヒットし、ニルヴァーナの代表曲になりました。 
個人的にも大好きな曲です。 

カートはライヴでこの曲を演奏する前に、よくこのような趣旨のことを言っていたそうです。 

「この曲がオレの人生をメチャメチャにした。たぶん、お前らもな。」 

多くのファンたちはこの曲を若者特有の不安定な精神状態を赤裸々に表現したものだと考えました。
そしてその単調ながらも力強いメロディーラインと衝撃的な詞に魅了されました。
しかしカートが考えたほど、大衆がこの曲によって己の人生観を大きく左右されることはなかったと思います。
むしろ彼の最期の行動のほうが、多くのひとに強烈なインパクトを与えたと思います。

パロディのようなつもりでつくった曲が、自分をカリスマに称えられるほど大ヒットしてしまった。
このことがカートにとってどれほどショックだったかは彼の遺書からも読み取れます。 

音楽、いや、ひとのこころは、必ずしも本人の意図どおりに伝わるとは限らない。
そのことを彼の生きざまはわたしに教えてくれるのでした。

 

 

 

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ダイスケからの伝言

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作 花房めぐみ

そうだ、今日は少しだけボクのことを話そう。
ボクが生まれようとしていた時、 両親は男の子が生まれた場合と、女の子が生まれた場合と、それぞれ名前を考えていた。あの当時、生まれてくる子供の性別なんて、わからないのが当たり前だったからだ。結局、生まれてきたのは女の子で、それがあの「めぐみ」だ。ボクは生まれなかったので、ボクはボクの名前「ダイスケ」とともに、はじめからなかったことになった。ちなみに、妹が生まれる時も、両親はふた通り名前を用意していて、それが、「ほのか」と「ハルキ」だった。ボクはちょっとだけひがんだ。「ハルキ」の「ハル」には、「東」という字をあてる予定だったからだ。「ダイスケ」より、少しだけ凝っている。
ボクが誰なのかは、ボク自身もよくわからない。めぐみの妄想なのか、めぐみが見た夢なのか、めぐみの分身なのか別人格なのか。いずれにしても、めぐみが存在しない限り、ボクが存在することもない。一心同体。そうだ、一心同体だ。
ボクは、めぐみが生まれた時からいつもめぐみと一緒だったように思う。だから、めぐみのことならなんでも知っている。めぐみが高校生の時に数学のテストで赤点を取ったことも、生まれて初めてのデートが、いわさきちひろ美術館だったことも、春の日も夏の日も、秋も冬も昼も夜も、めぐみのことなら知らないことはない。
例えば、めぐみは書くことが好きで、中学の時に賞を取ったことがある。今でもこうしてブログを書いているのだが、めぐみはめぐみで訝しんでいることがある。時々、自分でもびっくりするくらい、違う文体の文章が書けたりするのだ。なぜ? とめぐみは不思議がる。そう、ここまで読んだ聡明な読者ならもうおわかりだろう。それはボクがめぐみに書かせたものだ。ボクにとっても、書くことは自分のアイデンティティの証明なのだ。めぐみにとってそうである以上に。なぜなら、ボクには実体がないのだから。書いて書いて書きまくることでしか、自分の存在を知らしめることができないのだから。

目が覚めた時、目の前のパソコンにまとまった量の文章があることに気がついて驚いた。こんなの、いつ書いたのだろう。たまにパソコンにつっぷして寝てしまうことはあるが、そういう時は画面に、\\\\\\\\\\\\\\\\\だとか、ああああああああああああ、とか明らかに妙な入力のあとが残っていたりするものだ。けれどこれは違う。夢うつつに書いたのだったか。しかも、ダイスケって、誰だ。どうしてわたしの秘密を書いているのだ。少し、背筋が寒くなった。

(続く。かもしれない。)

 

 

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どうも、ふむふむです。
最近『乱読のセレンディピティ』外山滋比古著(扶桑社文庫)
と言う本を読みました。英文学、日本語論、思想など、
幅広い活躍をされる文学博士の著作です。

「セレンディピティ」とは一般に「思いがけない幸運」を
意味する言葉だと思いますが、この先生が使っている意味合いとしては、
本を読むときに刺激され、思いがけないひらめきや発見、気づき、学びを
得ることをそう呼ぶようです。つまり、このタイトルは、
手当たり次第、めちゃくちゃに本を読んで、
そこから(内容は正確でなくとも、)新たな発見を促そうではないか。
というスタンスが基本です。

一番記憶に残っているのは、
「文学作品とは作者と読者が共同で作っていくものだ」という考え方です。
例えば、ガリバー旅行記とは、作られた当時はおおっぴらには言えない、
政治の皮肉や風刺だったそうです。
しかし、今では童話として定着していますよね。
これは同じ文学と言えるのか、いや、言わないだろう。
なぜなら、読者にとっての意味合いが全く違うからだ。
つまり、作品の形成は読者に依存しているのだという事です。

僕はどうかと言うと、乱読大好きです。
一冊の本を読み終える前に別の本を読むことは多いです。
やはり、じっくり読んだつもりでも、
理工書は完全な理解が難しく、最初は読み解けても、
だんだん難しくなっていって、消化できなくなります。
そうなったら別の読みたかった本の読みたい部分を読むのが、
興味、時間の両面で良いと思います。
それが本を寝かせておくという事です。

また、ペンとノートを持つと、
いつの間にか本に沿って学んでいたのが、
自分の興味ある計算へと変わってしまう事が多いです。
例えば、熱力学のエントロピーについて勉強していたら、
多変数の微積分の勉強になっていた。なんてことはよくあります。
そういう読み方は短期間で成果を上げることは出来ませんが、
僕の様に特に締め切りの無い、勉強を続ける身としては、
有益なのではないかと思います。

 

 

 

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筆働き

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朗真堂メンバーの本道時文です。


日差しの強さが増して、夏が近づいて来ますね。熱中症予防のために外出するときは帽子を被るようになりました。今年の夏は暑さがどのようになるのか気になります。


私は5月初頭に文学フリマというものに参加しました。知り合いたちの作る同人誌に自分の書いた文章も加わり、一つの冊子の形になり、販売されました。他人の書いた文章はたくさん読みましたが、自分の書いた文章が紙に印刷されて本の形で手に取るというのは初めての経験でした。以前に年長の友人から文章を書くなら、紙上の文章を書けと言われてきましたが、やっと第一歩を踏み出すことができました。これを機会にして、紙上の文章を書くことを続けたいと思います。


私の文章を書くきっかけになった要因に一つは好きな作家を見つけて、この作家の書くような文章を書きたいと思ったことがあります。自分の好きな文体を自分も書けるようになりたいと思って筆をとりました。夏にはまた違う冊子に文章を寄稿する予定なので、今からコツコツと書き貯めておきます。


夏の筆働きはどうなるか今から楽しみです。

 

 

 

 

 

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若き被災者の未来

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朗真堂メンバーのにっし~です。

2011.3.11

あの日からすでに6年以上もの月日が流れました。
本当に時の経つのは早いものです。

わたしは大地震の1ヶ月後、昼間は宮城県の石巻で災害ボランティアをしながら、夜は仙台市内の駐車場で車中泊をして過ごしていました。
ある日の朝、いつもは仙台駅近くから出発するシャトルバスに乗って石巻へ行くのですが、その日は定員に達してしまい、やむなく有料の高速バスで現地へ向かうことになりました。 
ふつうの乗合バスなので、ボランティア以外のひとも乗ります。 
隣の席に、ひとりの女性が座りました。 
わたしはてっきりボランティアに来たひとだと思い、そのつもりで話しかけました。 
するとそのかたはそうではなく、仙台から石巻の実家に帰る地元のひとでした。 

やがて話は被災に関する具体的な内容になりました。 
彼女はそのとき仙台在住でしたが、震災のときはまだ実家にいたそうです。 
実家は津波の直撃を受け、彼女と数名の家族は2階の屋根の上にかろうじて避難しました。 
とりあえず最悪の事態は免れましたが、寒空のなか一晩を明かさなければなりませんでした。
低体温症で意識を失うぎりぎりのなか、彼女たちはなんとか耐え抜いたそうです。 

翌日、水が引いて彼女とその両親は助かりました。 
しかし行方知らずだった曾祖母と祖母、そして幼い弟の姿は、家のなかで見つかったそうです。 

でも、彼女自身はもうこの現実を受け入れるしかないと、強い決意を抱いていました。 
彼女はその年の春高校を卒業し、旅館に勤めることが決まっていました。 
でも震災のあと、母親から「どんなことが起こるかわからない世の中だから、自分の好きなことをやりなさい」と言われ、本当はやりたかった音楽関係の仕事を居酒屋でバイトしながらやっているということでした。

彼女がいまも音楽関係の仕事をしているかはわかりません。
でも、強い意志を持った彼女のことです。
きっと何かの目標を持って、充実した日々をおくっていることでしょう。

 

 

 

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